国木田独歩 あの時分 3

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国木田独歩の短編小説です

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問題文

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(かえりはふぶきになっていました。ふたりはけっとのなかで)

帰りは風雪[ふぶき]になっていました。二人は毛布[けっと]の中で

(だきあわんばかりにして、さくさくとつもるゆきをふみながら、わたしはほとんど)

抱き合わんばかりにして、サクサクと積もる雪を踏みながら、私はほとんど

(ゆめごこちになってさむさもわすれ、きむらとはろくろくくちもきかずにかえりました。)

夢ごこちになって寒さも忘れ、木村とはろくろく口もきかずに帰りました。

(かえってどうしたか、ばいぶるでもよんだか、さんびかでもうたったか、)

帰ってどうしたか、聖書[バイブル]でも読んだか、賛美歌でも歌ったか、

(みなわすれてしまいました。ただいじょうのことだけがはっきりとあたまに)

みな忘れてしまいました。ただ以上の事だけがはっきりと頭に

(のこっているのです。)

残っているのです。

(きむらはそのごふたつきばかりするとくにへ)

木村はその後二月[ふたつき]ばかりすると故郷[くに]へ

(かえらなければならぬことになり、かえりました。)

帰らなければならぬ事になり、帰りました。

(そのわけはなんであろうかしりませんが、たぶんがくしのことだろうと)

そのわけはなんであろうか知りませんが、たぶん学資のことだろうと

(わたしはおぼえています。そしてわたしにはきむらが、たといあのとき、くにに)

私は覚えています。そして私には木村が、たといあの時、故郷[くに]に

(かえらないでも、そうばん、どこにかかくれてしまって、とかいのひととしてひとなかに)

帰らないでも、早晩、どこにか隠れてしまって、都会の人として人中に

(かおをだすひとでないとおもわれます。きむらがこのんでださないのでもない、)

顔を出す人でないと思われます。木村が好んで出さないのでもない、

(ただかれじしんのなりゆきが、そうなるようにわたしにはおもわれます。ひぐちもおなじことで、)

ただ彼自身の成り行きが、そうなるように私には思われます。樋口も同じ事で、

(きむらもついに「あのじぶん」のひととなってしまいました。)

木村もついに「あの時分」の人となってしまいました。

(せんやたかみのうちで、ひぐちのことをはなしたとき、たかみがとつぜん、)

先夜鷹見の宅[うち]で、樋口の事を話した時、鷹見が突然、

(「ひぐちはなにをべんきょうしていたのかね」とふたりにといました。きおくのいいうえだも)

「樋口は何を勉強していたのかね」と二人に問いました。記憶のいい上田も

(こくびをかたむけて、)

小首を傾けて、

(「そうさ、なにをよんでいたかしらん、まさかまるきりあそんでも)

「そうサ、何を読んでいたかしらん、まさかまるきり遊んでも

(いなかったろうが」とかんがえていましたが、)

いなかったろうが」と考えていましたが、

(「つくえにむいていたことはよくみたが、なにをせんもんにやっていたか、どうも)

「机に向いていた事はよく見たが、何を専門にやっていたか、どうも

など

(おもいつかれぬ、くぼたくん、おぼえているかい」ととわれて、わたしもひぐちとは)

思いつかれぬ、窪田君、覚えているかい」と問われて、私も樋口とは

(はんとしいじょうもどうしゅくしてこんいにしていたにかかわらず、さておもいかえしてみて)

半年以上も同宿して懇意にしていたにかかわらず、さて思い返してみて

(ひぐちがなにをまじめにべんきょうしていたか、ついにおもいだすことができませんでした。)

樋口が何をまじめに勉強していたか、ついに思い出すことができませんでした。

(そこできむらのことをおもうにつけて、やはりおなじことであります。きむらはつねに)

そこで木村のことを思うにつけて、やはり同じ事であります。木村は常に

(つくえにむいていました、そしてばいぶるをよんでいたことだけはいまでも)

机に向いていました、そして聖書[バイブル]を読んでいたことだけは今でも

(おもいだしますが、そのほかのことはきおくにないのです。)

思い出しますが、そのほかのことは記憶にないのです。

(そうおもうとひぐちもきむらもどこかにているせいしつがあるようにもおもわれますが、)

そう思うと樋口も木村もどこか似ている性質があるようにも思われますが、

(それはせいしつがにているのか、おなじにたそのころのせいねんのきふうに)

それは性質が似ているのか、同じ似たそのころの青年の気風に

(そんでいたのか、しかとわたしにははんだんがつきませんけれども、このふたりは)

染んでいたのか、しかと私には判断がつきませんけれども、この二人は

(とにかくあるるいじしたいろをもっていることはたしかです。)

とにかくある類似した色を持っていることは確かです。

(そういいますと、あのじぶんはわたしもあさはやくからおきてねるまで、)

そう言いますと、あの時分は私も朝早くから起きて寝るまで、

(がっこうのかぎょうのほかに、やたらむしょうにどくしょしたものです。おうしゅうの)

学校の課業のほかに、やたらむしょうに読書したものです。欧州の

(せいじかもよめば、すぺんさーもよむ、てつがくしょもよむ、でんきもよむ、)

政治家も読めば、スペンサーも読む、哲学書も読む、伝記も読む、

(いちじかんさんじゅっぺーじのわりあいで、ひにじゅうじかん、さんびゃくぺーじよんで)

一時間三十ページの割合で、日に十時間、三百ページ読んで

(まだどくしょのそくりょくがおそいとおもったことすらありました。そしてただいろんなことを)

まだ読書の速力がおそいと思ったことすらありました。そしてただいろんな事を

(とめどもなくかんがえて、おもいにふけったものです。)

止め度もなく考えて、思いにふけったものです。

(そうすると、わたしもただらんどくしたというだけで、ひぐちやきむらとおなじように)

そうすると、私もただ乱読したというだけで、樋口や木村と同じように

(ゆめのよかいのひとであったかもしれません。そうです、わたしばかりではありません。)

夢の世界の人であったかも知れません。そうです、私ばかりではありません。

(あのじぶんは、だれもみんなやたらにらんどくしたものです。)

あの時分は、だれもみんなやたらに乱読したものです。

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