白面の兵士 2
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問題文
(「わたしが1901ねん1がつににゅうたいしたとき、--ちょうどにねんまえになりますーー)
「私が1901年1月に入隊した時、 ―― ちょうど二年前になります ――
(ごどふりー・えむすわーすせいねんはすでにそのぶたいにいました。)
ゴドフリー・エムスワース青年はすでにその部隊にいました。
(かれはえむすわーすたいさのひとりむすこでした。あのくりみあせんそうで)
彼はエムスワース大佐の一人息子でした。あのクリミア戦争で
(じゅうじくんしょうをじゅしょうしたえむすわーすたいさです。おやゆずりのとうそうずきのちが)
十字勲章を受賞したエムスワース大佐です。親譲りの闘争好きの血が
(ながれていましたので、かれがしがんへいになったのもふしぎではありません。)
流れていましたので、彼が志願兵になったのも不思議ではありません。
(ひじょうにいいやつで、れんたいにはかれいじょうのおとこはいませんでした。わたしたちには)
非常にいい奴で、連隊には彼以上の男はいませんでした。私達には
(ゆうじょうがうまれました。このゆうじょうは、おなじせいかつをしておなじよろこびとかなしみをわかち)
友情が生まれました。この友情は、同じ生活をして同じ喜びと悲しみを分かち
(あったものだけにしかうまれないものです。かれはわたしのめいととなりました。)
合ったものだけにしか生まれないものです。彼は私のメイトとなりました。
(これはぐんではたいへんないみをもちます。ふたりはいちねんのはげしいせんとうでふちんを)
これは軍では大変な意味を持ちます。二人は一年の激しい戦闘で浮沈を
(ともにしました。そのさなか、かれはぷれとにあのそとのだいあもんどひるちかくの)
共にしました。そのさなか、彼はプレトニアの外のダイアモンドヒル近くの
(せんとうでぞううちじゅうにうたれました。けーぷたうんのびょういんからてがみがきて、)
戦闘でゾウ撃ち銃に撃たれました。ケープタウンの病院から手紙が来て、
(もういっつうさうすはんぷとんからのてがみもうけとりました。)
もう一通サウスハンプトンからの手紙も受け取りました。
(それいらいたよりがとだえました、・・・・なにひとつれんらくがありません、)
それ以来便りが途絶えました、・・・・何一つ連絡がありません、
(ほーむずさん、もっともしたしいぐんゆうのかれからろっかげついじょうもです」)
ホームズさん、最も親しい軍友の彼から六ヶ月以上もです」
(「せんそうがおわり、ぶたいがきこくしたとき、わたしはごどふりーのちちにいばしょを)
「戦争が終わり、部隊が帰国した時、私はゴドフリーの父に居場所を
(たずねました。へんじはありませんでした。わたしはすこしあいだをあけてから、もういちど)
尋ねました。返事はありませんでした。私は少し間をあけてから、もう一度
(てがみをかきました。こんどはみじかいぶっきらぼうなへんじがきました。ごどふりーは)
手紙を書きました。今度は短いぶっきらぼうな返事が来ました。ゴドフリーは
(せかいいっしゅうのこうかいにでかけたから、いちねんはもどってくることはないだろう。)
世界一周の航海に出かけたから、一年は戻ってくることはないだろう。
(これですべてでした」「わたしはなっとくしませんでした、ほーむずさん。なにもかも、)
これで全てでした」「私は納得しませんでした、ホームズさん。何もかも、
(とんでもなくふしぜんにおもえました。かれはいいやつでした。かれはこんなふうになかまを)
とんでもなく不自然に思えました。彼はいい奴でした。彼はこんな風に仲間を
(きりすてたりしません。あいつらしくありませんでした。さらに、わたしは)
切り捨てたりしません。あいつらしくありませんでした。さらに、私は
(ちょっとしたきかいに、ごどふりーがたいきんのそうぞくにんだということをしりました。)
ちょっとした機会に、ゴドフリーが大金の相続人だという事を知りました。
(そしてごどふりーはちちおやと、つねにそりがあっていたわけではありませんでした。)
そしてゴドフリーは父親と、常にそりが合っていたわけではありませんでした。
(あのろうじんはときどきいばりちらすことがあり、けっきさかんなわかいごどふりーはそれを)
あの老人は時々威張り散らす事があり、血気盛んな若いゴドフリーはそれを
(がまんしているようなやつではありませんでした。そうです、わたしはなっとくできません)
我慢しているような奴ではありませんでした。そうです、私は納得できません
(でした。だからわたしはこのじけんをてっていてきにしらべようとけついしました。)
でした。だから私はこの事件を徹底的に調べようと決意しました。
(しかし、わたしはにねんかん、こきょうをるすにしてきたあとなので、おもいがけずじぶんのことに)
しかし、私は二年間、故郷を留守にしてきた後なので、思いがけず自分の事に
(てをとられてしまいました。ですからやっとこんしゅうになって、ごどふりーのもんだいに)
手をとられてしまいました。ですからやっと今週になって、ゴドフリーの問題に
(もういちどめをむけることができるようになったしだいです。しかしいったん)
もう一度目を向けることができるようになった次第です。しかしいったん
(はじめたからには、わたしはそれをかいめいするためにすべてをなげうつかくごです」)
始めたからには、私はそれを解明するために全てを投げ打つ覚悟です」
(じぇいむず・m・どっどはどうやら、てきにまわすよりもゆうじんにしておいたほうがいい)
ジェイムズ・M・ドッドはどうやら、敵に回すよりも友人にしておいた方がいい
(たいぷのにんげんのようだ。はなしのあいだじゅう、あおいめはきびしいめつきで、かくばったあごは)
タイプの人間のようだ。話の間中、青い目は厳しい目つきで、角ばったあごは
(ごうじょうそうにみえた。「それで、あなたはなにをしたのですか?」わたしはたずねた。)
強情そうに見えた。「それで、あなたは何をしたのですか?」私は尋ねた。
(「わたしはさいしょに、べっどふぉーどちかく、たくすべりー・おーるど・ぱーくにある)
「私は最初に、ベッドフォード近く、タクスベリー・オールド・パークにある
(ごどふりーのいえにいきました。そしてじぶんのめでいえのようすをかくにんしようと)
ゴドフリーの家に行きました。そして自分の目で家の様子を確認しようと
(おもいました。わたしはははおやのほうにてがみをかきました。ちちおやのいじのわるさには)
思いました。私は母親の方に手紙を書きました。父親の意地の悪さには
(もううんざりでしたからね。わたしはずばりとようけんをきりだしました。)
もううんざりでしたからね。私はずばりと要件を切り出しました。
(ごどふりーはわたしのしんゆうだった、わたしはかれとおおくのくなんをともにした、かれといっしょの)
ゴドフリーは私の親友だった、私は彼と多くの苦難を共にした、彼と一緒の
(ぶたいにいたころのおもいでばなしもできるだろう、いえのちかくまでいくつもりだ、)
部隊にいた頃の思い出話もできるだろう、家の近くまで行くつもりだ、
(なにかもんだいがあればいってほしい、こんなふうにたずねました。わたしはははおやから)
何か問題があれば言ってほしい、こんな風に尋ねました。私は母親から
(きわめてこういてきなへんじをもらい、くらくなってからないみつにあいたいという)
極めて好意的な返事をもらい、暗くなってから内密に会いたいという
(もうしでをうけました。それでわたしはげつようびにでかけました」)
申し出を受けました。それで私は月曜日に出かけました」
(「たくすべりー・おーるど・ほーるはこうつうのべんのわるいところです。)
「タクスベリー・オールド・ホールは交通の便の悪いところです。
(どのばしょからもごまいるはなれています。えきにばしゃはなかったので)
どの場所からも五マイル離れています。駅に馬車はなかったので
(わたしはすーつけーすをかかえてあるかなければなりませんでした。)
私はスーツケースを抱えて歩かなければなりませんでした。
(そしてわたしがとうちゃくするまえにほとんどよるがふけていました。いえはとほうもなくひろい)
そして私が到着する前にほとんど夜が更けていました。家は途方もなく広い
(しえんのなかにたてられた、とりとめのないおおきなたてものです。えりざべすちょうの)
私園の中に建てられた、とりとめのない大きな建物です。エリザベス朝の
(もっこつづくりのきそからはじまり、ヴぃくとりあようしきのぽーちこまで)
木骨造りの基礎から始まり、ヴィクトリア様式のポーチコまで
(ありとあらゆるじだいとようしきがあるといわざるをえませんでした。ないそうはすべて)
ありとあらゆる時代と様式があると言わざるをえませんでした。内装は全て
(はめいたとたぺすとりーとはんぶんきえかけたかいがでうめつくされていました。)
羽目板とタペストリーと半分消えかけた絵画で埋め尽くされていました。
(くらくなぞめいたいえでした。いえがたてられたときからいるようにおもえる)
暗く謎めいた家でした。家が建てられた時からいるように思える
(ろうらるふというしつじがいました。かれにはさらにとしうえかもしれないような)
老ラルフという執事がいました。彼にはさらに歳上かもしれないような
(つまがいました。かのじょはごどふりーのうばでした。そしてろうらるふは、)
妻がいました。彼女はゴドフリーの乳母でした。そして老ラルフは、
(ごどふりーがじつのははのつぎにかれのつまをあいしていたとはなしました。だからわたしはみょうな)
ゴドフリーが実の母の次に彼の妻を愛していたと話しました。だから私は妙な
(ようぼうにもかかわらずかのじょにひかれました。わたしはははおやもきにいりました。ははおやは)
容貌にも関わらず彼女に惹かれました。私は母親も気に入りました。母親は
(ちいさなしろいねずみのようなじょせいでした。わたしがふゆかいなのはたいさだけでした」)
小さな白いネズミのような女性でした。私が不愉快なのは大佐だけでした」