夜泣き鉄骨6 海野十三
青空文庫より引用
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問題文
(「おお、くみちょう」うんてきがいった。「だれかが、そとでわめいているようですぜ」)
「おお、組長」雲的が云った。「誰かが、外で喚いているようですぜ」
(「なに、そとでわめいているっ」わしは、よきしないことにびっくりしていった。)
「なに、外で喚いているッ」わしは、予期しないことに吃驚して云った。
(なるほど、たぜいのこえで、なにやらわめいているのが、はるかにきこえるのであった。)
なるほど、多勢の声で、何やら喚いているのが、遥かに聞こえるのであった。
(「じゃ、みんな、そとへでよう」いちどうは、わっといって、いりぐちのとのほうへ、)
「じゃ、みんな、外へ出よう」一同は、ワッといって、入口の扉の方へ、
(さきをあらそってかけだした。がらがらと、おもいてっぴが、えんりょえしゃくなく、)
先を争って駆けだした。ガラガラと、重い鉄扉が、遠慮会釈なく、
(ひきあけられるものおとがした。「おう、くみちょう、たいへんだあ」かんだかいこえで)
引き開けられる物音がした。「おう、組長、大変だア」疳高い声で
(さけぶものがある。わしは、ぎくりとした。「くみちょう」わしのむなぐらに)
叫ぶものがある。わしは、ギクリとした。「組長」わしの胸倉に
(すがりついたのは、けーぶるこうじょうのごちょうをしているおとこだった。「おせいさんが、)
縋りついたのは、電纜工場の伍長をしている男だった。「おせいさんが、
(たいへんだっ」「なに、おせいが、いったいどうしたというんだ」「おせいさんがーー」)
大変だッ」「なに、おせいが、一体どうしたというんだ」「おせいさんがーー」
(ごちょうは、くるしそうにいいよどんだ。「おせいさんが、きゅーぽらへ、)
伍長は、苦しそうに言い澱んだ。「おせいさんが、熔融炉(キューポラ)へ、
(まっさかさまに、とびこんでしまった」「きゅーぽらへ、とびこんだ、というのかっ」)
真逆に、飛びこんでしまった」「熔融炉へ、飛びこんだ、というのかッ」
(わしは、それをきくなり、おせいのはたらいていたけーぶるこうじょうめがけて、やのように)
わしは、それを聞くなり、おせいの働いていた電纜工場めがけて、矢のように
(かけだした。わしのあとには、くみしたのものや、さんじをしらせにきたれんちゅうが、)
駆け出した。わしのあとには、組下のものや、惨事を報せに来た連中が、
(ばたばたとおいついてくるのであった。けーぶるこうじょうのいりぐちをいっぽはいると、)
バタバタと追いついて来るのであった。電纜工場の入口を一歩入ると、
(せいさんきわまりなきじけんの、いきづまるようなふんいきが、かんぜられるのだった。)
凄惨極まりなき事件の、息詰まるような雰囲気が、感ぜられるのだった。
(こうこうたるすいぎんとうのひかりのしたでしごとをするひとびとは、ぎしといわず、しょっこうといわず、)
皎々たる水銀灯の光の下で仕事をする人々は、技師といわず、職工といわず、
(じょうないのいちぐうにすえられた、たかさごじっしゃくのふといきゅーぽらのまわりをとりまいて、)
場内の一隅に据えられた、高さ五十尺の太い熔融炉の周囲を取巻いて、
(いっせいにうえをみあげていた。きゅーぽらのそばには、まつのきをたおしたようなだいけーぶるが、)
一斉に上を見上げていた。熔融炉の側には、松の樹を仆したような大電纜が、
(ながながとよこわっていたが、これはわすれられたようにだれひとりついているものは)
長々と横わっていたが、これは忘れられたように誰一人ついているものは
(なかった。「だめだぁ、なんにもめえねえ」「きもののはしも、のこっていねえよ」)
無かった。「駄目だァ、何にも見えねえ」「着物の端も、残っていねえよ」
(そんなことをさけびながら、きゅーぽらのちょうじょうにのぼっていたらしいだんこうたちが、)
そんなことを叫びながら、熔融炉の頂上に昇っていたらしい男工達が、
(ひつうなおももちをしておりてきた。しろいしゅじゅつぎをきてかけつけたいむぶのれんちゅうも、)
悲痛な面持をして降りて来た。白い手術着を着て駈けつけた医務部の連中も、
(かたちのないけがにんにたいして、さくのほどこしようもなく、みなといっしょに、)
形のない怪我人に対して、策の施しようも無く、皆と一緒に、
(まごまごしているだけだった。「どうも、おきのどくでしたが」こうじょうちょうが、)
まごまごしているだけだった。「どうも、お気の毒でしたが」工場長が、
(わしのそばへちかづくと、こうふんしたごちょうでいった。「きがついたときは、)
わしの傍へ近づくと、興奮した語調で云った。「気がついたときは、
(おせいさんが、もうきゅーぽらの、ほとんどちょうじょうまで、のぼっていたんです。)
おせいさんが、もう熔融炉の、殆んど頂上まで、昇っていたんです。
(でも、それときがついて、(とめろ、おりろ)と、したからさけびましたが、)
でも、それと気がついて、(停めろ、下りろ)と、下から叫びましたが、
(なにもきこえないふうで、あれよ、あれよといっているうちに、かえんのなかへ)
何も聞えない風で、アレヨ、アレヨと云っているうちに、火焔の中へ
(とびこまれたようなわけで・・・・・・」わしは、いうべきことばもなかった。)
飛びこまれたようなわけで……」わしは、云うべき言葉もなかった。
(「おせいさんは、かくごのじさつを、やったらしいですよ。どうしたわけか)
「おせいさんは、覚悟の自殺を、やったらしいですよ。どうした訳か
(わかりませんが」このこうじょうのくみちょうが、つづいてくちをはさんだ。そこへ、どやどやと)
判りませんが」この工場の組長が、続いて口を挟んだ。そこへ、ドヤドヤと
(みなをかきわけて、まえへ、とびだしたものがあった。「ああ、しんじまった。)
皆を掻きわけて、前へ、飛び出した者があった。「ああ、死んじまった。
(おせいさん、おれをのこして、なぜしんでしまったのだ」きがへんになったように)
おせいさん、俺を残して、何故死んでしまったのだ」気が変になったように
(わめいているのは、くれーんがかりのまさだった。「おい、まさ。どこへいくんだ」)
喚いているのは、クレーン係の政だった。「オイ、政。どこへ行くんだ」
(まさにおいすがっているのは、うんてきやげんただった。「おお、おせいちゃん。)
政に追い縋っているのは、雲的や源太だった。「おお、おせいちゃん。
(おれも、すぐいくよぉーー」「おい、まてといったら」まさは、おそろしいちからを)
おれも、直ぐ行くよォーー」「おい、待てと云ったら」政は、恐ろしい力を
(だして、げんたをなげとばすと、あっというまに、きゅーぽらのはしごのうえへ、)
出して、源太を投げとばすと、呀ッという間に、熔融炉の梯子の上へ、
(ひらりととびあがった。こうじょうのひとびとは、まだなまなましいさんじのあとにつづいて、)
ヒラリと飛び上った。工場の人々は、まだ生々しい惨事のあとに続いて、
(どんなことがおころうとしているかを、はやくもさとって、せんりつのひめいをあげた。)
どんなことが起ろうとしているかを、早くも悟って、戦慄の悲鳴をあげた。
(「はやく、あのおとこをつかまえろ!」「ひきずりおろせ、あいつはしぬつもりだぞ!」)
「早く、あの男を捉えろ!」「引ずり下ろせ、あいつは死ぬつもりだぞ!」
(「だれか、たすけてえーー」わしは、からだをうごかした。じゃまになるひとをおしのけて、)
「誰か、助けてえーー」わしは、身体を動かした。邪魔になる人を押しのけて、
(きゅーぽらのはしごのしたまできたときに、ひとあしはやく、うんてきのやつが、はしごに)
熔融炉の梯子の下まで来たときに、一足早く、雲的の奴が、梯子に
(てをかけていた。「うぬっ」わしは、うんてきを、つきとばした。「わしがたすける」)
手をかけていた。「うぬッ」わしは、雲的を、つきとばした。「わしが助ける」
(てつばしごにつかまって、うえをみると、まさは、きそくえんえんたるかたちであるが、はやくも)
鉄梯子に掴って、上を見ると、政は、気息奄々たる形であるが、早くも
(はんぶんばかりのたかさまでのぼっていた。わしは、うんと、こしぼねにちからをいれると、)
半分ばかりの高さまで登っていた。わしは、ウンと、腰骨に力を入れると、
(とんとんと、てびょうしとあしびょうしとあわせて、はしごをするするとのぼっていった。)
トントンと、手拍子と足拍子と合わせて、梯子をスルスルと攀っていった。
(みるみるまさとわしとのきょりは、たんしゅくされていった。もうひといきで、まさのからだに)
見る見る政とわしとの距離は、短縮されて行った。もう一息で、政の身体に
(てがとどくというところで、わしはつるりと、ひだりあしをすべらせた。わっという)
手が届くというところで、わしはツルリと、左足を滑らせた。ワッという
(ためいきが、したのほうから、きこえてきた。もうあますところは、ごろくしゃくしかない。)
溜息が、下の方から、聞えてきた。もう余すところは、五六尺しかない。
(わんわん、がやがやと、もどかしそうなぐんしゅうのこえがきこえる。わしは、)
ワンワン、ガヤガヤと、焦燥そうな群衆の声が聞える。わしは、
(すぴーどをぐっとはやめた。きがきじゃなく、うえをみると、まさはすでに)
速力(スピード)をグッと速めた。気が気じゃなく、上を見ると、政はすでに
(きゅーぽらのふちからうえへ、じょうはんしんをだしている。ちゃんすは、いまをおいて、)
熔融炉の縁から上へ、上半身を出している。機会(チャンス)は、今を措いて、
(ぜったいにない。しかしわしのては、まださんしゃくしたにしかとどかない。)
絶対に無い。しかしわしの手は、まだ三尺下にしか届かない。
(わんわん、がやがやのこえも、みみにはいらなくなった。まさはからだを、くのじなりに、)
ワンワン、ガヤガヤの声も、耳に入らなくなった。政は身体を、くの字なりに、
(ぐっとまげていよいよとびこむよういをした。「やっ!」かけごえもろとも、わしは、)
ぐっと曲げていよいよ飛びこむ用意をした。「やッ!」懸声諸共、わしは、
(からだをちゅうにうかせて、ゆんでをうんと、さしのべると、ここぞとおもうくうかんを、)
身体を宙に浮かせて、左手をウンと、さしのべると、ここぞと思う空間を、
(ぐっとつかんだ。ーーてごたえはあった。こうじょうのやねが、ふきとぶほどおおきな)
グッと掴んだ。ーー手応えはあった。工場の屋根が、吹きとぶほど大きな
(かんせいが、どっとしたのほうからわきあがった。だが、こっちは、みぎていっぽんで、)
歓声が、ドッと下の方から湧きあがった。だが、こっちは、右手一本で、
(きゅーぽらのてつばしごをにぎりしめ、ぜんしんをちゅうにはねあげたもんだから、ゆんでにまさの)
熔融炉の鉄梯子を握りしめ、全身を宙に跳ねあげたもんだから、左手に政の
(あしくびをにぎったまま、どどっと、したへおちていった。みぎてをはなしては、こっちが、)
足首を握った儘、どどッと、下へ墜ちていった。右手を放しては、こっちが、
(たまらない。がんと、よこばらを、てつばしごにうちつけたがそのとき、こううんにも)
たまらない。ガンと、横腹を、鉄梯子に打ちつけたがそのとき、幸運にも
(みぎあしが、ひょいとはしごにひっかかった。(しめたっ)とおもったしゅんかん、あたまのうえから)
右脚が、ヒョイと梯子に引懸った。(しめたッ)と思った瞬間、頭の上から
(ばっさり、あつくておもいものが、わしを、つきおとすように、おちてきた。)
バッサリ、熱くて重いものが、わしを、突き墜すように、落ちてきた。
(そして、あっというまに、ぬらぬらと、かおやうでをなでて、したへついらくしていった。)
そして、呀ッという間に、ヌラヌラと、顔や腕を撫でて、下へ墜落していった。
(それは、まさのからだだった。かろうじてわしがつかんだまさのからだだった。(これを)
それは、政の身体だった。辛うじてわしが掴んだ政の身体だった。(これを
(はなしては・・・・・・)とわたしはけんめいにこらえたが、そのおそろしいじゅうりょくにかつことができず、)
離しては……)と私は懸命に怺えたが、その恐ろしい重力に勝つことが出来ず、
(ついにつるりと、わしのゆびのあいだからぬけて、あいつのからだは、ひらひらと)
遂にツルリと、わしの指の間から脱けて、あいつの身体は、ヒラヒラと
(ふろしきのように、こんくりーとのゆかをめがけて、おちていった。いや、まったく、)
風呂敷のように、コンクリートの床を目懸けて、落ちていった。いや、全く、
(まさのからだはふろしきのように、まいながら、おちていったのだった。わしは、)
政の身体は風呂敷のように、舞いながら、墜ちて行ったのだった。わしは、
(どうしたものか、きゅうにわらいたくなって、くっ、くっ、うふうふと、てつばしごに、)
どうしたものか、急に笑いたくなって、クッ、クッ、ウフウフと、鉄梯子に、
(しがみついたまま、しばらくは、うごくことができないほどだった。)
しがみついた儘、暫くは、動くことが出来ない程だった。