戯作三昧(十二)
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問題文
(じゅうに)
十二
(「それはないがーーごろうじんのかかれるものも、そういうしんぱいはありますまい。」)
「それはないがーー御老人の書かれるものも、そういう心配はありますまい。」
(「いや、おおいにありますよ。」)
「いや、大いにありますよ。」
(ばきんはあらためなぬしのとしょけんえつが、ろうをきわめているれいとして、じさくのしょうせつのいっせつが)
馬琴は改名主の図書検閲が、陋を極めている例として、自作の小説の一節が
(やくにんがわいろをとるかじょうのあったために、かいさくをめいぜられたじじつをあげた。)
役人が賄賂をとる箇条のあったために、改作を命ぜられた事実を挙げた。
(そうして、それにこんなひひょうをつけくわえた。)
そうして、それにこんな批評をつけ加えた。
(「あらためなぬしなどいうものは、とがめだてをすればするほど、しっぽのでるのが)
「改名主などいうものは、咎め立てをすればするほど、尻尾の出るのが
(おもしろいじゃありませんか。じぶんたちがわいろをとるものだから、わいろのことを)
おもしろいじゃありませんか。自分たちが賄賂をとるものだから、賄賂のことを
(かかれると、いやがってかいさくさせる。またじぶんたちがわいざつなこころもちに)
書かれると、嫌がって改作させる。また自分たちが猥雑な心もちに
(とらわれやすいものだから、なんにょのじょうさえかいてあれば、どんなしょもつでも、すぐ)
とらわれやすいものだから、男女の情さえ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ
(かいいんのしょにしてしまう。それでじぶんたちのどうとくしんが、さくしゃよりたかいきでいる)
誨淫の書にしてしまう。それで自分たちの道徳心が、作者より高い気でいる
(から、かたはらいたいしだいです。いわばあれは、さるがかがみをみて、はをむきだしている)
から、傍痛い次第です。言わばあれは、猿が鏡を見て、歯をむき出している
(ようなものでしょう。じぶんでじぶんのかとうなのにはらをたてているのですからな。」)
ようなものでしょう。自分で自分の下等なのに腹を立てているのですからな。」
(かざんはばきんのひゆがあまりねっしんなので、おもわずしっしょうしながら、)
崋山は馬琴の比喩があまり熱心なので、思わず失笑しながら、
(「それはおおきにそういうところもありましょう。しかしかいさくさせられても、)
「それは大きにそういうところもありましょう。しかし改作させられても、
(それはごろうじんのちじょくになるわけではありますまい。あらためなぬしなどがなんと)
それは御老人の恥辱になるわけではありますまい。改名主などがなんと
(いおうとも、りっぱなちょじゅつなら、かならずそれだけのことはあるはずです。」)
言おうとも、立派な著述なら、必ずそれだけのことはあるはずです。」
(「それにしても、ちとおうぼうすぎることがおおいのでね。そうそういちどなどは)
「それにしても、ちと横暴すぎることが多いのでね。そうそう一度などは
(ごくやへいしょくをおくるくだりをかいたので、やはりごろくぎょうけずられたことがありました。」)
獄屋へ衣食を送る件を書いたので、やはり五六行削られたことがありました。」
(ばきんじしんもこういいながら、かざんといっしょに、くすくすわらいだした。)
馬琴自身もこう言いながら、崋山といっしょに、くすくす笑い出した。
(「しかしこののちごじゅうねんかひゃくねんたったら、あらためなぬしのほうはいなくなって、)
「しかしこの後五十年か百年たったら、改名主の方はいなくなって、
(はっけんでんだけがのこることになりましょう。」)
八犬伝だけが残ることになりましょう。」
(「はっけんでんがのこるにしろ、のこらないにしろ、あらためなぬしのほうは、ぞんがいいつまでも)
「八犬伝が残るにしろ、残らないにしろ、改名主の方は、存外いつまでも
(いそうなきがしますよ。」)
いそうな気がしますよ。」
(「そうですかな。わたしにはそうもおもわれませんが。」)
「そうですかな。私にはそうも思われませんが。」
(「いや、あらためなぬしはいなくなっても、あらためなぬしのようなにんげんは、いつのよにも)
「いや、改名主はいなくなっても、改名主のような人間は、いつの世にも
(たえたことはありません。ふんしょこうじゅがむかしだけあったとおもうと、おおきに)
絶えたことはありません。焚書坑儒が昔だけあったと思うと、大きに
(ちがいます。」)
違います。」
(「ごろうじんは、このごろこころぼそいことばかりいわれますな。」)
「御老人は、このごろ心細いことばかり言われますな。」
(「わたしがこころぼそいのではない。あらためなぬしどものはびこるよのなかが、こころぼそいのです。」)
「私が心細いのではない。改名主どものはびこる世の中が、心細いのです。」
(「では、ますますはたらかれたらいいでしょう。」)
「では、ますます働かれたらいいでしょう。」
(「とにかく、それよりほかはないようですな。」)
「とにかく、それよりほかはないようですな。」
(「そこでまた、ごどうようにうちじにですか。」)
「そこでまた、御同様に討死ですか。」
(こんどはふたりともわらわなかった。わらわなかったばかりではない。ばきんはちょいと)
今度は二人とも笑わなかった。笑わなかったばかりではない。馬琴はちょいと
(かおをかたくして、かざんをみた。それほどかざんのこのじょうだんのようなことばには、)
顔をかたくして、崋山を見た。それほど崋山のこの冗談のような語には、
(みょうなするどさがあったのである。)
妙な鋭さがあったのである。
(「しかしまずわかいものは、いきのこるふんべつをすることです。うちじにはいつでも)
「しかしまず若い者は、生きのこる分別をすることです。討死はいつでも
(できますからな。」)
出来ますからな。」
(ほどをへて、ばきんがこういった。かざんのせいじじょうのいけんをしっているかれには、)
ほどを経て、馬琴がこう言った。崋山の政治上の意見を知っている彼には、
(このときふといっしゅのふあんがかんぜられたからであろう。が、かざんはびしょうしたぎり、)
この時ふと一種の不安が感ぜられたからであろう。が、崋山は微笑したぎり、
(それにはこたえようともしなかった。)
それには答えようともしなかった。