夢の跡
少し押しつけがましい内容になっているかもしれませんね。
タイピング練習にお使いください!
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問題文
(ゆめはかなえるもの)
「夢は叶えるもの」
(なんていうことばのいわかんにきづいたかたはいるだろうか?)
なんていう言葉の違和感に気付いたかたはいるだろうか?
(それはわたしたちがふだんからみているゆめのはなし、)
それは私たちが普段から見ている夢の話、
(まくらもとでおこなわれていることについてだ。)
枕元で行われている事についてだ。
(ゆめとはあくまでげんそうてきであるが、)
夢とはあくまで幻想的であるが、
(それをかなえるか、いなかというはなしになると)
それを叶えるか、否かという話になると
(いっきにげんじつにひきもどされてしまう。)
一気に現実に引き戻されてしまう。
(ゆめはかなえるものというていぎがあるがゆえに)
「夢は叶えるもの」という定義があるが故に
(ゆめのあとには、はいぼくとしょうりというめいもくが)
夢の後には、「敗北」と「勝利」という名目が
(つけたされてしまった。)
付け足されてしまった。
(ゆめにやぶれたもの、ゆめをかなえたもの)
夢に敗れたもの、夢を叶えたもの
(いつからゆめにしょうはいがつくようになったのだろうか。)
いつから夢に勝敗がつくようになったのだろうか。
(ゆめはみるものであって、かなえるものではない。)
「夢は見るもの」であって、「叶える」ものではない。
(ゆめをげんじつのせかいにひっぱりだし、)
夢を現実の世界に引っ張り出し、
(ひょうかをつけて、きょうそうしあうことじたいおかしなはなしだ。)
評価をつけて、競争し合うこと自体おかしな話だ。
(そのじてんでゆめからさめていることにきづいていないものたちが、)
その時点で夢から覚めている事に気付いていない者たちが、
(げんじつとゆめとのぎゃっぷにくるしまされ、しつぼうしていく、)
現実と夢とのギャップに苦しまされ、失望していく、
(それもあたりまえだ。)
それも当たり前だ。
(ゆめはみたじてんで、そのやくわりをおえているからだ。)
夢は見た時点で、その役割を終えているからだ。
(そこにきづけなかったものは、)
そこに気付けなかった者は、
(おもってたのとちがう)
「思ってたのと違う」
(などとげんじつとゆめをつりあわせ、ゆめからさめていたことにきづく。)
などと現実と夢を釣り合わせ、夢から覚めていた事に気付く。
(ふくしょうになるが、)
復唱になるが、
(ゆめはみたとき、すでにそのやくわりをおえている。)
夢は見た時、既にその役割を終えている。
(ゆめなどということばには、おとしあながたくさんある。)
夢などという言葉には、落とし穴が沢山ある。
(いまむかっているばしょ、なりたいとおもっているすがたやかたちは、)
今向かっている場所、なりたいと思っている「姿」や「形」は、
(ゆめということばなどではかたることはできない。)
夢という言葉などでは語ることは出来ない。
(なぜならそれはもっとすばらしくすごいことだからだ。)
何故ならそれはもっと素晴らしく凄い事だからだ。
(ゆめからさめてもなお、のぞむことがあるのならば、)
夢から覚めても尚、望むことがあるのならば、
(それはもうりっぱなあなたのいしだ。)
それはもう立派なあなたの意志だ。
(ゆめうつろなままうごかされてはいけない。)
夢虚ろなまま動かされてはいけない。
(まえにひろがるこうけいはすべてげんじつのなかのできごとであり、)
前に広がる光景は全て現実の中の出来事であり、
(げんじつでしかかなえることはできない。)
現実でしか叶えることは出来ない。
(ゆめとかたったものが)
夢と語った「もの」が
(ゆめからさめてもなお、そんざいしつづけているのなら、)
夢から覚めても尚、存在し続けているのなら、
(そのときはじめて、ゆめはげんじつとなり)
その時初めて、夢は現実となり、
(それはあなたのちからでかなえることができるりっぱなものがたりになるのだ。)
それはあなたの力で「叶える」事が出来る立派な物語になるのだ。
(なぜなら、ゆめはみたじてんでそのやくめをおえているのだから。)
何故なら、夢は見た時点でその役目を終えているのだから。