一塊の土 2/4
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数3867かな314打
-
プレイ回数96万長文かな1008打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数4.8万長文かな316打
-
プレイ回数168かな142打
-
プレイ回数19長文かな1546打
-
プレイ回数209長文526打
問題文
(おたみはいよいよほねみをおしまず、おとこのしごとをうばいつづけた。ときにはよるもかんてらのひかり)
お民は愈骨身を惜しまず、男の仕事を奪ひつづけた。時には夜もカンテラの光り
(にななどをうろぬいてまわることもあった。おすみはこういうおとこまさりのよめにいつも)
に菜などをうろ抜いて廻ることもあつた。お住はかう云ふ男まさりの嫁にいつも
(けいいをかんじていた。いや、けいいというよりもむしろいふをかんじていた。おたみはのや)
敬意を感じてゐた。いや、敬意と云ふよりも寧ろ畏怖を感じてゐた。お民は野や
(やまのしごとのほかはなんでもおすみにおしつけぎりだった。このごろではもうかのじょじしんの)
山の仕事の外は何でもお住に押しつけ切りだつた。この頃ではもう彼女自身の
(こしまきさえめったにあらったことはなかった。おすみはそれでもくじょうをいわずに、)
腰巻さへ滅多に洗つたことはなかつた。お住はそれでも苦情を云はずに、
(まがったこしをのばしのばし、いっしょうけんめいにはたらいていた。のみならずとなりのばあさんにでも)
曲つた腰を伸ばし伸ばし、一生懸命に働いてゐた。のみならず隣の婆さんにでも
(あえば、「なにしろおたみがああいうふうだからね、へえ、わたしはいつしんでも、)
遇へば、「何しろお民がああ云ふ風だからね、はえ、わたしはいつ死んでも、
(うちにくろうはいらねえよう」と、まがおによめのことをほめちぎっていた。)
家に苦労は入らなえよう」と、真顔に嫁のことを褒めちぎつてゐた。
(しかしおたみの「かせぎびょう」はよういにまんぞくしないらしかった。おたみはまたひとつとしをこす)
しかしお民の「稼ぎ病」は容易に満足しないらしかつた。お民は又一つ年を越す
(と、こんどはかわむこうのくわばたけへもてをひろげるといいはじめた。なんでもおたみのことばに)
と、今度は川向うの桑畑へも手を拡げると云ひはじめた。何でもお民の言葉に
(よれば、あのごたんぶにちかいはたけをじゅうえんばかりのこさくにだしているのはどうかんがえても)
よれば、あの五段歩に近い畑を十円ばかりの小作に出してゐるのはどう考へても
(ばかばかしい。それよりもあすこにくわをつくり、ようさんをかたてまにやるとすれば、)
莫迦莫迦しい。それよりもあすこに桑を作り、養蚕を片手間にやるとすれば、
(まゆそうばにへんどうのおこらないかぎり、きっととしにひゃくごじゅうえんはてどりにできるとかいう)
繭相場に変動の起らない限り、きつと年に百五十円は手取りに出来るとか云ふ
(ことだった。けれどもかねはほしいにしろ、このうえいそがしいおもいをすることはとうてい)
ことだつた。けれども金は欲しいにしろ、この上忙しい思ひをすることは到底
(おすみにはたえられなかった。ことにてまのかかるようさんなどはできないそうだんもどを)
お住には堪へられなかつた。殊に手間のかかる養蚕などは出来ない相談も度を
(こしていた。おすみはとうとうぐちまじりにこうおたみにはんこうした。)
越してゐた。お住はとうとう愚痴まじりにかうお民に反抗した。
(「いいかの、おたみ。おらだってにげるわけじゃねえ。にげるわけじゃねえけどもの、)
「好いかの、お民。おらだつて逃げる訣ぢやなえ。逃げる訣ぢやなえけどもの、
(おとこではねえし、なきつごはあるし、いまのまんまでせえにがすぎてらあの。それを)
男手はなえし、泣きつ児はあるし、今のまんまでせえ荷が過ぎてらあの。それを
(おめえとんでもねえ、なんでようさんができるもんじゃ?ちっとはおめえおらのことも)
お前飛んでもなえ、何で養蚕が出来るもんぢや? ちつとはお前おらのことも
(かんがえてみてくんなよう。」)
考へて見てくんなよう。」
(おたみもしゅうとめになかれてみると、それでもとはいわれたぎりではなかった。しかし)
お民も姑に泣かれて見ると、それでもとは云はれた義理ではなかつた。しかし
(ようさんはだんねんしたものの、くわばたけをつくることだけはごうじょうにがいをはりとおした。)
養蚕は断念したものの、桑畑を作ることだけは強情に我意を張り通した。
(「いいわね。どうせはたけへはわしひとりでりゃすむんだから。」ーーおたみはふふくそう)
「好いわね。どうせ畑へはわし一人出りやすむんだから。」ーーお民は不服さう
(におすみをみながら、こんなあてっこすりもつぶやいたりした。)
にお住を見ながら、こんな当つこすりも呟いたりした。
(おすみはまたこのときいらい、むこをとるはなしをかんがえだした。いぜんにもくらしをしんぱいしたり、)
お住は又この時以来、壻を取る話を考へ出した。以前にも暮しを心配したり、
(せけんをかねたりしたために、むこをとおもったことはたびたびあった。しかしこんどは)
世間を兼ねたりした為に、壻をと思つたことは度たびあつた。しかし今度は
(かたときでもるすいやくのくるしみをのがれたさに、むこをとおもいはじめたのだった。それ)
片時でも留守居役の苦しみを逃れたさに、壻をと思ひはじめたのだつた。それ
(だけにいぜんにくらべれば、こんどのむこをとりたさはどのくらいつうせつだかしれなかった。)
だけに以前に比べれば、今度の壻を取りたさはどの位痛切だか知れなかつた。
(ちょうどうらのみかんばたけのいっぱいにはなをつけるころ、らんぷのまえにじんどったおすみはおおきい)
丁度裏の蜜柑畠の一ぱいに花をつける頃、ランプの前に陣取つたお住は大きい
(よなべのめがねごしに、そろそろこのはなしをもちだしてみた。しかしろばたにあぐらを)
夜なべの眼鏡越しに、そろそろこの話を持ち出して見た。しかし炉側に胡坐を
(かいたおたみはしおえんどうをかみながら、「またむこばなしかね、わしはしらねえよう」と)
かいたお民は塩豌豆を噛みながら、「又壻話かね、わしは知らなえよう」と
(あいてになるけしきもみせなかった。いぜんのおすみならばこれだけでも、たいていあきらめ)
相手になる気色も見せなかつた。以前のお住ならばこれだけでも、大抵あきらめ
(てしまうところだった。が、こんどはこんどだけに、おすみもねちねちくどきだした。)
てしまふ所だつた。が、今度は今度だけに、お住もねちねち口説き出した。
(「でもの、そうばかりいっちゃいられねえじゃ。あしたのみやしたのそうしきにゃの、)
「でもの、さうばかり云つちやゐられなえぢや。あしたの宮下の葬式にやの、
(ちょうどこんどはおららのうちもおはかのあなほりやくにあたってるがの。こういうときに)
丁度今度はおら等の家もお墓の穴掘り役に当つてるがの。かう云ふ時に
(おとこでのねえのは、・・・・・・」)
男手のなえのは、……」
(「いいわね。ほりやくにはわしがでるわね。」)
「好いわね。掘り役にはわしが出るわね。」
(「まさか、おめえ、おんなのくせに、ーー」)
「まさか、お前、女の癖に、ーー」
(おすみはわざとわらおうとした。が、おたみのかおをみると、うっかりわらうのもかんがえもの)
お住はわざと笑はうとした。が、お民の顔を見ると、うつかり笑ふのも考へもの
(だった。)
だつた。
(「おばあさん、おまえさんいんきょでもしたくなったんじゃあるめえね?」)
「おばあさん、お前さん隠居でもしたくなつたんぢやあるまえね?」
(おたみは)
お民は
(あぐらのひざをだいたなり、ひややかにこうくぎをさした。 とつぜんきゅうしょをつかれたおすみは)
胡坐の膝を抱いたなり、冷かにかう釘を刺した。突然急所を衝かれたお住は
(おもわずおおきいめがねをはずした。しかしなんのためにはずしたかはかのじょじしんにも)
思はず大きい眼鏡を外した。しかし何の為に外したかは彼女自身にも
(わからなかった。)
わからなかつた。
(「なあん、おめえ、そんなことを!」)
「なあん、お前、そんなことを!」
(「おめえさんひろのおとうさんのしんだときに、じぶんでも いったことをわすれやしめえね?)
「お前さん広のお父さんの死んだ時に、自分でも云つたことを忘れやしまえね?
(ここのうちのでんちをふたつにしちゃ、ごせんぞさまにもすまねえって、・・・・・・」)
此処の家の田地を二つにしちや、御先祖様にもすまなえつて、……」
(「ああさ。そりゃそういったじゃ。でもの、まあかんがえてみば。ときよじせつという)
「ああさ。そりやさう云つたぢや。でもの、まあ考へて見ば。時世時節と云ふ
(こともあるら。こりゃどうにもしかたのねえこんだの。・・・・・・」)
こともあるら。こりやどうにも仕かたのなえこんだの。……」
(おすみはいっしょうけんめいにおとこでのいることをべんじつづけた。が、とにかくおすみのいけんは)
お住は一生懸命に男手の入ることを弁じつづけた。が、兎に角お住の意見は
(かのじょじしんのみみにさえもっともらしいひびきをつたえなかった。それはだいいちにかのじょのほんね、)
彼女自身の耳にさへ尤もらしい響を伝へなかつた。それは第一に彼女の本音、
(ーーつまりかのじょのらくになりたさをもちだすことのできないためだった。おたみはまた)
ーーつまり彼女の楽になりたさを持ち出すことの出来ない為だつた。お民は又
(そこをみつけどころに、あいかわらずしおからいえんどうをかみかみ、ぴしぴししゅうとめをきめつけに)
其処を見つけ所に、不相変塩からい豌豆を噛み噛み、ぴしぴし姑をきめつけに
(かかった。のみならずこれにはおすみのしらないてんせいのくちだっしゃもてつだっていた。)
かかつた。のみならずこれにはお住の知らない天性の口達者も手伝つてゐた。
(「おめえさんはそれでもよかろうさ。さきにしんでってしまうだから。ーーだがね、)
「お前さんはそれでも好からうさ。先に死んでつてしまふだから。ーーだがね、
(おばあさん、わしのみになりゃ、そういってふてくさっちゃいられねえじゃあ。)
おばあさん、わしの身になりや、さう云つてふて腐つちやゐられなえぢやあ。
(わしだってなにもはれやじまんで、ごけをとおしてるわけじゃねえよ。ほねぶしのいたんで)
わしだつて何も晴れや自慢で、後家を通してる訣ぢやなえよ。骨節の痛んで
(ねられねえばんなんか、ばかいじをはったってしかたがねえと、しみじみおもう)
寝られなえ晩なんか、莫迦意地を張つたつて仕かたがなえと、しみじみ思ふ
(こともねえじゃねえ。そりゃねえじゃねえけんどね。これもみんなうちのためだ、)
こともなえぢやなえ。そりやなえぢやなえけんどね。これもみんな家の為だ、
(ひろのためだとかんがえなおして、やっぱしなきなきやってるだあよ。・・・・・・」)
広の為だと考へ直して、やつぱし泣き泣きやつてるだあよ。……」
(おすみはただぼうぜんとよめのかおばかりながめていた。そのうちにいつかかのじょのこころははっきり)
お住は唯茫然と嫁の顔ばかり眺めてゐた。そのうちにいつか彼女の心ははつきり
(とあるじじつをとらえだした。それはいかにあがいてみても、とうていめをつぶるまでは)
と或事実を捉へ出した。それは如何にあがいて見ても、到底目をつぶるまでは
(らくはできないというじじつだった。おすみはよめのしゃべりやんだあと、もういちど)
楽は出来ないと云ふ事実だつた。お住は嫁のしやべりやんだ後、もう一度
(おおきいめがねをかけた。それからなかばひとりごとのようにこうはなしのけつまつをつけた。)
大きい眼鏡をかけた。それから半ば独語のやうにかう話の結末をつけた。
(「だがの、おたみ、なかなかおめえよのなかのことはりくつ ばっかしじゃいかねえせえに、)
「だがの、お民、中々お前世の中のことは理窟ばつかしぢや行かなえせえに、
(とっくりおめえもかんがえてみてくんなよ。おらはもうなんともいわねえからの。」)
とつくりお前も考へて見てくんなよ。おらはもう何とも云はなえからの。」
(にじゅっぷんののち、だれかむらのわかしゅがひとり、ちゅうおんにうたをうたいながら、しずかにこのいえのまえを)
二十分の後、誰か村の若衆が一人、中音に唄をうたひながら、静にこの家の前を
(とおりすぎた。「わかいおばさんきょうはくさかりか。くさよなびけよ。かまきれろ。」)
通りすぎた。「若い叔母さんけふは草刈りか。草よ靡けよ。鎌切れろ。」
(ーーうたのこえのとおのいたときおすみはもういちどめがねごしに、ちらりとおたみのかおを)
ーー唄の声の遠のいた時お住はもう一度眼鏡越しに、ちらりとお民の顔を
(ながめた。が、おたみはらんぷのむこうにながながとあしをのばしたまま、なまあくびを)
眺めた。が、お民はランプの向うに長ながと足を伸ばしたまま、生欠伸を
(しているばかりだった。)
してゐるばかりだつた。
(「どら、ねべえ。あさがはええに。」)
「どら、寝べえ。朝が早えに。」
(おたみはやっとこういったとおもうと、しおえんどうをひとつかみさらったのち、たいぎそうに)
お民はやつとかう云つたと思ふと、塩豌豆を一掴みさらつた後、大儀さうに
(ろばたをたちあがった。・・・・・・)
炉側を立ち上つた。……
(おすみはそのあとさんよねんのあいだ、もくもくとくるしみにたえつづけた。それはいわば)
お住はその後三四年の間、黙々と苦しみに堪へつづけた。それは云はば
(はやりきったうまとおなじくびきをせおわされたろうばのけいけんするくるしみだった。おたみは)
はやり切つた馬と同じ軛を背負された老馬の経験する苦しみだつた。お民は
(あいかわらずうちをそとにせっせとのらしごとにかかっていた。おすみもはためにはあいかわらず)
不相変家を外にせつせと野良仕事にかかつてゐた。お住もはた目には不相変
(こまめにるすいやくをつとめていた。しかしみえないむちのかげはたえずかのじょをおびやかし)
小まめに留守居役を勤めてゐた。しかし見えない鞭の影は絶えず彼女を脅やかし
(ていた。あるときはふろをたかなかったために、あるときは もみをほしわすれたために、あるときは)
てゐた。或時は風呂を焚かなかつた為に、或時は籾を干し忘れた為に、或時は
(うしのはなれたために、おすみはいつもきのつよいおたみに あてこすりやこごとをいわれがち)
牛の放れた為に、お住はいつも気の強いお民に当てこすりや小言を云はれ勝ち
(だった。が、かのじょはことばもかえさず、じっとくるしみにたえつづけた。それは)
だつた。が、彼女は言葉も返さず、ぢつと苦しみに堪へつづけた。それは
(ひとつにはにんじゅうになれたせいしんをもっていたからだった。またふたつにはまごのひろつぐが)
一つには忍従に慣れた精神を持つてゐたからだつた。又二つには孫の広次が
(ははよりもむしろそぼのかのじょによけいなついていたからだった。)
母よりも寧むしろ祖母の彼女に余計なついてゐたからだつた。
(おすみはじっさいはためにはほとんどいぜんにかわらなかった。もしすこしでもかわったとすれば、)
お住は実際はた目には殆ど以前に変らなかつた。もし少しでも変つたとすれば、
(それはただいぜんのようによめのことをほめないばかりだった。けれどもこういうささい)
それは唯以前のやうに嫁のことを褒めないばかりだつた。けれどもかう云ふ些細
(のへんかはかくべつひとめをひかなかった。すくなくともとなりのばあさんなどにはいつも)
の変化は格別人目を引かなかつた。少くとも隣のばあさんなどにはいつも
(「ごしょうよし」のおすみだった。)
「後生よし」のお住だつた。
(あるなつのひのてりつけたまひる、おすみはなやのまえをおおったぶどうだなのはのかげに)
或夏の日の照りつけた真昼、お住は納屋の前を覆つた葡萄棚の葉の陰に
(となりのばあさんとはなしていた。あたりはうしべやのはえのこえのほかになんのものおとも)
隣のばあさんと話してゐた。あたりは牛部屋の蠅の声の外に何の物音も
(きこえなかった。となりのばあさんははなしをしながら、みじかいまきたばこをすったりした。)
聞えなかつた。隣のばあさんは話をしながら、短い巻煙草を吸つたりした。
(それはせがれのすいがらをたんねんにあつめてきたものだった。)
それは倅の吸ひ殻を丹念に集めて来たものだつた。
(「おたみさんはえ?ふうん、ほしくさがりにの?わけえのに まあ、なんでも)
「お民さんはえ? ふうん、干し草刈りにの? 若えのにまあ、何でも
(するのう。」)
するのう。」
(「なあん、おんなにゃそとへでるよか、うちのしごとがいちばんいいだよう。」)
「なあん、女にや外へ出るよか、内の仕事が一番好いだよう。」
(「いいや、はたしごとのすきなのはなによりだよう。わしのよめなんかしゅうげんから、)
「いいや、畠仕事の好きなのは何よりだよう。わしの嫁なんか祝言から、
(へえ、これもうしちねんがあいだ、はたへはおろかくさむしりせえ、ただのいちにちもでたことは)
はえ、これもう七年が間、畠へはおろか草むしりせえ、唯の一日も出たことは
(ねえわね。こどものもののせんたくだあの、じぶんのもののしなおしだあのって、まいにちながのひを)
なえわね。子供の物の洗濯だあの、自分の物の仕直しだあのつて、毎日永の日を
(くらしてらあね。」)
暮らしてらあね。」