悲しみが美しい訳
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数4464かな314打
-
プレイ回数75万長文300秒
-
プレイ回数92歌詞959打
-
プレイ回数6.8万長文かな313打
-
プレイ回数171長文240秒
-
プレイ回数6万長文1159打
問題文
(「かなしみがうつくしいわけ」)
「悲しみが美しい訳」
(わたしはないているひとをみるのがとてもすきです。)
私は泣いている人を見るのがとても好きです。
(かわいそうなひとをみるめでうたないでください。)
可哀想な人を見る目で打たないでください。
(かなしみというのはとてもうつくしいのです。)
悲しみというのはとても美しいのです。
(どんなどらまやえいがにも、ひげきがあります。)
どんなドラマや映画にも、悲劇があります。
(きげきだけでものがたりをおえるなんて、そうそうないのではないでしょうか?)
喜劇だけで物語を終えるなんて、そうそうないのではないでしょうか?
(とつぜんですが、)
突然ですが、
(これまでせいこうしかしてこなかったひとのはなしと)
これまで成功しかしてこなかった人の話と
(しっぱいをたくさんけいけんしせいこうしたひとのはなし)
失敗を沢山経験し成功した人の話
(どっちにみみをかたむけるでしょうか?)
どっちに耳を傾けるでしょうか?
(どっちのはなしをききたいとおもえるでしょうか?)
どっちの話を聞きたいと思えるでしょうか?
(こたえはこうしゃでしょう。)
答えは後者でしょう。
(なぜなら、ぜんしゃはきょうかんをえることができないからです。)
何故なら、前者は共感を得る事が出来ないからです。
(いってしまえばくろうばなしがないせいこうたいけんは)
言ってしまえば苦労話がない成功体験は
(きくがわにとって、じぶんをひげするたいしょうにもなりえないからです。)
聞く側にとって、自分を卑下する対象にもなり得ないからです。
(じぶんにくらべて、あのひとはなど。)
自分に比べて、あの人はなど。
(なぜならにんげんというのはくらべたがるいきものだからです。)
何故なら人間というのは比べたがる生き物だからです。
(いわばわたしたちがものがたりにもとめるのは、そのぷろせすなのです。)
言わば私達が物語に求めるのは、そのプロセスなのです。
(ひとはひげきがあるものにこそ、じぶんをかさねやすく、かんじょうもうごきやすくなるのです。)
人は悲劇があるものにこそ、自分を重ねやすく、感情も動きやすくなるのです。
(これをうまくつかってるのがてれびきょくです。)
これを上手く使ってるのがテレビ局です。
(24じかんてれびなどがだいひょうれいでしょうか。ひげきがあってかんどうがあります。)
24時間テレビなどが代表例でしょうか。悲劇があって感動があります。
(しかしわたしはどうもこのめのまえにさしだされたかなしみがすきになれません。)
しかし私はどうもこの目の前に差し出された悲しみが好きになれません。
(ここでぼうとうにもどります。)
ここで冒頭に戻ります。
(わたしはないているひとをみるのがすきです。)
私は泣いている人を見るのが好きです。
(しかし、それはわたしのめのまえでおこなわれているできごとにたいしてであり、)
しかし、それは私の目の前で行われている出来事に対してであり、
(がめんのむこうのおはなしではございません。)
画面の向こうのお話ではございません。
(ないているというのは、いわばじんせいというすとーりーにおいてのさいこうしちょうりつ。)
泣いているというのは、言わば人生というストーリーにおいての最高視聴率。
(そのすとーりーのもっともうつくしいばめんともいえるのではないでしょうか。)
そのストーリーの最も美しい場面とも言えるのではないでしょうか。
(つまりかなしみがうつくしいそのわけは、じぶんじしんをそこにとうえいできるかいなか。)
つまり悲しみが美しいその訳は、自分自身をそこに投影できるか否か。
(じぶんだけがくるしいわけではなかったといえるそのあんしんかんやきょうかんといったことがらが)
自分だけが苦しい訳ではなかったと言えるその安心感や共感といった事柄が
(かなしみをうつくしくさせているのではないだろうか。)
悲しみを美しくさせているのではないだろうか。