戯作三昧(十一)
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問題文
(じゅういち)
十一
(「これはきのうかきあげたのですが、わたしにはきにいったから、ごろうじんさえよければ)
「これは昨日描き上げたのですが、私には気に入ったから、御老人さえよければ
(さしあげようとおもってもってきました。」)
差し上げようと思って持って来ました。」
(かざんは、ひげのあとのあおいあごをなでながら、まんぞくそうにこういった。)
崋山は、鬚の痕の青い顋を撫でながら、満足そうにこう言った。
(「もちろんきにいったといっても、いままでかいたもののうちではというくらいな)
「もちろん気に入ったと言っても、今まで描いたもののうちではというくらいな
(ところですがーーとてもおもうとおりには、いつになっても、えがけはしません。」)
ところですがーーとても思う通りには、いつになっても、描けはしません。」
(「それはありがたい。いつもちょうだいばかりしていてきょうしゅくですが。」)
「それはありがたい。いつも頂戴ばかりしていて恐縮ですが。」
(ばきんは、えをながめながら、つぶやくようにれいをいった。みかんせいのままになって)
馬琴は、絵を眺めながら、つぶやくように礼を言った。未完成のままになって
(いるかれのしごとのことが、このときかれのこころのそこに、なぜかふとひらめいたから)
いる彼の仕事のことが、この時彼の心の底に、なぜかふとひらめいたから
(である。が、かざんはかざんで、やはりかれのえのことをかんがえつづけているらしい。)
である。が、崋山は崋山で、やはり彼の絵のことを考えつづけているらしい。
(「こじんのえをみるたびに、わたしはいつもどうしてこうかけるだろうとおもいますな。)
「古人の絵を見るたびに、私はいつもどうしてこう描けるだろうと思いますな。
(きでもいしでもじんぶつでも、みなそのきなりいしなりじんぶつなりになりきって、しかも)
木でも石でも人物でも、皆その木なり石なり人物なりになり切って、しかも
(そのなかにえがいたこじんのこころもちが、ゆうゆうとしていきている。あれだけはじつに)
その中に描いた古人の心もちが、悠々として生きている。あれだけは実に
(たいしたものです。まだわたしなどは、そこへいくと、こどもほどにもできて)
大したものです。まだ私などは、そこへ行くと、子供ほどにも出来て
(いません。」)
いません。」
(「こじんはこうせいおそるべしといいましたがな。」)
「古人は後生恐るべしと言いましたがな。」
(ばきんはかざんがじぶんのえのことばかりかんがえているのを、ねたましいようなこころもちで)
馬琴は崋山が自分の絵のことばかり考えているのを、妬ましいような心もちで
(ながめながら、いつになくこんなかいぎゃくをろうした。)
眺めながら、いつになくこんな諧謔を弄した。
(「それはこうせいもおそろしい。だからわたくしどもはただ、こじんとこうせいとのあいだに)
「それは後生も恐ろしい。だから私どもはただ、古人と後生との間に
(はさまって、みうごきもならずに、おされおされすすむのです。もっともこれは)
はさまって、身動きもならずに、押され押され進むのです。もっともこれは
(わたくしどもばかりではありますまい。こじんもそうだったし、こうせいもそうでしょう。」)
私どもばかりではありますまい。古人もそうだったし、後生もそうでしょう。」
(「いかにもすすまなければ、すぐにおしたおされる。するとまずひとあしでも)
「いかにも進まなければ、すぐに押し倒される。するとまず一足でも
(すすむくふうが、かんじんらしいようですな。」)
進む工夫が、肝腎らしいようですな。」
(「さよう、それがなによりもかんじんです。」)
「さよう、それが何よりも肝腎です。」
(しゅじんときゃくとは、かれらじしんのことばにうごかされて、しばらくのあいだくちをとざした。)
主人と客とは、彼ら自身の語に動かされて、しばらくの間口をとざした。
(そうしてふたりとも、あきのひのしずかなものおとにみみをすませた。)
そうして二人とも、秋の日の静かな物音に耳をすませた。
(「はっけんでんはあいかわらず、はかがおゆきですか。」)
「八犬伝は相変らず、捗がお行きですか。」
(やがて、かざんがわだいをべつなほうめんにひらいた。)
やがて、崋山が話題を別な方面に開いた。
(「いや、いっこうはかどらんでしかたがありません。これもこじんにはおよばない)
「いや、一向はかどらんでしかたがありません。これも古人には及ばない
(ようです。」)
ようです。」
(「ごろうじんがそんなことをいっては、こまりますな。」)
「御老人がそんなことを言っては、困りますな。」
(「こまるのなら、わたしのほうがだれよりもこまっています。しかしどうしても、これで)
「困るのなら、私の方が誰よりも困っています。しかしどうしても、これで
(いけるところまでいくよりほかはない。そうおもって、わたしはこのごろ)
行けるところまで行くよりほかはない。そう思って、私はこのごろ
(はっけんでんとうちじにのかくごをしました。」)
八犬伝と討死の覚悟をしました。」
(こういって、ばきんはみずからはずるもののように、くしょうした。)
こう言って、馬琴は自ら恥ずるもののように、苦笑した。
(「たかがげさくだとおもっても、そうはいかないことがおおいのでね。」)
「たかが戯作だと思っても、そうはいかないことが多いのでね。」
(「それはわたしのえでもおなじことです。どうせやりだしたからには、わたしも)
「それは私の絵でも同じことです。どうせやり出したからには、私も
(いけるところまではいききりたいとおもっています。」)
行けるところまでは行き切りたいと思っています。」
(「おたがいにうちじにですかな。」)
「お互いに討死ですかな。」
(ふたりはこえをたてて、わらった。が、そのわらいごえのなかには、ふたりだけにしか)
二人は声を立てて、笑った。が、その笑い声の中には、二人だけにしか
(わからないあるさびしさがながれている。とどうじにまた、しゅじんときゃくとは、ひとしく)
わからないある寂しさが流れている。と同時にまた、主人と客とは、ひとしく
(このさびしさから、いっしゅのちからづよいこうふんをかんじた。)
この寂しさから、一種の力強い興奮を感じた。
(「しかしえのほうはうらやましいようですな。こうぎのおとがめをうけるなどということが)
「しかし絵の方は羨ましいようですな。公儀のお咎めを受けるなどということが
(ないのはなによりもけっこうです。」)
ないのはなによりも結構です。」
(こんどはばきんが、わとうをいってんした。)
今度は馬琴が、話頭を一転した。