谷崎潤一郎 痴人の愛 15

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数819難易度(4.5) 6132打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 布ちゃん 5642 A 5.9 95.6% 1033.3 6110 280 99 2024/11/14

関連タイピング

問題文

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(「おんがくなんか、やってるうちにしぜんとわかるようになるわよ。・・・・・・・・・)

「音楽なんか、やってるうちに自然と分るようになるわよ。・・・・・・・・・

(ねえ、じょうじさんもやらなきゃだめ。あたしひとりでやったっておどりにいけや)

ねえ、譲治さんもやらなきゃ駄目。あたし一人でやったって踊りに行けや

(しないもの。よう、そうしてときどきふたりでだんすにいこうじゃないの。まいにちまいにち)

しないもの。よう、そうして時々二人でダンスに行こうじゃないの。毎日々々

(うちであそんでばかりいたってつまりゃしないわ」)

内で遊んでばかりいたってつまりゃしないわ」

(なおみがこのころ、すこしいままでのせいかつにたいくつをかんじているらしいことは、)

ナオミがこの頃、少し今までの生活に退屈を感じているらしいことは、

(うすうすわたしにもわかっていました。かんがえてみればわたしたちがおおもりへすをかまえてから、)

うすうす私にも分っていました。考えて見れば私たちが大森へ巣を構えてから、

(すでにあしかけよんねんになります。そしてそのあいだわたしたちは、なつのやすみをのぞくほかは)

既に足かけ四年になります。そしてその間私たちは、夏の休みを除く外は

(この「おとぎばなしのいえ」のなかにたてこもってひろいよのなかとのこうさいをたち、)

この「お伽噺の家」の中に立て籠もってひろい世の中との交際を断ち、

(いつもいつもただふたりきりでかおをつきあわせていたのですから、いくら)

いつもいつもただ二人きりで顔を突き合わせていたのですから、いくら

(いろいろな「あそび」をやってみたところで、けっきょくたいくつをかんじてくるのはむりも)

いろいろな「遊び」をやって見たところで、結局退屈を感じて来るのは無理も

(ありません。ましてなおみはひじょうにあきっぽいたちで、どんなあそびでもはじめは)

ありません。ましてナオミは非常に飽きっぽいたちで、どんな遊びでも初めは

(ばかにむちゅうになりますが、けっしてながつづきはしないのでした。そのくせなにか)

馬鹿に夢中になりますが、決して長つづきはしないのでした。そのくせ何か

(していなければ、いちじかんでもじっとしてはいられないので、とらんぷもいや、)

していなければ、一時間でもじっとしてはいられないので、トランプもいや、

(へいたいしょうぎもいや、かつどうはいゆうのまねごともいや、となると、しかたがなしにしばらくすてて)

兵隊将棋もいや、活動俳優の真似事もいや、となると、仕方がなしに暫く捨てて

(かえりみなかったかだんのはなをいじくって、せっせとつちをほりかえしたり、たねをまいたり)

顧みなかった花壇の鼻をいじくって、せっせと土を掘り返したり、種を蒔いたり

(みずをやったりしましたけれど、それもいちじのきまぐれにすぎませんでした。)

水をやったりしましたけれど、それも一時の気紛れに過ぎませんでした。

(「あーあ、つまらないなあ、なにかおもしろいことはないかなあ」)

「あーあ、つまらないなア、何か面白い事はないかなア」

(と、そおふぁのうえにそりかえってよみかけのしょうせつぼんをおっぽりだして、かのじょが)

と、ソオファの上に反り返って読みかけの小説本をおッぽり出して、彼女が

(おおきくあくびをするのをみるにつけても、このたんちょうなふたりのせいかつにいってんかをあたえる)

大きく欠伸をするのを見るにつけても、この単調な二人の生活に一転化を与える

(ほうほうはないものかと、わたしもうちうちそれをきにしていたのでした。で、あたかも)

方法はないものかと、私も内々それを気にしていたのでした。で、あたかも

など

(そういうさいでしたから、これはなるほど、だんすをならうのもわるくはなかろう。)

そう云う際でしたから、これは成る程、ダンスを習うのも悪くはなかろう。

(もはやなおみもさんねんまえのなおみではない。あのかまくらへいったじぶんとはわけが)

もはやナオミも三年前のナオミではない。あの鎌倉へ行った時分とは訳が

(ちがうから、かのじょをりっぱにせいそうさせてしゃこうかいへうってでたら、おそらくおおくのふじんの)

違うから、彼女を立派に盛装させて社交界へ打って出たら、恐らく多くの婦人の

(まえでもひけをとるようなことはなかろう。と、そのそうぞうはわたしにいいしれぬ)

前でもひけを取るような事はなかろう。と、その想像は私に云い知れぬ

(ほこりをかんじさせました。)

誇りを感じさせました。

(まえにもいうように、わたしにはがっこうじだいからかくべつしんみつなともだちもなく、これまで)

前にも云うように、私には学校時代から格別親密な友達もなく、これまで

(できるだけむだなつきあいをさけてくらしてはいましたけれど、しかしけっして)

出来るだけ無駄な附合いを避けて暮してはいましたけれど、しかし決して

(しゃこうかいへでるのがいやではなかったのです。いなかもので、おせじがへたで、ひととの)

社交界へ出るのが嫌ではなかったのです。田舎者で、お世辞が下手で、人との

(おうたいがわれながらぶさいくなので、そのためにひっこみじあんになっていたものの、)

応対が我ながら無細工なので、そのために引っ込み思案になっていたものの、

(それだけにまた、かえっていっそうはなやかなしゃかいをしたうこころがありました。もともと)

それだけに又、却って一層華やかな社会を慕う心がありました。もともと

(なおみをつまにしたのもかのじょをうんとうつくしいふじんにして、まいにちほうぼうへつれあるいて、)

ナオミを妻にしたのも彼女をうんと美しい夫人にして、毎日方々へ連れ歩いて、

(せけんのやつらになんとかかんとかいわれてみたい。「きみのおくさんはすてきなはいから)

世間の奴等に何とかかんとか云われて見たい。「君の奥さんは素敵なハイカラ

(だね」と、こうさいじょうりでほめられてみたい。と、そんなやしんがおおいにはたらいていたの)

だね」と、交際場裡で褒められて見たい。と、そんな野心が大いに働いていたの

(ですから、そういつまでもかのじょを「ことりのかご」のなかへしまっておくきは)

ですから、そういつまでも彼女を「小鳥の籠」の中へしまって置く気は

(なかったのです。)

なかったのです。

(なおみのはなしでは、そのろしあじんのぶとうのきょうしはあれきさんどら・しゅれむすかや)

ナオミの話では、その露西亜人の舞踏の教師はアレキサンドラ・シュレムスカヤ

(というなまえの、あるはくしゃくのふじんだということでした。おっとのはくしゃくはかくめいさわぎで)

と云う名前の、或る伯爵の夫人だと云うことでした。夫の伯爵は革命騒ぎで

(ゆくえふめいになってしまい、こどももふたりあったのだそうですが、それもいまでは)

行くえ不明になってしまい、子供も二人あったのだそうですが、それも今では

(いどころがわからず、やっとじぶんのみひとつをにほんへおちのびて、ひどくせいかつにこんきゅうして)

居所が分らず、やっと自分の身一つを日本へ落ちのびて、ひどく生活に困窮して

(いたので、こんどいよいよだんすのきょうじゅをはじめることになったのだそうです。で、)

いたので、今度いよいよダンスの教授を始めることになったのだそうです。で、

(なおみのおんがくのせんせいであるすぎさきはるえじょしがふじんのためめにくらぶをそしきし、そして)

ナオミの音楽の先生である杉崎春枝女史が夫人の為めに倶楽部を組織し、そして

(かんじになったのがあのはまだという、けいおうぎじゅくのがくせいでした。)

幹事になったのがあの浜田と云う、慶應義塾の学生でした。

(けいこじょうにあてられたのはみたのひじりさかにある、よしむらというせいようがっきてんのにかいで、)

稽古場にあてられたのは三田の聖坂にある、吉村と云う西洋楽器店の二階で、

(ふじんはそこへまいしゅうにかい、げつようびときんようびにしゅっちょうする。かいいんはごごのよじから)

夫人はそこへ毎週二回、月曜日と金曜日に出張する。会員は午後の四時から

(ななじまでのあいだに、つごうのいいときをさだめていって、いっかいにいちじかんずつおしえてもらい、)

七時までの間に、都合のいい時を定めて行って、一回に一時間ずつ教えて貰い、

(げっしゃはいちにんまえにじゅうえん、それをまいつきまえきんではらうというきていでした。わたしとなおみと)

月謝は一人前二十円、それを毎月前金で払うと云う規定でした。私とナオミと

(ふたりでいけばつきづきよんじゅうえんもかかるわけで、いくらあいてがせいようじんでもばかげている)

二人で行けば月々四十円もかかる訳で、いくら相手が西洋人でも馬鹿げている

(とはおもいましたが、なおみのいうにはだんすといえばにほんのおどりもおなじことで、)

とは思いましたが、ナオミの云うにはダンスと云えば日本の踊りも同じことで、

(どうせぜいたくなものだからそのくらいとるのはあたりまえだ。それにそんなにけいこ)

どうせ贅沢なものだからそのくらい取るのは当り前だ。それにそんなに稽古

(しないでも、きようなひとならひとつきぐらい、ぶきようなものでもみつきもやれば)

しないでも、器用な人なら一と月ぐらい、不器用な者でも三月もやれば

(おぼえられるから、たかいといってもしれたことだ。)

覚えられるから、高いと云っても知れたことだ。

(「だいいちなにだわ、そのしゅれむすかやっていうひとをたすけてやらないじゃきのどくだわ)

「第一何だわ、そのシュレムスカヤって云う人を助けてやらないじゃ気の毒だわ

(むかしははくしゃくのふじんだったのがそんなにおちぶれてしまうなんて、ほんとにかわいそう)

昔は伯爵の夫人だったのがそんなに落ちぶれてしまうなんて、ほんとに可哀想

(じゃないの。はまださんにきいたんだけれど、だんすはひじょうにうまくって、)

じゃないの。浜田さんに聞いたんだけれど、ダンスは非常に巧くって、

(そしある・だんすばかりじゃなく、きぼうしゃがあればすてーじ・だんすも)

ソシアル・ダンスばかりじゃなく、希望者があればステージ・ダンスも

(おしえるんだって。だんすばかりはげいにんのだんすはげひんで、だめだわ、ああいう)

教えるんだって。ダンスばかりは芸人のダンスは下品で、駄目だわ、ああ云う

(ひとにおそわるのがいちばんいいのよ」)

人に教わるのが一番いいのよ」

(と、まだみたこともないそのふじんに、かのじょはしきりとかたをもって、いっぱしだんすつう)

と、まだ見たこともないその夫人に、彼女は頻りと肩を持って、一ぱしダンス通

(らしいことをいうのでした。)

らしいことを云うのでした。

(そういうわけでわたしとなおみとは、とにかくにゅうかいすることになり、まいげつようびと)

そう云う訳で私とナオミとは、とにかく入会することになり、毎月曜日と

(きんようびに、なおみはおんがくのけいこをすませ、わたしはかいしゃのほうがひけると、すぐその)

金曜日に、ナオミは音楽の稽古を済ませ、私は会社の方が退けると、すぐその

(あしでごごろくじまでにひじりさかのがっきてんへいくことにしました。はじめのひはごごごじに)

足で午後六時までに聖坂の楽器店へ行くことにしました。始めの日は午後五時に

(たまちのえきでなおみがわたしをまちあわせ、そこからつれだってでかけましたが、その)

田町の駅でナオミが私を待ち合わせ、そこから連れだって出かけましたが、その

(がっきてんはさかのちゅうとにある、まぐちのせまいささやかなみせでした。なかへはいるとぴあの)

楽器店は坂の中途にある、間口の狭いささやかな店でした。中へ這入るとピアノ

(だの、おるがんだの、ちくおんきだの、いろいろながっきがきゅうくつなばしょにならんでいて、)

だの、オルガンだの、蓄音機だの、いろいろな楽器が窮屈な場所に列んでいて、

(もうにかいではだんすがはじまっているらしく、そうぞうしいあしどりとちくおんきのおとが)

もう二階ではダンスが始まっているらしく、騒々しい足取りと蓄音機の音が

(きこえました。ちょうどはしごだんののぼりぐちのところに、けいおうのがくせいらしいのがごろくにん)

聞えました。ちょうど梯子段の上り口のところに、慶応の学生らしいのが五六人

(うじゃうじゃしていて、それがじろじろわたしとなおみのようすをみるのが、あまり)

うじゃうじゃしていて、それがジロジロ私とナオミの様子を見るのが、あまり

(いいきもちはしませんでしたが、)

好い気持はしませんでしたが、

(「なおみさん」)

「ナオミさん」

(と、そのときなれなれしいおおきなこえで、かのじょをよんだものがありました。みるといまの)

と、その時馴れ馴れしい大きな声で、彼女を呼んだ者がありました。見ると今の

(がくせいのひとりで、ふらっと・まんどりんというものでしょうか、ひらべったい)

学生の一人で、フラット・マンドリンと云うものでしょうか、平べったい

(ちょっとにほんのげっきんのようなかたちのがっきをこわきにかかえて、それのちょうしを)

ちょっと日本の月琴のような形の楽器を小脇にかかえて、それの調子を

(あわせながらはりがねのげんをちりちりならしているのです。)

合わせながら針金の絃をチリチリ鳴らしているのです。

(「こんにちはあ」)

「今日はア」

(と、なおみもおんならしくない、しょせいっぽのようなくちょうでおうじて、)

と、ナオミも女らしくない、書生ッぽのような口調で応じて、

(「どうしたのまあちゃんは?あんただんすをやらないの?」)

「どうしたのまアちゃんは?あんたダンスをやらないの?」

(「やあだあ、おれあ」)

「やあだア、己あ」

(と、そのまあちゃんとよばれたおとこは、にやにやわらってまんどりんをたなのうえに)

と、そのまアちゃんと呼ばれた男は、ニヤニヤ笑ってマンドリンを棚の上に

(おきながら、)

置きながら、

(「あんなもなあおれあまっぴらごめんだ。だいいちおめえ、げっしゃをにじゅうえんもとるなんて、)

「あんなもなあ己あ真っ平御免だ。第一お前、月謝を二十円も取るなんて、

(まるでたけえや」)

まるでたけえや」

(「だってはじめてならうんならしかたがないわよ」)

「だって始めて習うんなら仕方がないわよ」

(「なあに、いずれそのうちみんながおぼえるだろうから、そうしたらやつらを)

「なあに、いずれそのうちみんなが覚えるだろうから、そうしたら奴等を

(とっつかまえてならってやるのよ。だんすなんざあそれでたくさんよ。)

取っ掴まえて習ってやるのよ。ダンスなんざあそれで沢山よ。

(どうでえ、ようりょうがいいだろう」)

どうでえ、要領がいいだろう」

(「ずるいわまあちゃんは!あんまりようりょうがよすぎるわよ。ところで)

「ずるいわまアちゃんは!あんまり要領がよ過ぎるわよ。ところで

(「はまさん」はにかいにいる?」)

『浜さん』は二階にいる?」

(「うん、いる、いってごらん」)

「うん、いる、行って御覧」

(このがっきやはこのきんぺんのがくせいたちの「たまり」になっているらしく、なおみも)

この楽器屋はこの近辺の学生たちの「溜り」になっているらしく、ナオミも

(ちょいちょいくるものとみえて、てんいんなどもみんなかのじょとかおなじみなのでした。)

ちょいちょい来るものと見えて、店員などもみんな彼女と顔馴染なのでした。

(「なおみちゃん、いましたにいたがくせいたちは、ありゃなにだね?」)

「ナオミちゃん、今下にいた学生たちは、ありゃ何だね?」

(と、わたしはかのじょにみちびかれてはしごだんをのぼりながらたずねました。)

と、私は彼女に導かれて梯子段を上りながら尋ねました。

(「あれはけいおうのまんどりんくらぶのひとたちなの、くちはぞんざいだけれど、)

「あれは慶応のマンドリン倶楽部の人たちなの、口はぞんざいだけれど、

(そんなにわるいひとたちじゃないのよ」)

そんなに悪い人たちじゃないのよ」

(「みんなおまえのともだちなのかい」)

「みんなお前の友達なのかい」

(「ともだちっていうほどじゃないけれど、ときどきここへかいものにくるとあのひとたちに)

「友達って云う程じゃないけれど、時々此処へ買い物に来るとあの人たちに

(あうもんだから、それでしりあいになっちゃったの」)

会うもんだから、それで知り合いになっちゃったの」

(「だんすをやるのは、ああいうれんちゅうがおもなのかなあ」)

「ダンスをやるのは、ああ云う連中が重なのかなあ」

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