フェスティバル・エクスプレス

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投稿者投稿者藤村 彩愛いいね2お気に入り登録
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フェスティバル・エクスプレス 映画
1970年に行われた「フェスティバル・エクスプレス」の映画について。
1960年代末のロックが好きな人は必ず見るべき映画です。

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問題文

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(わかきろっくのじだい)

〈若きロックの時代〉

(げきどうの1960ねんだいまつ、ろっくはわかものたちのぶんかのちゅうしんとしてしゃかいにおおきな)

激動の1960年代末、ロックは若者たちの文化の中心として社会に大きな

(えいきょうをあたえるそんざいになっていました。しかし、このじだいろっくはまだまだわかく)

影響を与える存在になっていました。しかし、この時代ロックはまだまだ若く

(みかんせいなおんがくじゃんるでした。だからこそ、ろっくはぶんれつとゆごうを)

未完成な音楽ジャンルでした。だからこそ、ロックは分裂と癒合を

(くりかえしながらきょうれつなえねるぎーをはっさんしつづけていたのです。1969ねんの)

繰り返しながら強烈なエネルギーを発散し続けていたのです。1969年の

(うっどすとっくをぴーくとするろっくふぇすてぃばるは、そのしょうちょうで、それらの)

ウッドストックをピークとするロックフェスティバルは、その象徴で、それらの

(おんがくさいからつぎつぎとあたらしいすたーがたんじょうし、あらたなじゃんるをかいたくしつつ)

音楽祭から次々と新しいスターが誕生し、新たなジャンルを開拓しつつ

(ありました。そのほか、ふぃるもあのようにろっくぶんかをそだてるそうぞうてきな)

ありました。その他、フィルモアのようにロック文化を育てる創造的な

(らいぶはうすもとうじょうし、そこではことなるじゃんるのみゅーじしゃんのきょうえんと)

ライブハウスも登場し、そこでは異なるジャンルのミュージシャンの共演と

(きょうごうがおこなわれることで、さらなるろっくのかくしんがすすめられていました。)

競合が行われることで、さらなるロックの革新が進められていました。

(このさいとには、こうした60ねんだいまつのおんがくむーぶめんとがいろいろととうじょうして)

このサイトには、こうした60年代末の音楽ムーブメントが色々と登場して

(います。ところがついこのあいだ、わたしはそれらとはまったくことなるもうひとつのいべんとが)

います。ところがついこの間、私はそれらとは全く異なるもう一つのイベントが

(あったことをしりました。それが1970ねんにおこなわれた「ふぇすてぃばる・)

あったことを知りました。それが1970年に行われた「フェスティバル・

(えくすぷれす」といういべんとです。なぜいまごろ、しったのかというと、)

エクスプレス」と言うイベントです。なぜ今頃、知ったのかというと、

(2005ねんそのいべんとのぜんぼうをおさめたdvdがはつばいになったからです。)

2005年そのイベントの全貌を収めたDVDが発売になったからです。

(さて、「ふぇすてぃばる・えくすぷれす」とは、いかなるいべんと)

さて、「フェスティバル・エクスプレス」とは、いかなるイベント

(だったのでしょうか?)

だったのでしょうか?

(ふぇすてぃばる・えくすぷれすとは?)

〈フェスティバル・エクスプレスとは?〉

(ふぇすてぃばる・えくすぷれすとは、1970ねん6がつ27にちにかなだの)

フェスティバル・エクスプレスとは、1970年6月27日にカナダの

(とろんとからうぇにぺぐ、かんがりーへとたいりくをおうだんしながららいぶつあーを)

トロントからウェニペグ、カンガリーへと大陸を横断しながらライブツアーを

など

(おこなうためにみゅーじしゃんたちをのせてはしったかなだてつどうのとくべつれっしゃの)

行うためにミュージシャンたちを乗せて走ったカナダ鉄道の特別列車の

(なまえです。さんかしたみゅーじしゃんは、ぐれいとふる・でっど、じゃにす・)

名前です。参加したミュージシャンは、グレイトフル・デッド、ジャニス・

(じょぷりん、ざ・ばんど、でらにー&ぼにー、ふらいんぐ・ぶりとー・)

ジョプリン、ザ・バンド、デラニー&ボニー、フライング・ブリトー・

(ぶらざーす、ぱでぃ・がい、しゃなななどです。このつあーのこんせぷとは、)

ブラザース、パディ・ガイ、シャナナなどです。このツアーのコンセプトは、

(ろっくいべんと=やがいかいじょうにかんきゃくをあつめておこなうきょだいいべんととは、まったくぎゃくの)

ロックイベント=野外会場に観客を集めて行う巨大イベントとは、全く逆の

(はっそうによるものです。それは「つあーをくんでばんどがかんきゃくのすむまちにいく」)

発想によるものです。それは「ツアーを組んでバンドが観客の住む街に行く」

(というものでした。といっても、ただそれだけならばすをつらねておこなうたにんずうでの)

というものでした。と言っても、ただそれだけならバスを連ねて行う多人数での

(らいぶつあーとそうかわりません。じつは、このつあーがほんとうにすばらしいのは、)

ライブツアーとそう変わりません。実は、このツアーが本当に素晴らしいのは、

(れっしゃをおりておこなわれたこんさーとだけではなく、れっしゃのなかでひるもよるも、どこかの)

列車を降りて行われたコンサートだけではなく、列車の中で昼も夜も、どこかの

(しゃりょうでおこなわれていたじゃむせっしょんのぶぶんなのです。(もちろん、この)

車両で行われていたジャムセッションの部分なのです。(もちろん、この

(dvdにはこうしたじゃむせっしょんのしーんがたっぷりおさめられています))

DVDにはこうしたジャムセッションのシーンがたっぷり収められています)

(たとえば、りっく・だんこ、じぇりー・がるしあ、ぼぶ・うぃあーをばっくに)

例えば、リック・ダンコ、ジェリー・ガルシア、ボブ・ウィアーをバックに

(じゃにすがじつにきもちよさそうにうたう「ain’tnomorecome)

ジャニスが実に気持ち良さそうに歌う「Ain't No More Come

(いまや、ぶるーすかいのおおごしょばでぃ・がいとじぇりー・がるしあがこんびを)

今や、ブルース界の大御所バディ・ガイとジェリー・ガルシアがコンビを

(くんだ「ican’tdoitbaby」。)

組んだ「I Can't Do It Baby」。

(ゆめのじゃむせっしょん)

〈夢のジャムセッション〉

(どんなにおおくのあーてぃすとがさんかするいべんとでも、しゅつえんしゃたちはへりで)

どんなに多くのアーティストが参加するイベントでも、出演者たちはヘリで

(かいじょういりするとじぶんのたんとうすてーじをこなし、すぐにまたかいじょうをさるというのが)

会場入りすると自分の担当ステージをこなし、すぐにまた会場を去るというのが

(ふつうでした。そのため、あーてぃすとどうしがこうりゅうできるきかいはほとんどなく、)

普通でした。そのため、アーティスト同士が交流できる機会はほとんどなく、

(ましてやじゃむせっしょんがおこなわれることはめったにありませんでした。)

ましてやジャムセッションが行われることは滅多にありませんでした。

(それがこのれっしゃのなかでは24じかん、どこでもかのうのなっていて、そのため)

それがこの列車の中では24時間、どこでも可能のなっていて、そのため

(しょくどうしゃも24じかんつねにたべもの、のみものをよういしていたそうです。(さらには)

食堂車も24時間常に食べ物、飲み物を用意していたそうです。(さらには

(どらっぐもよういされていて、かなりきけんだったともいえますが・・・))

ドラッグも用意されていて、かなり危険だったとも言えますが・・・)

(こうしておこなわれたつあーのなかでそれぞれのあーてぃすとたちがどれだけおおくの)

こうして行われたツアーの中でそれぞれのアーティストたちがどれだけ多くの

(いんすぴれーしょんをえたのか、これもまたろっくのおおきなはってんのいちよういんで)

インスピレーションを得たのか、これもまたロックの大きな発展の一要因で

(あったのでしょう。)

あったのでしょう。

(りらっくすしたらいぶ)

〈リラックスしたライブ〉

(もちろんかくらいぶかいじょうでのぱふぉーまんすも、そんなきもちのよいじょうたいで)

もちろん各ライブ会場でのパフォーマンスも、そんな気持ちの良い状態で

(のぞんだこともあり、どれもすばらしいできです。ぐれいとふる・でっどは)

望んだこともあり、どれも素晴らしい出来です。グレイトフル・デッドは

(「caseyjones」「newspeedwayboogie」を)

「Casey Jones」「New Speedway Boogie」を

(えんそう。かれらのとうめいかんのあるえんそうはかなだのすんだくうきかんにぴったり。)

演奏。彼らの透明感のある演奏はカナダの澄んだ空気感にぴったり。

(じぇりー・がるしあのすんだぎたーのねいろがじつにきもちよくひびき、じだいをこえる)

ジェリー・ガルシアの澄んだギターの音色が実に気持ちよく響き、時代を越える

(なちゅらるはいなさうんどです。ざ・ばんどは「slippin’&)

ナチュラルハイなサウンドです。ザ・バンドは「Slippin'&

(slidin’」「theweight」「ishallbe)

Slidin'」「The Weight」「I Shall Be

(released」かれらはまだ20だいのわかさだったにもかかわらず、みためもおとも)

Released」彼らはまだ20代の若さだったにも関わらず、見た目も音も

(じつにろうせいしています。したづみがながくきびしいらいぶつあーをけいけんしていたかれらに)

実に老成しています。下積みが長く厳しいライブツアーを経験していた彼らに

(とってこのつあーはてんごくへのたびにおもえたかもしれません。じゃにすは)

とってこのツアーは天国への旅に思えたかも知れません。ジャニスは

(「crybaby」「tellmama」「me&bobbymcgee)

「Cry Baby」「Tell Mama」「Me&bobby Mcgee

(このらいぶでじつにしあわせそうにうたっていたかのじょは、このつあーのすうかげつごの)

このライブで実に幸せそうに歌っていた彼女は、このツアーの数ヶ月後の

(10がつ4にち、どらっぐのかじょうせっしゅによってこのよをさっています。かのじょにとって)

10月4日、ドラッグの過剰摂取によってこの世を去っています。彼女にとって

(このつあーはしばしあんそくのひびだったのでしょう。それにしてもしがもくぜんに)

このツアーはしばし安息の日々だったのでしょう。それにしても死が目前に

(せまっているとはおもえないちからづよいうたいっぷりです。ばでぃ・がいは)

迫っているとは思えない力強い歌いっぷりです。バディ・ガイは

(「ican’tdoitbaby」「money」ぶるーすかいからの)

「I Can't Do It Baby」「Money」ブルース界からの

(げすとだったかれは、さいきんのふとったすがたとはとおいじつにほそくてかっこいい)

ゲストだった彼は、最近の肥った姿とは遠い実に細くて格好いい

(くーるがいです。ふらいんぐ・ぶりとー・ぶらざーすは)

クールガイです。フライング・ブリトー・ブラザースは

(「lazyday」かんとりーろっくをうみだしたぐらむぱーそんずが)

「Lazy Day」カントリーロックを生み出したグラムパーソンズが

(ざ・ばーずをだったいしてつくったまぼろしのばんどのうごくえいぞうはきちょうです。)

ザ・バーズを脱退して作った幻のバンドの動く映像は貴重です。

(しゃななは「rock&rollisheretostay」)

シャナナは「Rock&Roll is here to stay」

(このつあーゆいいつのろっくんろーるばんどのあかるさもわすれられません。)

このツアー唯一のロックンロールバンドの明るさも忘れられません。

(にゅー・らいだーす・おぶ・ざ・ぱーぷる・せいじの)

ニュー・ライダース・オブ・ザ・パープル・セイジの

(「bettertakejesushand」ぐれいとふる・でっどの)

「Better take Jesus hand」グレイトフル・デッドの

(べつのばんどでもあるかれらのきちょうなえんそうもきくことができます。)

別のバンドでもある彼らの貴重な演奏も聴くことができます。

(あつくこうふくなひびのおわり)

〈熱く幸福な日々の終わり〉

(かくちのらいぶかいじょうでかんきゃくたちがしゅさいしゃに「しほんかのぶた!じゅうぶんもうけただろうから)

各地のライブ会場で観客たちが主催者に「資本家のブタ!十分儲けただろうから

(ただでみせろ!」とせまり、ぼうどうまでおこしてしまうようすは、「すばらしき)

タダで見せろ!」と迫り、暴動まで起こしてしまう様子は、「素晴らしき

(うっどすとっくじだいのおわり」をかんじさせます。1970ねんというとしは、)

ウッドストック時代の終わり」を感じさせます。1970年という年は、

(すでにじだいのかくをまがり「わかくはってんとじょうのろっくじだい」は「せいじゅくしたおとなの)

すでに時代の角を曲がり「若く発展途上のロック時代」は「成熟した大人の

(ろっくじだい」へとかわりはじめていたときでした。そんなじだいのかわりめに)

ロック時代」へと変わり始めていた時でした。そんな時代の変わり目に

(あめりかたいりくをはしりぬけたふぇすてぃばるえくすぷれす。それは、このあと)

アメリカ大陸を走り抜けたフェスティバルエクスプレス。それは、この後

(じだいのかわりめにくるしむことになるあーてぃすとたちに、しばしてんごくのような)

時代の変わり目に苦しむことになるアーティストたちに、しばし天国のような

(ひびをあたえたさいしょでさいごのそうぞうてきならいぶつあーだったのかもしれません。)

日々を与えた最初で最期の創造的なライブツアーだったのかも知れません。

(このつあーがおこなわれて30ねんいじょうがすぎたにもかかわらず、このえいぞうはみるひとを)

このツアーが行われて30年以上が過ぎたにも関わらず、この映像は見る人を

(かんどうさせます。それはこのつあーにさんかしたあーてぃすとたちがかんじる)

感動させます。それはこのツアーに参加したアーティストたちが感じる

(「えんそうするよろこび」「そうぞうするよろこび」「みんなでつくりあげるよろこび」)

「演奏する喜び」「想像する喜び」「みんなで作り上げる喜び」

(「ひととであうよろこび」にだれもがきょうかんできるからでしょう。あなたもぜひ、)

「人と出会う喜び」に誰もが共感できるからでしょう。あなたも是非、

(1960ねんだいのろっくがはっしつづけていたすばらしいえねるぎーをかんじてください。)

1960年代のロックが発し続けていた素晴らしいエネルギーを感じて下さい。

(きっとそれはあなたじしんにもえねるぎーをあたえてくれるでしょう。そしたら、)

きっとそれはあなた自身にもエネルギーを与えてくれるでしょう。そしたら、

(そのえねるぎーをいまにいかしていただければとおもいます。)

そのエネルギーを今に生かしていただければと思います。

(ついき)

〈追記〉

(このさくひんがふるくおもえないのは、がぞうのうつくしさ、おんがくのよさ、それに)

この作品が古く思えないのは、画像の美しさ、音楽の良さ、それに

(ふぁっしょんのおもしろさにもありそうです。このごろのふぁっしょんはいままさに)

ファッションの面白さにもありそうです。この頃のファッションは今まさに

(ふっこくりゅうこうしているえすにっくでからふるなすたいる、そのものです。その)

復刻流行しているエスニックでカラフルなスタイル、そのものです。その

(あたりもみていてたのしいです。たぶんぎょうかいてきには2005ねんがそのぴーくだった)

あたりも見ていて楽しいです。多分業界的には2005年がそのピークだった

(かもしれません。)

かも知れません。

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