夢野久作 押絵の奇蹟⑨/⑲

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難易度(4.5) 6447打 長文 長文モード可タグ長文 小説 文豪 夢野久作
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 Yuu 8045 8.2 97.3% 771.7 6386 177 91 2020/10/10

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問題文

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(それからなんにちかたちますととうきょうからおおきなおかしのはこみたようなものが、)

それから何日か経ちますと東京から大きなお菓子の箱みたようなものが、

(おかあさまのおなまえでおくってきましたから、おとうさまがくぎぬきとかなづちでひらいてごらんに)

お母様のお名前で送って来ましたから、お父様が釘抜きと金槌で開いて御覧に

(なるとどうでしょう。そのなかにはにしきえがいっぱいにつまっているのではございま)

なるとどうでしょう。その中には錦絵が一パイに詰まっているのでは御座いま

(せんか。「まあ・・・これ・・・みんなえばかり・・・」とおっしゃってまっさおに)

せんか。「まあ・・・これ・・・みんな絵ばかり・・・」と仰有って真青に

(なったままくちべにのところをおさえておいでになるおかあさまのこゆびがわなわなとふるえて)

なったまま口紅の処を押えておいでになるお母様の小指がワナワナとふるえて

(いたのをわたしははっきりとおぼえております。そのにしきえのうつくしかったこと・・・)

いたのを私はハッキリとおぼえております。その錦絵の美しかった事・・・

(そうしてそのかみとえのぐのにおいのなんともいえずなつかしうございましたこと・・・)

そうしてその紙と絵の具の匂いの何ともいえずなつかしう御座いました事・・・

(ちょうどなつになりぐちでじゅうじょうのおざしきのおえんがいっぱいにあけはなしてありましたが)

ちょうど夏になり口で十畳のお座敷のお縁が一パイに明け放してありましたが

(ちりひろがったにしきえのいろとにおいで、そこいらじゅうがあかるくなったようにおもいました。)

散り拡がった錦絵の色と匂いで、そこいら中が明るくなったように思いました。

(まずおとうさまがごらんになったえをわたしがみておかあさまにおわたしするのでしたが、さんにんとも)

まずお父様が御覧になった絵を私が見てお母様にお渡しするのでしたが、三人共

(もうしあわせたようにためいきをしてはほめ、ほめてはためいきをしております)

申し合わせたように溜め息をしては褒め、褒めては溜め息をしております

(うちに、ついおひるのごはんをいただくのをわすれてしまったくらいでした。)

うちに、ついお昼の御飯をいただくのを忘れてしまった位でした。

(そのなかにはかんう、ちょうひ、げんとくのさんまいつづきのえがにさんとおりありましたが、)

その中には関羽、張飛、玄徳の三枚続きの絵が二三通りありましたが、

(みんなおかあさまのおもちのとちがってえのぐがめのさめるようにうつくしくて、)

みんなお母様のお持ちのと違って絵の具が眼の醒めるように美しくて、

(きんやぎんのいろがぴかぴかひかっておりました。これをおかあさまがおつくりになったら)

金や銀の色がピカピカ光っておりました。これをお母様がお作りになったら

(どんなにかきれいだろうとおもっておりましたが、おかあさまはあんがいにも、そんなえの)

どんなにか綺麗だろうと思っておりましたが、お母様は案外にも、そんな絵の

(なかからはっけんでんのなかでいぬづかしのといぬかいげんぱちととりかたさんにんをえがいたごまいつづきのを)

中から八犬伝の中で犬塚信乃と犬飼現八と捕方三人を描いた五枚続きのを

(おえりだしになりました。「わたしはこれをつくってみとうございます。そうして)

お選り出しになりました。「私はこれを作って見とう御座います。そうして

(このやねのかわらと、げんぱちのまえだれをほんもののようにしてみとうございます」と)

この屋根の瓦と、現八の前垂れを本物のようにして見とう御座います」と

(おとうさまにごそうだんをなさいました。おとうさまもそのときにちょっとあんがいというかおをなすった)

お父様に御相談をなさいました。お父様もその時に一寸案外という顔をなすった

など

(ようですが、「うん。それもよかろう。どれみせろ」とおっしゃってしのとげんぱちの)

ようですが、「ウン。それもよかろう。どれ見せろ」と仰有って信乃と現八の

(かおをうっとりとみておいでになりました。けれどもそのしののかおをよこから)

顔をウットリと見ておいでになりました。けれどもその信乃の顔を横から

(のぞきこみましたときのわたしのおどろきはどんなでございましたろう。そのかおのすぐよこに)

のぞき込みました時の私の驚きはどんなで御座いましたろう。その顔のすぐ横に

(あるあかいちいさなたんざくのなかにはなかむらさんぎょくというよんもじがかいてありましたので、)

ある赤い小さな短冊の中には中村珊玉という四文字が書いてありましたので、

(あなたのおとうさまがごかいめいをなすったことをぞんじませぬわたしは、べつのひとかしらんと)

貴方のお父様が御改名をなすった事を存じませぬ私は、別の人かしらんと

(ちょっとおもったのでございました。けれども、それでもあのあこやのかおを)

チョット思ったので御座いました。けれども、それでもあの阿古屋の顔を

(ひだりむきにして、おとこらしいながいまゆをつけただけで、そっくりそのまましののかおに)

左向きにして、男らしい長い眉をつけただけで、ソックリそのまま信乃の顔に

(なることがこどもごころにすぐとわかりました。それといっしょに、おかあさまがそのにしきえを)

なる事が子供心にすぐとわかりました。それと一緒に、お母様がその錦絵を

(おえらみになったほんとのおこころもちがはじめてわかったような・・・そうして)

お選みになったホントのお心持ちが初めてわかったような・・・そうして

(そのわけをうちあけて、おかあさまにおたずねすることもできないようないきぐるしい)

そのわけを打ち明けて、お母様にお尋ねする事も出来ないような息苦しい

(きもちにうたれて、わたしのちいさなむねがどんなにわくわくといたしましたことでしょう。)

気もちに打たれて、私の小さな胸がどんなにワクワクと致しました事でしょう。

(けれどもそのときのわたしには、そんなにまでふかくじぶんのきもちをかんがえてみるような)

けれどもその時の私には、そんなにまで深く自分の気もちを考えてみるような

(ちからはありませんでした。ただなにかしらわるいことをしたのをかくしているような)

力はありませんでした。ただ何かしら悪い事をしたのを隠しているような

(こわいこわいきもちになって、おとうさまとおかあさまのかおをみあげることもできないままに、)

怖い怖い気持ちになって、お父様とお母様の顔を見上げる事も出来ないままに、

(おたばこぼんのあたまをかたむけながらいっしんに、しのとげんぱちのかおをみくらべていたように)

お煙草盆の頭を傾けながら一心に、信乃と現八の顔を見比べていたように

(おもいます。もっともそのときにもおとうさまは、なにもおきづきにならなかったよう)

思います。もっともその時にもお父様は、何もお気付きにならなかったよう

(でしたが、おおかたそれは、あなたのおとうさまのおなまえがかわっていたせいで)

でしたが、おおかたそれは、貴方のお父様のお名前がかわっていたせいで

(ございましたろう。「このかわらをどうしてほんもののとおりにするか」なぞとにこにこ)

御座いましたろう。「この瓦をどうして本物の通りにするか」なぞとニコニコ

(して、おかあさまにたずねておいでになったようにおもいます。おかあさまはそのひから)

して、お母様に尋ねておいでになったように思います。お母様はその日から

(そのごまいつづきのえをがんぴしにうつしとって、あわせがみにはりつけたり)

その五枚続きの絵を雁皮紙(がんぴし)に写し取って、合わせ紙に貼り付けたり

(きりぬいたりして、おしごとにかかられましていつかめにはりっぱにしあがったのを)

切り抜いたりして、お仕事にかかられまして五日目には立派に仕上がったのを

(くすのきのいちまいいたにはりつけておしまいになりました。そのくすのきのいたはもくめがくものように)

楠の一枚板に貼り付けておしまいになりました。その楠の板は木目が雲のように

(なっておりまして、そのうえにほうりゅうかくのきんのしゃちほことあおいかわらとが)

なっておりまして、その上に芳流閣の金の鯱と青い瓦とが

(ほんもののようにきりつけられておりました。そのきんのしゃちほこのまえにかたひざをついてかたなを)

本物のように切りつけられておりました。その金の鯱の前に片膝をついて刀を

(ふりあげているしののかおは、おかあさまがわたしのめやはなにそっくりおとこのようにおかきに)

振り上げている信乃の顔は、お母様が私の眼や鼻にソックリ男のようにお描きに

(なりましたもので、それにむかいあってみがまえているげんぱちのかおにはおとうさまの)

なりましたもので、それに向い合って身構えている現八の顔にはお父様の

(めとはながいきいきとにらみかえっておりました。わけてもそのげんぱちのまえだれの)

眼と鼻が生き生きと睨みかえっておりました。わけてもその現八の前垂れの

(うつくしかったこと・・・それはすっかりほんもののとおりのししゅうをおいれになった)

美しかった事・・・それはスッカリ本物の通りの刺繍をお入れになった

(ので・・・こればかりでいっすんしほういくらのねうちがある。くしだじんじゃのえまどうに)

ので・・・こればかりで一寸四方いくらの値打がある。櫛田神社の絵馬堂に

(あげてもぬすまれぬようにくふうせねば・・・とみにきたしばちゅうさんがいって)

上げても盗まれぬように工夫せねば・・・と見に来た柴忠さんが云って

(おられたそうです。そのおしえは、そのはるのすえ、はかたでなだかいやまがさのおまつりのある)

おられたそうです。その押絵は、その春の末、博多で名高い山笠のお祭りのある

(まえにくしだじんじゃのえまどうにあがりました。そのがくはやはりしばちゅうさんのくふうであつい)

前に櫛田神社の絵馬堂に上がりました。その額はやはり柴忠さんの工夫で厚い

(がらすばりのはこにふうじたうえからからかねのあみにいれて、えまどうのひがしのしょうめんに、あこやの)

硝子張りの箱に封じた上から唐金の網に入れて、絵馬堂の東の正面に、阿古屋の

(ことぜめのにんぎょうとならんであがったのですが、ひのきのかおりのために、)

琴責めの人形と並んで上がったのですが、檜の香気(かおり)のために、

(なにもかもまっしろになるほどいろがおちているあこやのにんぎょうとみくらべますと、ほんとに)

何もかも真白になる程色が落ちている阿古屋の人形と見比べますと、ホントに

(めがさめるようで、いちじはえまどうがひとでいっぱいになるくらいひょうばんがたったそうで)

眼が醒めるようで、一時は絵馬堂が人で一パイになるくらい評判が立ったそうで

(ございます。するとそのひょうばんをおききになったものかどうかぞんじませぬが、)

御座います。するとその評判をお聞きになったものかどうか存じませぬが、

(おとうさまは、わすれもしませぬめいじにじゅうよねんのごがつにじゅうよっかのおひるまえに、「おれは)

お父様は、忘れもしませぬ明治二十四年の五月二十四日のお昼前に、「俺は

(ちょっとそのけんぶつにんをみてくる」とおっしゃってあたらしいかすりのきものに)

ちょっとその見物人を見て来る」と仰有って新しい飛白(かすり)の着物に

(いつものこくらのかくおびをしめておでかけになりました。そのひはたいようがかんかん)

いつもの小倉の角帯を締めてお出かけになりました。その日は太陽がカンカン

(てっておりましたが、おとうさまは、「あめになるかもしれぬ」といっておおきな)

照っておりましたが、お父様は、「雨になるかも知れぬ」と云って大きな

(しろけんちうばりのこうもりをもって、たけざいくのやまたかぼうをかぶって、)

白ケンチウ張りの洋傘(こうもり)を持って、竹細工の山高帽を冠って、

(ちゅうあしだかをおはきになりました。わたしもいきたいとおもいましたがおとうさまが「ひとがおおぜい)

中足高をお穿きになりました。私も行きたいと思いましたがお父様が「人が大勢

(いるとあぶないからまたつれていってやる。みやげをこうてきてやるからまっとれ」)

居ると危ないから又連れて行ってやる。土産を買うて来てやるから待っとれ」

(といいすててかわばたをみずぐるまばしのほうへおいでになりました。そのにこにことあるいて)

と云い棄てて川端を水車橋の方へお出でになりました。そのニコニコと歩いて

(おいでになったよこがおをわたしはいまでもめのまえにおもいうかめることができます。)

お出でになった横顔を私は今でも眼の前に思い浮める事が出来ます。

(おとうさまをおみおくりしますとわたしは、おとこのまにたてかけてあったことをだしてきのう)

お父様をお見送りしますと私は、お床の間に立てかけてあった琴を出して昨日

(ならいました「あおいのうえ」のかえのてをひきはじめました。おかあさまはおだいどころで)

習いました「葵の上」の替の手を弾きはじめました。お母様はお台所で

(おぐしをあげておいでになったようですが、わたしが「あおいのうえ」をひいて、)

髪(おぐし)を上げておいでになったようですが、私が「葵の上」を弾いて、

(「あおやぎ」をひいて、それからひさしくひかなかった「みだれ」をひきますと)

「青柳」を弾いて、それから久しく弾かなかった「乱(みだれ)」を弾きますと

(ゆびがつかれましたので、しかくいつめをいじりながらにしむきのおにわの)

指が疲れましたので、四角い爪をいじりながら西向きのお庭の

(せんすいにさいているおとうさまのごじまんのはなしょうぶを)

泉水(せんすい)に咲いているお父様の御自慢の花菖蒲(はなしょうぶ)を

(ぼんやりみておりましたが、いままでかんかんてっていたおひさまにくもがかかったか)

ボンヤリ見ておりましたが、今までカンカン照っていたお日様に雲がかかったか

(してふっとくらくなりました。おだいどころのものおともやんでいたようにおもいます。)

してフッと暗くなりました。お台所の物音も止んでいたように思います。

(そのときにげんかんのこうしどをあらあらしくひらくおとがしてだれかはいってきたようでした。)

その時に玄関の格子戸を荒々しく開く音がして誰か這入って来たようでした。

(わたしはなぜともなくはっとしてたちかけるとまもなく、おとうさまがつかつかと)

私は何故ともなくハッとして立ちかけると間もなく、お父様がツカツカと

(はいっておいでになりましたのでわたしはまたびっくりしまして、「おかえりあそばせ」と)

這入ってお出でになりましたので私は又ビックリしまして、「お帰り遊ばせ」と

(てをつかえました。このようなことはいままでにいちどもありませんでした)

手を支(つか)えました。このような事は今までに一度もありませんでした

(ので、いつもおかえりのときにはげんかんにおたちになって、「おお・・・いまかえったぞ」)

ので、いつもお帰りの時には玄関にお立ちになって、「おお・・・今帰ったぞ」

(とおかあさまをおよびになるのでした。)

とお母様をお呼びになるのでした。

(おとうさまのそのときのおかおはまるでびょうにんかなんぞのようにちのけがなくてゆうれいのように)

お父様のその時のお顔はまるで病人か何ぞのように血の気がなくて幽霊のように

(ひょろひょろしておいでになったようです。そうしていつものように)

ヒョロヒョロしておいでになったようです。そうして平生(いつも)のように

(わたしのあたまをなでようとなされずに、どすんどすんとわたしのことをまたぎこして、)

私の頭を撫でようとなされずに、ドスンドスンと私の琴を跨ぎ越して、

(おとこのまにおいてあるしかのつののかたなかけのところにおいでになって、そこにのせてある)

お床の間に置いてある鹿の角の刀掛の処にお出でになって、そこに載せてある

(くろいながいかたなのさやをぬいてちょっとごらんになりました。それをまたもとのところに)

黒い長い刀の鞘を抜いてチョッと御覧になりました。それを又元の処に

(おかけになると、こんどはこわいこわい、いまおもいだしてもからだのちぢむようなめつきを)

お架けになると、今度は怖い怖い、今思い出しても身体の縮むような眼つきを

(してじーっとわたしのかおをごらんになりましたが、やがてきみのわるいえみを)

してジーッと私の顔を御覧になりましたが、やがて気味のわるい笑みを

(おうかべになりながら、ふるえるわたしをおだきあげになって、またおとこのまのまえに)

お浮かべになりながら、ふるえる私をお抱き上げになって、又お床の間の前に

(きておすわりになりますと、やはりわたしのかおをみいっておいでになりました。)

来てお坐りになりますと、やはり私の顔を見入ってお出でになりました。

(くちもとがみるみるうちに、わななきゆがんでそのおおきなめからなみだをぽろぽろと)

口元が見る見るうちに、わななき歪んでその大きな眼から涙をポロポロと

(おおとしになりました。)

お落としになりました。

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