跳ぶ-2-(完)

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師匠シリーズ
マイタイピングに師匠シリーズが沢山あったと思ったのですが、なくなってまっていたので、作成しました。

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問題文

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(「ようし、こっちだ。とべ」たしかにそのこえはしょうめんからきこえた。ほぼましょうめん。)

「ようし、こっちだ。跳べ」確かにその声は正面から聞こえた。ほぼ真正面。

(そのしゅんかんに、みぎもひだりもないくらやみのせかいでじぶんのいるざひょうがけっていされたような、)

その瞬間に、右も左もない暗闇の世界で自分のいる座標が決定されたような、

(いっしゅのかたるしすがあった。ふるえていたひざがのびる。これならいける。)

一種のカタルシスがあった。震えていた膝が伸びる。これならいける。

(めをとじたままからだをしずませ、ぜんぽうにとぶためのちからをためこむ。)

目を閉じたまま体を沈ませ、前方に跳ぶための力を溜め込む。

(そのとき、あたまのなかにいめーじがうかんだ。やみにきりとられただんがいのむこう。)

その時、頭の中にイメージが浮かんだ。闇に切り取られた断崖の向こう。

(ししょうがこくうにふわふわとうかんでわらっている。ばかか。)

師匠が虚空にふわふわと浮かんで嗤っている。バカか。

(そのあくむのようないめーじをあたまからふりはらおうとする。)

その悪夢のようなイメージを頭から振り払おうとする。

(しょうめんだ。ましょうめんにとべば、なんてことない。)

正面だ。真正面に跳べば、なんてことない。

(じこあんじをかけながら、おれははをくいしばってくらやみのなかにちょうやくした。)

自己暗示をかけながら、俺は歯を食い縛って暗闇の中に跳躍した。

(しろいせんで、のうりにえをかく。)

白い線で、脳裏に絵を描く。

(おれはししょうのいるほうこうにすうじゅっせんちとび、やがておくじょうのこんくりーとに)

俺は師匠のいる方向に数十センチ跳び、やがて屋上のコンクリートに

(あしからおちていく。そのしろいせんでできたじめんにいめーじのおれが)

足から落ちていく。その白い線で出来た地面にイメージの俺が

(ちゃくちしたとき、ほんもののあしにはまだちゃくちのしょうげきはなかった。いっしゅん。)

着地したとき、本物の足にはまだ着地の衝撃はなかった。一瞬。

(しろいせんでできたせかいはきえさり、きょだいなあなのようなだんがいが)

白い線でできた世界は消え去り、巨大な穴のような断崖が

(あしもとにぽっかりとくちをあけた。きょうこうがぜんしんにひろがるまえに、かはんしんへしょうげきがきた。)

足元にぽっかりと口を開けた。恐慌が全身に広がる前に、下半身へ衝撃がきた。

(ちゃくち。ひざをつき、りょうてをつく。)

着地。膝をつき、両手をつく。

(めをあけると、ししょうがてつがくしゃのようなひょうじょうでうでをくんでいる。)

目を開けると、師匠が哲学者のような表情で腕を組んでいる。

(「いま、おちるのがおそくかんじなかったか」)

「いま、落ちるのが遅く感じなかったか」

(おれはのうのなかをのぞかれたようなきもちわるさにおそわれながら、それでもうなずく。)

俺は脳の中を覗かれたような気持ち悪さに襲われながら、それでも頷く。

(「しぬちょくぜんにかこがそうまとうのようによみがえるってきいたことがあるだろう。)

「死ぬ直前に過去が走馬灯のように蘇るって聞いたことがあるだろう。

など

(じかんのながれなんて、ずがいこつというみっしつにとじこめられたのうみそにとっては)

時間の流れなんて、頭蓋骨という密室に閉じ込められた脳味噌にとっては

(そうたいてきなものでしかない。きょくげんのこんせんとれーしょんのもとでは、)

相対的なものでしかない。極限のコンセントレーションの元では、

(じかんはゆるやかにながれる。これは、ぷろすぽーつのせかいを)

時間は緩やかに流れる。これは、プロスポーツの世界を

(れいにあげるまでもなくりかいできるだろう」いわんとしていることはわかる。)

例にあげるまでもなく理解できるだろう」言わんとしていることはわかる。

(きょうふしんもまた、こんせんとれーしょんのよういんなのだろう。)

恐怖心もまた、コンセントレーションの要因なのだろう。

(「このげーむのおもしろいところは、ちゃくちするたいみんぐが)

「このゲームの面白いところは、着地するタイミングが

(ほんらいのそれよりずれたしゅんかんに、おくじょうからのてんらくというじたいを)

本来のそれよりズレた瞬間に、屋上からの転落という事態を

(そうきさせることにある。そしてわずかにおくれて、いめーじではなくほんとうの)

想起させることにある。そしてわずかに遅れて、イメージではなく本当の

(じぶんじしんがちゃくちする。ふかひのしからのせいかん。このこんまなんびょうのせかいに)

自分自身が着地する。不可避の死からの生還。このコンマ何秒の世界に

(せいとしとさいせいがつまっている」たんたんとかたるそのかおに、)

生と死と再生が詰まっている」淡々と語るその顔に、

(よろこびとかげりのようなものがこんざいしているようにみえた。)

喜びと翳りのようなものが混在しているように見えた。

(「じゃあもういちど」いわれるがままに、ふたたびめをつぶる。)

「じゃあもう一度」言われるがままに、再び目をつぶる。

(しゃがんでくるくるとまわる。たちあがる。「こっちだよ」)

しゃがんでくるくると回る。立ち上がる。「こっちだよ」

(みぎまえのあたりからこえがきこえた。そちらへむかってとぶ。じめんがない。しぬ。)

右前のあたりから声が聞こえた。そちらへ向かって跳ぶ。地面がない。死ぬ。

(そうおもったしゅんかんにちゃくちする。なぜかなきそうになった。)

そう思った瞬間に着地する。なぜか泣きそうになった。

(こんなげーむをおもしろいとかんじるじぶんじしんがこわくなる。かぜはないだままだった。)

こんなゲームを面白いと感じる自分自身が怖くなる。風は凪いだままだった。

(「もういちど」だれもいないしんやのこうしゃのおくじょうでふたり、)

「もう一度」だれもいない深夜の校舎の屋上で二人、

(せいとしとそしてさいせいをくりかえしている。きがつくとあおむけにひっくりかえって、)

生と死とそして再生を繰り返している。気がつくと仰向けにひっくり返って、

(まんてんのほしぞらをみあげながらなみだをながしていた。)

満天の星空を見上げながら涙を流していた。

(でねぶヴぇがあるたいるなつのだいさんかくけいがいびつに、ぼやけてみえた。)

デネブヴェガアルタイル夏の大三角形がいびつに、ぼやけて見えた。

(ししょうのかおがそれにかぶさり、「つぎがさいごだ」といった。)

師匠の顔がそれにかぶさり、「次が最後だ」と言った。

(おれはのろのろとおきあがり、おくじょうのふちにたつ。)

俺はのろのろと起き上がり、屋上の縁に立つ。

(しゃがまなくてもまわれた。)

しゃがまなくても回れた。

(ふたたび、せかいはくらやみにとざされ、じぶんのいちがつかめなくなる。)

再び、世界は暗闇に閉ざされ、自分の位置がつかめなくなる。

(そしてやみをきりさくひとすじのひかりのような、そのこえをまつ。)

そして闇を切り裂く一筋の光のような、その声を待つ。

(・・・・・・)

……

(こえはない。しずかだ。いつまでまってもこえはなかった。かけろというのだろうか。)

声はない。静かだ。いつまで待っても声はなかった。賭けろというのだろうか。

(たったひとつしかないじぶんのいのちを。にぶんのいちに。そうぞうする。)

たったひとつしかない自分の命を。二分の一に。想像する。

(ここままとべば、そうたいてきなちゃくちじかんはいままでよりはるかにながくなるだろう。)

ここまま跳べば、相対的な着地時間はいままでよりはるかに長くなるだろう。

(それは、じゆうらっかうんどうのほうていしきからみちびきだされるちじょうまでのじかんと、)

それは、自由落下運動の方程式から導き出される地上までの時間と、

(きっとひとしいはずだ。)

きっと等しいはずだ。

(いや、ひょっとするともっともっとながく、このささやかなじんせいを)

いや、ひょっとするともっともっと長く、このささやかな人生を

(ふりかえれるくらいにながいらっかになるのかもしれない。)

振り返れるくらいに長い落下になるのかも知れない。

(ししょうは、もしいまおれがだんがいにせいたいしてたっていたらとめてくれるだろうか。)

師匠は、もし今俺が断崖に正対して立っていたら止めてくれるだろうか。

(こたえがないのが、このままとべばだいじょうぶだというこたえそのものなのだろうか。)

答えがないのが、このまま跳べば大丈夫だという答えそのものなのだろうか。

(うすめをあけたくなるしょうどうにおそわれる。)

薄目を開けたくなる衝動に襲われる。

(だがそれをすれば、あのせいとしとさいせいのかいかんはきえさるだろう。)

だがそれをすれば、あの生と死と再生の快感は消え去るだろう。

(そのせつなのじかんはあらがいがたいこわくてきなみりょくをひめている。)

その刹那の時間は抗いがたい蠱惑的な魅力を秘めている。

(とぶか、とばざるか。ちんもくするうちゅうで、こどくだった。)

跳ぶか、跳ばざるか。沈黙する宇宙で、孤独だった。

(やがてじかんがすぎ、おれはゆっくりとめをあけた。)

やがて時間が過ぎ、俺はゆっくりと目を開けた。

(そのまえにひろがっていたけしきは、いまだにおれののうりにやきついてはなれないでいる。)

その前に広がっていた景色は、いまだに俺の脳裏に焼きついて離れないでいる。

(けっきょく、どんなにれいかんがあがってべつのせかいをのぞきみることができても、)

結局、どんなに霊感が上がって別の世界を覗き見ることが出来ても、

(おれのたどりつけるばしょはかぎられている。)

俺の辿り着ける場所は限られている。

(そのさきにはそこしれないだんがいがあり、そのむこうにひろがるせかいにいるひとには)

その先には底知れない断崖があり、その向こうに広がる世界にいる人には

(けっしてちかづけない。それをしった。)

けっして近づけない。それを知った。

(そのひ、たちつくすおれに「かえろう」といったししょうは、やさしく、つめたく、)

その日、立ち尽くす俺に「帰ろう」と言った師匠は、優しく、冷たく、

(そしてどこかかなしげなめをしていた。)

そしてどこか悲しげな目をしていた。

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