晩年 ⑨

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プレイ回数797難易度(4.2) 5936打 長文 かな
太宰 治

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問題文

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(うえのあねのがっこうはしたのあねのがっこうよりもちいさいまちにあったので、おみやげもしたのあねの) 上の姉の学校は下の姉の学校よりも小さいまちにあったので、お土産も下の姉の (それにくらべていつもまずしげだった。いつかうえのあねが、なにもなくてぇ、とかおをあかく) それに較べていつも貧しげだった。いつか上の姉が、何もなくてぇ、と顔を赤く (していいつつせんこうはなびをいつたばむたばばすけっとからだしてわたしにあたえたが、わたしは) して言いつつ線香花火を五束六束バスケットから出して私に与えたが、私は (そのときむねをしめつけられるおもいがした。このあねもまたきりょうがわるいという) そのとき胸をしめつけられる思いがした。此の姉も亦きりょうがわるいという (うちのひとたちからいわれいわれしていたのである。このあねはじょがっこうへ) うちの人たちからいわれいわれしていたのである。この姉は女学校へ (はいるまでは、そうそぼとふたりではなれざしきにねおきしていたものだから、そうそぼの) はいるまでは、曾祖母とふたりで離座敷に寝起きしていたものだから、曾祖母の (むすめだとばかりわたしはおもっていたほどであった。そうそぼはわたしがしょうがっこうをそつぎょうするころ) 娘だとばかり私は思っていたほどであった。曾祖母は私が小学校を卒業する頃 (なくなったが、しろいきものをきせられちいさくかじかんだそうそぼのすがたをのうかんのさい) なくなったが、白い着物を着せられ小さくかじかんだ曾祖母の姿を納棺の際 (ちらとみたわたしは、このすがたがこののちながくわたしのめにこびりついたらどうしようと) ちらと見た私は、この姿がこののちながく私の眼にこびりついたらどうしようと (しんぱいした。わたしはほどなくしょうがっこうをそつぎょうしたが、からだがよわいからというので、) 心配した。私はほどなく小学校を卒業したが、からだが弱いからと言うので、 (うちのひとたちはわたしをこうとうしょうがっこうにいちねんかんだけかよわせることにした。からだが) うちの人たちは私を高等小学校に一年間だけ通わせることにした。からだが (じょうぶになったらちゅうがくへいれてやる、それもあにたちのようにとうきょうのがっこうではけんこうに) 丈夫になったら中学へ入れてやる、それも兄たちのように東京の学校では健康に (わるいから、もっといなかのちゅうがくへいれてやる、とちちがいっていた。) 悪いから、もっと田舎の中学へいれてやる、と父が言っていた。 (わたしはちゅうがっこうへなどそれほどはいりたくなかったのだけれどそれでも、からだが) 私は中学校へなどそれほど入りたくなかったのだけれどそれでも、からだが (よわくてざんねんにおもう。とつづりかたへかいてせんせいたちのどうじょうをしいたりしていた。) 弱くて残念に思う。と綴方へ書いて先生たちの同情を強いたりしていた。 (このじぶんには、わたしのむらにもちょうせいがしかれていたが、そのこうとうしょうがっこうはわたしのまちと) この時分には、私の村にも町制が敷かれていたが、その高等小学校は私の町と (ふきんのごろくかそんときょうどうでしゅっししてつくられたものであって、まちからはんりもはなれた) 附近の五六ヶ村と共同で出資して作られたものであって、まちから半里も離れた (まつばやしのなかにあった。わたしはびょうきのためにしじゅうがっこうをやすんでいたのだけれど) 松林の中に在った。私は病気のためにしじゅう学校をやすんでいたのだけれど (そのしょうがっこうのだいひょうしゃだったので、たそんからのゆうとうせいがたくさんあつまるこうとうしょうがっこ) その小学校の代表者だったので、他村からの優等生がたくさん集まる高等小学校 (でもいちばんになるようつとめなければいけなかったのである。しかしわたしはそこでも) でも一番になるよう努めなければいけなかったのである。しかし私はそこでも
など
(あいかわらずべんきょうをしなかった。いまにちゅうがくせいになるのだ、というわたしのじきょうが、) 相変わらず勉強をしなかった。いまに中学生に成るのだ、という私の自矜が、 (そのこうとうしょうがっこうをきたなくふゆかいにかんじさせていたのだ。わたしはじゅぎょうちゅうもおもにれんぞく) その高等小学校を汚く不愉快に感じさせていたのだ。私は授業中もおもに連続の (まんがをかいた。きゅうけいじかんになると、こわいろをつかってそれをせいとたちへせつめいして) 漫画をかいた。休憩時間になると、声色をつかってそれを生徒たちへ説明して (やった。そんなまんがをかいたてちょうがしごさつもたまった。つくえにほおづえついてきょうしつの) やった。そんな漫画をかいた手帖が四五冊もたまった。机に頬杖ついて教室の (そとのけしきをぼんやりながめていちじかんをすごすこともあった。わたしはがらすまどのそばに) 外の景色をぼんやり眺めて一時間を過ごすこともあった。私は硝子窓の傍に (ざせきをもっていたが、そのまどのがらすいたにははえがいっぴきおしつぶされて) 座席をもっていたが、その窓の硝子板には蠅がいっぴき押しつぶされて (ながいことねばりついたままでいて、それがわたしのしやのかたすみにぼんやりとおおきく) ながいことねばりついたままでいて、それが私の視野の片隅にぼんやりと大きく (はいってくると、わたしにはきじかやまばとかのようにおもわれ、いくたびとなくおどろかされた) はいって来ると、私には雉か山鳩かのように思われ、幾たびとなく驚かされた (ものであった。わたしをあいしているごろくにんのせいとたちといっしょにじゅぎょうをにげて、まつばやしの) ものであった。私を愛している五六人の生徒たちと一緒に授業を逃げて、松林の (うらにあるぬまのきしべにねころびつつ、じょせいとのはなしをしたり、みなできものをまくって) 裏にある沼の岸辺に寝ころびつつ、女生徒の話をしたり、皆で着物をまくって (そこにうっすりはえそめたけをくらべあったりしてあそんだのである。) そこにうっすり生えそめた毛を較べ合ったりして遊んだのである。 (そのがっこうはおとことおんなのきょうがくであったが、それでもわたしはじぶんからじょせいとにちかづいた) その学校は男と女の共学であったが、それでも私は自分から女生徒に近づいた (ことなどなかった。わたしはよくじょうがはげしいから、けんめいにそれをおさえ、おんなにも) ことなどなかった。私は欲情がはげしいから、懸命にそれをおさえ、女にも (たいへんおくびょうになっていた。わたしはそれまで、ふたりさんにんのおんなのこからおもわれたが、) たいへん臆病になっていた。私はそれまで、二人三人の女の子から思われたが、 (いつでもしらないふりをしてきたのだった。ていてんのじんせんがちょうをちちのほんだなから) いつでも知らない振りをして来たのだった。帝展の人選画帳を父の本棚から (もちだしては、そのなかにひそめられたしろいえにほおをほてらせてながめいったり、) 持ち出しては、その中にひそめられた白い画に頬をほてらせて眺めいったり、 (わたしのかっていたひとつがいのうさぎにしばしばこうはいさせ、そのおすうさぎのせなかを) 私の飼っていたひとつがいの兎にしばしば交配させ、その雄兎の脊中を (こんもりとまるくするようしにむねをときめかせたり、そんなことでわたしはこらえていた) こんもりと丸くする容姿に胸をときめかせたり、そんなことで私はこらえていた (わたしはみえぼうであったから、あの、あんまをさえだれにもうちあけなかった。) 私は見え坊であったから、あの、あんまをさえ誰にも打ちあけなかった。 (そのがいをほんでよんで、それをやめようとさまざまなくしんをしたが、だめであった) その害を本で読んで、それをやめようとさまざまな苦心をしたが、駄目であった (そのうちにわたしはそんなとおいがっこうへまいにちあるいてかよったおかげで、からだもふとって) そのうちに私はそんな遠い学校へ毎日あるいてかよったお陰で、からだも太って (きた。ひたいのへんにあわつぶのようなちいさいふきでものがでてきた。これもはずかしく) 来た。額の辺にあわつぶのような小さい吹出物がでてきた。之も恥ずかしく (おもった。わたしはそれへほうたんこうというくすりをまっかにぬった。ちょうけいはそのとしけっこんして、) 思った。私はそれへ宝丹膏という薬を真赤に塗った。長兄はそのとし結婚して、 (しゅうげんのばんにわたしとおとうととはそのあによめのへやへしのんでいったが、あによめはへやのいりぐちを) 祝言の晩に私と弟とはその嫂の部屋へ忍んで行ったが、嫂は部屋の入口を (せにしてすわってかみをゆわせていた。わたしはかがみにうつったはなよめのほのじろいえがおを) 脊にして坐って髪を結わせていた。私は鏡に映った花嫁のほのじろい笑顔を (ちらりとみるなり、おとうとをひきずってにげかえった。そしてわたしは、たいしたもんで) ちらりと見るなり、弟をひきずって逃げ帰った。そして私は、たいしたもんで (ねえでば!とちからをこめてつよがりをいった。くすりであかいわたしのひたいのためによけいきも) ねえでば!と力をこめて強がりを言った。薬で赤い私の額のためによけい気も (ひけて、なおのことこんなはんぱつをしたのであった。) ひけて、尚のことこんな反撥をしたのであった。 (ふゆちかくなって、わたしもちゅうがっこうへのじゅけんべんきょうをはじめなければいけなくなった。) 冬ちかくなって、私も中学校への受験勉強を始めなければいけなくなった。 (わたしはざっしのこうこくをみて、とうきょうへいろいろのさんこうしょをちゅうもんした。けれども、それを) 私は雑誌の広告を見て、東京へ色々の参考書を注文した。けれども、それを (ほんばこにならべただけで、ちっともよまなかった。わたしのじゅけんすることになっていた) 本箱に並べただけで、ちっとも読まなかった。私の受験することになっていた (ちゅうがっこうは、けんでだいいちのまちにあって、しがんしゃもにさんばいはかならずあったのである) 中学校は、県でだいいちのまちに在って、志願者もニ三倍は必ずあったのである (わたしはときどきらくだいのけねんにおそわれた。そんなときにはわたしもべんきょうをした。そして) 私はときどき落第の懸念に襲われた。そんな時には私も勉強をした。そして (いっしゅうかんもつづけてべんきょうすると、すぐきゅうだいのかくしんがついてくるのだ。) 一週間もつづけて勉強すると、すぐ及第の確信がついて来るのだ。 (べんきょうするとなると、よるじゅうにじちかくまでとこにつかないで、あさはたいていよじに) 勉強するとなると、夜十二時ちかくまで床につかないで、朝はたいてい四時に (おきた。べんきょうちゅうはたみというじょちゅうをそばにおいて、ひをおこさせたりちゃを) 起きた。勉強中はたみという女中を傍に置いて、火をおこさせたり茶を (わかせたりした。たみは、どんなにおそくまでよいっぱりしてもあくるあさは、よじに) わかせたりした。たみは、どんなにおそくまで宵っぱりしても翌あさは、四時に (なるとかならずわたしをおこしにきた。わたしがさんじゅつのねずみがこをうむおうようもんだいなどに) なると必ず私を起こしに来た。私が算術の鼠が子を産む応用問題などに (こまらされているそばで、たみはおとなしくしょうせつをよんでいた。あとになって、) 困らされている傍で、たみはおとなしく小説を読んでいた。あとになって、 (たみのかわりにとしとったこえたじょちゅうがわたしへつくようになったが、それがははの) たみの代わりに年とった肥えた女中が私へつくようになったが、それが母の (さしがねであることをしったわたしは、ははのそのていいをかんがえてかおをしかめた。) さしがねである事を知った私は、母のその底意を考えて顔をしかめた。 (そのよくしゅん、ゆきのまだふかくつもっていたころ、わたしのちちはとうきょうのびょういんでちをはいて) その翌春、雪のまだ深く積もっていた頃、私の父は東京の病院で血を吐いて (しんだ。ちかくのしんぶんしゃはちちのふをごうがいでほうじた。わたしはちちのしよりも、こういう) 死んだ。ちかくの新聞社は父の訃を号外で報じた。私は父の死よりも、こういう (せんせいしょんのほうにこうふんをかんじた。いぞくのなにまじってわたしのなもしんぶんに) センセイションの方に興奮を感じた。遺族の名にまじって私の名も新聞に (でていた。ちちのしがいはおおきいねかんによこたわりそりにのってこきょうへかえってきた。) 出ていた。父の死骸は大きい寝棺に横たわり橇に乗って故郷へ帰ってきた。 (わたしはおおぜいのまちのひとたちといっしょにとなりむらちかくまでむかえにいった。やがてもりのかげから) 私は大勢のまちの人たちと一緒に隣村近くまで迎えに行った。やがて森の蔭から (いくだいとなくつづいたそりのほろがげっこうをうけつつすべってでてきたのをながめて) 幾台となく続いた橇の幌が月光を受けつつ滑って出て来たのを眺めて (わたしはうつくしいとおもった。つぎのひ、わたしのうちのひとたちはちちのねかんのおかれてある) 私は美しいと思った。つぎの日、私のうちの人たちは父の根棺の置かれてある (ぶつまにあつまった。かんのふたがとりはらわれるとみんなこえをたててないた。) 仏間に集まった。棺の蓋が取りはらわれるとみんな声をたてて泣いた。 (ちちはねむっているようであった。たかいはなすじがすっとあおじろくなっていた。) 父は眠っているようであった。高い鼻筋がすっと青白くなっていた。 (わたしはみなのなきこえをきき、さそわれてなみだをながした。) 私は皆の鳴き声を聞き、さそわれて涙を流した。 (わたしのいえはそのひとつきものかん、かじのようなさわぎであった。わたしはそのこんざつに) 私の家はそのひとつきもの間、家事のような騒ぎであった。私はその混雑に (まぎれて、じゅけんべんきょうをまったくおこたったのである。こうとうしょうがっこうのがくねんしけんにもほとんど) まぎれて、受験勉強を全く怠ったのである。高等小学校の学年試験にも殆ど (でたらめなとうあんをつくってだした。わたしのせいせきはぜんたいのさんばんかそれくらいであったが、) 出鱈目な答案を作って出した。私の成績は全体の三番かそれくらいであったが、 (これはあきらかにうけもちくんどうのわたしのうちにたいするえんりょからであった。わたしはそのころ) これは明らかに受持訓導の私のうちに対する遠慮からであった。私はそのころ (すでにきおくりょくのげんたいをかんじていて、したしらべでもしていかないとしけんにはなにも) 既に記憶力の減退を感じていて、したしらべでもして行かないと試験には何も (かけなかったのである。わたしにとってそんなけいけんははじめてであった。) 書けなかったのである。私にとってそんな経験は始めてであった。
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