パノラマ奇島談_§11

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著者:江戸川乱歩
売れない物書きの人見廣介は、定職にも就かない極貧生活の中で、自身の理想郷を夢想し、それを実現することを夢見ていた。そんなある日、彼は自分と瓜二つの容姿の大富豪・菰田源三郎が病死した話を知り合いの新聞記者から聞く。大学時代、人見と菰田は同じ大学に通っており、友人たちから双生児の兄弟と揶揄されていた。菰田がてんかん持ちで、てんかん持ちは死亡したと誤診された後、息を吹き返すことがあるという話を思い出した人見の中で、ある壮大な計画が芽生える。それは、蘇生した菰田を装って菰田家に入り込み、その莫大な財産を使って彼の理想通りの地上の楽園を創造することであった。幸い、菰田家の墓のある地域は土葬の風習が残っており、源三郎の死体は焼かれることなく、自らの墓の下に埋まっていた。

人見は自殺を偽装して、自らは死んだこととし、菰田家のあるM県に向かうと、源三郎の墓を暴いて、死体を隣の墓の下に埋葬しなおし、さも源三郎が息を吹き返したように装って、まんまと菰田家に入り込むことに成功する。人見は菰田家の財産を処分して、M県S郡の南端にある小島・沖の島に長い間、夢見ていた理想郷を建設する。

一方、蘇生後、自分を遠ざけ、それまで興味関心を示さなかった事業に熱中する夫を源三郎の妻・千代子は当惑して見つめていた。千代子に自分が源三郎でないと感付かれたと考えた人見は千代子を、自らが建設した理想郷・パノラマ島に誘う。人見が建設した理想郷とはどのようなものだったのか。そして、千代子の運命は?

関連タイピング

問題文

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(きょうかたびらすがたのかれをのせたじどうしゃが、こもだけのもんぜんにつくと、ちよこは)

経帷子姿の彼を乗せた自動車が、菰田家の門前につくと、千代子は

(だれかにとめられてでもいたのでしょう、もんからそとへはようでずに、)

誰かに止められてでもいたのでしょう、門から外へはよう出ずに、

(あまりのちんじに、むしろてんとうしてしまって、はのねもあわず)

あまりの椿事に、むしろ顛倒してしまって、歯の根も合わず

(わくわくしながら、もんないのながいしきいしみちを、やっぱりあおくなった)

ワクワクしながら、門内の長い敷石道を、やっぱり青くなった

(こまづかいたちといっしょに、うろうろとあるきまわっていたのですが、)

小間使いたちと一緒に、ウロウロと歩き回っていたのですが、

(じどうしゃのうえのひろすけをひとめみると、なぜかいっしゅんはっときょうがくのひょうじょうをしめし)

自動車の上の広介を一目見ると、なぜか一瞬ハッと驚愕の表情を示し

((かれはそれをみて、どのようにきもをひやしたことでしょう)、それから、)

(彼はそれを見て、どのように肝を冷やしたことでしょう)、それから、

(こどものようななきがおになって、じどうしゃがげんかんにつくまでのあいだを、)

子供のような泣き顔になって、自動車が玄関につくまでの間を、

(ぶざまなかっこうで、くるまのとびらによりかかって、ひきずられるようにはしったのです。)

無様な格好で、車の扉に寄りかかって、引きずられるように走ったのです。

(そして、かれのからだが、げんかんにかつぎおろされるのをまちかねて、)

そして、彼の体が、玄関に担ぎ下ろされるのを待ちかねて、

(そのうえにすがりつき、ながいあいだ、しんせきのひとたちがみかねて、)

その上にすがりつき、長い間、親戚の人たちが見かねて、

(かのじょをかれのからだからひきはなしたまで、みうごきもせずないていました。)

彼女を彼の体から引き離したまで、身動きもせず泣いていました。

(そのあいだかれはぼんやりしたひょうじょうをよそおって、まつげをいっぽんいっぽんかぞえることが)

その間彼はぼんやりした表情を装って、睫毛を一本一本数えることが

(できるほども、めのまえにせまったかのじょのかおを、そのまつげがなみだにふくらみ、)

出来るほども、目の前に迫った彼女の顔を、その睫毛が涙に膨らみ、

(じゅくしきらぬもものようにあおざめたしろいうぶげのひかるほおのうえを、なみだのかわがながれて、)

熟しきらぬ桃のように青ざめた白い産毛の光る頬の上を、涙の川が流れて、

(そしてうすももいろのなめらかなくちびるがわらうようにゆがむのを、)

そして薄桃色の滑らかな唇が笑うようにゆがむのを、

(じっとみていなければなりませんでした。)

じっと見ていなければなりませんでした。

(そればかりではありません。かのじょのあらわなにのうでが、かれのかたにかかり、)

そればかりではありません。彼女のあらわな二の腕が、彼の肩にかかり、

(みゃくうつむねのきゅうりょうが、かれのうでをあたため、こせいてきなほのかなるこうきまでも、)

脈打つ胸の丘陵が、彼の腕を暖め、個性的なほのかなる香気までも、

(かれのはなをくすぐるのでした。そのときの、よにもいようなこころもちを、)

彼の鼻をくすぐるのでした。その時の、世にも異様な心持を、

など

(かれはいつまでもわすれることができませんでした。)

彼はいつまでも忘れることが出来ませんでした。

(じゅういち)

11

(ひろすけのちよこにたいする、めいじょうすることのできない、)

広介の千代子に対する、名状することのできない、

(いっしゅのきょうふはひをふるにつれてふかまっていきました。)

一種の恐怖は日をふるにつれて深まっていきました。

(かれがゆかにつききりでいたいっしゅうかんのうちにも、おそるべきききは、いくどとなく)

彼が床につききりでいた一週間のうちにも、恐るべき危機は、幾度となく

(かれをおそったのです。たとえば、それはあるまよなかのことでしたが、ひろすけが、)

彼を襲ったのです。例えば、それは或る真夜中のことでしたが、広介が、

(なやましいあくむにうなされて、ふとめをひらきますと、あくむのあるじは、)

悩ましい悪夢にうなされて、ふと目を開きますと、悪夢の主は、

(つぎのまにねていたのが、いつかれのへやへはいってきたのか、)

次の間に寝ていたのが、いつ彼の部屋へ入ってきたのか、

(なまめかしきねみだれがみをかれのむねにのせて、)

なまめかしき寝乱れ髪を彼の胸にのせて、

(つつましやかなすすりなきをつづけているのでありました。)

つつましやかなすすり泣きを続けているのでありました。

(「ちよこ、ちよこ、なにもそんなにしんぱいすることはないのだよ。)

「千代子、千代子、何もそんなに心配することはないのだよ。

(わたしはこのとおり、みもこころもすこやかな、いままでとおりのげんざぶろうなのだ。)

私はこの通り、身も心も健やかな、今まで通りの源三郎なのだ。

(さあさあ、なくのをよして、いつものかわいいわらいがおをみせておくれ」)

さあさあ、泣くのをよして、いつもの可愛い笑い顔を見せておくれ」

(かれは、ふとそんなことをくちばしりそうになるのを、やっとのおもいでくいしめて、)

彼は、ふとそんなことを口走りそうになるのを、やっとの思いで食いしめて、

(そしらぬふりでたぬきねいりをしていなければならないのです。)

そ知らぬふりで狸寝入りをしていなければならないのです。

(このようなふしぎなたちばは、さすがのひろすけも、かつてよきしないところでした。)

このような不思議な立場は、さすがの広介も、かつて予期しないところでした。

(それはともかく、かれはよていのすじがきにしたがって、し、ごにちめごろから、)

それはともかく、彼は予定の筋書きにしたがって、四、五日目ごろから、

(きわめてたくみなおしばいによって、すこしずつ、くちをききはじめ、)

極めて巧みなお芝居によって、少しずつ、口をきき始め、

(げきどうのためにいちじまひしていたしんけいが、)

激動のために一時麻痺していた神経が、

(じょじょにめざめてくるありさまを、ごくしぜんにえんじていきました。)

徐々に目覚めてくる有様を、ごく自然に演じて行きました。

(そのほうほうは、すうじつのあいだゆかのなかにいて、みたりきいたりしたこと、)

その方法は、数日のあいだ床の中にいて、見たり聞いたりしたこと、

(またはそれからるいすいしえたところだけを、やっとおもいだしたていを)

またはそれから類推しえたところだけを、やっと思い出したていを

(よそおって、そのほかの、まださぐりえないおおくのてんにはわざと)

よそおって、そのほかの、まだ探りえない多くの点にはわざと

(ふれないようにし、あいてがそれをはなしだすと、かおをしかめて、)

触れないようにし、相手がそれを話し出すと、顔をしかめて、

(どうもおもいだせないというふうをしてみせるのです。)

どうも思い出せないという風をしてみせるのです。

(かれはこのおしばいをしぜんらしくするために、あらかじめすうじつのあいだ、)

彼はこのお芝居を自然らしくするために、あらかじめ数日のあいだ、

(くるしいおもいをしてくちをつぐんでいたのですが、それがずにあたって、)

苦しい思いをして口をつぐんでいたのですが、それが図に当たって、

(たとえわかりきったことをどうわすれしていても、)

たとえわかりきったことを胴忘れしていても、

(あるいははなしがとんちんかんになっても、ひとはすこしもうたがわず、)

或いは話がとんちんかんになっても、ひとは少しも疑わず、

(かえってかれのふこうなせいしんじょうたいを、あわれんでくるしまつです。)

かえって彼の不幸な精神状態を、憐れんでくる始末です。

(かれはそうして、にせあほうをよそおいながら、しっぱいするたびになにかしら)

彼はそうして、にせ阿呆を装いながら、失敗するたびに何かしら

(おぼえこむほうほうによって、またたくうちに、こもだけないがいの、)

おぼえこむ方法によって、またたくうちに、菰田家内外の、

(しゅじゅのかんけいにつうぎょうすることができました。)

種々の関係に通暁することが出来ました。

(そこで、これならばまずだいじょうぶといういしのおりがみがついて、)

そこで、これならばまず大丈夫という医師の折紙がついて、

(ちょうどかれがこもだけにはいってからはんつきめには、もうせいだいなとこあげの)

ちょうど彼が菰田家に入ってから半月目には、もう盛大な床上げの

(おいわいがひらかれることになったのです。そのしゅえんのせきでも、かれは、)

お祝いが開かれることになったのです。その酒宴の席でも、彼は、

(そこにあつまったしんぞく、こもだけにぞくするかくしゅじぎょうのしゅのうしゃ、)

そこに集まった親族、菰田家に属する各種事業の首脳者、

(そうしはいにんをはじめおもだったやといにんたちの、きをゆるしたざつだんのうらから、)

総支配人をはじめおもだった雇人たちの、気をゆるした雑談の裏から、

(おびただしいちしきをえることができたのですが、さて、そのおいわいのよくじつから、)

おびただしい知識を得ることが出来たのですが、さて、そのお祝いの翌日から、

(かれはいよいよ、かれのだいりそうのじつげんにむかって、)

彼はいよいよ、彼の大理想の実現に向かって、

(そのだいいっぽをふみだすけっしんをしたのでした。)

その第一歩を踏み出す決心をしたのでした。

(「わたしもまあ、どうやらもとのからだになることができたようだ。ついては、)

「私もまあ、どうやら元の体になることが出来たようだ。ついては、

(すこしおもうしさいもあるので、このさい、わたしのはいかにぞくするいろいろなじぎょうや、)

少し思う仔細もあるので、この際、私の配下に属するいろいろな事業や、

(わたしのでんち、わたしのぎょじょうなどをいちじゅんしてみたいとおもう。)

私の田地、私の漁場などを一巡してみたいと思う。

(そして、わたしのぼやけたきおくをはっきりさせ、そのうえで、)

そして、私のぼやけた記憶をハッキリさせ、その上で、

(こもだけのざいせいについて、もうすこしそしきだったけいかくをたててみようとおもうのだ。)

菰田家の財政について、もう少し組織立った計画を立ててみようと思うのだ。

(どうか、ひとつそのてはいをしてくれたまえ」)

どうか、一つその手配をしてくれたまえ」

(かれはそうちょうから、そうしはいにんのすみだをよびだして、このようないこうをつたえました。)

彼は早朝から、総支配人の角田を呼び出して、このような意向を伝えました。

(そして、よくじつ、すみだとに、さんのこものをしたがえて、)

そして、翌日、角田と二、三の小者を従えて、

(けんかいちえんにさんざいするかれのりょうちへたびだつのでした。)

県下一円に散在する彼の領地へ旅立つのでした。

(すみだろうじんは、これまではどちらかといえばひっこみじあんだったしゅじんの、)

角田老人は、これまではどちらかといえば引っ込み思案だった主人の、

(このせっきょくてきなやりくちに、めをまるくしておどろきました。そして、いちおうは、)

この積極的なやり口に、目を丸くして驚きました。そして、一応は、

(からだにさわるといけないからといって、いさめたのですけれど、)

体に触るといけないからといって、いさめたのですけれど、

(ひろすけのいっかつにあって、たちまちひとすくみになり、いいとして)

広介の一喝にあって、たちまち一すくみになり、唯々として

(しゅめいにふくするほかはありませんでした。)

主命に服するほかはありませんでした。

(かれのしさつりょこうは、おおいそぎでめぐりあるいたのですけども、)

彼の視察旅行は、大急ぎで巡り歩いたのですけども、

(それでもたっぷりひとつきをついやしました。)

それでもたっぷり一月を費やしました。

(そのひとつきのあいだに、かれはかれのしょゆうにぞくするはてしれぬでんや、)

その一月のあいだに、彼は彼の所有に属する涯知れぬ田野、

(ひともかよわぬみつりん、こうだいなぎょじょう、せいざいこうじょう、かつおぶしこうじょう、かんづめこうじょう、)

ひとも通わぬ密林、広大な漁場、製材工場、鰹節工場、罐詰工場、

(そのほかなかばこもだけのとうしになるさまざまのじぎょうをじゅんしして、いまさらながら、)

その他半ば菰田家の投資になるさまざまの事業を巡視して、今更ながら、

(かれじしんのおおみだいにいっきょうをきっしないではいられませんでした。)

彼自身の大身代に一驚を喫しないではいられませんでした。

(かれはこのりょこうによって、なにをかんさつし、なにをかんじたか、そのくわしいことは、)

彼はこの旅行によって、何を観察し、何を感じたか、その詳しいことは、

(いちいちここにしるすひまをもちませんが、ともかく、かれのしょゆうざいさんは、)

いちいちここに記す暇を持ちませんが、ともかく、彼の所有財産は、

(かつてすみだろうじんがみせてくれたちょうぼめんのひょうかどおり、いやそれいじょうにも)

かつて角田老人が見せてくれた帳簿面の評価通り、いやそれ以上にも

(じゅうじつしたものであることを、じゅうぶんたしかめることができたのでした。)

充実したものであることを、十分確かめることが出来たのでした。

(かれはゆくさきざきで、したへもおかぬかんたいをうけながら、それらのふどうさんなり、)

彼は行く先々で、下へも置かぬ歓待を受けながら、それらの不動産なり、

(えいりじぎょうなりを、どうすればもっともゆうりにしょぶんし、かんきんすることができるのか、)

営利事業なりを、どうすれば最も有利に処分し、換金することが出来るのか、

(そのしょぶんのじゅんじょはどれをさきにし、どれをあとにすれば、)

その処分の順序はどれを先にし、どれを後にすれば、

(もっともせけんのちゅういをひかないですむかとか、どのこうじょうのしはいにんは)

もっとも世間の注意をひかないで済むかとか、どの工場の支配人は

(てごわそうだとか、どのさんりんのかんりにんはすこしていのうらしいとか、)

手ごわそうだとか、どの山林の管理人は少し低能らしいとか、

(だからあのこうじょうよりはこのさんりんのほうをさきにてばなすこと)

だからあの工場よりはこの山林の方を先に手放すこと

(にしようとか、ふきんにそれをうりにでるのをまっているような)

にしようとか、附近にそれを売りに出るのを待っているような

(さんりんけいえいしゃはないだろうかとか、そのようなてんについて、)

山林経営者はないだろうかとか、そのような点について、

(かれはさまざまにこころをくだくのでありました。)

彼はさまざまに心を砕くのでありました。

(それとどうじに、かれはたびのみちづれのこころやすさをさいわいに、)

それと同時に、彼は旅の道連れの心安さを幸いに、

(すみだろうじんとなかよしになることにぜんりょくをかたむけ、ついにはざいさんしょぶんの)

角田老人と仲良しになることに全力を傾け、ついには財産処分の

(そうだんあいてとまで、かれのこころをやわらげることにせいこうしたのでありました。)

相談相手とまで、彼の心を和らげることに成功したのでありました。

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