怪物 「結」下-7-
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問題文
(じょうげにみっつずつならんだぎんいろのはこには、101から203のすうじが)
上下に3つずつ並んだ銀色の箱には、101から203の数字が
(なぐりがきされている。なまえはかかれていない。そして101と、201、)
殴り書きされている。名前は書かれていない。そして101と、201、
(そして203のはこにはちらしのたぐいがあふれんばかりにつめこまれている。)
そして203の箱にはチラシの類が溢れんばかりに詰め込まれている。
(きれいにかたづけられたばんごうのへやには、げんざいまともにすんでいるにゅうきょしゃが)
綺麗に片付けられた番号の部屋には、現在まともに住んでいる入居者が
(いるということだろう。にかいできれいなのは202だけだ。)
いるということだろう。2階で綺麗なのは202だけだ。
(どうりで、ははおやのあしおとだとわかったはずだ。かいだんをのぼってくるものは、)
道理で、母親の足音だと分かったはずだ。階段を登ってくるものは、
(ほかにいないのだろう。)
他にいないのだろう。
(おなじようにそのいみをりかいしたらしいひとたちのいきをのむけはいがつたわってくる。)
同じようにその意味を理解したらしい人たちの息を呑む気配が伝わって来る。
(かいだんをみあげながらそちらにあるこうとすると、いきなりねこのなきごえがひびいた。)
階段を見上げながらそちらに歩こうとすると、いきなり猫の鳴き声が響いた。
(みると、あおいめのしょうじょのまえからいっぴきのきたならしいねこがにげていくところだった。)
見ると、青い眼の少女の前から1匹の汚らしい猫が逃げて行くところだった。
(しきちのすみにせっちされたごみおきばらしきすぺーすだ。)
敷地の隅に設置されたゴミ置き場らしきスペースだ。
(くろいびにーるぶくろやだんぼーるがかさねられている。)
黒いビニール袋やダンボールが重ねられている。
(あおいめのしょうじょはねこのさったごみおきばからめをそらさずにじっとしていた。)
青い眼の少女は猫の去ったゴミ置き場から目を逸らさずにじっとしていた。
(そのいようなけはいにきづいたわたしもそちらにあしをむける。)
その異様な気配に気づいた私もそちらに足を向ける。
(じっとりとあせがにじみはじめる。さっきはしったせいばかりではない。)
じっとりと汗が滲み始める。さっき走ったせいばかりではない。
(くらいよかんにくうかんがぐにゃぐにゃとゆがむ。わたしのはなはかすかなしゅうきをかんちしていた。)
暗い予感に空間がグニャグニャと歪む。私の鼻は微かな臭気を感知していた。
(にくのにおい。くさっていくにおい。ごみおきばがちかくなったり、とおざかったりする。)
肉の匂い。腐っていく匂い。ゴミ置き場が近くなったり、遠ざかったりする。
(ざっそうがあしにからまって、まえにすすまない。どこからともなくあらいいきづかい。)
雑草が足に絡まって、前に進まない。どこからともなく荒い息遣い。
(そしてそのなかにまじって、かわいそうに、かわいそうに、というこえがきこえる。)
そしてその中に混じって、かわいそうに、かわいそうに、という声が聞こえる。
(げんちょうだ。ざっそうもたけがみじかい。ごみおきばもうごいたりなんかしない。)
幻聴だ。雑草も丈が短い。ゴミ置き場も動いたりなんかしない。
(りせいが、しょうがいをひとつ、ひとつとおいはらっていく。)
理性が、障害をひとつ、ひとつと追い払っていく。
(けれどしゅうきだけはいぜんとしてあった。)
けれど臭気だけは依然としてあった。
(ひときわなかみのつまったくろいごみぶくろが、すぺーすのまんなかにすてられている。)
ひときわ中身の詰まった黒いゴミ袋が、スペースの真ん中に捨てられている。
(にじゅう、いやさんじゅうにでもされているのか、やけにごわごわしている。)
2重、いや3重にでもされているのか、やけにごわごわしている。
(だれもいきをころしてそれをみつめている。かたがふれないぎりぎりのきょりで、)
誰も息を殺してそれを見つめている。肩が触れないギリギリの距離で、
(みながならんでいる。むねにくいがだんぞくてきにうちこまれているようなかんじ。)
皆が並んでいる。胸に杭が断続的に打ち込まれているような感じ。
(てをそこにあてる。みたくない。でもめをそらせない。)
手をそこに当てる。見たくない。でも目を逸らせない。
(めがねのおとこが、こしのひけたままごみぶくろのじょうぶにできたやぶれめにゆびをかける。)
眼鏡の男が、腰の引けたままゴミ袋の上部に出来た破れ目に指をかける。
(さっきのねこのしわざだろうか。)
さっきの猫の仕業だろうか。
(がさがさというおととともに、なかみがつきのひかりのしたにあらわれる。)
ガサガサという音とともに、中身が月の光の下に現れる。
(つちけいろのはだ。めをとじたまま、くちをはんびらきにしたおさないおんなのこのかおが、)
土気色の肌。目を閉じたまま、口を半開きにした幼い女の子の顔が、
(ごみぶくろのやぶれめからのぞいている。いきているにんげんのかおではなかった。)
ゴミ袋の破れ目から覗いている。生きている人間の顔ではなかった。
(それをみたしゅんかん、ぜんしんのちがふっとうした。)
それを見た瞬間、全身の血が沸騰した。
(あしがつちをけり、むいしきにかいだんのほうへかけだす。)
足が土を蹴り、無意識に階段の方へ駆け出す。
(けれどつぎのしゅんかん、まえにまわりこんだなにものかのてにかたをおさえられる。)
けれど次の瞬間、前に回りこんだ何者かの手に肩を押さえられる。
(えんりょのないちからだった。めのまえにかおがあらわれる。まぶかにかぶったきゃっぷのしたの)
遠慮のない力だった。目の前に顔が現れる。目深に被ったキャップの下の
(けわしいひょうじょう。「おちつけ」そのことばがわたしになげかけられるすぐよこを、)
険しい表情。「落ち着け」その言葉が私に投げ掛けられるすぐ横を、
(めがねのおとこがなにかわめきながらかけぬけようとする。)
眼鏡の男がなにか喚きながら駆け抜けようとする。
(きゃっぷおんなはかんぱついれずにみぎあしをひっかけ、めがねのおとこはそのばにてんとうした。)
キャップ女は間髪要れずに右足を引っ掛け、眼鏡の男はその場に転倒した。
(「なにするのよ」とおばさんがさけんで、わたしのせなかをおす。)
「なにするのよ」とおばさんが叫んで、私の背中を押す。
(そのちからはわたしのぜんしんしようとするちからとあわさり、じりじりときゃっぷおんなは)
その力は私の前進しようとする力と併わさり、じりじりとキャップ女は
(こうたいをはじめる。「おちつけ。なにをするきだ」)
後退を始める。「落ち着け。なにをする気だ」
(なにをするき?きまってる。ほうふくをしなければいけない。)
なにをする気? 決まってる。報復をしなければいけない。
(おなじめにあわせてやる。こどもをごみどうぜんにすてながら、)
同じ目に遭わせてやる。子どもをゴミ同然に捨てながら、
(202ごうしつのどあのむこうにのうのうといきているあのははおやを。)
202号室のドアの向こうにのうのうと生きているあの母親を。
(「どきなさいよ」とおばさんがうわずったこえできゃっぷおんなをどなりつける。)
「どきなさいよ」とおばさんが上ずった声でキャップ女を怒鳴りつける。
(すぐよこではめがねのおとこがたちあがろうとする。)
すぐ横では眼鏡の男が立ちあがろうとする。
(「くそっ」とうめきながら、きゃっぷおんながみぎあしをはねあげ、)
「クソッ」と呻きながら、キャップ女が右足を跳ね上げ、
(おとこのがんめんをけった。じゃすとみーとはしなかったが、めがねがはじけるように)
男の顔面を蹴った。ジャストミートはしなかったが、眼鏡が弾けるように
(ちゅうにとんでくさむらにきえた。「うわっ」と、めがねのおとこはりょうてでかおをおさえる。)
宙に飛んで草むらに消えた。「うわっ」と、眼鏡の男は両手で顔を押さえる。
(あしをあげたせいでばらんすをくずしたきゃっぷおんながたいせいをたてなおすまえに、)
足を上げたせいでバランスを崩したキャップ女が体勢を立て直す前に、
(わたしはつかまれたかたをふりほどきながらいっきにとっしんした。)
私は掴まれた肩を振りほどきながら一気に突進した。
(いっしゅん、おしかえされるようなつよいはんどうがあったが、)
一瞬、押し返されるような強い反動があったが、
(せきがきれるようにそのかべがくずれる。)
堰が切れるようにその壁が崩れる。
(さんにんがからみあうようにひっくりかえり、いきおいあまったきゃっぷおんなのそくとうぶが)
3人が絡み合うようにひっくり返り、勢いあまったキャップ女の側頭部が
(かいだんのきぶのこんくりーとにたたきつけられるのがめにはいった。)
階段の基部のコンクリートに叩きつけられるのが目に入った。
(わたしもじめんにひじをつよくうっていた。いたみにかおをひそめるが、)
私も地面に肘を強く打っていた。痛みに顔を顰めるが、
(すぐにたちあがろうとする。でもなにかがふともものうらにのっている。じゃまだ。)
すぐに立ちあがろうとする。でもなにかが太腿の裏に乗っている。邪魔だ。
(おばさんのどうたいか。「あいたたたた」じゃない。すぐにへやにいかないと。)
おばさんの胴体か。「アイタタタタ」じゃない。すぐに部屋に行かないと。
(このあたまをかきまわすざわめきが、どこかにさっていってしまうきがして。)
この頭を掻き回すざわめきが、どこかに去っていってしまう気がして。
(いきなりふくをひっぱられた。うしろからだ。くびをまわすと、あおいめのしょうじょが)
いきなり服を引っ張られた。後ろからだ。首を廻すと、青い眼の少女が
(ふるえながらわたしのうわぎをりょうてでつかんでいる。あたまをふって、なんらかの)
震えながら私の上着を両手で掴んでいる。頭を振って、なんらかの
(ひていのいをひょうげんしようとしている。)
否定の意を表現しようとしている。
(「はなせ」そうくちにしたしゅんかん、なにかへびのようなものがくびのねもとにからみついた。)
「離せ」そう口にした瞬間、なにか蛇のようなものが首の根元に絡みついた。
(ついで、ぴたりとそのほんたいがわたしのうなじのあたりにせっちゃくする。)
ついで、ぴたりとその本体が私のうなじのあたりに接着する。
(「わるいね」そんなことばがみみもとでささやかれ、からみついたものがわたしのくびを)
「悪いね」そんな言葉が耳元で囁かれ、絡みついたものが私の首を
(しめあげる。ねらいはきどうではない。けいどうみゃくだ。)
締め上げる。狙いは気道ではない。頚動脈だ。
(とっさにうでをはいごにまわそうとするが、もっとちからのつよいべつのなにかが)
とっさに腕を背後に回そうとするが、もっと力の強い別のなにかが
(わたしのどうたいごとうでをはさみこむ。)
私の胴体ごと腕を挟み込む。
(いしきがとおのいていく。よぞらにはつきがひえびえとかがやいている。)
意識が遠のいていく。夜空には月が冷え冷えと輝いている。
(ほしはあまりみえない。くらい。つきもくらくなっていく。)
星はあまり見えない。暗い。月も暗くなっていく。
(くるしいけれど、すこしここちよい。そこでせかいはぶつりととだえた。)
苦しいけれど、少し心地よい。そこで世界はぶつりと途絶えた。
(めがさめたとき、わたしはべんちでよこになっていた。)
目が覚めたとき、私はベンチで横になっていた。
(ひたいのうえにみずでぬれたはんかちがのっている。)
額の上に水で濡れたハンカチが乗っている。
(ゆびでつみながらからだをおこすと、ぎんいろのひかりがめにはいった。)
指で摘みながら身体を起こすと、銀色の光が目に入った。
(こうえんだ。あたりはくらい。がいとうにてらされたおおきないちょうのきのかげが)
公園だ。辺りは暗い。街灯に照らされた大きな銀杏の木の影が
(こちらにのびてきている。きぃきぃとぶらんこがゆれるおとがする。)
こちらに伸びて来ている。キィキィとブランコが揺れる音がする。
(「おきたな」)
「起きたな」