谷崎潤一郎 痴人の愛 19

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数722難易度(4.5) 6105打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
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問題文

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(「ああ、それがいいだろう」)

「ああ、それがいいだろう」

(と、わたしもしまいにはめんどうになっていいかげんなへんじをすると、)

と、私もしまいには面倒になって好い加減な返辞をすると、

(「そうかしら?これでおかしかないかしら?」)

「そうかしら?これで可笑しかないかしら?」

(とかがみのまえをぐるぐるまわって、)

と鏡の前をぐるぐる廻って、

(「へんだわ、なんだか。あたしこんなのじゃきにいらないわ」)

「変だわ、何だか。あたしこんなのじゃ気に入らないわ」

(とすぐぬぎすてて、かみくずのようにあしでしわくちゃにけとばして、またつぎのやつを)

と直ぐ脱ぎ捨てて、紙屑のように足で皺くちゃに蹴飛ばして、又次の奴を

(ひっかけてみます。が、あのきものもいや、このきものもいやで、)

引っかけて見ます。が、あの着物もいや、この着物もいやで、

(「ねえ、じょうじさん、あたらしいのをこしらえてよ!」)

「ねえ、譲治さん、新しいのを拵えてよ!」

(となるのでした。)

となるのでした。

(「だんすにいくにはもっとおもいきりはでなのでなけりゃ、こんなきものじゃ)

「ダンスに行くにはもっと思いきり派手なのでなけりゃ、こんな着物じゃ

(ひきたちはしないわ。よう!こしらえてよう!どうせこれからちょいちょい)

引き立ちはしないわ。よう!拵えてよう!どうせこれからちょいちょい

(でかけるんだから、いしょうがなけりゃだめじゃないの」)

でかけるんだから、 衣裳がなけりゃ駄目じゃないの」

(そのじぶん、わたしのつきづきのしゅうにゅうはもはやとうていかのじょのぜいたくにはおいつかなくなって)

その時分、私の月々の収入はもはや到底彼女の贅沢には追いつかなくなって

(いました。がんらいわたしはきんせんじょうのことにかけてはなかなかきちょうめんなほうで、どくしんじだいには)

いました。元来私は金銭上の事にかけてはなかなか几帳面な方で、独身時代には

(ちゃんとまいつきのこづかいをさだめ、のこりはたといわずかでもちょきんするようにして)

ちゃんと毎月の小遣いを定め、残りはたとい僅かでも貯金するようにして

(いましたから、なおみといえをもったとうざはかなりのよゆうがあったものです。)

いましたから、ナオミと家を持った当座は可なりの余裕があったものです。

(そしてわたしはなおみのあいにおぼれてはいましたけれど、かいしゃのしごとはけっしておろそかに)

そして私はナオミの愛に溺れてはいましたけれど、会社の仕事は決して疎かに

(したことはなく、いぜんとしてせいれいかっきんなもはんてきしゃいんだったので、じゅうやくのしんようも)

したことはなく、依然として精励恪勤な模範的社員だったので、重役の信用も

(しだいにあつくなり、げっきゅうのがくもあがってきて、はんきはんきのぼーなすをくわえれば、)

次第に厚くなり、月給の額も上がって来て、半期々々のボーナスを加えれば、

(へいきんつきによんひゃくえんになりました。だからふつうにくらすのならふたりでらくなわけで)

平均月に四百円になりました。だから普通に暮らすのなら二人で楽な訳で

など

(あるのに、それがどうしてもたりませんでした。こまかいことをいうようですが、)

あるのに、それがどうしても足りませんでした。細かいことを云うようですが、

(まずつきづきのせいかつひが、いくらうちわにみつもってもにひゃくごじゅうえんいじょう、ばあいに)

先ず月々の生活費が、いくら内輪に見積もっても二百五十円以上、場合に

(よってはさんびゃくえんもかかります。このうちやちんがさんじゅうごえんこれはにじゅうえん)

よっては三百円もかかります。このうち家賃が三十五円これは二十円

(だったのがよんねんかんにじゅうごえんあがりました。それからがすだい、でんとうだい、)

だったのが四年間に十五円上がりました。それから瓦斯代、電燈代、

(すいどうだい、しんたんだい、せいようせんたくだいなどのしょざっぴをさしひき、のこりのにひゃくえんないがいから)

水道代、薪炭代、西洋洗濯代等の諸雑費を差し引き、残りの二百円内外から

(にひゃくさんよんじゅうえんというものを、なににつかってしまうかというと、そのだいぶぶんはくいもの)

二百三四十円と云うものを、何に使ってしまうかと云うと、その大部分は喰い物

(でした。それもそのはずで、こどものころにはいっぴんりょうりのびふてきでまんぞくしていた)

でした。それもその筈で、子供の頃には一品料理のビフテキで満足していた

(なおみでしたが、いつのまにやらだんだんくちがおごってきて、さんどのしょくじのたびごとに)

ナオミでしたが、いつの間にやらだんだん口が奢って来て、三度の食事の度毎に

(「なにがたべたい」「かにがたべたい」と、としににあわぬぜいたくをいいます。おまけに)

「何が食べたい」「彼がたべたい」と、歳に似合わぬ贅沢を云います。おまけに

(それもざいりょうをしいれて、じぶんでりょうりするなどというめんどうくさいことはきらいなので、)

それも材料を仕入れて、自分で料理するなどと云う面倒臭いことは嫌いなので、

(たいがいきんじょのりょうりやへちゅうもんします。)

大概近所の料理屋へ注文します。

(「あーあ、なにかうまいものがたべたいなあ」)

「あーあ、何か旨い物がたべたいなア」

(と、たいくつするとなおみのいいぐさはきっとそれでした。そしていぜんはようしょくばかり)

と、退屈するとナオミの言い草はきっとそれでした。そして以前は洋食ばかり

(すきでしたけれど、このころはそうでもなく、さんどにいちどは「なにやのおわんがたべて)

好きでしたけれど、この頃はそうでもなく、三度に一度は「何屋のお椀が食べて

(みたい」とか、「どこそこのさしみをとってみよう」とか、なまいきな)

見たい」とか、「何処そこの刺身を取って見よう」とか、生意気な

(ことをいいます。)

ことを云います。

(ひるはわたしはかいしゃにいますから、なおみひとりでたべるのですが、かえってそういうおりの)

午は私は会社に居ますから、ナオミ一人でたべるのですが、却ってそう云う折の

(ほうがそのぜいたくははげしいのでした。ゆうがた、かいしゃからかえってくると、だいどころのすみに)

方がその贅沢は激しいのでした。夕方、会社から帰って来ると、台所の隅に

(しだしやのおかもちや、ようしょくやのいれものなどがおいてあるのを、わたしはしばしば)

仕出し屋のおかもちや、洋食屋の容物などが置いてあるのを、私はしばしば

(みることがありました。)

見ることがありました。

(「なおみちゃん、おまえまたなにかとったんだね!おまえのようにてんやものばかり)

「ナオミちゃん、お前又何か取ったんだね!お前のようにてんや物ばかり

(たべていたひにゃおかねがかかってしようがないよ。だいいちおんなひとりでもってそんなまねを)

喰べていた日にゃお金が懸って仕様がないよ。第一女一人でもってそんな真似を

(するなんて、すこしはもったいないということをかんがえてごらん」)

するなんて、少しは勿体ないと云う事を考えて御覧」

(そういわれてもなおみはいっこうへいきなもので、)

そう云われてもナオミは一向平気なもので、

(「だって、ひとりだからあたしとったんだわ、おかずこしらえるのがめんどうなんだもの」)

「だって、一人だからあたし取ったんだわ、おかず拵えるのが面倒なんだもの」

(と、わざとふてくされて、そおふぁのうえにふんぞりかえっているのです。)

と、わざとふてくされて、ソオファの上にふん反り返っているのです。

(このちょうしだからたまったものではありません。おかずだけならまだしもですが、)

この調子だからたまったものではありません。おかずだけならまだしもですが、

(ときにはごはんをたくのさえおっくうがって、めしまでしだしやからはこばせるというしまつ)

時には御飯を炊くのさえ億劫がって、飯まで仕出し屋から運ばせると云う始末

(でした。で、げつまつになると、とや、ぎゅうにくや、にほんりょうりや、せいようりょうりや、すしや、)

でした。で、月末になると、鳥屋、牛肉屋、日本料理屋、西洋料理屋、鮨屋、

(うなぎや、かしや、くだものやと、ほうぼうからもってくるせいきゅうしょのしめだかが、よくも)

鰻屋、菓子屋、果物屋と、方々から持って来る請求書の締め高が、よくも

(こんなにたべられたものだと、おどろくほどたがくにのぼったのです。)

こんなに喰べられたものだと、驚くほど多額に上ったのです。

(くいもののつぎにかさんだのはせいようせんたくのだいでした。これはなおみがたびいっそくでも)

喰い物の次に嵩んだのは西洋洗濯の代でした。これはナオミが足袋一足でも

(けっしてじぶんであらおうとせず、よごれものはすべてくりーにんぐにだしたからです。)

決して自分で洗おうとせず、汚れ物は総べてクリーニングに出したからです。

(そしてたまたまこごとをいえば、ふたことめには、)

そしてたまたま叱言を云えば、二た言目には、

(「あたしじょちゅうじゃないことよ」)

「あたし女中じゃないことよ」

(といいます。)

と云います。

(「そんな、せんたくなんかすりゃあ、ゆびがふとくなっちゃって、ぴあのがひけなくなる)

「そんな、洗濯なんかすりゃあ、指が太くなっちゃって、ピアノが弾けなくなる

(じゃないの、じょうじさんはあたしのことをなんといって?じぶんのたからものだっていったじゃ)

じゃないの、譲治さんはあたしの事を何と云って?自分の宝物だって云ったじゃ

(ないの?だのにこのてがふとくなったらどうするのよ」)

ないの?だのにこの手が太くなったらどうするのよ」

(と、そういいます。)

と、そう云います。

(さいしょのうちこそなおみはかじむきのようをしてくれ、かってもとのほうをはたらきも)

最初のうちこそナオミは家事向きの用をしてくれ、勝手元の方を働きも

(しましたが、それがつづいたのはほんのいちねんかはんとしぐらいだったでしょう。)

しましたが、それが続いたのはほんの一年か半年ぐらいだったでしょう。

(ですからせんたくものなどはまだいいとして、なによりこまったのはいえのなかがひましに)

ですから洗濯物などはまだいいとして、何より困ったのは家の中が日増しに

(らんざつに、ふけつになっていくことでした。ぬいだものはぬぎっぱなし、たべたものは)

乱雑に、不潔になって行くことでした。脱いだものは脱ぎッ放し、喰べた物は

(たべっぱなしというありさまで、くいあらしたさらこばちだの、のみかけのちゃわんやゆのみ)

喰べッ放しと云う有様で、喰い荒らした皿小鉢だの、飲みかけの茶碗や湯呑み

(だの、あかじみたはだぎやゆもじだのが、いついってみてもそこらにほうりだしてある)

だの、垢じみた肌着や湯文字だのが、いつ行って見てもそこらに放り出してある

(ゆかはもちろんいすでもてーぶるでもほこりがたまっていないことはなく、あのせっかくの)

床は勿論椅子でもテーブルでも埃が溜っていないことはなく、あの折角の

(いんどさらさのまどかけももはやせきじつのおもかげをとどめてすすけてしまい、あんなにはれやかな)

印度更紗の窓かけも最早や昔日の俤を止めて煤けてしまい、あんなに晴れやかな

(「ことりのかご」であったはずのおとぎばなしのいえのきぶんは、すっかりおもむきをかえてしまって、)

「小鳥の籠」であった筈のお伽噺の家の気分は、すっかり趣を変えてしまって、

(へやへはいるとそういうばしょにとくゆうな、むうっとはなをつくようなにおいがする。)

部屋へ這入るとそう云う場所に特有な、むうッと鼻を衝くような臭いがする。

(わたしもこれにはへいこうして、)

私もこれには閉口して、

(「さあさあ、ぼくがそうじをしてやるから、おまえはにわへでておいで」)

「さあさあ、僕が掃除をしてやるから、お前は庭へ出ておいで」

(と、はいたりはたいたりしてみたこともありますけれど、はたけばはたくほど)

と、掃いたりハタいたりして見たこともありますけれど、ハタけばハタくほど

(ごみがでてくるばかりでなく、あまりちらかりすぎているので、かたづけたくとも)

ごみが出て来るばかりでなく、余り散らかり過ぎているので、片附けたくとも

(てのつけようがないのでした。これではしかたがないというので、にさんどじょちゅうを)

手の附けようがないのでした。これでは仕方がないと云うので、二三度女中を

(やとったこともありましたが、くるじょちゅうもくるじょちゅうもみんなあきれてかえってしまって)

雇ったこともありましたが、来る女中も来る女中もみんな呆れて帰ってしまって

(いつかとしんぼうしているものはありません。そこへもってきてわたしたちのほうでも)

五日と辛抱しているものはありません。そこへ持って来て私たちの方でも

(ぶえんりよないちゃつきができなくなって、ちょっとふたりでふざけるのにもなんだか)

不遠慮ないちゃつきが出来なくなって、ちょっと二人でふざけるのにも何だか

(きゅうくつなおもいをする。なおみはひとでがふえたとなると、いよいよおうちゃくをはっきして、)

窮屈な思いをする。ナオミは人手が殖えたとなると、いよいよ横着を発揮して、

(よこのものをたてにもしないで、いちいちじょちゅうをこきつかいます。そしてあいかわらず、)

横のものを縦にもしないで、一々女中をコキ使います。そして相変らず、

(「なにやへいってなにをちゅうもんしてこい」と、かえってまえよりべんりになっただけ、よけい)

「何屋へ行って何を注文して来い」と、却って前より便利になっただけ、余計

(ぜいたくをならべます。けっきょくじょちゅうというものはひじょうにふけいざいでもあり、われわれの)

贅沢を並べます。結局女中というものは非常に不経済でもあり、われわれの

(「あそび」のせいかつにとってじゃまでもあるので、むこうもおそれをなしたでしょうが、)

「遊び」の生活に取って邪魔でもあるので、向うも恐れをなしたでしょうが、

(こちらもたっていてもらいたくはなかったのです。)

此方も達て居て貰いたくはなかったのです。

(そういうわけで、つきづきのくらしがそれだけはかけるとして、あとのひゃくえんから)

そう云う訳で、月々の暮らしがそれだけは懸るとして、あとの百円から

(ひゃくごじゅうえんのうちから、つきにじゅうえんかにじゅうえんずつでもちょきんをしたいとおもったのですが)

百五十円のうちから、月に十円か二十円ずつでも貯金をしたいと思ったのですが

(なおみのぜにづかいがはげしいので、そんなよゆうはありませんでした。かのじょはかならず)

ナオミの銭遣いが激しいので、そんな余裕はありませんでした。彼女は必ず

(ひとつきにいちまいはきものをつくります。いくらめりんすやめいせんでもうらとおもてとをかって、)

一と月に一枚は着物を作ります。いくらめりんすや銘仙でも裏と表とを買って、

(しかもじぶんでぬうことはせず、したてちんをかけますから、ごじゅうえんやろくじゅうえんは)

しかも自分で縫う事はせず、仕立て賃をかけますから、五十円や六十円は

(きえてなくなる。そうしてできあがったしなものは、きにいらなければおしいれのおくへ)

消えてなくなる。そうして出来上った品物は、気に入らなければ押入れの奥へ

(つっこんだまままるできないし、きにいったとなるとひざがぬけるまできころして)

突っ込んだまままるで着ないし、気に入ったとなると膝が抜けるまで着殺して

(しまう。ですからかのじょのとだなのなかには、ぼろぼろになったふるぎがいっぱいつまって)

しまう。ですから彼女の戸棚の中には、ぼろぼろになった古着が一杯詰まって

(いました。それからげたのぜいたくをいいます。ぞうり、こまげた、あしだ、ひよりげた、)

いました。それから下駄の贅沢を云います。草履、駒下駄、足駄、日和下駄、

(りょうぐり、よそいきのげた、ふだんのげたこれらがいっそくしちはちえんからにさんえん)

両ぐり、余所行きの下駄、不断の下駄これ等が一足七八円から二三円

(どまりで、とおかかんにいっぺんぐらいはかうのですから、つもってみるとやすいものでは)

どまりで、十日間に一遍ぐらいは買うのですから、積もって見ると安いものでは

(ありません。)

ありません。

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