新妻の手記04

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タグ小説
作:豊島与志雄

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問題文

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(けれども、そうしたことを、わたしはべつにおかしいとはおもわなかった。) けれども、そうしたことを、私は別におかしいとは思わなかった。 (かいものはすべてははのさしずどおりにした。なになにをかってきなさいとか、) 買物はすべて母の指図通りにした。何々を買ってきなさいとか、 (なにほどのねだんのものをかってきなさいとか、はははこまかくちゅういした。) 何程の値段のものを買ってきなさいとか、母はこまかく注意した。 (まったく、きょうはおせんたくをしてよろしいでしょうか、とおなじことである。) まったく、今日はお洗濯をして宜しいでしょうか、と同じことである。 (しかし、ははがりんしょくだったというのではない。) 然し、母が吝嗇だったというのではない。 (わたしのあるほんやくげんこうが、ざっしにさいようされることになり、そのげんこうりょうをもって、) 私の或る翻訳原稿が、雑誌に採用されることになり、その原稿料を持って、 (つださんがあそびにきたことがある。) 津田さんが遊びに来たことがある。 (なにしろちいさなざっしで、こうりょうのこともへんしゅうちょうにいちにんしたものだから、) なにしろ小さな雑誌で、稿料のことも編輯長に一任したものだから、 (これだけになったが、こんどからもうすこしせりあげてみせるつもりだし、) これだけになったが、こんどからもう少しせりあげてみせるつもりだし、 (そのときはびーるでものみましょうと、つださんはわらって、) その時はビールでも飲みましょうと、津田さんは笑って、
(だいぶおしゃべりをしてかえっていった。) だいぶお饒舌りをして帰って行った。 (そのときもらったさんぜんえんを、わたしはははへさしだした。) その時貰った三千円を、私は母へ差出した。 (「まあそれは、よかったわねえ。ほんとによかったよ。これからもべんきょうなさい。) 「まあそれは、よかったわねえ。ほんとによかったよ。これからも勉強なさい。 (いつでますか、そのざっしは。でたらにさつもらってくださいよ。) いつ出ますか、その雑誌は。出たら二冊貰って下さいよ。 (いっさつはあなた、いっさつはわたしがいただきますから。」) 一冊はあなた、一冊はわたしが頂きますから。」 (ははがよろこんでるのは、ざっしのことだった。げんこうりょうのほうについては、) 母が喜んでるのは、雑誌のことだった。原稿料の方については、 (ちょきんにでもしておくんですね、とむぞうさにいった。) 貯金にでもしておくんですね、と無雑作に言った。 (ところが、そのあと、わたしはぎんざにでたついでに、) ところが、その後、私は銀座に出たついでに、 (げんこうりょうで、ははへようかんをひとおりかい、よしかわのためにじょうとうのきぬくつしたをさんそくかった。) 原稿料で、母へ羊羹を一折買い、吉川のために上等の絹靴下を三足買った。 (ようかんについては、はははなにともいわず、じょうとうのほうのおちゃをいれて、) 羊羹については、母は何とも言わず、上等の方のお茶を入れて、
など
(わたしといっしょにたべた。たべながら、くつしたのほうをたしなめた。) 私と一緒に食べた。食べながら、靴下の方をたしなめた。 (このようなくつしたはじょうとうすぎてすぐにいたむから、こんごかうときは、) このような靴下は上等すぎてすぐにいたむから、今後買う時は、 (わたしにそうだんなさい、といつものちょうしなのである。) 私に相談なさい、といつもの調子なのである。 (つまり、おかしをたべたりおちゃをのんだりするのは、ともだちとのこうさいとおなじで、) つまり、お菓子をたべたりお茶を飲んだりするのは、友達との交際と同じで、 (わたしのじゆうだが、じつようてきなしなものをかうのは、ははのかんかつだというのであろう。) 私の自由だが、実用的な品物を買うのは、母の管轄だというのであろう。 (そのようなこと、わたしにはおかしかったが、たどたどしいはりしごとなどをしながら、) そのようなこと、私にはおかしかったが、たどたどしい針仕事などをしながら、 (なにかしらものおもいをしていると、しだいに、たいへんなことをはっけんしてきたのである。) なにかしら物思いをしていると、次第に、大変なことを発見してきたのである。 (けっこんせいかつというものは、じぶんのかていをもつことであり、) 結婚生活というものは、自分の家庭を持つことであり、 (そのかていのなかでしゅふとしてのちいにつくことである。) その家庭の中で主婦としての地位に就くことである。 (それはじめいのりだ。ところがいえのなかで、わたしはどういうちいにあったか。) それは自明の理だ。ところが家の中で、私はどういう地位にあったか。 (いろいろふりかえってみると、わたしはたんにじょちゅうにすぎなかったのではあるまいか。) いろいろ振り返ってみると、私は単に女中に過ぎなかったのではあるまいか。 (よしかわはだいたいむくちだし、おもしろいわだいもあまりもちあわせなかった。) 吉川はだいたい無口だし、面白い話題もあまり持ち合せなかった。 (はなしといえばしんぶんきじいがいにはほとんどでなかった。ときたまさけをのんでくると、) 話といえば新聞記事以外には殆ど出なかった。時たま酒を飲んでくると、 (せんもんのけいざいがくのちしきをひれきしだすこともあったが、わたしにもははにもそれはつうぜず、) 専門の経済学の知識を披歴しだすこともあったが、私にも母にもそれは通ぜず、 (ほとんどどくごにおわった。しゅうせんちかくなってしょうしゅうされ、あなほりばかりしてきたことが、) 殆ど独語に終わった。終戦近くなって召集され、穴掘りばかりして来たことが、 (ゆいいつのとくしゅなわだいだった。つまり、へいぼんでぜんりょうなかいしゃいんで、) 唯一の特殊な話題だった。つまり、平凡で善良な会社員で、 (かていはただしょくどうとしんじょにすぎなかったろう。そのかわり、きむずかしいてんもなく) 家庭はただ食堂と寝所に過ぎなかったろう。その代わり、気むずかしい点もなく (ようきゅうもすくなく、わたしはたんにじじょであればよかった。) 要求も少く、私は単に侍女であればよかった。 (かていのぜんけんはははにあった。かけいはすべてははがかんりしていたし、) 家庭の全権は母にあった。家計はすべて母が監理していたし、 (かいものまでいちいちかんとくしていた。わたしはすべてのことをそうだんしなければならなかった。) 買物まで一々監督していた。私はすべてのことを相談しなければならなかった。 (きょうはおせんたくしてよろしいでしょうか。それでばんじがつくされる。じょちゅうだ。) 今日はお洗濯して宜しいでしょうか。それで万事が尽される。女中だ。 (おきゅうきんせんえんのじょちゅうだ。しゅふとしてこうどうしえるよちはどこにもなかった。) お給金千円の女中だ。主婦として行動し得る余地はどこにもなかった。
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