パノラマ奇島談_§2

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

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問題文

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(かれはじぶんではてつがくかしゅっしんとしょうしているのですが、といっててつがくのこうぎをきいたわ)

彼は自分では哲学科出身と称しているのですが、と言って哲学の講義を聞いたわ

(けではなく、あるときはぶんがくにこってむちゅうになり、そのほうのしょもつをあさっているか)

けではなく、ある時は文学に凝って夢中になり、その方の書物をあさっているか

(とおもうと、あるときはとんでもないほうこうちがいのけんちくかのきょうしつなどにでかけて)

と思うと、ある時はとんでもない方向違いの建築家の教室などに出かけて

(いって、ねっしんにちょうこうしてみたり、そうかとおもうと、しゃかいがく、けいざいがくなどにあたまを)

行って、熱心に聴講してみたり、そうかと思うと、社会学、経済学などに頭を

(つっこんでみたり、こんどはあぶらえのどうぐをかいこんで、えかきのまねごとを)

突っ込んでみたり、今度は油絵の道具を買い込んで、絵描きの真似事を

(してみたり、ばかにきがおおいくせにみょうにあきしょうで、これといってほんとうにしゅうとくした)

してみたり、ばかに気が多いくせに妙に飽き性で、これと言って本当に修得した

(かもくもなく、ぶじにがっこうをそつぎょうできたのがふしぎなくらいなのです。)

科目もなく、無事に学校を卒業できたのが不思議なくらいなのです。

(で、もしかれがなにかまなんだところがあるとすれば、それはけっしてがくもんのせいどうでは)

で、もし彼が何か学んだところがあるとすれば、それは決して学問の正道では

(なくて、いわばじゃどうの、きみょうにいっぽうにへんしたものであったにちがいありません。)

なくて、いわば邪道の、奇妙に一報に偏したものであったに違いありません。

(それゆえにこそ、がっこうをでて10ねんいじょうたっても、まだしゅうしょくもできないで、)

それゆえにこそ、学校を出て十年以上たっても、まだ就職もできないで、

(まごまごしているわけなのです。)

まごまごしているわけなのです。

(もっとも、ひとみひろすけじしんが、なにかのしょくについてせけんなみのせいかつをいとなもう)

もっとも、人見広介自身が、何かの職について世間並みの生活をいとなもう

(なんてしんみょうなかんがえはもっていなかったのです。じつをいうと、かれはこのよをけいけん)

なんて神妙な考えは持っていなかったのです。実をいうと、彼はこの世を経験

(しないさきから、このよにあきはてていたのです。)

しない先から、この世に飽き果てていたのです。

(ひとつはせいらいのびょうじゃくからでもありましょう。それとも、せいねんきいらいのしんけいすいじゃくの)

一つは生来の病弱からでもありましょう。それとも、青年期以来の神経衰弱の

(せいであったかもしれません。なにをするきにもなれないのです。じんせいのことが)

せいであったかもしれません。何をする気にもなれないのです。人生のことが

(すべて、ただあたまのなかでそうぞうしただけでじゅうぶんなのです。なにもかも「たいしたことは)

すべて、ただ頭の中で想像しただけで十分なのです。何もかも「大したことは

(ない」のです。そこでかれはねんじゅうきたないげしゅくにねころんだまま、それで、どんな)

ない」のです。そこで彼は年中汚い下宿に寝ころんだまま、それで、どんな

(じっさいかもかつてけいけんしたことのない、かれじしんのゆめをみつづけてきました。つまり)

実際家もかつて経験したことのない、彼自身の夢を見続けてきました。つまり

(ひとくちにいえば、かれはきょくたんなむそうかにほかならぬのでありました。)

一口に言えば、彼は極端な夢想家にほかならぬのでありました。

など

(では、かれはそうして、あらゆるせじょうのことをほうてきして、いったいなにをゆめみて)

では、彼はそうして、あらゆる世上のことを放擲して、いったい何を夢見て

(いたかといいますと、それは、かれじしんのりそうきょう、)

いたかといいますと、それは、彼自身の理想郷、

(むかゆうきょうのこまごましたせっけいについてでありました。かれはがっこうにいるじぶんから)

無可有郷のこまごました設計についてでありました。彼は学校にいる時分から

(ぷらとんいらいのすうじゅっしゅのりそうこくものがたり、むかゆうきょうものがたりを、)

プラトン以来の数十種の理想国物語、無可有郷物語を、

(よにもねっしんにたんどくしました。そして、それらのしょもつのちょしゃたちが、)

世にも熱心に耽読しました。そして、それらの書物の著者たちが、

(じつげんすべくもないかれらのむそうを、ぶんがくにたくしてよにとうことによって、)

実現すべくもない彼らの夢想を、文学に託して世に問うことによって、

(せめてものこころやりとしていた、そのきもちをそうぞうしては、いっしゅのきょうめいをかんじ、)

せめてもの心やりとしていた、その気持ちを想像しては、一種の共鳴を感じ、

(それをもって、かれじしんもわずかになぐさめられることができたのでした。)

それをもって、彼自身もわずかに慰められることができたのでした。

(それらのちょしゃのなかでも、せいじじょう、けいざいじょうなどのりそうきょうについては、かれはほとんど)

それらの著者の中でも、政治上、経済上などの理想郷については、彼はほとんど

(むかんしんでありました。かれのこころをとらえたのは、ちじょうのらくえんとしての、びのくに、)

無関心でありました。彼の心をとらえたのは、地上の楽園としての、美の国、

(ゆめのくにとしてのりそうきょうでありました。それゆえ、かべの)

夢の国としての理想郷でありました。それゆえ、カベの

(「いかりやものがたり」よりももりすの「むかゆうきょうだより」が、)

「イカリヤ物語」よりもモリスの「無可有郷だより」が、

(もりすよりはさらにえどがあ・ぽーの「あるんはいむのじしょ」のほうが、)

モリスよりはさらにエドガア・ポーの「アルンハイムの地所」の方が、

(いっそうかれをひきつけるのでした。)

一層彼を引き付けるのでした。

(かれのゆいいつのむそうは、おんがくかががっきによって、がかがかんばすとえのぐによって、)

彼の唯一の夢想は、音楽家が楽器によって、画家がカンバスと絵の具によって、

(しじんがもじによって、さまざまのげいじゅつをそうぞうするとおなじように、このだいしぜんの、)

詩人が文字によって、さまざまの芸術を創造すると同じように、この大自然の、

(さんせんそうもくをざいりょうとして、ひとつのいし、ひとつのき、ひとつのはな、あるいはまた、そこに)

山川草木を材料として、一つの石、一つの木、一つの花、或いは又、そこに

(とびかうところのとり、けもの、むしけらのるいにいたるまで、みんなせいめいをもっている、)

飛び交うところの鳥、獣、虫けらの類に至るまで、皆生命を持っている、

(1じかんごとに、1びょうごとに、せいいくしつつある、それらのいきものをざいりょうとして、)

一時間ごとに、一秒ごとに、生育しつつある、それらの生き物を材料として、

(とほうもなくおおきなひとつのげいじゅつをそうさくすることでありました。かみによって)

途方もなく大きな一つの芸術を創作することでありました。神によって

(つくられたこのだいしぜんを、それにはまんぞくしないで、かれじしんのこせいをもって、)

作られたこの大自然を、それには満足しないで、彼自身の個性をもって、

(じゆうじざいにへんかいし、びかし、そこにかれどくとくのげいじゅつてきだいりそうを)

自由自在に変改し、美化し、そこに彼独特の芸術的大理想を

(はつげんすることでありました。つまり、ことばをかえていえば、)

発現することでありました。つまり、言葉を変えていえば、

(かれじしんかみとなってこのしぜんをつくりかえることでありました。かれの)

彼自身神となってこの自然を作りかえることでありました。彼の

(かんがえによれば、げいじゅつというものは、みかたによってはしぜんにたいするにんげんのはんこう、)

考えによれば、芸術というものは、見方によっては自然に対する人間の反抗、

(あるがままにまんぞくせず、それににんげんかっこのこせいをふよしたいというよっきゅうのあらわれに)

あるがままに満足せず、それに人間各個の個性を付与したいという欲求の表れに

(ほかならぬのでありました。それゆえに、たとえばおんがくかは、あるがままのかぜのおと、)

他ならぬのでありました。それゆえに、例えば音楽家は、あるがままの風の音、

(なみのおと、ちょうじゅうのなきごえなどにあきたらずして、かれらじしんのおとをそうぞうしようと)

波の音、鳥獣の鳴き声などに飽き足らずして、彼ら自身の音を創造しようと

(どりょくし、がかのしごとはもでるをたんにあるがままにえがきだすのではなくて、それを)

努力し、画家の仕事はモデルを単にあるがままに描き出すのではなくて、それを

(かれじしんのこせいによってかいへんしびかすることにあり、しじんはいうまでもなく、)

彼自身の個性によって改変し美化することにあり、詩人は言うまでもなく、

(たんなるじじつのほうどうしゃ、きろくしゃではないのであります。しかし、)

単なる事実の報道者、記録者ではないのであります。しかし、

(これらのいわゆるげいじゅつかたちは、なぜなればがっきとかえのぐとかもじとかという)

これらのいわゆる芸術家たちは、なぜなれば楽器とか絵の具とか文字とかという

(かんせつてきなしちめんどうなしゅだんにより、それだけでまんぞくしているのでありましょう。)

間接的な七面倒な手段により、それだけで満足しているのでありましょう。

(どうしてかれらはこのだいしぜんそのものにちゃくがんしないのですか。そして、ちょくせつだいしぜん)

どうして彼らはこの大自然そのものに着眼しないのですか。そして、直接大自然

(そのものをがっきとし、えのぐとし、もじとしてくししないのでありましょう。)

そのものを楽器とし、絵の具とし、文字として駆使しないのでありましょう。

(それがまるでふかのうなことがらではないしょうこには、ぞうえんじゅつとけんちくじゅつとが、げんに)

それがまるで不可能な事柄ではない証拠には、造園術と建築術とが、現に

(あるていどまでしぜんそのものをくしし、かいへんし、びかしつつあるではありませんか。)

ある程まで自然そのものを駆使し、改変し、美化しつつあるではありませんか。

(それをもういっそうげいじゅつてきに、もういっそうおおがかりに、じっこうすることが)

それをもういっそう芸術的に、もういっそう大掛かりに、実行することが

(できないのでありましょうか。ひとみひろすけはかくうたがうのでありました。)

できないのでありましょうか。人見広介はかく疑うのでありました。

(したがってかれは、さきにあげたようなかずかずのゆーとぴあものがたりよりは、それらのかくうてきな)

従って彼は、先に挙げたような数々のユートピア物語よりは、それらの架空的な

(もじのゆうぎよりはもっとげんじつてきな、そのうちのあるものはあるていどまでかれとおなじ)

文字の遊戯よりはもっと現実的な、そのうちのあるものは或る程度まで彼と同じ

(りそうをじつげんしたかにみえる、こらいのていおうたちの(おもとしてぼうくんたちの)はなばなしい)

理想を実現したかに見える、古来の帝王たちの(主として暴君たちの)華々しい

(ぎょうせきにいくそうばいもひきつけられるのでありました。たとえばえじぷとのぴらみっど、)

業績に幾層倍も引き付けられるのでありました。例えばエジプトのピラミッド、

(すふぃんくす、ぎりしゃ・ろーまのじょうかくてきなあるいはしゅうきょうてきなだいとし、しなでは)

スフィンクス、ギリシャ・ローマの城郭的なあるいは宗教的な大都市、シナでは

(ばんりのちょうじょう、あぼうきゅう、にっぽんではあすかちょういらいのぶっきょうてきだいけんちくぶつ、)

万里の長城、阿房宮、日本では飛鳥朝以来の仏教的大建築物、

(きんかくじ、ぎんかくじ、たんにそれらのけんちくぶつではなくて、それをそうぞうしたえいゆうたちの)

金閣寺、銀閣寺、単にそれらの建築物ではなくて、それを創造した英雄たちの

(ゆーとぴやてきなしんじをそうぞうするとき、ひとみひろすけのむねはおどるのでありました。)

ユートピヤ的な心事を創造する時、人見広介の胸は躍るのでありました。

(「もしわれにきょまんのとみをあたえるならば」)

「もしわれに巨万の富を与えるならば」

(これはあるゆーとぴあさくしゃのしようしたちょしょのひょうだいでありますが、)

これは或るユートピア作者の使用した著書の表題でありますが、

(ひとみひろすけもまた、つねにおなじたんせいをもらすのでありました。)

人見広介もまた、常に同じ嘆声を洩らすのでありました。

(「もしおれがつかいきれぬほどのたいきんをてにいれることができたならばなあ。)

「もし俺が使い切れぬほどの大金を手に入れることができたならばなあ。

(まずこうだいなじしょをかいいれて、それはどこにすればいいだろう、)

先ず広大な地所を買い入れて、それはどこにすればいいだろう、

(すうひゃくすうせんにんのひとをえきしてひごろおれのかんがえているちじょうのらくえん、)

数百数千人の人を役して日ごろ俺の考えている地上の楽園、

(びのくにをつくりだしてみせるのだがなあ」)

美の国を作り出してみせるのだがなあ」

(それにはああして、こうしてと、くうそうしだすとさいげんがなく、いつもあたまのなかで、)

それにはああして、こうしてと、空想しだすと際限がなく、いつも頭の中で、

(かんぜんにかれのりそうきょうをこしらえてしまわないではきがすまぬのでした。)

完全に彼の理想郷をこしらえてしまわないでは気が済まぬのでした。

(しかしきがつけば、むちゅうでこしらえていたものは、ただはくちゅうのゆめ、くうちゅうのろうかくに)

しかし気が付けば、夢中でこしらえていたものは、ただ白昼の夢、空中の楼閣に

(すぎなくて、げんじつのかれは、みるもあわれな、そのひのぱんにもこまっている、)

過ぎなくて、現実の彼は、見るも哀れな、その日のパンにも困っている、

(いっかいのびんぼうしょせいでしかないのです。そして、かれのうでまえでは、たとえいっしょうを)

一介の貧乏書生でしかないのです。そして、彼の腕前では、たとえ一生を

(ぼうにふって、ちからかぎりねかぎり、はたらきとおしてみたところで、)

棒に振って、力かぎり根かぎり、働き通してみたところで、

(たったすうまんえんのかねさえちょちくすることはできそうもないのでありました。)

たった数万円の金さえ貯蓄することはできそうもないのでありました。

(しょせんかれは「ゆめみるおとこ」でありました。いっしょうがい、そうしてゆめのなかではうちょうてんのびに)

所詮彼は「夢見る男」でありました。一生涯、そうして夢の中では有頂天の美に

(よいながら、げんじつのせかいでは、なんというみじめなたいしょうでありましょう、きたない)

酔いながら、現実の世界では、なんというみじめな対照でありましょう、汚い

(げしゅくのよじょうはんにころがって、あじけないそのひそのひをおくっていかねば)

下宿の四畳半に転がって、味気ないその日その日を送って行かねば

(ならないのです。そうしたおとこは、おおくげいじゅつにはしって、そこにせめてものあんそくじょを)

ならないのです。そうした男は、多く芸術に走って、そこにせめてもの安息所を

(みいだすものですが、なんのいんがかかれにはたとえげいじゅつてきけいこうがあったとしても、)

見いだすものですが、何の因果か彼にはたとえ芸術的傾向があったとしても、

(もっともげんじつてきな、いまいうかれのむそうのほかには、おそらくどのげいじゅつも、)

最も現実的な、今いう彼の夢想のほかには、おそらくどの芸術も、

(かれのきょうみをひくちからはなく、またそのさいのうにめぐまれてもいなかったのでした。)

彼の興味を引く力はなく、またその才能に恵まれてもいなかったのでした。

(かれのゆめがもしじつげんできるものとしたならば、)

彼の夢がもし実現できるものとしたならば、

(それはじつによにひるいなきだいじぎょう、だいげいじゅつにちがいないのです。)

それは実に世に比類なき大事業、大芸術に違いないのです。

(それゆえに、ひとたびこのむそうきょうをさまよったかれにとっては、よのなかのいかなる)

それゆえに、ひとたびこの夢想郷をさまよった彼にとっては、世の中のいかなる

(じぎょうも、いかなるごらくも、さてはいかなるげいじゅつさえもが、まるでかちのない、)

事業も、いかなる娯楽も、さてはいかなる芸術さえもが、まるで価値のない、

(とるにたらぬものにみえたのは、まことにむりのないことでした。)

取るに足らぬものに見えたのは、まことに無理のないことでした。

(しかしそうしてすべてのことがらにきょうみをうしなったかれとても、くうためには、やっぱり)

しかしそうしてすべての事柄に興味を失った彼とても、食うためには、やっぱり

(たしょうのしごとをしないわけにはいきません。それには、かれはがっこうをでていらい、)

多少の仕事をしないわけにはいきません。それには、彼は学校を出て以来、

(やすほんやくのしたうけだとかどうわだとか、まれにはおとなのしょうせつだとかをえがいて、それを)

安翻訳の下請けだとか童話だとか、まれには大人の小説だとかを描いて、それを

(ほうぼうのざっししゃにもちこんでは、からくもそのひのたつきをたてているのでした。)

方々の雑誌社に持ち込んでは、辛くもその日のたつきを立てているのでした。

(さいしょのうちは、それでもげいじゅつというものにたしょうのきょうみもあり、ちょうどこらいの)

最初のうちは、それでも芸術というものに多少の興味もあり、ちょうど古来の

(ゆーとぴあさくしゃたちがしたように、おはなしのかたちでかれのむそうをはっぴょうすることに、)

ユートピア作者たちがしたように、お話の形で彼の夢想を発表することに、

(すくなからぬなぐさめをみだすことができましたので、いくらかねっしんにそうしたしごとを)

少なからぬ慰めを見出すことができましたので、いくらか熱心にそうした仕事を

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