畜犬談4 太宰治

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(おい。へんなものが、ついてきたよ)

「おい。へんなものが、ついてきたよ」

(おや、かわいい)

「おや、可愛い」

(かわいいもんか。おっぱらってくれ、)

「可愛いもんか。追っ払ってくれ、

(てあらくするとくいつくぜ、おかしでもやって)

手荒くすると喰いつくぜ、お菓子でもやって」

(れいのなんじゃくがいこうである。)

れいの軟弱外交である。

(こいぬは、たちまちわたしのないしんいふのじょうをみぬき、)

小犬は、たちまち私の内心畏怖の情を見抜き、

(それにつけこみ、ずうずうしくもそれから、)

それにつけこみ、ずうずうしくもそれから、

(ずるずるわたしのいえにすみこんでしまった。そうしてこのいぬは、)

ずるずる私の家に住みこんでしまった。そうしてこの犬は、

(さんがつ、しがつ、ごがつ、ろく、なな、はち、)

三月、四月、五月、六、七、八、

(そろそろあきかぜふきはじめてきたげんざいにいたるまで、)

そろそろ秋風吹きはじめてきた現在にいたるまで、

(わたしのいえにいるのである。わたしは、このいぬには、)

私の家にいるのである。私は、この犬には、

(いくどなかされたかわからない。どうにもしまつができないのである。)

幾度泣かされたかわからない。どうにも始末ができないのである。

(わたしはしかたなく、このいぬを、ぽちなどとよんでいるのであるが、)

私はしかたなく、この犬を、ポチなどと呼んでいるのであるが、

(はんとしもともにすんでいながら、いまだにわたしは、)

半年もともに住んでいながら、いまだに私は、

(このぽちを、いっかのものとはおもえない。たにんのきがするのである。)

このポチを、一家のものとは思えない。他人の気がするのである。

(しっくりゆかない。ふわである。)

しっくりゆかない。不和である。

(おたがいしんりのよみあいにひばなをちらしてたたかっている。)

お互い心理の読みあいに火花を散らして戦っている。

(そうしておたがい、どうしてもしゃくぜんとわらいあうことができないのである。)

そうしてお互い、どうしても釈然と笑いあうことができないのである。

(はじめこのいえにやってきたころは、まだこどもで、)

はじめこの家にやってきたころは、まだ子供で、

(じべたのありをふしんそうにかんさつしたり、がまをおそれてひめいをあげたり、)

地べたの蟻を不審そうに観察したり、蝦蟇を恐れて悲鳴を挙げたり、

など

(そのようにはわたしもおもわずしっしょうすることがあって、にくいやつであるが、)

その様には私も思わず失笑することがあって、憎いやつであるが、

(これもかみさまのみこころによって)

これも神様の御心によって

(このいえへまよいこんでくることになったのかもしれぬと、)

この家へ迷いこんでくることになったのかもしれぬと、

(えんのしたにねどこをつくってやったし、)

縁の下に寝床を作ってやったし、

(くいものもにゅうようじむきにやわらかくにてあたえてやったし、)

食い物も乳幼児むきに軟らかく煮て与えてやったし、

(のみとりこなどからだにふりかけてやったものだ。けれども、)

蚤取粉などからだに振りかけてやったものだ。けれども、

(ひとつきたつと、もういけない。そろそろだけんのほんりょうをはっきしてきた。)

ひとつき経つと、もういけない。そろそろ駄犬の本領を発揮してきた。

(いやしい。もともと、)

いやしい。もともと、

(このいぬはれんぺいじょうのすみにすてられてあったものにちがいない。)

この犬は練兵場の隅に捨てられてあったものにちがいない。

(わたしのあのさんぽのきと、わたしにまつわりつくようにしてついてきて、)

私のあの散歩の帰途、私にまつわりつくようにしてついてきて、

(そのときは、みるかげもなくやせこけて、)

その時は、見るかげもなく痩せこけて、

(けもぬけていておしりのぶぶんは、ほとんどぜんぶはげていた。)

毛も抜けていてお尻の部分は、ほとんど全部禿げていた。

(わたしだからこそ、これにかしをあたえ、おかゆをつくり、)

私だからこそ、これに菓子を与え、おかゆを作り、

(あらいことばひとつかけるではなし、はれものにさわるように)

荒い言葉一つかけるではなし、腫にさわるように

(ていちょうにもてなしてあげたのだ。ほかのひとだったら、)

鄭重にもてなしてあげたのだ。ほかの人だったら、

(あしげにしておいちらしてしまったにちがいない。)

足蹴にして追い散らしてしまったにちがいない。

(わたしのそんなしんせつなもてなしも、ないじつは、いぬにたいするあいじょうからではなく、)

私のそんな親切なもてなしも、内実は、犬に対する愛情からではなく、

(いぬにたいするせんてんてきなぞうおときょうふからはっした)

犬に対する先天的な憎悪と恐怖から発した

(ろうかいなかけひきにすぎないのであるが、けれどもわたしのおかげで、)

老獪な駈け引きにすぎないのであるが、けれども私のおかげで、

(このぽちは、けなみもととのい、)

このポチは、毛並もととのい、

(どうやらひとりまえのおとこのいぬにせいちょうすることをえたのではないか。)

どうやら一人まえの男の犬に成長することを得たのではないか。

(わたしはおんをうるきはもうとうないけれども、)

私は恩を売る気はもうとうないけれども、

(すこしはわたしたちにもなにかたのしみをあたえてくれてもよさそうにおもわれるのであるが、)

少しは私たちにも何か楽しみを与えてくれてもよさそうに思われるのであるが、

(やはりすていぬはだめなものである。)

やはり捨犬はだめなものである。

(だいめしくって、しょくごのうんどうのつもりであろうか、)

大めし食って、食後の運動のつもりであろうか、

(げたをおもちゃにしてむざんにかみやぶり、)

下駄をおもちゃにして無残に噛み破り、

(にわにほしてあるせんたくものをいらぬせわしてひきずりおろし、どろまみれにする。)

庭に干してある洗濯物を要らぬ世話して引きずりおろし、泥まみれにする。

(こういうじょうだんはしないでおくれ。じつに、こまるのだ。)

「こういう冗談はしないでおくれ。じつに、困るのだ。

(じつに、こまるのだ。だれがきみに、こんなことをしてくれとたのみましたか?)

じつに、困るのだ。誰が君に、こんなことをしてくれとたのみましたか?」

(と、わたしは、うちにはりをふくんだことばを、せいいっぱいやさしく、)

と、私は、内に針を含んだ言葉を、精いっぱい優しく、

(いやみをきかせていってやることもあるのだが、いぬは、きょろりとめをうごかし、)

いや味をきかせて言ってやることもあるのだが、犬は、きょろりと眼を動かし、

(いやみをいいきかせているとうのわたしにじゃれかかる。)

いや味を言い聞かせている当の私にじゃれかかる。

(なんというあまったれたせいしんであろう。)

なんという甘ったれた精神であろう。

(わたしはこのいぬのてつめんぴには、ひそかにあきれ、これをけいべつさえしたのである。)

私はこの犬の鉄面皮には、ひそかに呆れ、これを軽蔑さえしたのである。

(ちょうずるにおよんで、いよいよこのいぬのむのうがばくろされた。)

長ずるに及んで、いよいよこの犬の無能が暴露された。

(だいいち、かたちがよくない。ようしょうのころには、もすこしかたちのきんせいもとれていて、)

だいいち、形がよくない。幼少のころには、も少し形の均斉もとれていて、

(あるいはすぐれたちがまじっているのかもしれぬとおもわせるところあったのであ)

あるいは優れた血が雑っているのかもしれぬと思わせるところあったのであ

(それはまっかないつわりであった。)

それは真赤ないつわりであった。

(どうだけが、にょきにょきながくのびて、てあしがいちじるしくみじかい。)

胴だけが、にょきにょき長く伸びて、手足がいちじるしく短い。

(かめのようである。みられたものでなかった。そのようなみにくいかたちをして、)

亀のようである。見られたものでなかった。そのような醜い形をして、

(わたしががいしゅつすればかならずかげのごとくちゃんとわたしにつきしたがい、しょうねんしょうじょまでが、)

私が外出すればかならず影のごとくちゃんと私につき従い、少年少女までが、

(やあ、へんてこないぬじゃとゆびさしてわらうこともあり、たしょうみえぼうのわたしは)

やあ、へんてこな犬じゃと指さして笑うこともあり、多少見栄坊の私は

(いくらすましてあるいても、なんにもならなくなるのである。)

いくらすまして歩いても、なんにもならなくなるのである。

(いっそたひとのふりをしようとはやあしにあるいてみても、ぽちはわたしのそばをはなれず、)

いっそ他人のふりをしようと早足に歩いてみても、ポチは私の傍を離れず、

(わたしのかおをふりあおぎふりあおぎ、あとになり、さきになり、)

私の顔を振り仰ぎ振り仰ぎ、あとになり、さきになり、

(からみつくようにしてついてくるのだから、)

からみつくようにしてついてくるのだから、

(どうしたってふたりはたにんのようにはみえまい。)

どうしたって二人は他人のようには見えまい。

(きごころのあったしゅじゅうとしかみえまい。)

気心の合った主従としか見えまい。

(おかげでわたしはがいしゅつのたびごとに、ずいぶんくらいゆううつなきもちにさせられた。)

おかげで私は外出のたびごとに、ずいぶん暗い憂欝な気持にさせられた。

(いいしゅぎょうになったのである。ただ、そうして、)

いい修行になったのである。ただ、そうして、

(ついてあるいていたころは、まだよかった。)

ついて歩いていたころは、まだよかった。

(そのうちにいよいよかくしてあったもうじゅうのほんしょうをばくろしてきた。)

そのうちにいよいよ隠してあった猛獣の本性を暴露してきた。

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