河童10 芥川龍之介

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芥川龍之介の名作

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問題文

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(じゅう 「どうしたね?きょうはみょうにふさいでいるじゃないか?」)

十 「どうしたね?きょうは妙にふさいでいるじゃないか?」

(そのかじがあったよくじつです。ぼくはまきたばこをくわえながら、ぼくのきゃくまのいすに)

その火事があった翌日です。僕は巻煙草をくわえながら、僕の客間の椅子に

(こしをおろしたがくせいのらっぷにこういいました。じっさいまたらっぷはみぎのあしのうえへ)

腰をおろした学生のラップにこう言いました。実際またラップは右の脚の上へ

(ひだりのあしをのせたまま、くさったくちばしもみえないほど、ぼんやりゆかのうえばかり)

左の脚をのせたまま、腐った嘴も見えないほど、ぼんやり床の上ばかり

(みていたのです。「らっぷくん、どうしたね。」といえば、)

見ていたのです。「ラップ君、どうしたね。」と言えば、

(「いや、なに、つまらないことなのですよ。」らっぷはやっとあたまをあげ、)

「いや、なに、つまらないことなのですよ。」ラップはやっと頭をあげ、

(かなしいはなごえをだしました。「ぼくはきょうまどのそとをみながら、「おや、むしとりすみれが)

悲しい鼻声を出しました。「僕はきょう窓の外を見ながら、『おや、虫取り菫が

(さいた」となにげなしにつぶやいていたのです。するとぼくのいもうとはきゅうにかおいろを)

咲いた』と何気なしにつぶやいていたのです。すると僕の妹は急に顔色を

(かえたとおもうと、「どうせわたしはむしとりすみれよ。」とあたりちらすじゃ)

変えたと思うと、『どうせわたしは虫取り菫よ。』と当たり散らすじゃ

(ありませんか?おまけにまたぼくのおふくろもだいのいもうとびいきですから、やはりぼくに)

ありませんか?おまけにまた僕のおふくろも大の妹贔屓ですから、やはり僕に

(くってかかるのです。」「むしとりすみれがさいたということはどうしていもうとさんには)

食ってかかるのです。」「虫取り菫が咲いたということはどうして妹さんには

(ふかいなのだね?」「さあ、たぶんおすのかっぱをつかまえるといういみにでもとった)

不快なのだね?」「さあ、たぶん雄の河童をつかまえるという意味にでもとった

(のでしょう。そこへおふくろとなかわるいおばもけんかのなかまいりをしたのですから、)

のでしょう。そこへおふくろと仲悪い叔母も喧嘩の仲間入りをしたのですから、

(いよいよおおそうどうになってしまいました。しかもねんじゅうよっぱらっているおやじは)

いよいよ大騒動になってしまいました。しかも年中酔っ払っているおやじは

(このけんかをききつけると、だれかれのさべつなしになぐりだしたのです。)

この喧嘩を聞きつけると、だれかれの差別なしに殴り出したのです。

(それだけでもしまつのつかないところへぼくのおとうとはそのあいだにおふくろのさいふをぬすむが)

それだけでも始末のつかないところへ僕の弟はその間におふくろの財布を盗むが

(はやいかきねまかなにかをみにいってしまいました。ぼくは・・ほんとうにぼくはもう」)

早いかキネマか何かを見に行ってしまいました。僕は・・ほんとうに僕はもう」

(らっぷはりょうてにかおをうずめ、なにもいわずにないてしまいました。ぼくのどうじょうしたのは)

ラップは両手に顔を埋め、何も言わずに泣いてしまいました。僕の同情したのは

(もちろんです。どうじにまたかぞくせいどにたいするしじんのとっくのけいべつを)

もちろんです。同時にまた家族制度に対する詩人のトックの軽蔑を

(おもいだしたのももちろんです。ぼくはらっぷのかたをたたきいっしょうけんめいになぐさめました。)

思い出したのももちろんです。僕はラップの肩をたたき一生懸命に慰めました。

など

(「そんなことはどこでもありがちだよ。まあゆうきをだしたまえ。」)

「そんなことはどこでもありがちだよ。まあ勇気を出したまえ。」

(「しかし・・・しかしくちばしでもくさっていなければ、・・・」)

「しかし・・・しかし嘴でも腐っていなければ、・・・」

(「それはあきらめるほかはないさ。さあ、とっくくんのうちへでもいこう。」)

「それはあきらめるほかはないさ。さあ、トック君の家へでも行こう。」

(「とっくさんはぼくをけいべつしています。ぼくはとっくさんのようにだいたんにかぞくを)

「トックさんは僕を軽蔑しています。僕はトックさんのように大胆に家族を

(すてることができませんから。」「じゃくらばっくくんのうちへいこう。」)

捨てることができませんから。」「じゃクラバック君の家へ行こう。」

(ぼくはあのおんがくかいいらい、くらばっくにもともだちになっていましたから、とにかくこの)

僕はあの音楽会以来、クラバックにも友達になっていましたから、とにかくこの

(だいおんがくかのうちへらっぷをつれだすことにしました。くらばっくはとっくに)

大音楽家の家へラップをつれ出すことにしました。クラバックはトックに

(くらべれば、はるかにぜいたくにくらしています。というのはしほんかのげえるのように)

比べれば、はるかに贅沢に暮らしています。というのは資本家のゲエルのように

(くらしているといういみではありません。ただいろいろのこっとうを、ーー)

暮らしているという意味ではありません。ただいろいろの骨董を、ーー

(たなぐらのにんぎょうやぺるしあのとうきをへやいっぱいにならべたなかにとるこふうのながいす)

タナグラの人形やペルシアの陶器を部屋いっぱいに並べた中にトルコ風の長椅子

(をそえ、くらばっくじしんのしょうぞうがのしたにいつもこどもたちとあそんでいるのです。)

を添え、クラバック自身の肖像画の下にいつも子どもたちと遊んでいるのです。

(が、きょうはどうしたのかりょううでをむねへくんだままにがいかおをしてすわっていました。)

が、きょうはどうしたのか両腕を胸へ組んだまま苦い顔をして座っていました。

(のみならずそのまたあしもとにはかみくずがいちめんにちらばっていました。)

のみならずそのまた足もとには紙屑が一面に散らばっていました。

(らっぷもしじんとっくといっしょにたびたびくらばっくにはあっているはずです。)

ラップも詩人トックといっしょにたびたびクラバックには会っているはずです。

(しかしこのようすにおそれたとみえ、きょうはていねいにおじぎをしたなり、だまって)

しかしこの容子に恐れたとみえ、きょうは丁寧にお時宜をしたなり、黙って

(へやのすみにこしをおろしました。「どうしたね?くらばっくくん。」)

部屋の隅に腰をおろしました。「どうしたね?クラバック君。」

(ぼくはほとんどあいさつのかわりにこうだいおんがくかへといかけました。)

僕はほとんど挨拶の代わりにこう大音楽家へ問いかけました。

(「どうするものか?ひひょうかのあほうめ!ぼくのじょじょうしはとっくのじょじょうしとくらべものに)

「どうするものか?批評家の阿呆め!僕の叙情詩はトックの叙情詩と比べものに

(ならないといいやがるんだ!」「しかしきみはおんがくかだし・・・」)

ならないと言いやがるんだ!」「しかし君は音楽家だし・・・」

(「それだけならばがまんもできる。ぼくはろっくにくらべれば、おんがくかのなにあたいしない)

「それだけならば我慢もできる。僕はロックに比べれば、音楽家の名に価しない

(といいやがるじゃないか?」ろっくというのはくらばっくとたびたびくらべられる)

と言いやがるじゃないか?」ロックというのはクラバックとたびたび比べられる

(おんがくかです。が、あいにくちょうじんくらぶのかいいんになっていないかんけいじょう、ぼくはいちども)

音楽家です。が、あいにく超人倶楽部の会員になっていない関係上、僕は一度も

(はなしたことはありません。もっともくちばしのそりあがったひとくせあるらしいかおだけは)

話したことはありません。もっとも嘴の反り上がった一癖あるらしい顔だけは

(たびたびしゃしんでもみかけていました。「ろっくもてんさいにはちがいない。しかし)

たびたび写真でも見かけていました。「ロックも天才には違いない。しかし

(ろっくのおんがくはきみのおんがくにあふれているきんだいてきじょうねつをもっていない。」)

ロックの音楽は君の音楽にあふれている近代的情熱を持っていない。」

(「きみはほんとうにそうおもうか?」「そうおもうとも。」するとくらばっくは)

「君は本当にそう思うか?」「そう思うとも。」するとクラバックは

(たちあがるがはやいか、たなぐらのにんぎょうをひっつかみ、いきなりゆかのうえにたたき)

立ち上がるが早いか、タナグラの人形をひっつかみ、いきなり床の上にたたき

(つけました。らっぷはよほどおどろいたとみえなにかこえをあげてにげようとしました。)

つけました。ラップはよほど驚いたとみえ何か声をあげて逃げようとしました。

(が、くらばっくはらっぷやぼくにはちょっと「おどろくな」というてまねをしたうえ、)

が、クラバックはラップや僕にはちょっと「驚くな」という手真似をした上、

(こんどはひややかにこういうのです。「それはきみもまたぞくじんのようにみみをもって)

今度は冷ややかにこう言うのです。「それは君もまた俗人のように耳を持って

(いないからだ。ぼくはろっくをおそれている。・・・」)

いないからだ。僕はロックを恐れている。・・・」

(「きみが?けんそんかをきどるのはやめたまえ。」「だれかけんそんかをきどるものか?)

「君が?謙遜家を気取るのはやめたまえ。」「だれか謙遜家を気取るものか?

(だいいちきみたちにきどってみせるくらいならばひひょうかたちのまえにきどってみせている)

第一君たちに気取って見せるくらいならば批評家たちの前に気取ってみせている

(ぼくはーーくらばっくはてんさいだ。そのてんではろっくをおそれていない。」)

僕はーークラバックは天才だ。その点ではロックを恐れていない。」

(「ではなにをおそれているのだ?」「なにかしょうたいのしれないものを、ーーいわば、)

「では何を恐れているのだ?」「何か正体の知れないものを、ーー言わば、

(ろっくをしはいしているほしを。」「どうもぼくにはふにおちないがね。」)

ロックを支配している星を。」「どうも僕には腑に落ちないがね。」

(「ではこういえばわかるだろう。ろっくはぼくのえいきょうをうけない。)

「ではこう言えばわかるだろう。ロックは僕の影響を受けない。

(が、ぼくはいつのまにかろっくのえいきょうをうけてしまうのだ。」)

が、僕はいつの間にかロックの影響を受けてしまうのだ。」

(「それはきみのかんじゅせいの・・・」「まあききたまえ。かんじゅせいなどのもんだいではない。)

「それは君の感受性の・・・」「まあ聞きたまえ。感受性などの問題ではない。

(ろっくはいつもあんじてあいつだけにできるしごとをしている。)

ロックはいつも安んじてあいつだけにできる仕事をしている。

(しかしぼくはいらいらするのだ。それはろっくのめからみれば、あるいはいっぽの)

しかし僕はいらいらするのだ。それはロックの目から見れば、あるいは一歩の

(さかもしれない。けれどもぼくにはじゅうまいるもちがうのだ。」)

差かもしれない。けれども僕には十哩も違うのだ。」

(「しかしせんせいのえいゆうきょくは・・・」くらばっくはほそいめをいっそうほそめ、)

「しかし先生の英雄曲は・・・」クラバックは細い目をいっそう細め、

(いまいましそうにらっぷをにらみつけました。)

いまいましそうにラップをにらみつけました。

(「だまりたまえ。きみなどになにがわかる?ぼくはろっくをしっているのだ。)

「黙りたまえ。君などに何がわかる?僕はロックを知っているのだ。

(ろっくにへいしんていとうするいぬよりもろっくをしっているのだ。」)

ロックに平身低頭する犬よりもロックをしっているのだ。」

(「まあすこししずかにしたまえ。」「もししずかにしていられるならば、ぼくはいつも)

「まあ少し静かにしたまえ。」「もし静かにしていられるならば、僕はいつも

(こうおもっている。ーーぼくらのしらないなにものかはぼくをーーくらばっくをあざける)

こう思っている。ーー僕らの知らない何ものかは僕をーークラバックをあざける

(ためにろっくをぼくのまえにたたせたのだ。てつがくしゃまっぐはこういうことをなにもかも)

ためにロックを僕の前に立たせたのだ。哲学者マッグはこういうことを何もかも

(しょうちしている。いつもあのいろがらすのらんたあんのしたにふるぼけたほんばかりよんでる)

承知している。いつもあの色硝子のランタアンの下に古ぼけた本ばかり読んでる

(くせに。」「どうして?」「このちかごろまっぐのかいた「あほうのことば」という)

くせに。」「どうして?」「この近ごろマッグの書いた『阿呆の言葉』という

(ほんをみたまえ」くらばっくはぼくにいっさつのほんをわたすというよりもなげつけました。)

本を見たまえ」クラバックは僕に一冊の本を渡すというよりも投げつけました。

(それからまたうでをくんだまま、つけんどんにこういいはなちました。)

それからまた腕を組んだまま、突けんどんにこう言い放ちました。

(「じゃきょうはしっけいしよう。」ぼくはしょげかえったらっぷといっしょにもういちど)

「じゃきょうは失敬しよう。」僕はしょげ返ったラップといっしょにもう一度

(おうらいへでることにしました。ひとどおりのおおいおうらいはあいかわらずぶなのなみきのかげに)

往来へ出ることにしました。人通りの多い往来は相変わらず山毛欅の並木の影に

(いろいろのみせをならべています。ごくらはなんということもなしにだまってあるいて)

いろいろの店を並べています。語句らはなんということもなしに黙って歩いて

(ゆきました。するとそこへとおりかかったのはかみのながいしじんのとっくです。)

ゆきました。するとそこへ通りかかったのは髪の長い詩人のトックです。

(とっくはぼくらのかおをみると、はらのふくろからてふきをだし、なんどもひたいをぬぐいました。)

トックは僕らの顔を見ると、腹の袋から手巾を出し、何度も額をぬぐいました。

(「やあ、しばらくあわなかったね。ぼくはきょうひさしぶりにくらばっくをたずね)

「やあ、しばらく会わなかったね。僕はきょう久しぶりにクラバックを尋ね

(ようとおもうのだが、・・・」ぼくはこのげいじゅつかたちをけんかさせてはわるいとおもい、)

ようと思うのだが、・・・」僕はこの芸術家たちを喧嘩させては悪いと思い、

(くらばっくのいかにもふきげんだったことをえんきょくにとっくにはなしました。)

クラバックのいかにも不機嫌だったことを婉曲にトックに話しました。

(「そうか。じゃやめにしよう。なにしろくらばっくはしんけいすいじゃくだからね。)

「そうか。じゃやめにしよう。なにしろクラバックは神経衰弱だからね。

(・・・ぼくもこのにさんしゅうかんはねむられないのによわっているのだ。」)

・・・僕もこの二三週間は眠られないのに弱っているのだ。」

(「どうだね、ぼくらといっしょにさんぽをしては?」「いや、きょうはやめにしよう。)

「どうだね、僕らといっしょに散歩をしては?」「いや、今日はやめにしよう。

(おや!」とっくはこうさけぶがはやいか、しっかりぼくのうでをつかみました。しかも)

おや!」トックはこう叫ぶが早いか、しっかり僕の腕をつかみました。しかも

(いつかからだじゅうにひやあせをながしているのです。)

いつか体中に冷汗をながしているのです。

(「どうしたのだ?」「どうしたのです?」)

「どうしたのだ?」「どうしたのです?」

(「なにあのじどうしゃのまどのなかからみどりいろのさるがいっぴきくびをだしたようにみえたのだよ」)

「なにあの自動車の窓の中から緑色の猿が一匹首を出したように見えたのだよ」

(ぼくはたしょうしんぱいになり、とにかくあのいしゃちゃっくにしんさつしてもらうように)

僕は多少心配になり、とにかくあの医者チャックに診察してもらうように

(すすめました。しかしとっくはなんといっても、しょうちするけしきをみせません。)

勧めました。しかしトックはなんと言っても、承知する気色を見せません。

(のみならずなにかうたがわしそうにぼくらのかおをみくらべながらこんなことさえいいだす)

のみならず何か疑わしそうに僕らの顔を見比べながらこんなことさえ言い出す

(のです。「ぼくはけっしてむせいふしゅぎではないよ。それだけはきっとわすれずにいて)

のです。「僕は決して無政府主義ではないよ。それだけはきっと忘れずにいて

(くれたまえ。ーーではさようなら。ちゃっくなどはまっぴらごめんだ。」)

くれたまえ。ーーではさようなら。チャックなどはまっぴらごめんだ。」

(ぼくらはぼんやりたたずんだまま、とっくのうしろすがたをみおくっていました。ぼくらは)

僕らはぼんやりたたずんだまま、トックの後ろ姿を見送っていました。僕らは

(いや、「ぼくら」ではありません。がくせいのらっぷはいつのまにかおうらいのまんなかに)

いや、「僕ら」ではありません。学生のラップはいつの間にか往来の真ん中に

(あしをひろげ、しっきりないじどうしゃやひとどおりをまためがねにのぞいているのです。)

脚をひろげ、しっきりない自動車や人通りを股目金にのぞいているのです。

(ぼくはこのかっぱもはっきょうしたかとおもい、おどろいてらっぷをひきおこしました。)

僕はこの河童も発狂したかと思い、驚いてラップを引き起こしました。

(「じょうだんじゃない。なにをしている?」しかしらっぷはめをこすりながらいがいにも)

「常談じゃない。何をしている?」しかしラップは目をこすりながら意外にも

(おちついてへんじをしました。「いえ、あまりゆううつですから、さかさまによのなかを)

落ち着いて返事をしました。「いえ、あまり憂鬱ですから、さかさまに世の中を

(ながめてみたのです。けれどもやはりおなじことですね。」)

ながめて見たのです。けれどもやはり同じことですね。」

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