壺
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問題文
(これはおれのたいけんのなかでもっともおそろしかったはなしだ。)
これは俺の体験の中でもっとも恐ろしかった話だ。
(だいがくいちねんのあきごろ、おれのおかるとどうのししょうはすらんぷにおちいっていた。)
大学1年の秋頃、俺のオカルト道の師匠はスランプに陥っていた。
(やるきがないというか、かんがさえないというか。)
やる気がないというか、勘が冴えないというか。
(おれが「しんれいすぽっとでもつれていってくださいよ~」といってもうわのそらで、)
俺が「心霊スポットでも連れて行ってくださいよ~」と言っても上の空で、
(たまにぽけっとからいちえんだまをよんまいほどだしたかとおもうとてのこうのうえでふって、)
たまにポケットから1円玉を4枚ほど出したかとおもうと手の甲の上で振って、
(「だめ。けがわるい」とかぶつぶついってはねころがるしまつだった。)
「駄目。ケが悪い」とかぶつぶつ言っては寝転がる始末だった。
(それがあるとききゅうに「てそうをみせろ」とてをつかんできた。)
それがある時急に「手相を見せろ」と手を掴んできた。
(「こりゃわるい。わるすぎてぼくにはわかんない。きになるよね?ね?」)
「こりゃ悪い。悪すぎて僕にはわかんない。気になるよね?ね?」
(かってなことをいえるものだ。「じゃ、いこういこう」)
勝手なことを言えるものだ。「じゃ、行こう行こう」
(むりやりだったがししょうのやるきがでるのはうれしかった。)
無理やりだったが師匠のやる気が出るのは嬉しかった。
(どこにいくとはいってくれなかったが、おれはししょうについてでんしゃにのった。)
どこに行くとは言ってくれなかったが、俺は師匠に付いて電車に乗った。
(ついたのはとなりのけんのちゅうかくとしのえきだった。)
ついたのは隣の県の中核都市の駅だった。
(えきをでて、えきまえのあーけーどがいをずんずんあるいていった。)
駅を出て、駅前のアーケード街をずんずん歩いて行った。
(しょうてんがいのいっかくに「てそう」というてがきのかみをだいのうえにのせてすわっている)
商店街の一画に『手相』という手書きの紙を台の上に乗せて座っている
(おじさんがいた。ししょうはしたしげにはなしかけ、「ぼくのしんせき」だという。)
おじさんがいた。師匠は親しげに話しかけ、「僕の親戚」だという。
(むねよしとなのったてそうみしは「あれをみにきたな」というと)
宗芳と名乗った手相見師は「あれを見に来たな」というと
(ふきげんそうなかおをしていた。むねよしさんはじもとではなのうれたひとで、)
不機嫌そうな顔をしていた。宗芳さんは地元では名の売れた人で、
(あさのはちろうのけいれつということだった。)
浅野八郎の系列ということだった。
(おれはよくわからないままとりあえずてそうをみてもらったが、)
俺はよくわからないままとりあえず手相を見てもらったが、
(じょなんのそうがでてることいがいはとくにわるいこともいわれなかった。)
女難の相が出てること以外は特に悪いことも言われなかった。
(きんせいわというひとさしゆびとなかゆびのあいだからこゆびまでのびるはんえんが)
金星環という人差し指と中指の間から小指まで伸びる半円が
(つよくでているといわれたのがうれしかった。げいじゅつかのそうだそうな。)
強く出ているといわれたのが嬉しかった。芸術家の相だそうな。
(せんぱいはみてもらわないんですか?というと、むねよしさんはししょうをにらんで)
先輩は見てもらわないんですか?と言うと、宗芳さんは師匠を睨んで
(「みんでもわかる。しそうがでとる」)
「見んでもわかる。死相がでとる」
(ししょうはへへへとわらうだけだった。)
師匠はへへへと笑うだけだった。
(よるのみせじまいまできっかりまたされて、むねよしさんのいえにつれていってもらった。)
夜の店じまいまできっかり待たされて、宗芳さんの家に連れて行ってもらった。
(おおきなにほんかおくだった。)
大きな日本家屋だった。
(てそうみしはどうらくらしかった。)
手相見師は道楽らしかった。
(ばんごはんのごしょうばんにあずかり、とまっていけというのでおれはふろをかりた。)
晩御飯のご相伴にあずかり、泊まって行けというので俺は風呂を借りた。
(ふろからでると、ししょうがやってきて「いっしょにこい」という。)
風呂からでると、師匠がやってきて「一緒に来い」という。
(しきちのうらてにあったどぞうにむかうと、むねよしさんがまっていた。)
敷地の裏手にあった土蔵に向うと、宗芳さんが待っていた。
(「たしかにおまえにはみるけんりがあるが、かんしんせんな」)
「確かにお前には見る権利があるが、感心せんな」
(ししょうはかたいことをいうなよ、とどぞうのなかへはいっていった。)
師匠は硬いことを言うなよ、と土蔵の中へ入って行った。
(どぞうのおくにしたへつづくはしごのようなかいだんがあり、おれたちはそれをおりた。)
土蔵の奥に下へ続く梯子のような階段があり、俺たちはそれを降りた。
(こんかいのししょうのもくてきらしい。)
今回の師匠の目的らしい。
(おれはどきどきした。)
俺はドキドキした。
(ししょうのめがかがやいているからだ。)
師匠の目が輝いているからだ。
(こういうときはやばいものにかならずであう。)
こういう時はヤバイものに必ず出会う。
(おもったよりながく、まるまるちかにかいくらいまでおりたさきには、)
思ったより長く、まるまる地下二階くらいまで降りた先には、
(たたみじきのちかしつがあった。きいろいらんぷとうがてんじょうにかかっている。)
畳敷きの地下室があった。黄色いランプ灯が天井に掛かっている。
(ろくじょうぐらいのひろさにかべはつちがむきだしで、たたみもすぐしたはつちのようだった。)
六畳ぐらいの広さに壁は土が剥き出しで、畳もすぐ下は土のようだった。
(もともとはじかせいのぼうくうごうだったと、あとでおそわった。)
もともとは自家製の防空壕だったと、あとで教わった。
(へやのすみにいようなものがあった。それはきょだいなつぼだった。)
部屋の隅に異様なものがあった。それは巨大な壷だった。
(おれのむねほどのたかさに、かかえきれないよこはば。)
俺の胸ほどの高さに、抱えきれない横幅。
(しかもみなれたじきやとうきでなく、なわめがついたすやきのつぼだ。)
しかも見なれた磁器や陶器でなく、縄目がついた素焼きの壷だ。
(「これって、じょうもんどきじゃないんすか?」)
「これって、縄文土器じゃないんスか?」
(むねよしさんがくびをふった。「いや、やよいしきだな。こくもつをちょぞうするためのうつわだ」)
宗芳さんが首を振った。「いや、弥生式だな。穀物を貯蔵するための器だ」
(そんなものがなんでここにあるんだ?ととうぜんおもった。)
そんなものがなんでここにあるんだ?と当然思った。
(ししょうはつぼにちかづくとまじまじとながめはじめた。)
師匠は壷に近づくとまじまじと眺めはじめた。
(「これはあれのそふがな、せんじちゅうのどさくさでくすねてきたものだ」)
「これはあれの祖父がな、戦時中のどさくさでくすねてきたものだ」
(むねよしさんはおれでもしっているいせきのなまえをあげた。)
宗芳さんは俺でも知っている遺跡の名前をあげた。
(そのとき、ししょうがくちをひらいた。「これがこくもつをちょぞうしてたって?」)
その時、師匠が口を開いた。「これが穀物を貯蔵してたって?」
(わらってるようだ。きいろいあかりのしたでさえ、つぼはせいきがないような)
笑ってるようだ。黄色い灯りの下でさえ、壷は生気がないような
(なくらいいろをしていた。むねよしさんがうなった。)
暗い色をしていた。宗芳さんが唸った。
(「あれのそふはな、このつぼはじんこつをおさめていたという」)
「あれの祖父はな、この壷は人骨を納めていたという」
(「みえるというんだ。つぼのくちからのぞくと、ししゃのかおが」)
「見えると言うんだ。壷の口から覗くと、死者の顔が」
(おれはふるえた。あきとはいえ、まだしょしゅうだ。)
俺は震えた。秋とはいえ、まだ初秋だ。
(はださむさにはとおいはずが、さむけにおそわれた。)
肌寒さには遠いはずが、寒気に襲われた。
(「ときにつぼからししゃがはいあがってくるという。)
「ときに壷から死者が這い上がって来るという。
(ししゃはへやにみち、どぞうにみち、そとからかんぬきをかけると)
死者は部屋に満ち、土蔵に満ち、外から閂をかけると
(まちじゅうにひびくこえでなくのだという」)
町中に響く声で泣くのだという」
(おれはあたまをなぐられたようなしょうげきをうけた。くらくらする。)
俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。くらくらする。
(あたまのなかをはえのむれがとびまわっているようだ。はなをつくすえたにおいがただよいはじめた。)
頭の中を蝿の群れが飛び回っているようだ。鼻をつく饐えた匂いが漂い始めた。
(まずい。このつぼはまずい。れいたいけんはこれでもかなりしてきた。そのけいけんがいう。)
まずい。この壷はまずい。霊体験はこれでもかなりしてきた。その経験がいう。
(ししょうはつぼのくちをのぞきこんでいた。)
師匠は壷の口を覗き込んでいた。
(「きたよ。はいあがってきてる。はいあがれ。はいあがれ」)
「来たよ。這いあがって来てる。這いあがれ。這いあがれ」
(めがらんらんとかがやいている。みみなりだ。はえのむれのような。)
目が爛々と輝いている。耳鳴りだ。蝿の群れのような。
(いままでにないほどのすさまじいみみなりがしている。)
今までにないほどの凄まじい耳鳴りがしている。
(ばちんとおとがしてあかりがきえた。きえるしゅんかんに)
バチンと音がして灯りが消えた。消える瞬間に
(あおじろいりんがつぼからたつのがたしかにみえた。)
青白い燐が壷から立つのが確かに見えた。
(「いかん、そとにでるぞ」むねよしさんがあわてていった。)
「いかん、外に出るぞ」宗芳さんが慌てて言った。
(「みろよ!こいつらはにせんねんたってもまだこのなかにいるんだよ!」)
「見ろよ! こいつらは2千年立ってもまだこの中にいるんだよ!」
(むねよしさんはわめくししょうをかかえた。)
宗芳さんは喚く師匠を抱えた。
(「こいつらひとをくってやがったんだ!これがぼくらのげんざいだ!」)
「こいつら人を食ってやがったんだ!これが僕らの原罪だ!」
(おれはこしがぬけたようだった。)
俺は腰が抜けたようだった。
(「ここにこい。ぼくのでしならみろ。のぞきこめ。このやみをみろ。)
「ここに来い。僕の弟子なら見ろ。覗き込め。この闇を見ろ。
(しがんのやみはそこなしだ。あのよなんてすくいはないのさ。)
此岸の闇は底無しだ。あの世なんて救いはないのさ。
(しょくじんの、ともぐいのごうだ!ぼくはこれをみるたびにかくしんする!)
食人の、共食いの業だ!僕はこれを見るたびに確信する!
(にんげんはそのほんしつからいきるしかくのないくそだと!」)
人間はその本質から生きる資格のないクソだと!」
(おれはめったやたらにはしごをあがり、にげた。むねよしさんはししょうをひっぱりだし、)
俺はめったやたらに梯子を上り、逃げた。宗芳さんは師匠を引っ張り出し、
(どぞうをしめるときょうはもうねてあしたかえれといった。)
土蔵を締めると今日はもう寝て明日帰れと言った。
(そのよる、ひとばんじゅうつよいかぜがふきおれはみみをふさいでねむった。)
その夜、一晩中強い風が吹き俺は耳を塞いで眠った。
(そのじけんのあと、ししょうはげんきを、やるきをとりもどしたが)
その事件のあと、師匠は元気を、やる気を取り戻したが
(おれはふくざつなきもちになった。)
俺は複雑な気持ちになった。