森鴎外 山椒大夫2
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問題文
(どうぞえんりょせずにきてくだされい」おとこはしいてさそうでもなく、)
どうぞ遠慮せずに来て下されい」男は強いて誘うでもなく、
(ひとりごとのようにいったのである。こどものはははつくづくきいていたが)
独語《ひとりごと》のように言ったのである。子供の母はつくづく聞いていたが
(せけんのおきてにそむいてまでもひとをすくおうというありがたいこころざしにかんぜずには)
世間の掟にそむいてまでも人を救おうというありがたい志に感ぜずには
(いられなかった。そこでこういった。「うけたまわればしゅしょうなおこころがけとぞんじます。)
いられなかった。そこでこう言った。「承われば殊勝なお心がけと存じます。
(かすなというおきてのあるやどをかりて、ひょっとやどぬしになんぎを)
貸すなという掟のある宿を借りて、ひょっと宿主《やどぬし》に難儀を
(かけようかと、それがきがかりでございますが、わたくしはともかくも、)
かけようかと、それが気がかりでございますが、わたくしはともかくも、
(こどもらにぬくいおかゆでもたべさせて、やねのしたにやすませることが)
子供らに温《ぬく》いお粥でも食べさせて、屋根の下に休ませることが
(できましたら、そのごおんはのちのよまでもわすれますまい」やまおかだゆうは)
出来ましたら、そのご恩はのちの世までも忘れますまい」山岡大夫は
(うなずいた。「さてさてようもののわかるごふじんじゃ。そんならすぐにあんないして)
うなずいた。「さてさてよう物のわかるご婦人じゃ。そんならすぐに案内して
(しんぜましょう」こういってたちそうにした。ははおやはきのどくそうにいった。)
進ぜましょう」こう言って立ちそうにした。母親は気の毒そうに言った。
(「どうぞすこしおまちくださいませ。わたくしどもさんにんがおせわになるさえ)
「どうぞ少しお待ち下さいませ。わたくしども三人がお世話になるさえ
(こころぐるしゅうございますのに、こんなことをもうすのはいかがとぞんじますが、)
心苦しゅうございますのに、こんなことを申すのはいかがと存じますが、
(じつはいまひとりつれがございます」やまおかだゆうはみみをそばだてた。「つれがおあり)
実は今一人連れがございます」山岡大夫は耳をそばだてた。「連れがおあり
(なさる。それはおとこかおなごか」「こどもたちのせわをさせにつれてでた)
なさる。それは男か女子《おなご》か」「子供たちの世話をさせに連れて出た
(じょちゅうでございます。ゆをもらうともうして、かいどうをさんよんちょうあとへひきかえして)
女中でございます。湯をもらうと申して、街道を三四町あとへ引き返して
(まいりました。もうほどなくかえってまいりましょう」「おじょちゅうかな。そんなら)
まいりました。もうほどなく帰ってまいりましょう」「お女中かな。そんなら
(まってしんぜましょう」やまおかだゆうのおちついた、そこのしれぬようなかおに、なぜか)
待って進ぜましょう」山岡大夫の落ち着いた、底の知れぬような顔に、なぜか
(よろこびのかげがみえた。)
喜びの影が見えた。
(ここはながえのうらである。ひはまだよねやまのうしろにかくれて)
ここは長江の浦である。日はまだ米山《よねやま》の背後《うしろ》に隠れて
(いて、こんじょうのようなうみのうえにはうすいもやがかかっている。)
いて、紺青《こんじょう》のような海の上には薄い靄《もや》がかかっている。
(ひとむれのきゃくをふねにのせてともづなをといているせんどうがある。せんどうは)
一群れの客を船に載せて纜《ともづな》を解いている船頭がある。船頭は
(やまおかだゆうで、きゃくはゆうべだゆうのいえにとまったしゅじゅうよにんのたびびとである。)
山岡大夫で、客はゆうべ大夫の家に泊った主従四人の旅人である。
(おうげのはしのしたでやまおかだゆうにであったははおやとこどもふたりとは、)
応化橋《おうげのはし》の下で山岡大夫に出逢った母親と子供二人とは、
(じょちゅううばたけがかけそんじたへいしにゆをもらってかえるのをまちうけて、)
女中姥竹が欠け損じた瓶子《へいし》に湯をもらって帰るのを待ち受けて、
(だゆうにつれられてやどをかりにいった。うばたけはふあんらしいかおをしながらついて)
大夫に連れられて宿を借りに往った。姥竹は不安らしい顔をしながらついて
(いった。だゆうはかいどうをみなみへはいったまつばやしのなかのくさのやによにんをとめて、)
行った。大夫は街道を南へはいった松林の中の草の家《や》に四人を留めて、
(いもがゆをすすめた。そしてどこからどこへいくたびかととうた。くたびれたこどもらを)
芋粥をすすめた。そしてどこからどこへ往く旅かと問うた。くたびれた子供らを
(さきへねかせて、はははやどのあるじにみのうえのおおよそを、かすかな)
さきへ寝かせて、母は宿の主人《あるじ》に身の上のおおよそを、かすかな
(ともしびのもとではなした。じぶんはいわしろのものである。おっとがつくしへいって)
燈火《ともしび》のもとで話した。自分は岩代のものである。夫が筑紫へ往って
(かえらぬので、ふたりのこどもをつれてたずねにいく。うばたけはあねむすめのうまれたときから)
帰らぬので、二人の子供を連れて尋ねに往く。姥竹は姉娘の生まれたときから
(もりをしてくれたじょちゅうで、みよりのないものゆえ、とおい、おぼつかないたびの)
守りをしてくれた女中で、身寄りのないものゆえ、遠い、覚束ない旅の
(ともをすることになったとはなしたのである。さてここまではきたが、)
伴《とも》をすることになったと話したのである。さてここまでは来たが、
(つくしのはてへいくことをおもえば、まだいえをでたばかりといってよい。これから)
筑紫の果てへ往くことを思えば、まだ家を出たばかりと言ってよい。これから
(おかをいったものであろうか。またはふなじをいったものであろうか。)
陸《おか》を行ったものであろうか。または船路を行ったものであろうか。
(あるじはふなのりであってみれば、さだめてえんごくのことをしって)
主人《あるじ》は船乗りであってみれば、定めて遠国のことを知って
(いるだろう。どうぞおしえてもらいたいと、こどもらのははがたのんだ。だゆうは)
いるだろう。どうぞ教えてもらいたいと、子供らの母が頼んだ。大夫は
(しれきったことをとわれたように、すこしもためらわずにふなじをいくことを)
知れきったことを問われたように、少しもためらわずに船路を行くことを
(すすめた。おかをいけば、じきとなりのえっちゅうのくににはいるさかいにさえ、)
勧めた。陸を行けば、じき隣の越中の国に入る界《さかい》にさえ、
(おやしらずこしらずのなんしょがある。けずりたてたようないわおいしのすそにはあらなみが)
親不知子不知の難所がある。削り立てたような巌石の裾《すそ》には荒浪が
(うちよせる。たびびとはよこあなにはいって、なみのひくのをまっていて、せまいいわおいしの)
打ち寄せる。旅人は横穴にはいって、波の引くのを待っていて、狭い巌石の
(したのみちをはしりぬける。そのときはおやはこをかえりみることができず、こもおやを)
下の道を走り抜ける。そのときは親は子を顧みることが出来ず、子も親を
(かえりみることができない。それはうみべのなんしょである。またやまをこえると、ふまえた)
顧みることが出来ない。それは海辺の難所である。また山を越えると、踏まえた
(いしがひとつゆらげば、ちひろのたにぞこにおちるような、あぶないそわみちも)
石が一つ揺げば、千尋の谷底に落ちるような、あぶない岨道《そわみち》も
(ある。さいごくへいくまでには、どれほどのなんしょがあるかしれない。それとはちがって)
ある。西国へ往くまでには、どれほどの難所があるか知れない。それとは違って
(ふなじはあんぜんなものである。たしかなせんどうにさえたのめば、いながらにしてひゃくりでも)
船路は安全なものである。たしかな船頭にさえ頼めば、いながらにして百里でも
(せんりでもいかれる。じぶんはさいごくまでいくことはできぬが、しょこくのせんどうをしって)
千里でも行かれる。自分は西国まで往くことは出来ぬが、諸国の船頭を知って
(いるから、ふねにのせてでて、さいごくへいくふねにのりかえさせることができる。)
いるから、船に載せて出て、西国へ往く舟に乗り換えさせることが出来る。
(あすのあさはさっそくふねにのせてでようと、だゆうはこともなげにいった。よるがあけ)
あすの朝は早速船に載せて出ようと、大夫は事もなげに言った。夜が明け
(かかると、だゆうはしゅじゅうよにんをせきたてていえをでた。そのときこどもらのはははちいさい)
かかると、大夫は主従四人をせき立てて家を出た。そのとき子供らの母は小さい
(ふくろからかねをだして、やどちんをはらおうとした。だゆうはとめて、やどちんは)
嚢《ふくろ》から金を出して、宿賃を払おうとした。大夫は留めて、宿賃は
(もらわぬ、しかしかねのいれてあるたいせつなふくろはあずかっておこうといった。なんでも)
もらわぬ、しかし金の入れてある大切な嚢は預かっておこうと言った。なんでも
(たいせつなしなは、やどにつけばやどのあるじに、ふねにのればふねのあるじにあずけるものだと)
大切な品は、宿に着けば宿の主人に、舟に乗れば舟の主に預けるものだと
(いうのである。こどもらのはははさいしょにやどをかりることをゆるしてから、あるじのだゆうの)
いうのである。子供らの母は最初に宿を借ることを許してから、主人の大夫の
(いうことをきかなくてはならぬようないきおいになった。おきてをやぶってまでやどをかして)
言うことを聴かなくてはならぬような勢いになった。掟を破ってまで宿を貸して
(くれたのを、ありがたくはおもっても、なにごとによらずいうがままになるほど、)
くれたのを、ありがたくは思っても、何事によらず言うがままになるほど、
(だゆうをしんじてはいない。こういういきおいになったのは、だゆうのことばにひとをおしつける)
大夫を信じてはいない。こういう勢いになったのは、大夫の詞に人を押しつける
(つよみがあって、ははおやはそれにあらがうことができぬからである。)
強みがあって、母親はそれに抗《あらが》うことが出来ぬからである。
(そのあらがうことのできぬのは、どこかおそろしいところがあるからである。しかし)
その抗うことの出来ぬのは、どこか恐ろしいところがあるからである。しかし
(ははおやはじぶんがだゆうをおそれているとはおもっていない。じぶんのこころがはっきりわかって)
母親は自分が大夫を恐れているとは思っていない。自分の心がはっきりわかって
(いない。ははおやはよぎないことをするようなこころもちでふねにのった。こどもらは)
いない。母親は余儀ないことをするような心持ちで舟に乗った。子供らは
(ないだうみの、あおいかもをしいたようなおもてをみて、)
凪《な》いだ海の、青い氈《かも》を敷いたような面《おもて》を見て、
(ものめずらしさにむねをおどらせてのった。ただうばたけがかおには、きのうはしのしたをたち)
物珍しさに胸をおどらせて乗った。ただ姥竹が顔には、きのう橋の下を立ち
(さったときから、いまふねにのるときまで、ふあんのいろがきえうせなかった。)
去ったときから、今舟に乗るときまで、不安の色が消え失せなかった。
(さおできしをひとおしおすと、ふねはゆらめきつつうかびでた。)
さおで岸を一押し押すと、舟は揺めきつつ浮び出た。
(やまおかだゆうはしばらくきしにそうてみなみへ、えっちゅうざかいのほうがくへこいでいく。もやはみるみる)
山岡大夫はしばらく岸に沿うて南へ、越中境の方角へ漕いで行く。靄は見る見る
(きえて、なみがひにかがやく。じんかのないいわかげに、なみがすなをあらって、)
消えて、波が日にかがやく。人家のない岩蔭に、波が砂を洗って、
(みるやあらめをうちあげているところがあった。そこにふねが)
海松《みる》や荒布《あらめ》を打ち上げているところがあった。そこに舟が
(にそうとまっている。せんどうがだゆうをみてよびかけた。「どうじゃ。)
二艘《そう》止まっている。船頭が大夫を見て呼びかけた。「どうじゃ。
(あるか」だゆうはみぎのてをあげて、おやゆびをおってみせた。そして)
あるか」大夫は右の手を挙げて、大拇《おやゆび》を折って見せた。そして
(じぶんもそこへふねをもやった。おやゆびだけおったのは、よにんあるという)
自分もそこへ舟を舫《もや》った。大拇だけ折ったのは、四人あるという
(あいずである。まえからいたせんどうのひとりはみやざきのさぶろうといって、えっちゅうみやざきのもので)
相図である。前からいた船頭の一人は宮崎の三郎といって、越中宮崎のもので
(ある。ひだりのてのこぶしをひらいてみせた。みぎのてがしろものの)
ある。左の手の拳《こぶし》を開いて見せた。右の手が貨《しろもの》の
(あいずになるように、ひだりのてはぜにのあいずになる。これはごかんもんにつけたのである。)
相図になるように、左の手は銭の相図になる。これは五貫文につけたのである。
(「きばるぞ」といまひとりのせんどうがいって、ひだりのひじをつとのべて、いちど)
「気張るぞ」と今一人の船頭が言って、左の臂《ひじ》をつと伸べて、一度
(こぶしをひらいてみせ、ついでひとさしゆびをたててみせた。このおとこは)
拳を開いて見せ、ついで示指《ひとさしゆび》を竪《た》てて見せた。この男は
(さどのじろうでろっかんもんにつけたのである。「おうちゃくものめ」と)
佐渡の二郎で六貫文につけたのである。「横着者奴《おうちゃくものめ》」と
(みやざきがさけんでたちかかれば、「だしぬこうとしたのはおぬしじゃ」とさどが)
宮崎が叫んで立ちかかれば、「出し抜こうとしたのはおぬしじゃ」と佐渡が
(みがまえをする。にそうのふねがかしいで、ふなばたがみずをむちうった。)
身構えをする。二艘の舟がかしいで、舷《ふなばた》が水を笞《むちう》った。
(だゆうはふたりのせんどうのかおをひややかにみくらべた。「あわてるな。どっちもからてでは)
大夫は二人の船頭の顔を冷ややかに見較べた。「あわてるな。どっちも空手では
(かえさぬ。おきゃくさまがごきゅうくつでないように、おふたりずつわけてしんぜる。ちんせんは)
還さぬ。お客さまがご窮屈でないように、お二人ずつ分けて進ぜる。賃銭は
(あとでつけたねだんのわりじゃ」こういっておいて、だゆうはきゃくをかえりみた。「さあ、)
あとでつけた値段の割じゃ」こう言っておいて、大夫は客を顧みた。「さあ、
(おふたりずつあのふねへおのりなされ。どれもさいごくへのつかいせんじゃ。ふなあしというものは)
お二人ずつあの舟へお乗りなされ。どれも西国への使船じゃ。舟足というものは
(おもすぎてははしりがわるい」ふたりのこどもはみやざきがふねへ、ははおやとうばたけとはさどがふねへ、)
重過ぎては走りが悪い」二人の子供は宮崎が舟へ、母親と姥竹とは佐渡が舟へ、
(だゆうがてをとってのりうつらせた。うつらせてひくだゆうがてに、みやざきもさども)
大夫が手をとって乗り移らせた。移らせて引く大夫が手に、宮崎も佐渡も
(いくさしかのぜにをにぎらせたのである。「あの、あるじにおあずけなされた)
幾緡《いくさし》かの銭を握らせたのである。「あの、主人にお預けなされた
(ふくろは」と、うばたけがぬしのそでをひくとき、やまおかだゆうはうつおぶねをつとおしだした。)
嚢は」と、姥竹が主の袖を引くとき、山岡大夫は空舟をつと押し出した。
(「わしはこれでおいとまする。たしかなてからたしかなてへわたすまでが)
「わしはこれでお暇《いとま》する。たしかな手からたしかな手へ渡すまでが
(わしのやくじゃ。ごきげんようおこしなされ」ろのおとがせわしくひびいて、)
わしの役じゃ。御機嫌ようお越しなされ」艣《ろ》の音が忙しく響いて、
(やまおかだゆうのふねはみるみるとおざかっていく。ははおやはさどにいった。「おなじみちを)
山岡大夫の舟は見る見る遠ざかって行く。母親は佐渡に言った。「同じ道を
(こいでいって、おなじみなとにつくのでございましょうね」さどとみやざきとはかおを)
漕いで行って、同じ港に着くのでございましょうね」佐渡と宮崎とは顔を
(みあわせて、こえをたててわらった。そしてさどがいった。「のるふねは)
見合わせて、声を立てて笑った。そして佐渡が言った。「乗る舟は
(ぐぜいのふね、つくはおなじかのきしと、れんげぶじのおしょうが)
弘誓《ぐぜい》の舟、着くは同じ彼岸《かのきし》と、蓮華無事の和尚が
(いうたげな」ふたりのせんどうはそれきりだまってふねをだした。さどのじろうはきたへこぐ。)
言うたげな」二人の船頭はそれきり黙って舟を出した。佐渡の二郎は北へ漕ぐ。
(みやざきのさぶろうはみなみへこぐ。「あれあれ」とよびかわすおやこしゅじゅうは、ただとおざかり)
宮崎の三郎は南へ漕ぐ。「あれあれ」と呼びかわす親子主従は、ただ遠ざかり
(いくばかりである。ははおやはものくるおしげにふなばたにてをかけてのび)
行くばかりである。母親は物狂おしげに舷《ふなばた》に手をかけて伸び
(あがった。「もうしかたがない。これがわかれだよ。あんじゅはまもりほんぞんの)
上がった。「もうしかたがない。これが別れだよ。安寿《あんじゅ》は守本尊の
(じぞうさまをたいせつにおし。ずしおうはおとうさまのくださったゆずりかたなを)
地蔵様を大切におし。厨子王《ずしおう》はお父うさまの下さった譲り刀を
(たいせつにおし。どうぞふたりがはなれぬように」あんじゅはあねむすめ、ずしおうはおとうとのなである。)
大切におし。どうぞ二人が離れぬように」安寿は姉娘、厨子王は弟の名である。
(こどもはただ「おかあさま、おかあさま」とよぶばかりである。)
子供はただ「お母あさま、お母あさま」と呼ぶばかりである。