悪獣篇 泉鏡花 6

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
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泉鏡花の中編小説です
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3 もっちゃん先生 4353 C+ 4.5 95.6% 1069.2 4875 220 98 2024/10/13
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問題文

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(それをきいて、ふとふりむいたしょうねんのかおを、ぎろりと、そのぎんいろのめで)

それを聞いて、フト振向いた少年の顔を、ぎろりと、その銀色の目で

(しりめにかけたが、とってじゅうはちのがくせいは、なにごともかんがえなかった。)

流眄[しりめ]にかけたが、取って十八の学生は、何事も考えなかった。

(「や、うわさきかぬでもなかったが、それはまことでござるかいの。」)

「や、風説[うわさ]きかぬでもなかったが、それはまことでござるかいの。」

(「おいのおいの、こんなありがたいきとくなことを、うっかりきいてござる)

「おいのおいの、こんな難有い奇特なことを、うっかり聞いてござる

(としではあるまいがや、ややおばあさん。)

年紀[とし]ではあるまいがや、ややお婆さん。

(ぬしはきがながいで、おおかたなんじゃろうぞいの、じぞうさまかいげんが)

主は気が長いで、大方何じゃろうぞいの、地蔵様開眼[かいげん]が

(すんでから、つえをつっぱってまいらしゃますこころじゃろが、おたがいにとしじゃぞや。)

済んでから、杖を突張って参らしゃます心じゃろが、お互に年紀じゃぞや。

(いまのときよに、またとないけちえんじゃによって、はんにちもはようのう、)

今の時世[ときよ]に、またとない結縁じゃに因[よ]って、半日も早うのう、

(そのありがたいひとのおすがたおがもうとおもうての、やらやっとおもたいこしを)

その難有い人のお姿拝もうと思うての、やらやっと重たい腰を

(ひったてでてきたことよ。」)

引立て出て来たことよ。」

(べにいとのめはまたゆれて、)

紅糸の目はまた揺れて、

(「きとくにござるわや。さて、そのありがたいひとはだれでござる。」)

「奇特にござるわや。さて、その難有い人は誰でござる。」

(「はて、それをしらしゃらぬ。ぬしとしたものはなんということぞいの。)

「はて、それを知らしゃらぬ。主としたものは何ということぞいの。

(このさきのはまぎわに、さるの、おおちょうじゃどのの、おべっそうがござるてよ。)

このさきの浜際に、さるの、大長者どのの、お別荘がござるてよ。

(そのちょうじゃのおくさまじゃわいの。」)

その長者の奥様じゃわいの。」

(それがごこんりゅうなされるかよ。」)

それが御建立なされるかよ。」

(「おいの、いんにゃいの、たてさっしゃるはそのおくさまにちがいないが、)

「おいの、いんにゃいの、建てさっしゃるはその奥様に違いないが、

(ほつがんしたこころざしのほうはまたべつにあるといの。)

発願した篤志[こころざし]の方はまた別にあるといの。

(きかっしゃれ。)

聞かっしゃれ。

(そのおくさまは、よにもめずらしい、さんじゅうにそうそろわしったうつくしいかたじゃとの、)

その奥様は、世にも珍しい、三十二相そろわしった美しい方じゃとの、

など

(はだがあたたかじゃによってにんげんよ、つめたければてんにょじゃ、と)

膚[はだ]があたたかじゃに因って人間よ、冷たければ天女じゃ、と

(みないうのじゃがの、そのちょうじゃどののうわなりじゃ、)

皆いうのじゃがの、その長者どのの後妻[うわなり]じゃ、

(うわなりでいさっしゃる。)

うわなりでいさっしゃる。

(よってそのちょうじゃどのとは、さんじゅうのうえもとしがちがうて、おとこのこがひとりござって、)

よってその長者どのとは、三十の上も年紀が違うて、男の児が一人ござって、

(それがことしじゅうはちじゃ。)

それが今年十八じゃ。

(おくさまは、それ、ままははいの。)

奥様は、それ、継母いの。

(きだてのやさしい、はだもこころもうつくしいひとじゃによって、ままははままこというような)

気立のやさしい、膚も心も美しい人じゃによって、継母継児というような

(ものではなけれども、なさぬなかのことなれば、まんにひとつもあやまちの)

ものではなけれども、なさぬなかの事なれば、万に一つも過失[あやまち]の

(ないように、とそのじゅうよんのはるごろから、おこないのただしい、)

ないように、とその十四の春ごろから、行[おこない]の正しい、

(がくのあるせんせいさまを、うちへたのみきりにしてそばへつけておかしゃった。」)

学のある先生様を、内へ頼みきりにして傍へつけておかしゃった。」

(ふたりはまさにそれなのである。)

二人は正にそれなのである。

(じゅういち 「よいかの、じゅうよんのとしからこのとしまで、よんごろくしちはちとごねんのあいだ、)

十一 「よいかの、十四の年からこの年まで、四五六七八と五年の間、

(ねるにもおきるにもつきそうて、しんせつにおおしえなすった、そのせんせいさまの)

寝るにも起るにも附添うて、しんせつにお教えなすった、その先生様の

(たんせいというものは、ひととおりのことではなかったとの。)

たんせいというものは、一通[ひととおり]の事ではなかったとの。

(そのかいがあってこのなつはの、そのおこがさるりっぱながっこうへ)

その効[かい]があってこの夏はの、そのお子がさる立派な学校へ

(はいらっしゃるようになったについて、せんせいさまはやしきをでて、)

入らっしゃるようになったに就いて、先生様は邸[やしき]を出て、

(じぶんのからだになりたいといわっしゃる。)

自分の身体になりたいといわっしゃる。

(それまでうけたおんがあれば、おきゃくぶんにしていっしょうおきもうそうということなれど、)

それまで受けた恩があれば、お客分にして一生置き申そうということなれど、

(しゅうししゅうしのおそしさまでも、ゆきたいところへおこなかっしゃる。むりやりに)

宗旨々々のお祖師様でも、行[ゆ]きたい処へ行かっしゃる。無理やりに

(とどめますこともできんでのう。」)

留めますことも出来んでのう。」

(「ほんにの、おばあさん。」)

「ほんにの、お婆さん。」

(「こんどいよいよちょうじゃどののやしきをでさっしゃるについて、ながいあいだごおんになった、)

「今度いよいよ長者どのの邸を出さっしゃるに就いて、長い間御恩になった、

(そのおれいごころというのじゃよ。なんぞはや、しるしにのこるものを、というて、)

そのお礼心というのじゃよ。何ぞ早や、しるしに残るものを、と言うて、

(こがねか、たまか、とたずねさっしゃるとの。)

黄金[こがね]か、珠玉[たま]か、と尋ねさっしゃるとの。

(そのせんせいさま、じぞうそんのいったいこんりゅうしてほしいといわされたとよ。)

その先生様、地蔵尊の一体建立して欲しいと言わされたとよ。

(そういえばなんとなく、かおかたちもにゅうわでの、いしのじぞうそんに)

そう云えば何となく、顔容[かおかたち]も柔和での、石の地蔵尊に

(にてござるおひとじゃそうなげな。」)

似てござるお人じゃそうなげな。」

(せんせいはおもてをそむけて、えみをふくんで、)

先生は面[おもて]を背けて、笑[えみ]を含んで、

(おもわずそのくちのあたりをこすったのである。)

思わずその口のあたりを擦ったのである。

(「それはきとくじゃ、こどもしゅのせわをねがうに、)

「それは奇特じゃ、小児衆[こどもしゅ]の世話を願うに、

(じぞうさまににさしったひとは、けっこうにござることよ。」)

地蔵様に似さしった人は、結構にござることよ。」

(「さればそのことよ。まだよんじゅうにもならっしゃらぬが、よくもとくもさとったおかたじゃ。)

「さればその事よ。まだ四十にもならっしゃらぬが、慾も徳も悟ったお方じゃ。

(なにごとがあってもにこにことさっせえて、ついぞ、はらだたしったり、)

何事があっても莞爾々々[にこにこ]とさっせえて、ついぞ、腹立たしったり、

(かなしがらしったことはないけに、なんとしてそのようにありがたいきになられたぞ、と)

悲しがらしった事はないけに、何としてそのように難有い気になられたぞ、と

(たずねるものがあるわいの。)

尋ねるものがあるわいの。

(せんせいさまがいわっしゃるには、つたえもない、おしえもない。)

先生様が言わっしゃるには、伝もない、教もない。

(わしはどうしたけちえんか、そのかおつきからようすから、)

私[わし]はどうした結縁か、その顔色[かおつき]から容子から、

(のなかにぼんやりたたしましたおすがたなり、こころからじぞうさまがきにいって、)

野中にぼんやり立たしましたお姿なり、心から地蔵様が気に入って、

(あけくれ、じぞう、じぞうとねんずる。)

明暮[あけくれ]、地蔵、地蔵と念ずる。

(いたいとき、つらいとき、くちおしいどき、うらめしいとき、なさけないときと、ことどもが、)

痛い時、辛い時、口惜い時、怨めしい時、情ない時と、事どもが、

(まああってもよ。まてな、まてな、さてこうしたときに、じぞうぼさつなら)

まああってもよ。待てな、待てな、さてこうした時に、地蔵菩薩なら

(なんとなさる、とかんがえればむねもひらいて、きがやすらかになることじゃ、と)

何となさる、と考えれば胸も開いて、気が安らかになることじゃ、と

(もうされたげな。おばあさん、なんときとくなことではないかの。」)

申されたげな。お婆さん、何と奇特な事ではないかの。」

(「ごきとくでござるのう。」)

「御奇特でござるのう。」

(「じゃでの、なにのしんがんというでもないが、なにかしるしをといわるるで)

「じゃでの、何の心願というでもないが、何かしるしをといわるるで

(おもいついた、おじぞういったいこんりゅうをといわっしゃる。)

思いついた、お地蔵一体建立をといわっしゃる。

(おりからなつやすみにの、おやしきじゅうがはまのべっそうへきてじゃについて、そのせんせいさまも)

折から夏休みにの、お邸中が浜の別荘へ来てじゃに就いて、その先生様も

(みえられたが、このかわぞいのこばしのきわのの、あしのなかへ)

見えられたが、この川添[かわぞい]の小橋の際のの、蘆の中へ

(たてさっしゃることになって、きょうはやおくさまがの、このきりとおしのがけをこえて、)

立てさっしゃる事になって、今日はや奥さまがの、この切通しの崖を越えて、

(ふたつめのはまのいしやがかたへゆかれたげじゃ。)

二つ目の浜の石屋が方[かた]へ行[ゆ]かれたげじゃ。

(のう、せんせいさまはせんせいさま、またありがたいおかたとして、おたからを)

のう、先生様は先生様、また難有いお方として、浄財[おたから]を

(きしゃなされます、そのおくさまのこといの。)

喜捨なされます、その奥様の事いの。

(わかいみそらに、ごきとくな、たとえごじぶんのこころからではないとして、)

少[わか]い身そらに、御奇特な、たとえ御自分の心からではないとして、

(そのせんせいさまのおぼしめしにうれしよろこんでしたがわせえましたのが、はやぼさつの)

その先生様の思召に嬉し喜んで従わせえましたのが、はや菩薩の

(みでしでましますぞいの。)

御弟子[みでし]でましますぞいの。

(ななさいのりゅうにょとやらじゃ。)

七歳の竜女とやらじゃ。

(けちえんしょう。としをとるときぜわしゅうて、かたときも)

結縁しょう。年をとると気忙[きぜわ]しゅうて、片時も

(こうしてはおられぬわいの、はやくそのうつくしいおすがたをおがもうとおもうての、)

こうしてはおられぬわいの、はやくその美しいお姿を拝もうと思うての、

(それで、はい、おばあさん、えっちらえっちらでてきたのじゃ。」)

それで、はい、お婆さん、えッちらえッちら出て来たのじゃ。」

(「おう、されば、これからふたつめへおざるかや。」)

「おう、されば、これから二つ目へおざるかや。」

(「さればいの、いくわいの。」)

「さればいの、行くわいの。」

(「ござれござれ。わしもみせをかたづけたら、みちばたへでて、そのおくさまの、)

「ござれござれ。私[わし]も店をかたづけたら、路ばたへ出て、その奥様の、

(かえさらしゃますおかおをおがもうぞいの。」)

帰らしゃますお顔を拝もうぞいの。」

(あかべのおうなはみずからふかくうちうなずいた。)

赤目の嫗は自ら深く打頷[うちうなず]いた。

(ときにいろのあおいぎんのめのおうなは、あいてのおとがいにつれて、)

十二 時に色の青い銀の目の嫗は、対手[あいて]の頤[おとがい]につれて、

(かたがりながら、さそわれたように、うなずいたが、かたをまげたなり)

片がりながら、さそわれたように、頷いたが、肩を曲げたなり

(てをこしにくんだまま、あしをややよこざまにひだりへむけた。)

手を腰に組んだまま、足をやや横ざまに左へ向けた。

(「かえりのほどはよいづきじゃ、ちらりとしたらおすがたをみはずすまいぞや。)

「帰途[かえり]のほどは宵月じゃ、ちらりとしたらお姿を見はずすまいぞや。

(かぶりもののなか、きをつけさっしゃれ。おかたくらい、うつくしい、べにのついたくちびるは)

かぶりものの中、気をつけさっしゃれ。お方くらい、美しい、紅のついた唇は

(すくないとの。うすげしょうにかわりはのうても、はだのしろいのがそのひとじゃ、)

少ないとの。薄化粧に変りはのうても、膚[はだ]の白いのがその人じゃ、

(はまかたじゃでまぎれはないぞの、よいか、おばあさん、)

浜方じゃで紛れはないぞの、可[よ]いか、お婆さん、

(そんならわしはいくわいの。」)

そんなら私[わし]は行くわいの。」

(「ちゃひとつまいらぬか、まあいいで。」)

「茶一つ参らぬか、まあ可[い]いで。」

(「あずけましょ。」)

「預けましょ。」

(「これはそまつなや。」)

「これは麁末[そまつ]なや。」

(「おぞうさでござりました。」)

「お雑作でござりました。」

(とひとしくまえへかたむきながら、こしにてをすえて、てくてくとかたあしずつ、)

と斉[ひと]しく前へ傾きながら、腰に手を据えて、てくてくと片足ずつ、

(みぎをひだりへ、ひだりをみぎへ、ひとつずつふんでいつあしむつあし。)

右を左へ、左を右へ、一ツずつ蹈んで五足六足[いつあしむつあし]。

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