津軽 序編 太宰治 1

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(つがる じょへん だざいおさむ)

津軽 序編 太宰治 1

(あるとしのはる、わたしは、うまれてはじめてほんしゅうほくたん、つがるはんとうをおよそ)

或るとしの春、私は、生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ

(さんしゅうかんほどかかっていっしゅうしたのであるが、それは、わたしのさんじゅういくとせのしょうがいにおいて)

三週間ほどかかって一周したのであるが、それは、私の三十育年の生涯に於いて

(かなりじゅうようなじけんのひとつであった。わたしはつがるにうまれ、そうしてにじゅうねんかん、)

かなり重要な事件の一つであった。私は津軽に生れ、そうして二十年間、

(つがるにおいてそだちながら、かなぎ、ごしょがわら、あおもり、ひろさき、あさむし、おおわに、)

津軽に於いて育ちながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐、

(それだけのまちをみただけで、そのほかのちょうそんについてはすこしもしるところが)

それだけの町を見ただけで、その他の町村に就いては少しも知るところが

(なかったのである。 かなぎは、わたしのうまれたまちである。つがるへいやのほぼちゅうおうにいし)

無かったのである。 金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し

(じんこうご、ろくせんの、これというとくちょうもないが、どこやらとかいふうにちょっと)

人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会ふうにちょっと

(きどったまちである。よくいえば、みずのようにたんぱくであり、わるくいえば、そこのあさい)

気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い

(みえぼうのまちということになっているようである。それからさんりほどなんかし、)

見栄坊の町という事になっているようである。それから三里ほど南下し、

(いわきかわにそうてごしょがわらというまちがある。このちほうのさんぶつのしゅうさんちでじんこうも)

岩木川に沿うて五所川原という町が在る。この地方の産物の集散地で人口も

(いちまんいじょうあるようだ。あおもり、ひろさきのりょうしをのぞいて、じんこういちまんいじょうのまちは、)

一万以上あるようだ。青森、弘前の両市を除いて、人口一万以上の町は、

(このへんにはほかにない。よくいえば、かっきのあるまちであり、わるくいえば、)

この辺には他に無い。善く言えば、活気のある町であり、悪く言えば、

(さわがしいまちである。のうそんのにおいはなく、とかいとくゆうの、あのこどくのせんりつが)

さわがしい町である。農村の匂いはなく、都会特有の、あの孤独の戦慄が

(これくらいのちいさいまちにもすでにかすかにしのびいっているもようである。)

これくらいの小さい町にも既に幽かに忍び入っている模様である。

(おおげさなひゆでわれながらへいこうしてもうしあげるのであるが、かりに)

大袈裟な譬喩でわれながら閉口して申し上げるのであるが、かりに

(とうきょうにれいをとるならば、かなぎはこいしかわであり、ごしょがわらはあさくさ、といったような)

東京に例をとるならば、金木は小石川であり、五所川原は浅草、といったような

(ところでもあろうか。ここには、わたしのおばがいる。ようしょうのころ、わたしは)

ところでもあろうか。ここには、私の叔母がいる。幼少の頃、私は

(うみのははよりも、このおばをしたっていたので、じつにしばしばこのごしょがわらの)

生みの母よりも、この叔母を慕っていたので、実にしばしばこの五所川原の

(おばのいえへあそびにきた。わたしは、ちゅうがっこうにはいるまでは、このごしょがわらとかなぎと、)

叔母の家へ遊びに来た。私は、中学校にはいる迄は、この五所川原と金木と、

など

(ふたつのまちのほかは、つがるのまちについて、ほとんどなにもしらなかったといってよい。)

二つの町の他は、津軽の町に就いて、ほとんど何も知らなかったと言ってよい。

(やがて、あおもりのちゅうがっこうににゅうがくしけんをうけにいくとき、それは、わずか)

やがて、あおもりの中学校に入学試験を受けに行く時、それは、わずか

(さん、よじかんのたびであったはずなのに、わたしにとってはひじょうなだいりょこうのかんじで、そのとき)

三、四時間の旅であった筈なのに、私にとっては非常な大旅行の感じで、その時

(のこうふんをわたしはすこしきゃくしょくしてしょうせつにもかいたことがあって、そのびょうしゃはかならずしも)

の興奮を私は少し脚色して小説にも書いた事があって、その描写は必ずしも

(じじつそのままではなく、かなしいおどけのきょこうにみちてはいるが、けれども、)

事実そのままではなく、かなしいお道化の虚構に満ちてはいるが、けれども、

(かんじは、だいたいあんなものだったとおもっている。 すなわち、)

感じは、だいたいあんなものだったと思っている。 すなわち、

(「だれにもしられぬ、このようなわびしいおしゃれは、ねんいちねんとくふうにとみ、)

「誰にも知られぬ、このような侘びしいおしゃれは、年一年と工夫に富み、

(むらのしょうがっこうをそつぎょうしてばしゃにゆられきしゃにのりじゅうりはなれたけんちょうしょざいちの)

村の小学校を卒業して馬車にゆられ汽車に乗り十里はなれた県庁所在地の

(しょうとかいへ、ちゅうがっこうのにゅうがくしけんをうけるためにでかけたときの、そのときのしょうねんの)

小都会へ、中学校の入学試験を受けるために出掛けたときの、そのときの少年の

(ふくそうは、あわれにちんみょうなものでありました。しろいふらんねるのしゃつは、)

服装は、あわれに珍妙なものでありました。白いフランネルのシャツは、

(よっぽどきにいっていたものとみえて、やはり、そのときもきていました。)

よっぽど気に入っていたものとみえて、やはり、そのときも着ていました。

(しかも、こんどのしゃつには、ちょうちょのはねのようなおおきいえりがついていて、)

しかも、こんどのシャツには、蝶々の翅のような大きい襟がついていて、

(そのえりを、なつのかいきんしゃつのえりをせびろのうわぎのえりのそとがわにだしてかぶせて)

その襟を、夏の開襟シャツの襟を背広の上衣の襟の外側に出してかぶせて

(いるのと、そっくりおなじようしきで、きもののえりのそとがわにひっぱりだし、きもののえりに)

いるのと、そっくり同じ様式で、着物の襟の外側にひっぱり出し、着物の襟に

(おおいかぶせているのです。なんだか、よだれかけのようにもみえます。でも、)

覆いかぶせているのです。なんだか、よだれ掛けのようにも見えます。でも、

(しょうねんはかなしくきんちょうして、そのふうぞくが、そっくりきこうしのようにみえるだろうと)

少年は悲しく緊張して、その□俗が、そっくり貴公子のように見えるだろうと

(おもっていたのです。くるめがすりに、しろっぽいしまの、みじかいはかまをはいて、それから)

思っていたのです。久留米絣に、白っぽい縞の、短い袴をはいて、それから

(ながいくつした、みあげのぴかぴかひかるくろいくつ。それからまんと。ちちはすでにぼっし、)

長い靴下、見上げのピカピカ光る黒い靴。それからマント。父は既に歿し、

(はははびょうしんゆえ、しょうねんのみのまわりいっさいは、やさしいあによめのこころづくしでした。)

母は病身ゆえ、少年の身のまわり一切は、やさしい嫂の心づくしでした。

(しょうねんは、あによめにれいりにあまえて、むりやりしゃつのえりをおおきくしてもらって、)

少年は、嫂に怜悧に甘えて、むりやりシャツの襟を大きくしてもらって、

(あによめがわらうとほんきにいかり、しょうねんのびがくがだれにもげせられぬことをなみだがでるほど)

嫂が笑うと本気に怒り、少年の美学が誰にも解せられぬことを涙が出るほど

(くやしくおもうのでした。「しょうしゃ、てんが」しょうねんのびがくのいっさいは、それにつきて)

口惜しく思うのでした。『瀟洒、典雅』少年の美学の一切は、それの尽きて

(いました。いやいや、いきることのすべて、じんせいのもくてきぜんぶが)

いました。いやいや、生きることのすべて、人生の目的全部が

(それにつきていました。まんとは、わざとぼたんをかけず、ちいさいかたからいまにも)

それに尽きていました。マントは、わざとボタンを掛けず、小さい肩から今にも

(すべりおちるように、あやうくはおって、そうしてそれをこいきなわざだと)

滑り落ちるように、あやうく羽織って、そうしてそれを小粋な技だと

(しんじていました。どこから、そんなことをおぼえたのでしょう。おしゃれのほんのう)

信じていました。どこから、そんなことを覚えたのでしょう。おしゃれの本能

(というものは、てほんがなくても、おのずからはつめいするのかもしれません。)

というものは、手本がなくても、おのずから発明するのかも知れません。

(ほとんどうまれてはじめてとかいらしいとかいにあしをふみこむのでしたから、)

ほとんど生まれてはじめて都会らしい都会に足を踏み込むのでしたから、

(しょうねんにとってはいっせいちだいのこったみなりであったわけです。こうふんのあまり、)

少年にとっては一世一代の凝った身なりであったわけです。興奮のあまり、

(そのほんしゅうほくたんのいちしょうとかいについたとたんにしょうねんのことばつきまでいっぺんして)

その本州北端の位置しょうとかいに着いたとたんに少年の言葉つきまで一変して

(しまっていたほどでした。かねてしょうねんざっしでならいおぼえてあったとうきょうべんを)

しまっていたほどでした。かねて少年雑誌で習い覚えてあった東京弁を

(つかいました。けれどもやどにおちつき、そのやどのじょちゅうたちのことばをきくと、)

つかいました。けれども宿に落ちつき、その宿の女中たちの言葉を聞くと、

(ここもやっぱりしょうねんのうまれこきょうとまったくおなじ、つがるべんでありましたので、しょうねんは)

ここもやっぱり少年の生れ故郷と全く同じ、津軽弁でありましたので、少年は

(すこしひょうしぬけがしました。うまれこきょうと、そのしょうとかいとは、)

すこし拍子抜けがしました。生れ故郷と、その小都会とは、

(じゅうりもはなれていないのでした」)

十里も離れていないのでした」

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