夢野久作 卵 ②/②(終)

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(そのつめたいからが、さんたろうくんのはだとおなじあたたかさになると、たまごのなかから)

そのつめたい殻が、三太郎君の肌とおなじ暖かさになると、卵の中から

(すやすやというねいきが、かすかにきこえてくるようにおもわれました。しかも、)

スヤスヤという寝息が、かすかに聞えて来るように思われました。しかも、

(それがさんたろうくんのもうそうでないしょうこには、ためしにちょっとゆすぶってみると、)

それが三太郎君の妄想でない証拠には、ためしにチョットゆすぶってみると、

(そのねいきのおとがぴったりととまるのでした。そうして、それといっしょにおちちの)

その寝息の音がピッタリと止まるのでした。そうして、それと一所にお乳の

(ような、またはあらいこのようなあまったるいにおいが、ほのかにわいてくるのです。)

ような、又は洗い粉のような甘ったるいにおいが、ほのかに湧いて来るのです。

(さんたろうくんはたまごがかわゆくなりました。まいばんくらくなるのをまちかねて、)

三太郎君は卵が可愛ゆくなりました。毎晩暗くなるのを待ちかねて、

(こわさないようにそっとだいてねるのが、このうえもないたのしみになって)

毀(こわ)さないようにソッと抱いて寝るのが、この上もない楽しみになって

(きました。そうしてよがあけるとすぐにやぐをおしいれにいれて、じぶんの)

来ました。そうして夜が明けるとすぐに夜具を押し入れに入れて、自分の

(ねぬくもりのこもったしきぶとんのあいだにそっといれてやるのでした。)

寝ぬくもりの籠もった敷布団の間にソット入れてやるのでした。

(こうしてどくしんのまま、かあいいたまごをだいてしょうがいをすごしたらばどんなにきらくで)

こうして独身のまま、かあいい卵を抱いて生涯を過したらばどんなに気楽で

(うれしいだろう・・・なぞとくうそうしたりしました。)

嬉しいだろう・・・なぞと空想したりしました。

(そのうちにたまごはしだいにへんかしてくるようでした。からのいろがきいろからももいろ・・・)

そのうちに卵は次第に変化して来るようでした。殻の色が黄色から桃色・・・

(ももいろからちゃいろへ・・・ちゃいろからはいいろへ・・・そうしてなかからきこえるねいきと)

桃色から茶色へ・・・茶色から灰色へ・・・そうして中から聞える寝息と

(おもっていたものおとが、よるのふけるにつれてたかまって、しまいにはうんうんという)

思っていた物音が、夜の更けるにつれて高まって、しまいにはウンウンという

(うなりごえかとおもわれるようになりました。)

唸り声かと思われるようになりました。

(さんたろうくんはきみがわるくなってきました。・・・きっとたまごがかえり)

三太郎君は気味がわるくなって来ました。・・・きっと卵が孵化(かえ)り

(かけているのにちがいない。そうしてなかにいるあるものがからをやぶりえずにくるしがって)

かけているのに違いない。そうして中に居る或る者が殻を破り得ずに苦しがって

(いるのにちがいない・・・とおもって・・・。しかしそのうちに、ひとりでに)

いるのに違いない・・・と思って・・・。しかしそのうちに、ひとりでに

(うちがわからやぶれるであろう、もしはやまってわったりしてはたいへんだ・・・と)

内側から破れるであろう、もし早まって割ったりしては大変だ・・・と

(がまんしいしいだいておりました。)

我慢しいしい抱いておりました。

など

(あきがふけていくにつれてたまごはだんだんとはいいろからむらさきいろにかわっていきました。)

秋が更けて行くに連れて卵はだんだんと灰色から紫色にかわって行きました。

(それはしにんのようなきみのわるいいろで、しまいにはうすあかいはんてんさえまじって)

それは死人のような気味のわるい色で、しまいには薄紅い斑点さえまじって

(きました。たまごのなかのうなりごえもしだいにたかまって、はをむきだしたやじゅうかなんぞの)

来ました。卵の中の唸り声も次第に高まって、歯をむき出した野獣か何ぞの

(ようにものくるおしくちからづよくきこえてきました。ときおりはきりきりとはぎしりを)

ように物狂おしく力強く聞こえて来ました。時折りはキリキリと歯ぎしりを

(するようなおとさえからのなかでおこるのでした。)

するような音さえ殻の中で起るのでした。

(さんたろうくんはそのたんびにぞっとさせられました。よどおしねむられぬことさえ)

三太郎君はそのたんびにゾッとさせられました。夜通し眠られぬ事さえ

(ありました。これはたまらぬ・・・としんぱいしながら・・・。)

ありました。これはタマラヌ・・・と心配しながら・・・。

(するとあるよるのこと、さんたろうくんがうんうんうなるたまごをふところにいれたまま、)

すると或る夜の事、三太郎君がウンウン唸る卵を懐に入れたまま、

(うつらうつらとねむっているうちに、ふいにどこからともなくしゃがれた)

ウツラウツラと眠っているうちに、不意にどこからともなくシャ嗄(が)れた

(こえがきこえてきました。)

声が聞こえて来ました。

(「おとうさんおとうさんおとうさんおとうさんおとうさん」)

「オトウサンオトウサンオトウサンオトウサンオトウサン」

(それはしにものぐるいにもがいているちいさなにんげんのこえのようでした。)

それは死に物狂いに藻掻いている小さな人間の声のようでした。

(さんたろうくんははっとめをさましました。)

三太郎君はハッと眼を醒ましました。

(たまごはさんたろうくんのみぞおちのところで、だいびょうにんのようにあつくなっていました。)

卵は三太郎君のミゾオチの処で、大病人のように熱くなっていました。

(そのなかからほうさんするしょうべんのような、くさったさかなのようなあたたかいにおいが)

その中から放散する小便のような、腐った魚のようなあたたかい臭いが

(やぐのなかいっぱいにこもっています。)

夜具の中一パイに籠もっています。

(さんたろうくんはあわててたまごをかかえなおすと、そのままおきあがって、おおいそぎであまどを)

三太郎君は慌てて卵を抱え直すと、そのまま起き上って、大急ぎで雨戸を

(あけました。・・・もとのところにかえしておこう・・・というようなきもちで)

あけました。・・・もとの処に返しておこう・・・というような気持ちで

(あしさぐりしいしいにわげたをつっかけましたが、あまりあわてておりましたせいか、)

足探りしいしい庭下駄を突っかけましたが、あまり慌てておりましたせいか、

(おもわずまえにのめりそうになったひょうしに、まっくらなおにわのくつぬぎいしの)

思わず前にノメリそうになった拍子に、真暗なお庭の沓脱(くつぬぎ)石の

(あたりへたまごをころりととりおとしました。・・・とどうじにばっちゃりと)

あたりへ卵をコロリと取り落としました。・・・と同時にバッチャリと

(つぶれたおとがしたとおもうとまもなく、なまあたたかい、すっぱいようなしょうべんのにおいが)

潰れた音がしたと思うと間もなく、生あたたかい、酸っぱいような小便の臭いが

(むらむらとかおにせまってきましたので、さんたろうくんは、よろよろとあとじさり)

ムラムラと顔に迫って来ましたので、三太郎君は、ヨロヨロとあとじさり

(しながらかおをそむけました。)

しながら顔をそむけました。

(そらにはいちめんにほしがちらばっていました。)

空には一面に星が散らばっていました。

(さんたろうくんは、あとをもみずにぴっしゃりとまどをしめました。ぜんしんのあせが)

三太郎君は、あとをも見ずにピッシャリと窓を閉めました。全身の汗が

(ひやひやとひえかわいていくのをかんじつつ、ねどこにもぐって、わなわなとふるえて)

ヒヤヒヤと冷え乾いて行くのを感じつつ、寝床にもぐって、ワナワナとふるえて

(おりましたが、そのうちにうとうとしたとおもうと、また、はっとめをさまし)

おりましたが、そのうちにウトウトしたと思うと、又、ハッと眼を醒まし

(ました。あとをそうじしておかなければならぬとおもって・・・。)

ました。あとを掃除しておかなければならぬと思って・・・。

(おそるおそるあまどをひらいてみますと、いつのまにかよがあけて、そとはあかあかとした)

恐る恐る雨戸を開いて見ますと、いつの間にか夜が明けて、外はアカアカとした

(こはるびよりでした。うらにわのすみにはまだ、こすもすのしろいはなが、くろいえだのあいだに)

小春日和でした。裏庭の隅にはまだ、コスモスの白い花が、黒い枝の間に

(ちらりほらりとさきのこっています。)

チラリホラリと咲き残っています。

(くつぬぎいしのところにはなんのあとかたもありませんでした。おおかたゆうべのうちに)

沓脱石の処には何のあとかたもありませんでした。おおかた昨夜のうちに

(きんじょのいぬかねこかがきてなめてしまったのだろうとおもわれるくらいきれいになって)

近所の犬か猫かが来て舐めてしまったのだろうと思われる位キレイになって

(おりました。さんたろうくんはほっとしました。そうしてなにくわぬかおでちょうしょくまえの)

おりました。三太郎君はホッとしました。そうして何喰わぬ顔で朝食前の

(さんぽにでかけました。)

散歩に出かけました。

(うらのいえにはだれかまたあたらしいひとがひっこしてくるらしく、かしやふだがきれいに)

裏の家には誰か又新しい人が引越して来るらしく、貸家札がキレイに

(はぎとられてありました。)

剥ぎ取られてありました。

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