検定試験12-1
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問題文
(わがくにでりようされているれっしゃやじどうしゃ、ふねなどののりものは、)
わが国で利用されている列車や自動車、船などの乗り物は、
(そのほとんどがこくさんのものである。)
そのほとんどが国産のものである。
(これにたいして、げんざいうんこうされているりょかっきは、すべてかいがいからゆにゅうしたものだ。)
これに対して、現在運航されている旅客機は、すべて海外から輸入したものだ。
(それは、こくさんのひこうきが2006ねん9がつに、)
それは、国産の飛行機が2006年9月に、
(こくないのぜんろせんからいんたいしたためである。)
国内の全路線から引退したためである。
(こくさんのりょかっきがはじめてにっぽんのそらをとんだのは、1962ねん8がつのことであった。)
国産の旅客機が初めて日本の空を飛んだのは、1962年8月のことであった。
(それから3ねんごに、さまざまなこんなんをのりこえて、)
それから3年後に、さまざまな困難を乗り越えて、
(ようやくこくないのろせんでえいぎょうをはじめることができた。)
ようやく国内の路線で営業を始めることができた。
(これまでおなじかたのりょかっきは、ぜんぶで182きつくられた。)
これまで同じ型の旅客機は、全部で182機造られた。
(そのご、30ねんいじょうというながいきかんにわたり、)
その後、30年以上という長い期間に渡り、
(つかわれつづけてきたこうくうきはほかにれいをみない。)
使われ続けてきた航空機は他に例を見ない。
(はじめてのこくさんきであったため、きたいはじょうぶにつくられた。)
初めての国産機であったため、機体は丈夫に造られた。
(それが、ちょうじゅなりょかっきになったいちいんである。)
それが、長寿な旅客機になった一因である。
(すでに、こくないのろせんからいんたいしたが、)
すでに、国内の路線から引退したが、
(そのつくりがじょうぶなため、かいがいにゆしゅつされたきたいには、)
その造りが丈夫なため、海外に輸出された機体には、
(げんえきでとびつづけているものもすくなくない。)
現役で飛び続けているものも少なくない。
(たいやふぃりぴんなどでは、おおくのきたいがいまもかつやくしている。)
タイやフィリピンなどでは、多くの機体が今も活躍している。
(わがくには、1945ねんにだいにじせかいたいせんではいせんすると、)
わが国は、1945年に第二次世界大戦で敗戦すると、
(れんごうこくぐんのそうしれいぶ(ghq)によりひこうきのうんこうやせいぞうなど、)
連合国軍の総司令部(GHQ)により飛行機の運航や製造など、
(すべてについてきんしされた。)
すべてについて禁止された。
(そのご1956ねんになると、このせいやくからかいほうされ、)
その後1956年になると、この制約から解放され、
(ちゅうがたのゆそうきをせいぞうするけいかくをうちだした。)
中型の輸送機を製造する計画を打ち出した。
(よくねんには、きほんてきなこうそうをまとめるため、ゆそうきをせっけいするきょうかいがせつりつされた。)
翌年には、基本的な構想をまとめるため、輸送機を設計する協会が設立された。
(とうじ、こっかぷろじぇくととしてゆうせんじゅんいのたかいものには、)
当時、国家プロジェクトとして優先順位の高いものには、
(しんかんせんやこうそくどうろがあった。)
新幹線や高速道路があった。
(それらには、たがくのよさんがとうじられていた。)
それらには、多額の予算が投じられていた。
(いっぽう、ゆそうきのせいぞうにとうにゅうされたよさんはしょうがくであった。)
一方、輸送機の製造に投入された予算は少額であった。
(そのじょうけんがでもたんとうしゃのきょうりょくにより、りょかくきがかんせいした。)
その条件がでも担当者の協力により、旅客機が完成した。
(これが、ys-11とよばれるきしゅである。)
これが、YS-11と呼ばれる機種である。
(yとsは、きょうかいのめいしょうであるゆそうきせっけいのいにしゃるをしようした。)
YとSは、協会の名称である輸送機・設計のイニシャルを使用した。
(またさいしょのすうじ1は、とうさいされるえんじんのだいいちあんで、)
また最初の数字1は、搭載されるエンジンの第一案で、
(つぎの1もきたいせっけいのだいいちあんにゆらいする。)
次の1も機体設計の第一案に由来する。
(ys-11のとくちょうは、ていいんが64にんのぷろぺらきで、)
YS-11の特徴は、定員が64人のプロペラ機で、
(ちゅうがたのおおきさをほじしながら、)
中型の大きさを保持しながら、
(1200mきゅうのみじかいかっそうろにりちゃくりくがかのうなてんである。)
1200m級の短い滑走路に離着陸が可能な点である。
(これは、おおがたぷろぺらがじめんちかくまでのび、)
これは、大型プロペラが地面近くまで伸び、
(おおきくせりだすふらっぷをりようすることにより、たんきょりでのりちゃくりくをじつげんした。)
大きくせり出すフラップを利用することにより、短距離での離着陸を実現した。
(へいちがすくなくりとうがおおいために、)
平地が少なく離島が多いために、
(ながいかっそうろをけんせつするのがこんなんなにほんのとちがらをかんがえたせいのうである。)
長い滑走路を建設するのが困難な日本の土地がらを考えた性能である。
(これがさいだいのせーるすぽいんとで、かいがいのこうくうがいしゃへもゆしゅつされた。)
これが最大のセールスポイントで、海外の航空会社へも輸出された。