夢野久作 押絵の奇蹟⑧/⑲

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(はちがつになりますと、もうおしょうがつのおしえのよういですが、そのころはいまのように)

八月になりますと、もうお正月の押絵の用意ですが、その頃は今のように

(ぼーるがみがありませんので、おかあさまがくずやにたのんでほごがみをたくさんにかって)

ボール紙がありませんので、お母様が屑屋に頼んで反古紙を沢山に買って

(あわせがみというのをおつくりになるのでしたが、それがまたたいへんで、あきびのさす)

合わせ紙というのをお作りになるのでしたが、それが又大変で、秋日のさす

(おにわからはたけから、おえんがわまでいっぱいにほしてあることがよくありました。)

お庭から畠から、お縁側まで一パイに干してある事がよくありました。

(そんなときにおとうさまは、そのころまであったさしにつないだおかねをおざしきに)

そんな時にお父様は、その頃まであった緡(さし)につないだお金をお座敷に

(ならべたり、またさしにつなぎなおしたりなさりながら、「せめてそのかせいでもおれに)

並べたり、又緡につなぎ直したりなさりながら、「せめてその加勢でも俺に

(できるとなあ」とよくいわれました。おとうさまのてははたけしごとであれております)

出来るとナア」とよく云われました。お父様の手は畠仕事で荒れております

(ので、のりのついたかみをおあつかいになるとじきにひっかかったり、まつわり)

ので、糊の付いた紙をお扱いになるとじきに引っかかったり、まつわり

(ついたりして、おかあさまがおひとりでなさるよりもかえっててまどるのでした。わたしも)

付いたりして、お母様がお一人でなさるよりも却って手間取るのでした。私も

(おかあさまのおいそがしさをみるにつけて、おてつだいをしてさしあげたいのはやまやまでした)

お母様のお忙しさを見るにつけて、お手伝いをして差し上げたいのは山々でした

(が、どうしたわけかおなじゆびをもちながら、おかあさまのようなぬいばりやおせんたくが)

が、どうしたわけか同じ指を持ちながら、お母様のような縫い針やお洗濯が

(ひとつもできず、ただ、じをかくことと、おことをひくことがひとなみはずれてすきなだけ)

一つも出来ず、ただ、字を書く事と、お琴を弾く事が人並外れて好きなだけ

(でした。そうしてまいにちかわむこうのにぎやかなかわばたすじにあるおことのせんせいのところへがっこうの)

でした。そうして毎日川向うの賑やかな川端筋にあるお琴の先生の処へ学校の

(かえりにおけいこによるのでしたが、そのおさらいをうちへかえって、おとうさまと)

帰りにお稽古に寄るのでしたが、その お復習(さらい)を家へ帰ってお父様と

(おかあさまのまえでするのがまた、なによりもたのしみでございました。おふたりともわたしを)

お母様の前でするのが又、何よりも楽しみで御座いました。お二人とも私を

(たべてしまいたいほどかわいがっておいでになりましたので、わたしがひくたんびに)

喰べてしまいたいほど可愛がっておいでになりましたので、私が弾くたんびに

(おほめになっては、いろいろなおかしをごほうびにくださるのでした。)

お褒めになっては、いろいろなお菓子を御褒美に下さるのでした。

(「こやつ(ふくおかのひとはわがこのことをよくこんなにもうします)はおれのおばあさまの)

「コヤツ(福岡の人は吾が児の事をよくこんなに申します)は俺のお祖母様の

(ちすじをひいとるらしい。いまにあのあこやのようにことがじょうずになるじゃろう。)

血すじを引いとるらしい。今にあの阿古屋のように琴が上手になるじゃろう。

(ひくてつきまでがあのおしえのとおりじゃ」とおとうさまがよくおっしゃいました。けれども)

弾く手つきまでがあの押絵の通りじゃ」とお父様がよく仰有いました。けれども

など

(ふしぎなことに、おとうさまのそのようなことをおっしゃるたんびに、おかあさまは、)

不思議な事に、お父様のそのような事を仰有るたんびに、お母様は、

(はかばかしくおへんじをなさいませんでした。ただ「ええ」とか「はあ」とか)

はかばかしく御返事をなさいませんでした。只「エエ」とか「ハア」とか

(よわよわしいへんじをなすって、あのさびしいようなかなしいようなびしょうをなされながら、)

弱々しい返事をなすって、あの淋しいような悲しいような微笑をなされながら、

(はりやえふでをうごかしておいでになるのでした。ときどきはめのなかになみだをためておいでに)

針や絵筆を動かしておいでになるのでした。時々は眼の中に涙を溜めておいでに

(なることさえありました。けれどもおとうさまはそんなことをいちどもおきづきに)

なる事さえありました。けれどもお父様はそんな事を一度もお気付きに

(なりませんでしたようです。ただわたしだけがとっくにきがついておりまして、)

なりませんでしたようです。ただ私だけがとっくに気が付いておりまして、

(こどもごころにいつかはおかあさまにおたずねしてみようみようとおもいながらついそのままに)

子供心にいつかはお母様にお尋ねしてみようみようと思いながらツイそのままに

(なってしまいました。そのうちにわたしはじゅうにさいのはるをむかえました。おとうさまが)

なってしまいました。そのうちに私は十二歳の春を迎えました。お父様が

(さんじゅうはちで、おかあさまがにじゅうくにおなりになりましたが、このころはもうよほどうちの)

三十八で、お母様が二十九におなりになりましたが、この頃はもう余程うちの

(つごうがよくなっておりましたらしく、おとうさまはうちのところどころをしゅうぜんなすったり、)

都合がよくなっておりましたらしく、お父様は家の処々を修繕なすったり、

(いぬやねこがはたけをあらさぬようにうちのまわりのいけがきをとりはらって、そのころはやり)

犬や猫が畠を荒らさぬように家のまわりの生垣を取り払って、その頃流行り

(はじめましたあかいれんがのへいにしたりなすったので、なにもかもみちがえるように)

始めました赤い煉瓦の塀にしたりなすったので、何もかも見ちがえるように

(りっぱになりました。そのなかをおやこさんにんでみまわりながらおとうさまは、「なぜこやつ)

立派になりました。その中を親子三人で見まわりながらお父様は、「なぜコヤツ

(のした(わたしのいもうとかおとうとのこと)がうまれぬのじゃろか。いまひとりかふたりかおらんとうちが)

の下(私の妹か弟の事)が生れぬのじゃろか。今一人か二人か居らんと家が

(ひろすぎるがなあ」といわれたことがありましたが、そのときもおかあさまはなんとも)

広過ぎるがなあ」と云われた事がありましたが、その時もお母様は何とも

(いえないくらいようなつめたいようなかおをなすったことを、おぼえております。うちが)

いえない暗いような冷たいような顔をなすった事を、おぼえております。うちが

(このようにりっぱになりましたにつれて、おかあさまもまえのようにやすいおしごとばかりを)

このように立派になりましたにつれて、お母様も前のように安いお仕事ばかりを

(おひきうけにならぬようになりました。おけいこにくるきんじょのおでしにおおしえに)

お引き受けにならぬようになりました。お稽古に来る近所のお弟子にお教えに

(なるほかは、ごくじょうとうのおしえやししゅうのようなものばかりをつくっておいでに)

なる外は、極く上等の押絵や刺繍のようなものばかりを作っておいでに

(なりましたが、それでもなかなかたくさんあるうえに、てまのやすいしごとのごばいもじゅうばいも)

なりましたが、それでも中々沢山ある上に、手間の安い仕事の五倍も十倍も

(かかるようなものばかりなので、おいそがしくないようにみえて、なかなかほねがおれる)

かかるような物ばかりなので、お忙しくないように見えて、なかなか骨が折れる

(のでした。そのおしえのめんもくはやはりみな、わたしとおかあさまのめはながいれまじって)

のでした。その押絵のメンモクはやはり皆、私とお母様の眼鼻が入れ交じって

(おりますので、じょうとうのものであればあるほど、おかあさまはわたしのめはなをよけいに)

おりますので、上等のものであればある程、お母様は私の眼鼻をよけいに

(おつかいになるのでこどもごころにもふしぎにおもいおもいしておりました。)

お使いになるので子供心にも不思議に思い思いしておりました。

(けれどもそのうちに、たったにどほど、おとうさまのおかおをおつかいになったことが)

けれどもそのうちに、タッタ二度ほど、お父様のお顔をお使いになった事が

(ありました。それはどちらもわたしがじゅうにさいになりましたはるのことでーーはじめのときは、)

ありました。それはどちらも私が十二歳になりました春の事でーー初めの時は、

(おおさかのあるみせからがいこくのかねもちにうるのだともうしまして、きんのがくぶちいりのおしえを)

大阪の或る店から外国の金持ちに売るのだと申しまして、金の額縁入りの押絵を

(たのんできたのでしたが、そのときにおかあさまはいろいろくふうをなされまして、がいこくの)

頼んで来たのでしたが、その時にお母様はいろいろ工夫をなされまして、外国の

(ことだから、にほんのじんぶつよりはというのでしなさんごくしのかんう、ちょうひ、げんとくのさんにんを)

事だから、日本の人物よりはというので支那三国志の関羽、張飛、玄徳の三人を

(ごくねんいりにおつくりになりました。それについてそのめんもくのおてほんはにしきえの)

極く念入りにお作りになりました。それについてそのメンモクのお手本は錦絵の

(とおりにしますとかんうがだんじゅうろう、ちょうひがさだんじ、げんとくがえんぞう(でしたとおもいます。)

通りにしますと関羽が団十郎、張飛が左団次、玄徳が円蔵(でしたと思います。

(ちがっているかもしれませぬ)ということになっておりましたが、そのにしきえはもう)

違っているかも知れませぬ)という事になっておりましたが、その錦絵はもう

(すっかりねずみいろにぼやけてしまったむかしのはんでありましたために、おかあさまのおきに)

スッカリ鼠色にボヤケてしまった昔の版でありましたために、お母様のお気に

(いらなかったのでしょう。おとうさまにたのんで、ひばちのまえにすわっていただいていくつも)

入らなかったのでしょう。お父様に頼んで、火鉢の前に坐って頂いて幾つも

(いくつもかおをかきかえておいでになりました。そのときに、「おれはきさまのおしえに)

幾つも顔を書きかえておいでになりました。その時に、「俺は貴様の押絵に

(なってがいこくへいっていじんどもをにらみころしてくれるのじゃ。・・・こういう)

なって外国へ行って異人どもを睨み殺してくれるのじゃ。・・・こういう

(ふうに・・・」といいながらおとうさまがふいにたてひざをなすって、ひんがらめをして)

風に・・・」と云いながらお父様が不意に立て膝をなすって、ヒンガラ眼をして

(おかあさまをおにらみになりましたが、そのおかおのおそろしかったこと・・・)

お母様をお白眼(にら)みになりましたが、そのお顔の恐ろしかった事・・・

(わたしもおかあさまもはっとしてとびのいたほどでございました。そうして、そのあとで)

私もお母様もハッとして飛びのいたほどで御座いました。そうして、そのあとで

(さんにんがわらいこけましたときのおかしかったこと、わたしはしぬかとおもいました。)

三人が笑いこけました時の可笑しかった事、私は死ぬかと思いました。

(「まあまあごらんなさい。ふでがひばちにおちました」といいながら、おかあさまが)

「まあまあ御覧なさい。筆が火鉢に落ちました」と云いながら、お母様が

(はいだらけのけがきふでをひばしでおひろいになりましたので、さんにんはまたなみだのでるほど)

灰だらけの毛書き筆を火箸でお拾いになりましたので、三人は又涙の出る程

(わらいこけましたが、おかあさまがこんなにこころからおわらいになるのをみましたのは、)

笑いこけましたが、お母様がこんなに心からお笑いになるのを見ましたのは、

(のちにもさきにもこのときだけであったようにおもいます。こうしてかおができあがり)

後にも先にもこの時だけであったように思います。こうして顔が出来上り

(ますと、それにひげやかみのけをうえて、かんうとちょうひはまゆまでうえまして、おかあさまの)

ますと、それに髭や髪の毛を植えて、関羽と張飛は眉まで植えまして、お母様の

(おとくいのうきだしにんぎょうができあがりますとそのいかめしさとりっぱさはめもさめる)

お得意の浮き出し人形が出来上りますとその厳めしさと立派さは眼もさめる

(ようで、ことにそのなかでもちょうひのめは、おとうさまにいきうつしのようにおもわれ)

ようで、ことにその中でも張飛の眼は、お父様に生き写しのように思われ

(ました。それをききつたえいいつたえしてみにくるひとがまたたくさんにありましたが、)

ました。それを聞き伝え云い伝えして見に来る人が又沢山にありましたが、

(そのなかにはあのおかねもちのしばちゅうさんもみえましていっしょうけんめいにりきんでかんしんを)

その中にはあのお金持ちの柴忠さんも見えまして一生懸命に力んで感心を

(しながら、こんなことをいわれました。「どうもおくさんのおてなみにはいまさらながら)

しながら、こんな事を云われました。「どうも奥さんのお手並みには今更ながら

(かんしんしました。しつれいですがこのまえのあこやのことぜめのときよりもずんとめいじんに)

感心しました。失礼ですがこの前の阿古屋の琴責めの時よりもズンと名人に

(おなりになったようです。つきましては、おいそがしうもございましょうがいまひとつ)

おなりになったようです。つきましては、お忙しうも御座いましょうが今一つ

(このとおりのをつくっていただいてはかたっこのうじがみのくしだじんじゃにあのあこやのことぜめと)

この通りのを作って頂いて博多ッ子の氏神の櫛田神社にあの阿古屋の琴責めと

(ならべてほうのういたしたいとおもいますがいかがでしょうか。じつをもうしますとこのまえの)

並べて奉納致したいと思いますが如何でしょうか。実を申しますとこの前の

(あこやのおにんぎょうをうちにおいておきますと、そのためのおきゃくがうるさくてたまり)

阿古屋のお人形を家に置いておきますと、そのためのお客がうるさくてたまり

(ませんので、むすめのなまえでくしだじんじゃにほうのうしたのですが、そのとうじはあれをみに)

ませんので、娘の名前で櫛田神社に奉納したのですが、その当時はあれを見に

(くるひとのために、おみやのさいせんがちがったともうすくらいで・・・いやいやけっしておせじを)

来る人のために、お宮の賽銭が違ったと申す位で・・・イヤイヤ決してお世辞を

(いうのではございませぬ。さすがにはかたはしょげいのみやこだけあるとみんな、かんしんをして)

云うのでは御座いませぬ。流石に博多は諸芸の都だけあるとみんな、感心をして

(おりましたので・・・そこへちょうどわたしがくしださまへごがんをたててうんどうに)

おりましたので・・・そこへちょうど私が櫛田様へ御願を立てて運動に

(とりかかりましたかぶしきのとりひきじょが、このころいわしまちのわたしのじしょにくることになりました)

取りかかりました株式の取引所が、この頃鰯町の私の地所に来る事になりました

(ので、そのごがんほどきのためにおくさまのおしえをあげましたならばかみさまもきっと)

ので、その御願ほどきのために奥様の押絵を上げましたならば神様もきっと

(およろこびになることとおもってうかがいましたしだいです。よいにしきえがごいりようならなにほどでも)

お喜びになる事と思って伺いました次第です。よい錦絵が御入用なら何程でも

(とりよせてさしあげます。このごろはきしゃというものがありますから、とうきょうへでんぽうを)

取り寄せて差上げます。この頃は汽車というものがありますから、東京へ電報を

(うてばとおかたらずでつきますから」というようなおはなしでした。そのときのおかあさまの)

打てば十日足らずで着きますから」というようなお話でした。その時のお母様の

(およろこびになったごようすはいまでもめにのこっております。てをもみあわせてかおをまっかに)

お喜びになった御様子は今でも眼に残っております。手を揉み合せて顔を真赤に

(して、さもしんぱいにめをうるませて、おとうさまのごへんじをまっておいでになるものごしが、)

して、さも心配に眼を潤ませて、お父様の御返事を待っておいでになる物腰が、

(まるであかんぼうのようにいじらしくみえました。おとうさまはすぐにおゆるしになり)

まるで赤ん坊のようにイジラシク見えました。お父様はすぐにお許しになり

(ました。しかもおおのりきのごようすで、「おく(おかあさまのこと)はわしのかおをてほんにして)

ました。しかも大乗気の御様子で、「奥(お母様の事)はわしの顔を手本にして

(このさんごくしのにんぎょうをつくったのでな」とそのときのもようをだいじまんでおはなしになり)

この三国志の人形を作ったのでナ」とその時の模様を大自慢でお話になり

(ましたので、おかあさまははずかしがってまっかになったままおだいどころのほうへにげて)

ましたので、お母様は恥かしがって真赤になったままお台所の方へ逃げて

(おいでになりました。わたしもすぐにあとからおっかけてまいりましたがふしぎなことに)

おいでになりました。私もすぐにあとから追っかけて参りましたが不思議な事に

(おかあさまは、いつのまにかあおいかおにおなりになって、だいどころのあがりぐちにこしをかけて)

お母様は、いつの間にか青い顔におなりになって、台所の上り口に腰をかけて

(しくしくないておいでになりましたのでわたしもびっくりしました。そうして)

シクシク泣いておいでになりましたので私もビックリしました。そうして

(どうなすったのかとおもっておそばへいっておかおをのぞきこみますと、おかあさまはもう)

どうなすったのかと思ってお傍へ行ってお顔を覗き込みますと、お母様はもう

(おおきくなっているわたしのからだをあかんぼうのようにだきよせて、わたしのはなのおけしょうを)

大きくなっている私の身体を赤ん坊のように抱き寄せて、私の鼻のお化粧を

(はながみでおなおしになりながら、「わたしはにしきえさえいただけばおかねなんかいらんのに、)

鼻紙でお直しになりながら、「私は錦絵さえ頂けばお金なんか要らんのに、

(おとうさまはいつまでもよくのふかいことばかりおっしゃって・・・」と、さもくやしそうに)

お父様はいつまでも慾の深い事ばかり仰有って・・・」と、さも口惜しそうに

(くちびるをかんでほろほろとなみだをおながしになりました。そのときにおざしきのほうから、)

唇を噛んでホロホロと涙をお流しになりました。その時にお座敷の方から、

(おとうさまとしばちゅうさんのおおきなわらいごえがきこえてきましたので、わたしもきゅうにかなしくなり)

お父様と柴忠さんの大きな笑い声が聞こえて来ましたので、私も急に悲しくなり

(ましておかあさまとだきあってないたことをおぼえております。)

ましてお母様と抱き合って泣いたことを 記憶(おぼ)えております。

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