「こころ」1-58(完) 夏目漱石

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(上)先生と私
お疲れ様でした(^^)
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問題文

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(わたくしはかばんをかった。むろんわせいのかとうなしなにすぎなかったが、)

私は鞄を買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、

(それでもかなぐなどがぴかぴかしているので、いなかものをおどかすには)

それでも金具などがぴかぴかしているので、田舎者を威嚇かすには

(じゅうぶんであった。このかばんをかうということは、わたくしのははのちゅうもんであった。)

充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。

(そつぎょうしたらあたらしいかばんをかって、そのなかにいっさいみやげものをいれてかえるようにと、)

卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切土産物を入れて帰るようにと、

(わざわざてがみのなかにかいてあった。)

わざわざ手紙の中に書いてあった。

(わたくしはそのもんくをよんだときにわらいだした。)

私はその文句を読んだ時に笑い出した。

(わたくしにはははのりょうけんがわからないといよりも、そのことばがいっしゅのこっけいとして)

私には母の料簡が解らないといよりも、その言葉が一種の滑稽として

(うったえたのである。)

訴えたのである。

(わたくしはいとまごいをするときせんせいふうふにのべたとおり、それからみっかめのきしゃで)

私は暇乞いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で

(とうきょうをたってくにへかえった。このふゆいらいちちのびょうきについてせんせいからいろいろのちゅういを)

東京を立って国へ帰った。この冬以来父の病気について先生から色々の注意を

(うけたわたくしは、いちばんしんぱいしなければならないちいにありながら、どういうものか、)

受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、どういうものか、

(それがたいしてくにならなかった。わたくしはむしろちちがいなくなったあとの)

それが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの

(ははをそうぞうしてきのどくにおもった。そのくらいだからわたくしはこころのどこかで、)

母を想像して気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、

(ちちはすでになくなるべきものとかくごしていたにちがいなかった。)

父はすでに亡くなるべきものと覚悟していたに違いなかった。

(きゅうしゅうにいるあにへやったてがみのなかにも、わたくしはちちのとてももとのような)

九州にいる兄へやった手紙のなかにも、私は父の到底故のような

(けんこうたいになるみこみのないことをのべた。いちどなどはしょくむのつごうもあろうが、)

健康体になる見込みのない事を述べた。一度などは職務の都合もあろうが、

(できるならくりあわせてこのなつぐらいいちどかおだけでもみにかえったらどうだとまで)

できるなら繰り合せてこの夏ぐらい一度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで

(かいた。そのうえとしよりがふたりぎりでいなかにいるのはさだめてこころぼそいだろう、)

書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にいるのは定めて心細いだろう、

(われわれもことしていかんのいたりであるというようなかんしょうてきなもんくさえつかった。)

我々も子として遺憾の至りであるというような感傷的な文句さえ使った。

(わたくしはじっさいこころにうかぶままをかいた。けれどもかいたあとのきぶんは)

私は実際心に浮かぶままを書いた。けれども書いたあとの気分は

など

(かいたときとはちがっていた。)

書いた時とは違っていた。

(わたくしはそうしたむじゅんをきしゃのなかでかんがえた。)

私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。

(かんがえているうちにじぶんがじぶんにきのかわりやすいけいはくもののようにおもわれてきた。)

考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。

(わたくしはふゆかいになった。わたくしはまたせんせいふうふのことをおもいうかべた。)

私は不愉快になった。私はまた先生夫婦の事を想い浮かべた。

(ことにに、さんにちまえばんめしによばれたときのかいわをおもいだした。)

ことに二、三日前晩食に呼ばれた時の会話を思い出した。

(「どっちがさきへしぬだろう」)

「どっちが先へ死ぬだろう」

(わたくしはそのばんせんせいとおくさんのあいだにおこったぎもんをひとりくちのうちでくりかえしてみた。)

私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。

(そうしてこのぎもんにはだれもじしんをもってこたえることができないのだとおもった。)

そうしてこの疑問には誰も自信をもって答える事ができないのだと思った。

(しかしどっちがさきへしぬとはっきりわかっていたならば、せんせいはどうするだろう。)

しかしどっちが先へ死ぬと判然分っていたならば、先生はどうするだろう。

(せんせいもおくさんも、いまのようなたいどでいるよりほかにしかたがないだろうとおもった。)

先生も奥さんも、今のような態度でいるより外に仕方がないだろうと思った。

((しにちかづきつつあるちちをくにもとにひかえながら、このわたくしがどうすることも)

(死に近づきつつある父を国元に控えながら、この私がどうする事も

(できないように)。)

できないように)。

(わたくしはにんげんをはかないものにかんじた。)

私は人間を果敢ないものに観じた。

(にんげんのどうすることもできないもってうまれたけいはくを、はかないものにかんじた。)

人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。

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