将棋
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | daifuku | 3653 | D+ | 3.9 | 93.7% | 1477.1 | 5779 | 382 | 96 | 2024/10/24 |
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問題文
(ししょうはしょうぎがとくいだ。)
師匠は将棋が得意だ。
(もちろんしょうぎのししょうではない。だいがくのせんぱいで、おかるとまにあのへんじんである。)
もちろん将棋の師匠ではない。大学の先輩で、オカルトマニアの変人である。
(おれもまた、おかるとがすきだったので、ししょうししょうとよんでつきまとっていた。)
俺もまた、オカルトが好きだったので、師匠師匠と呼んでつきまとっていた。
(だいがくいっかいせいのあきに、ししょうがしょうぎをさせるのをしってしょうぶをいどんだ。)
大学1回生の秋に、師匠が将棋を指せるのを知って勝負を挑んだ。
(おれもたしょうこころえがあったから。しかしけっかはざんぱい。)
俺も多少心得があったから。しかし結果は惨敗。
(かくおち(はんでのいっしゅ)でもあいてにならなかった。)
角落ち(ハンデの一種)でも相手にならなかった。
(いっしゅうかんご、ぱそこんのしょうぎそふとをやりこんでかんをとりもどしたおれは、)
1週間後、パソコンの将棋ソフトをやり込んでカンを取り戻した俺は、
(さいちょうせんのためにししょうのげしゅくへのりこんだ。けっか、たしょうぜんせんしたかんはあるが、)
再挑戦のために師匠の下宿へ乗り込んだ。結果、多少善戦した感はあるが、
(やはりかくおちでけちらされてしまった。かんそうせんのさいちゅうに、)
やはり角落ちで蹴散らされてしまった。感想戦の最中に、
(「ぼくはぼうれいとさしたことがある」ししょうがぽつりといった。)
「僕は亡霊と指したことがある」師匠がぽつりと言った。
(いつものかいだんよりなんだかたのしそうなきがして、みをのりだした。)
いつもの怪談よりなんだか楽しそうな気がして、身を乗り出した。
(「てがみしょうぎをしってるか」ととわれてうなずく。)
「手紙将棋を知ってるか」と問われて頷く。
(しょうぎはふつうながくてもすうじかんでけっちゃくがつく。)
将棋は普通長くても数時間で決着がつく。
(いってさんじゅうびょうとかのはやざしならすうじゅっぷんでおわる。)
1手30秒とかの早指しなら数十分で終わる。
(ところがてがみしょうぎというのは、ばんのまえでむかいあわずに、)
ところが手紙将棋というのは、盤の前で向かい合わずに、
(おたがいつぎのてをてがみでかいてやりとりするという、なんともきのながいしょうぎだ。)
お互い次の手を手紙で書いてやり取りするという、なんとも気の長い将棋だ。
(ふうりゅうすぎてわかものにはりかいできないせかいである。ところがししょうのそふは)
風流すぎて若者には理解出来ない世界である。ところが師匠の祖父は
(そのてがみしょうぎを、げしととうじだけというさいくるでしていたそうだ。)
その手紙将棋を、夏至と冬至だけというサイクルでしていたそうだ。
(げしにつぎのてがとどき、とうじにかえしてをおくる。ねんににてしかすすまない。)
夏至に次の手が届き、冬至に返し手を送る。年に2手しか進まない。
(しょうぎはひとしょうぶにひゃくてていどかかるので、おわるまでにごじゅうねんは)
将棋は1勝負に100手程度かかるので、終わるまでに50年は
(かかるけいさんになる。「しんじゃいますよ」ししょうはうなずいて、そふはごねんまえに)
かかる計算になる。「死んじゃいますよ」師匠は頷いて、祖父は5年前に
(しんだといった。せんじちゅうのことだ。ぜんせんにでたそふはごらくのないせいかつのなかで、)
死んだと言った。戦時中のことだ。前線に出た祖父は娯楽のない生活のなかで、
(しょうたいでしょうぎをさせるただひとりのせんゆうと、かみでつくったささやかなしょうぎばんとこまで、)
小隊で将棋を指せるただひとりの戦友と、紙で作ったささやかな将棋盤と駒で、
(あきることなくしょうぎをしていたという。)
あきることなく将棋をしていたという。
(そのせんゆうがふしょうをして、ほんどにかえされることになったとき、)
その戦友が負傷をして、本土に帰されることになったとき、
(ふたりはじゅうしょをおしえあい、ひとときのゆうじょうのあかしにせんそうがおわればてがみで)
二人は住所を教えあい、ひと時の友情の証しに戦争が終われば手紙で
(しょうぎをしようとちかいあったそうだ。せんゆうはほっかいどうしゅっしんで、すむところは)
将棋をしようと誓い合ったそうだ。戦友は北海道出身で、住むところは
(おおきくへだたっていた。せんそうがおわり、ふくいんしたそふはやくそくどおり)
大きく隔たっていた。戦争が終わり、復員した祖父は約束どおり
(とうじにてがみをだした。「にろくふ」とだけかいて。)
冬至に手紙を出した。『2六歩』とだけ書いて。
(げしに「さんよんふ」とだけかいたぶこつなてがみがとどいたとき、そふはないたという。)
夏至に『3四歩』とだけ書いた無骨な手紙が届いたとき、祖父は泣いたという。
(それいらい、ねんににてだけというしょうぎはつづき、そふはげしにとどいたてへの)
それ以来、年に2手だけという将棋は続き、祖父は夏至に届いた手への
(かえしてをはんとしかけてかんがえ、とうじにだしたてにどんなてをかえしてくるか、)
返し手を半年かけて考え、冬至に出した手にどんな手を返してくるか、
(はんとしかけてよそうするということを、それはたのしそうにしていたそうだ。)
半年かけて予想するということを、それは楽しそうにしていたそうだ。
(ごねんまえにそのそふがしんだとき、しょうぎはひゃくてにちかづいていたが、)
5年前にその祖父が死んだとき、将棋は100手に近づいていたが、
(まだしょうぶはついていなかった。ししょうは、そふからしょうぎをまなんでいたので、)
まだ勝負はついていなかった。師匠は、祖父から将棋を学んでいたので、
(ここでばかしょうじきなとしよりたちの、しょうがいをかけたあそびがとぎれることを)
ここでバカ正直な年寄りたちの、生涯をかけた遊びが途切れることを
(ざんねんにおもったという。てがみがとどかなくなったら、どんなおもいをするだろう。)
残念に思ったという。手紙が届かなくなったら、どんな思いをするだろう。
(そふのせんゆうだったというしょうぎあいてにれんらくをとろうかともかんがえた。)
祖父の戦友だったという将棋相手に連絡を取ろうかとも考えた。
(それでもやはりかなしむにちがいない。ならばいっそじぶんがそふのふりをして)
それでもやはり悲しむに違いない。ならばいっそ自分が祖父のふりをして
(つぎのてをさそうと、かんがえたのだそうだ。あてなはすこしまえからいえのものに)
次の手を指そうと、考えたのだそうだ。宛名は少し前から家の者に
(かかせるようになっていたので、ししょうはそふのひっせきをまねて)
書かせるようになっていたので、師匠は祖父の筆跡を真似て
(「によんぎん」とかくだけでよかった。)
『2四銀』と書くだけでよかった。
(おうしゅうはついにひゃくてをこえ、しょうぶがみえてきた。「どちらがゆうせいですか」)
応酬はついに100手を超え、勝負が見えてきた。「どちらが優勢ですか」
(おれがとうとししょうは、ふくざつなひょうじょうでぽつりといった。「あとじゅうななてでつむ」)
俺が問うと師匠は、複雑な表情でぽつりと言った。「あと17手で詰む」
(こちらのかちなのだそうだ。にねんはんまえからつみがみえたのだが、)
こちらの勝ちなのだそうだ。2年半前から詰みが見えたのだが、
(それでもあいてはさいぜんてをさしてくる。)
それでも相手は最善手を指してくる。
(はなをもたせてやろうかともかんがえたが、むこうがつみにきづいてないはずはない。)
華を持たせてやろうかとも考えたが、向こうが詰みに気づいてないはずはない。
(それでもとうりょうせずにつづけているのは、このあそびがとちゅうでなげだして)
それでも投了せずに続けているのは、この遊びが途中で投げ出して
(いいようなあそびではない、というあかしのようなきがして、)
いいような遊びではない、という証しのような気がして、
(むねがつまるおもいがしたという。「これがそのきふ」と、)
胸がつまる思いがしたという。「これがその棋譜」と、
(ししょうがしょうぎばんにしょてからしめしてくれた。にろくふ、さんよんふ、ななろくふ・・・)
師匠が将棋盤に初手から示してくれた。2六歩、3四歩、7六歩・・・
(やくらにぼうぎんというふるくさいせんぽうではじまったしょうぎは、いっていってのあいだに)
矢倉に棒銀という古くさい戦法で始まった将棋は、1手1手のあいだに
(ながいときのながれをたしかにかんじさせた。おれもしょうぎさしのはしくれだ。)
長い時の流れを確かに感じさせた。俺も将棋指しの端くれだ。
(いまでははっきりわるいとされ、さされなくなったてがまよいなくさされ、)
今でははっきり悪いとされ、指されなくなった手が迷いなく指され、
(じゅうすうてあとにそれをかばーするようなあたらしいてがさされる。)
十数手後にそれをカバーするような新しい手が指される。
(せんご、しんぽをとげたしょうぎのれきしをみているようなきがした。)
戦後、進歩を遂げた将棋の歴史を見ているような気がした。
(ななよんふつき、どうぎん、ろくななうま・・・きょくめんはしゅうばんへとうつり、しょうぶははくねつしていった。)
7四歩突き、同銀、6七馬・・・局面は終盤へと移り、勝負は白熱して行った。
(「ここでぼくにかわり、によんぎんとする」ししょうはそこでいっしゅんてをとめ、)
「ここで僕に代わり、2四銀とする」師匠はそこで一瞬手を止め、
(またどううまとした。つぎのけいはねで、ほそくながいつみへのみちがみえたという。)
また同馬とした。次の桂跳ねで、細く長い詰みへの道が見えたという。
(むずかしいきょくめんでおれにはさっぱりわからない。)
難しい局面で俺にはさっぱりわからない。
(「つぎのあいてのいってがとうりょうではなく、これいじょうないほどさいぜんで、)
「次の相手の1手が投了ではなく、これ以上無いほど最善で、
(そしてたすからないいってだったとき、ぼくはあいてのことをしりたいとおもった」)
そして助からない1手だったとき、僕は相手のことを知りたいと思った」
(そふとはんせいきにわたって、たったいっきょくのしょうぎをさしてきたともだちとは、)
祖父と半世紀にわたって、たった1局の将棋を指してきた友だちとは、
(どんなひとだろう。おもいもかけないししょうのはなしにおれはひきこまれていた。)
どんな人だろう。思いもかけない師匠の話に俺は引き込まれていた。
(ふきんしんなかいだんと、ぼうじゃくぶじんなこうどうこそししょうのひととなりだったからだ。)
不謹慎な怪談と、傍若無人な行動こそ師匠の人となりだったからだ。
(けいけんじょう、そのはなしにはたいていいやなおちがまっていることもわすれて・・・)
経験上、その話にはたいてい嫌なオチが待っていることも忘れて・・・
(「じゅうしょもなまえもわかっているし、しらべるのはかんたんだった」)
「住所も名前も分かっているし、調べるのは簡単だった」
(おれがそうぞうしていたのは、はちじゅっさいをすぎたろうじんがふるいいえできゅうゆうからの)
俺が想像していたのは、80歳を過ぎた老人が古い家で旧友からの
(てがみをこころまちにしているずだった。ところが、ししょうはいうのである。)
手紙を心待ちにしている図だった。ところが、師匠は言うのである。
(「もうしんでいた」)
「もう死んでいた」
(ちょっとしょうげきをうけて、そしてすぐにむねにくるものがあった。)
ちょっと衝撃を受けて、そしてすぐに胸に来るものがあった。
(ししょうが、あいてのことをおもってそふのしをかくしたように、あいてがわもまた)
師匠が、相手のことを思って祖父の死を隠したように、相手側もまた
(ししょうのそふのことをおもってしをかくしたのだ。)
師匠の祖父のことを思って死を隠したのだ。
(いわばやさしいぼうれいどうしがしょうぎをつづけていたのだった。)
いわば優しい亡霊同士が将棋を続けていたのだった。
(しかしししょうはくびをふるのである。「ちょっとちがう」すこし、どきどきした。)
しかし師匠は首を振るのである。「ちょっと違う」少し、ドキドキした。
(「しんだのは1945ねんにがつ。せんじょうでおったきずがあっかし、)
「死んだのは1945年2月。戦場で負った傷が悪化し、
(にほんにかえるせんじょうでなくなったそうだ」びくっとする。)
日本に帰る船上で亡くなったそうだ」びくっとする。
(がぜんぐろてすくなはなしになっていきそうで。)
俄然グロテスクな話になって行きそうで。
(では、ししょうのそふとてがみしょうぎをしていたのはいったいなにだ?)
では、師匠の祖父と手紙将棋をしていたのは一体何だ?
(「ぼくはぼうれいとさしたことがある」というししょうのひとことがあたまをまわる。)
『僕は亡霊と指したことがある』という師匠の一言が頭を回る。
(ししょうはあおくなったおれをみてわらい、しんぱいするなといった。)
師匠は青くなった俺を見て笑い、心配するなと言った。
(「そのあと、むこうのいえとれんらくをとった」こちらのすべてをあきらかにしたそうだ。)
「その後、向こうの家と連絡をとった」こちらのすべてを明らかにしたそうだ。
(するとむこうのかぞくからながいしょかんがとどいたという。)
すると向こうの家族から長い書簡がとどいたという。
(そのないようはいかのようなものだった。)
その内容は以下のようなものだった。
(そふのせんゆうは、せんじょうでしぬまぎわにかぞくにあてたてがみをのこした。)
祖父の戦友は、船上で死ぬ間際に家族に宛てた手紙を残した。
(そのなかにこんなくだりがあった。)
その中にこんな下りがあった。
(「わたしはもうしぬが、それとしらずにわたしへてがみをかいてくるにんげんがいるだろう。)
『私はもう死ぬが、それと知らずに私へ手紙を書いてくる人間がいるだろう。
(そのなかにしょうぎのてがかかれたまぬけなてがみがあったなら、)
その中に将棋の手が書かれた間抜けな手紙があったなら、
(どうかわたしのしをしらせないでやってほしい。そしてできえれば、)
どうか私の死を知らせないでやってほしい。そして出来得れば、
(わたしのなまえでおうとうをしてほしい。わたしとしょうぎをするのをなによりたのしみにしている、)
私の名前で応答をしてほしい。私と将棋をするのをなにより楽しみにしている、
(おおばかできもちのいいやつなのだ」)
大バカで気持ちのいいやつなのだ』
(ししょうはかたりながら、ばんめんをすすめた。よんいちかくさんにこうどうぎんならずどうきん)
師匠は語りながら、盤面をすすめた。4一角3二香同銀成らず同金
(そのどうきんをかくがとってなったとき、なみだがでた。)
その同金を角が取って成ったとき、涙が出た。
(ししょうになかされたことはなんどもあるが、こういうのははじめてだった。)
師匠に泣かされたことは何度もあるが、こういうのは初めてだった。
(「あとじゅうななて、としよりどものくようのつもりでさすことにしてる」)
「あと17手、年寄りどもの供養のつもりで指すことにしてる」
(ししょうはゆびをこまからはなして、ここまで、といった。)
師匠は指を駒から離して、ここまで、と言った。