谷崎潤一郎 痴人の愛 20

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数454難易度(4.5) 5330打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 やまちやまちゃん 4654 C++ 4.7 97.5% 1103.4 5270 134 97 2024/04/30

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問題文

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(「こうげたをはいちゃたまらないから、くつにしたらいいじゃないか」)

「こう下駄を穿いちゃたまらないから、靴にしたらいいじゃないか」

(といってみても、むかしはじょがくせいらしくはかまをつけてくつであるくのをよろこんだくせに、もう)

と云って見ても、昔は女学生らしく袴をつけて靴で歩くのを喜んだ癖に、もう

(このころではけいこにいくにもきながしのまましゃなりしゃなりとでかけるというふうで)

この頃では稽古に行くにも着流しのまましゃなりしゃなりと出かけると云う風で

(「あたしこうみえてもえどっこよ、なりはどうでもはきものだけはちゃんと)

「あたしこう見えても江戸ッ児よ、なりはどうでも穿きものだけはチャンと

(しないじゃきがすまないわ」)

しないじゃ気が済まないわ」

(と、こちらをいなかものあつかいにします。)

と、此方を田舎者扱いにします。

(こづかいなども、おんがくかいだ、でんしゃちんだ、きょうかしょだ、ざっしだ、しょうせつだと、さんえんごえん)

小遣いなども、音楽会だ、電車賃だ、教科書だ、雑誌だ、小説だと、三円五円

(ぐらいずつみっかにあげずもっていきます。このそとにまたえいごとおんがくのじゅぎょうりょうが)

ぐらいずつ三日に上げず持って行きます。この外に又英語と音楽の授業料が

(にじゅうごえん、これはまいつききそくてきにはらわなければなりません、と、よんひゃくえんのしゅうにゅうで)

二十五円、これは毎月規則的に払わなければなりません、と、四百円の収入で

(いじょうのふたんにたえるのはよういでなく、ちょきんどころかあべこべにちょきんをひきだす)

以上の負担に堪えるのは容易でなく、貯金どころかあべこべに貯金を引き出す

(ようになり、どくしんじだいにいくらかよういしておいたものもちびちびなしくずしに)

ようになり、独身時代にいくらか用意して置いたものもチビチビ成し崩しに

(くずれていきます。そして、かねというものはてをつけだしたらまことにはやいもの)

崩れて行きます。そして、金と云うものは手を付け出したら誠に早いもの

(ですから、このさんよんねんかんにすっかりたくわえをつかいはたして、いまではいちもんも)

ですから、この三四年間にすっかり蓄えを使い果して、今では一文も

(ないのでした。)

ないのでした。

(いんがなことにはわたしのようなおとこのつねとして、しゃっきんのことわりをいうのはふえて、したがって)

因果な事には私のような男の常として、借金の断りを云うのは不得手、従って

(かんじょうはきちんきちんとはらわなければどうもおちついていられないので、みそかが)

勘定はキチンキチンと払わなければどうも落ち着いていられないので、晦日が

(くるというにいわれないくろうをしました。「そうつかっちゃみそかがこせなくなる)

来ると云うに云われない苦労をしました。「そう使っちゃ晦日が越せなくなる

(じゃないか」とたしなめても、)

じゃないか」とたしなめても、

(「こせなければ、まってもらえばいいわよ」)

「越せなければ、待って貰えばいいわよ」

(と、いいます。)

と、云います。

など

(「さんねんもよんねんもひとつところにすんでいながら、みそかのかんじょうがのばせないなんて)

「三年も四年も一つ所に住んでいながら、晦日の勘定が延ばせないなんて

(ほうはないわよ、はんきはんきにはきっとはらうからっていえば、どこでもまつに)

法はないわよ、半期々々にはきっと払うからって云えば、何処でも待つに

(きまっているわ。じょうじさんはきがちいさくってゆうずうがきかないからいけないのよ」)

きまっているわ。譲治さんは気が小さくって融通が利かないからいけないのよ」

(そういったちょうしで、かのじょはじぶんのかいたいものはすべてげんきん、つきづきのはらいは)

そう云った調子で、彼女は自分の買いたいものは総べて現金、月々の払いは

(ぼーなすがはいるまであとまわしというやりかた。そのくせやはりしゃっきんのいいわけを)

ボーナスが這入るまで後廻しと云うやり方。そのくせ矢張借金の言訳を

(するのはきらいで、)

するのは嫌いで、

(「あたしそんなこというのはいやだわ、それはおとこのやくめじゃないの」)

「あたしそんなこと云うのは厭だわ、それは男の役目じゃないの」

(と、げつまつになればふいとどこかへとびだしていきます。)

と、月末になればフイと何処かへ飛び出して行きます。

(ですからわたしは、なおみのためにじぶんのしゅうにゅうをぜんぶささげていたといっても)

ですから私は、ナオミのために自分の収入を全部捧げていたと云っても

(いいのでした。かのじょをすこしでもよりよくみぎれいにさせておくこと、ふじゆうな)

いいのでした。彼女を少しでもよりよく身綺麗にさせて置くこと、不自由な

(おもいや、けちくさいことはさせないで、のんびりとせいちょうさせてやること)

思いや、ケチ臭いことはさせないで、のんびりと成長させてやること

(それはもとよりわたしのほんかいでしたから、こまるこまるとぐちりながらもかのじょのぜいたくを)

それは素より私の本懐でしたから、困る困ると愚痴りながらも彼女の贅沢を

(ゆるしてしまいます。するとそれだけほかのほうめんをきりつめなければならないわけで、)

許してしまいます。するとそれだけ他の方面を切り詰めなければならない訳で、

(さいわいわたしはじぶんじしんのこうさいひはちっともかかりませんでしたが、それでもたまに)

幸い私は自分自身の交際費はちっとも懸りませんでしたが、それでもたまに

(かいしゃかんけいのかいごうなどがあったばあい、ぎりをかいてもにげられるだけにげるように)

会社関係の会合などがあった場合、義理を欠いても逃げられるだけ逃げるように

(する。そのほかじぶんのこづかい、ひふくひ、べんとうだいなどを、おもいきってせつやくする。)

する。その外自分の小遣い、被服費、弁当代などを、思い切って節約する。

(まいにちかようしょうせんでんしゃもなおみはにとうのていきをかうのに、わたしはさんとうでがまんする。めしを)

毎日通う省線電車もナオミは二等の定期を買うのに、私は三等で我慢する。飯を

(たくのがめんどうなので、てんやものをとられてはたいへんだから、わたしがごはんをたいてやり)

炊くのが面倒なので、てんや物を取られては大変だから、私が御飯を炊いてやり

(おかずをこしらえてやることもある。が、そういうふうになってくるとそれがまた)

おかずを拵えてやることもある。が、そう云う風になって来るとそれが又

(なおみにはきにいりません。)

ナオミには気に入りません。

(「おとこのくせにだいどころなんぞはたらかなくってもいいことよ、みっともないわよ」)

「男のくせに台所なんぞ働かなくってもいいことよ、見ッともないわよ」

(と、そういうのです。)

と、そう云うのです。

(「じょうじさんはまあ、ねんがねんじゅうおなじふくばかりきていないで、もうすこしきのきいた)

「譲治さんはまあ、年が年中同じ服ばかり着ていないで、もう少し気の利いた

(なりをしたらどうなの?あたし、じぶんばかりよくったってじょうじさんがそんな)

なりをしたらどうなの?あたし、自分ばかり良くったって譲治さんがそんな

(ふうじゃあやっぱりいやだわ。それじゃいっしょにあるけやしないわ」)

風じゃあやっぱり厭だわ。それじゃ一緒に歩けやしないわ」

(かのじょいっしょにあるけなければなにのたのしみもありませんから、わたしにしてもいわゆる)

彼女一緒に歩けなければ何の楽しみもありませんから、私にしても所謂

(「きのきいた」ふくのひとつもこしらえなければならなくなる。そしてかのじょとでかける)

「気の利いた」服の一つも拵えなければならなくなる。そして彼女と出かける

(ときはでんしゃもにとうへのらなければならない。つまりかのじょのきょえいしんをきずつけない)

時は電車も二等へ乗らなければならない。つまり彼女の虚栄心を傷つけない

(ようにするためには、かのじょひとりのぜいたくではすまないけっかになるのでした。)

ようにするためには、彼女一人の贅沢では済まない結果になるのでした。

(そんなじじょうでやりくりにこまっていたところへ、このころまたしゅれむすかやふじんの)

そんな事情で遣り繰りに困っていたところへ、この頃又シュレムスカヤ夫人の

(ほうへよんじゅうえんずつとられますから、このうえだんすのいしょうをかってやったりしたら)

方へ四十円ずつ取られますから、この上ダンスの衣裳を買ってやったりしたら

(にっちもさっちもいかなくなります。けれどもそれをききわけるようななおみ)

にっちもさっちも行かなくなります。けれどもそれを聴き分けるようなナオミ

(ではなく、ちょうどげつまつのことなので、わたしのふところにげんきんがあったものです)

ではなく、ちょうど月末のことなので、私のふところに現金があったものです

(から、なおさらそれをだせといってしょうちしません。)

から、尚更それを出せといって承知しません。

(「だっておまえ、いまこのかねをだしちまったら、すぐにみそかにさしつかえるのが)

「だってお前、今この金を出しちまったら、直ぐに晦日に差し支えるのが

(わかっていそうなもんじゃないか」)

分っていそうなもんじゃないか」

(「さしつかえたってどうにかなるわよ」)

「差支えたってどうにかなるわよ」

(「どうにかなるって、どうなるのさ。どうにもなりようはありゃしないよ」)

「どうにかなるって、どうなるのさ。どうにもなりようはありゃしないよ」

(「じゃあなにのためにだんすなんかならったのよ。いいわ、そんなら、もう)

「じゃあ何のためにダンスなんか習ったのよ。いいわ、そんなら、もう

(あしたからどこにもいかないから」)

明日から何処にも行かないから」

(そういってかのじょは、そのおおきなめにつゆをたたえて、うらめしそうにわたしをにらんで、)

そう云って彼女は、その大きな眼に露を湛えて、恨めしそうに私を睨んで、

(つんとだまってしまうのでした。)

つんと黙ってしまうのでした。

(「なおみちゃん、おまえおこっているのかい、・・・・・・・・・え、なおみちゃん)

「ナオミちゃん、お前怒っているのかい、・・・・・・・・・え、ナオミちゃん

(ちょっと、・・・・・・・・・こっちをむいておくれ」)

ちょっと、・・・・・・・・・此方を向いておくれ」

(そのばん、わたしはゆかのなかにはいってから、せなかをむけてねたふりをしているかのじょの)

その晩、私は床の中に這入ってから、背中を向けて寝たふりをしている彼女の

(かたをゆすぶりながらそういいました。)

肩を揺す振りながらそう云いました。

(「よう、なおみちゃん、ちょっとこっちをおむきってば。・・・・・・・・・」)

「よう、ナオミちゃん、ちょっと此方をお向きッてば。・・・・・・・・・」

(そしてやさしくてをかけて、さかなのほねつきをうらがえすように、ぐるりとこちらへひっくり)

そして優しく手をかけて、魚の骨つきを裏返すように、ぐるりと此方へ引っくり

(かえすと、ていこうのないしなやかなからだは、うっすらとはんめをとじたまま、すなおに)

覆すと、抵抗のないしなやかな体は、うっすらと半眼を閉じたまま、素直に

(わたしのほうをむきました。)

私の方を向きました。

(「どうしたの?まだおこってるの?」)

「どうしたの?まだ怒ってるの?」

(「・・・・・・・・・」)

「・・・・・・・・・」

(「え、おい、・・・・・・・・・おこらないでもいいじゃないか、)

「え、おい、・・・・・・・・・怒らないでもいいじゃないか、

(どうにかするから、・・・・・・・・・」)

どうにかするから、・・・・・・・・・」

(「・・・・・・・・・」)

「・・・・・・・・・」

(「おい、めをおひらきよ、めを・・・・・・・・・」)

「おい、眼をお開きよ、眼を・・・・・・・・・」

(いいながら、まつげがぶるぶるふるえているまぶたのにくをつりあげると、かいのみの)

云いながら、睫毛がぶるぶる顫えている眼瞼の肉を吊りあげると、貝の実の

(ようになかからそっとのぞいているむっくりとしためのたまは、ねているどころか)

ように中からそっと覗いているむっくりとした眼の玉は、寝ているどころか

(ましょうめんにわたしのかおをみているのです。)

真正面に私の顔を視ているのです。

(「あのかねでかってあげるよ、ね、いいだろう、・・・・・・・・・」)

「あの金で買って上げるよ、ね、いいだろう、・・・・・・・・・」

(「だって、そうしたらこまりやしない?・・・・・・・・・」)

「だって、そうしたら困りやしない?・・・・・・・・・」

(「こまってもいいよ、どうにかするから」)

「困ってもいいよ、どうにかするから」

(「じゃあ、どうする?」)

「じゃあ、どうする?」

(「くにへそういって、かねをおくってもらうからいいよ」)

「国へそう云って、金を送って貰うからいいよ」

(「おくってくれる?」)

「送ってくれる?」

(「ああ、それあおくってくれるとも。ぼくはいままでいちどもくにへめいわくをかけたことは)

「ああ、それあ送ってくれるとも。僕は今まで一度も国へ迷惑をかけたことは

(ないんだし、ふたりでいっけんもっていればいろいろものがかかるだろうぐらいなことは、)

ないんだし、二人で一軒持っていればいろいろ物が懸るだろうぐらいなことは、

(おふくろだってわかっているにちがいないから。・・・・・・・・・」)

おふくろだって分っているに違いないから。・・・・・・・・・」

(「そう?でもおかあさんにわるくはない?」)

「そう?でもおかあさんに悪くはない?」

(なおみはきにしているようなくちぶりでしたが、そのみかのじょのはらのなかには、)

ナオミは気にしているような口ぶりでしたが、その実彼女の腹の中には、

(「いなかへいってやればいいのに」と、とうからそんなかんがえがあったことは、)

「田舎へ云ってやればいいのに」と、とうからそんな考があったことは、

(うすうすわたしにもよめていました。わたしがそれをいいだしたのはかのじょのおもうつぼ)

うすうす私にも読めていました。私がそれを云い出したのは彼女の思う壺

(だったのです。)

だったのです。

(「なあに、わるいことなんかなんにもないよ。けれどもぼくのしゅぎとして、そういう)

「なあに、悪い事なんかなんにもないよ。けれども僕の主義として、そう云う

(ことはいやだったからしなかったんだよ」)

事は厭だったからしなかったんだよ」

(「じゃ、どういうわけでしゅぎをかえたの?」)

「じゃ、どう云う訳で主義を変えたの?」

(「おまえがさっきないたのをみたらかわいそうになっちゃったからさ」)

「お前がさっき泣いたのを見たら可哀そうになっちゃったからさ」

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