中島敦「鏡花の文章」 1
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問題文
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(にほんにははなのめいしょがあるように、にほんのぶんがくにもじょうちょのめいしょがある。)
日本には花の名所があるように、日本の文学にも情緒の名所がある。
(いずみきょうかしのげいじゅつがすなわちそれだ。)
泉鏡花氏の芸術が即ちそれだ。
(とだれかがいっていたのをわたしはおぼえている。)
と誰かが言って居たのを私は覚えている。
(しかし、いまどきのじょがくせいしょくんのなかに、)
併し、今時の女学生諸君の中に、
(きょうかのさくひんなぞをよんでいるひとはほとんどいないであろうとおもわれる。)
鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆どいないであろうと思われる。
(また、もし、そんなひとがいたところで、)
又、もし、そんな人がいた所で、
(そういうひとはきっといまさらきょうかでもあるまいというにちがいない。)
そういう人はきっと今更鏡花でもあるまいと言うに違いない。
(にもかかわらず、わたしがここでおおいばりでいいたいのは、)
にもかかわらず、私がここで大威張りで言いたいのは、
(にほんじんにうまれながら、あるいはにほんごをかいしながら、)
日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、
(きょうかのさくひんをよまないのは、)
鏡花の作品を読まないのは、
(せっかくのにほんじんたるとっけんをほうきしているようなものだ。)
折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。
(ということである。)
ということである。
(しかもしがなおやしのようなさっかはこれをしらないことがふこうであるとどうように、)
しかも志賀直哉氏のような作家は之を知らないことが不幸であると同様に、
(これをしることもすくなくともぶんがくをこころざすものにとってはふこうであると、)
之を知ることも(少なくとも文学を志すものにとっては)不幸であると、
(いささかぎゃくせつてきではあるがいえるのだが、きょうかしのばあいはこれとことなる。)
(いささか逆説的ではあるが)言えるのだが、鏡花氏の場合は之と異なる。
(きょうかしのさくひんについてはこれをしらないことはふこうであり、)
鏡花氏の作品については之を知らないことは不幸であり、
(これをしることはこうである。)
之を知ることは幸である。
(とはっきりいいきれるのである。)
とはっきり言い切れるのである。
(ここに、しのさくひんのきんだいてきしょうせつでないゆえんがあり、)
ここに、氏の作品の近代的小説で無い所以があり、
(またそれがえいえんにあたらしいみりょくをもつゆえんもある。)
又それが永遠に新しい魅力をもつ所以もある。