海野十三 蠅男⑮

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※➀に同じくです。


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問題文

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(いきているしゅじん)

◇生きている主人◇

(よるはいたくふけていた。)

夜はいたく更けていた。

(あおぐと、かんてんにはいっぱいのほしがきらきらかがやいていた。)

仰ぐと、寒天には一杯の星がキラキラ輝いていた。

(はれわたったあんこくのよるーー)

晴れ亙った暗黒の夜ーー

(ほとんどこうじんのすがたもないおおどおりを、むらまつけんじとほむらそうろくののったけいさつじどうしゃは、)

ほとんど行人の姿もない大通りを、村松検事と帆村荘六の乗った警察自動車は、

(だんがんのようにしっくしていた。)

弾丸のように疾駆していた。

(てんがちゃやさんちょうめは、すぴーどのうえでは、まるでりんかもどうようであった。)

天下茶屋三丁目は、スピードの上では、まるで隣家も同様であった。

(たまやていのまえで、ふたりはくるまをおりた。)

玉屋邸の前で、二人は車を下りた。

(とびらをあけてくれたのをみると、それは、ほむらもかねてかおみしりの)

扉を開けてくれたのを見ると、それは、帆村もかねて顔見知りの

(おおかわじゅんさぶちょうだった。かれはちょくりつふどうのしせいをして、)

大川巡査部長だった。彼は直立不動の姿勢をして、

(ーーわたしがもっぱらおくがいけいかいのしきにあたっとりますと、けんじにほうこくした。)

「ーー私がもっぱら屋外警戒の指揮に当っとります」と、検事に報告した。

(それはごくろう。すっかりていたくをとりまいているのかね)

「それは御苦労。すっかり邸宅を取巻いているのかネ」

(へえ、それはもうかんぜんやともうしあげたいくらいだす。へいそと、)

「へえ、それはもう完全やと申上げたいくらいだす。塀外(へいそと)、

(もんない、ていたくのしゅういと、つごうさんじゅうにとりまいていますさかい、)

門内、邸宅の周囲と、都合三重に取巻いていますさかい、

(これこそほんまのありのはいでるすきまもないーーというやつでござります)

これこそホンマの蟻の匍いでる隙間もないーーというやつでござります」

(たいへんなけいかいぶりだね)

「たいへんな警戒ぶりだネ」

(へえ、こっちもいじだす。こんどはえおとこにやられてしもたら、)

「へえ、こっちも意地だす。こんど蠅男にやられてしもたら、

(それこそけいさつのいしんちにおつだす。かんぜんほういをやらんことには、)

それこそ警察の威信地に墜つだす。完全包囲をやらんことには、

(よかれあしかれ、どっちゃにしてもねざめがわるおます)

良かれ悪しかれ、どっちゃにしても寝覚めがわるおます」

(このきょだいなたいくのもちぬしは、あごひもをかけたつらにますくもつけず、)

この巨大な体躯の持ち主は、頤紐をかけた面にマスクもつけず、

など

(かれのおおきなだんごっぱなはさむけのためにいちごのようにあかかった。)

彼の大きな団子鼻は寒気のために苺のように赤かった。

(なににしても、たいへんながんばりかただった。)

なににしても、たいへんな頑張り方だった。

(むらまつとほむらは、かんしたいのあいだをぬってけいかいせんをいちじゅんした。)

村松と帆村は、監視隊の間を縫って警戒線を一巡した。

(なるほど、えいがにでてくるくにさだちゅうじのとりものをおもわせるような)

なるほど、映画に出てくる国定忠治の捕り物を思わせるような

(だいきぼのものだった。けいかんのはくいきがよめにもしろくみえた。)

大規模のものだった。警官の吐く息が夜目にも白く見えた。

(いちじゅんご、ふたりは、げんじゅうなもんをひらいてもらって、げんかんにはいった。)

一巡後、二人は、厳重な門を開いて貰って、玄関に入った。

(さすがにおくないは、しずまりかえっていた。でもざしきにはいると、)

さすがに屋内は、鎮まりかえっていた。でも座敷に入ると、

(ふすまのかげやかいだんのしたに、けいかんがもくぞうのようにたっていた。)

襖の蔭や階段の下に、警官が木像のように立っていた。

(そしてけんじのちかづくのをみると、いちいちていちょうなけいれいをした。)

そして検事の近づくのを見ると、一々鄭重な敬礼をした。

(ああけんじさんけんじさん。ーー)

「ああ検事さん検事さん。ーー」

(けいかいそうしきかんのまさきしょちょうが、むこうからやってきた。かれもあごひもをかけ、)

警戒総指揮官の正木署長が、向うからやって来た。彼も頤紐をかけ、

(あしにはくつしたをぬいで、そのかわりにふるたびをはいていた。)

足には靴下を脱いで、その代りに古足袋を履いていた。

(それはとりもののさい、たたみのうえですべらないためらしかった。)

それは捕り物の際、畳の上で滑らないためらしかった。

(おおまさきくんか。ーーきみ、はえおとこというのはなんじゅうにんぐらいで、)

「おお正木君か。ーー君、蠅男というのは何十人ぐらいで、

(たいをなしてくるのかね)

隊をなしてくるのかネ」

(たいをなして?ーーはっはっはっ。けんじさんのおくちにはかないまへん。ともかくも)

「隊をなして?ーーハッハッハッ。検事さんのお口には敵いまへん。ともかくも

(おくないのどこからどこまで、わたしのとこでかんぜんにしきがとれるようになっとります)

屋内のどこからどこまで、私のとこで完全に指揮がとれるようになっとります」

(うむ、かんぜんかんぜんのかんばんばやりだわい)

「ウム、完全完全の看板流行りだわい」

(え、なんでございます)

「え、何でございます」

(いや、かわのふくろからもみずがもるというてね、ゆだんはできないよ。)

「いや、革の袋からも水が漏るというてネ、油断はできないよ。

(ーーしゅじんこうのいるところはどこかね)

ーー主人公の居るところは何処かネ」

(ああ、それはこちらだす。どうぞ、こちらへーー)

「ああ、それはこちらだす。どうぞ、こちらへーー」

(まさきしょちょうは、けんじをろうかづたいにたまやそういちろうのしょさいのまえにつれていった。)

正木署長は、検事を廊下づたいに玉屋総一郎の書斎の前に連れていった。

(そこのとびらのまえには、おにをあざむくようなごうりきのけいかんが)

そこの扉の前には、鬼を欺くような強力(ごうりき)の警官が

(さんにんもたっていた。けんじはどあのほうによって、はんどるをにぎってまわしてみた。)

三人も立っていた。検事はドアの方によって、ハンドルを握って廻してみた。

(ああ、あきまへんとけいかんのひとりがいった。)

「ああ、あきまへん」と警官の一人がいった。

(ごしゅじんがなかにはいって、じぶんでかぎをかけていてだんね)

「御主人が中に入って、自分で鍵をかけていてだんネ」

(なかからかぎをーーするとけいかんもなかへははいれないのかね)

「中から鍵をーーすると警官も中へは入れないのかネ」

(けいかんまで、はえおとこのいちみやないかおもうとるようですなあ)

「警官まで、蠅男の一味やないか思うとるようですなア」

(ちょっとあってみたいがーー)

「ちょっと会ってみたいがーー」

(そんなら、とびらをたたいてみまっさ)

「そんなら、扉を叩いてみまっさ」

(けいかんが、なんだかあいずらしいたたきさまで、とびらをどんどんどん、どんどんとたたいた。)

警官が、なんだか合図らしい叩き様で、扉をドンドンドン、ドンドンと叩いた。

(そしてしゅじんのなをおおごえでよんでいると、やがてとびらのむこうでかすかながら、)

そして主人の名を大声で呼んでいると、やがて扉の向うで微かながら、

(これにこたえるそういちろうのわめきごえがあった。)

これに応える総一郎の喚き声があった。

(ーーさっきことわっときましたやろ。もうたたいたりせんといておくれやす。)

「ーーさっき断っときましたやろ。もう叩いたりせんといておくれやす。

(そのたんびにしんぞうがわくわくして、はえおとこにやられるよりもまえに)

そのたんびに心臓がワクワクして、蠅男にやられるよりも前に

(しんぞうまひになりますがな)

心臓麻痺になりますがな」

(しゅじんこうは、こころぼそいことをいって、おびえきっていた。)

主人公は、心細いことを云って、脅えきっていた。

(まさきしょちょうはけんじにはっせいをうながしたが、むらまつはかぶりをふって)

正木署長は検事に発声をうながしたが、村松はかぶりを振って

(もうそのようのないことをしめした。で、しょちょうがかわって、)

もうその用のないことを示した。で、署長が代って、

(ーーわたしはしょちょうのまさきだすがなあ、なにもかわったことはあらしまへんか)

「ーー私は署長の正木だすがなア、なにも変ったことはあらしまへんか」

(するとなかからは、そういちろうのげんきなこえで、)

すると中からは、総一郎の元気な声で、

(ああしょちょうさんでっか。えろうしつれいしましたな。いまのところ、)

「ああ署長さんでっか。えろう失礼しましたな。今のところ、

(なにもかわりはあらしまへん。しかししょちょうさん。さつじんよこくのにじゅうよじかんめというと)

何も変りはあらしまへん。しかし署長さん。殺人予告の二十四時間目というと

(ごごじゅうにじやさかい、もうあとさんじゅっぷんほどだすなあ)

午後十二時やさかい、もうあと三十分ほどだすなア」

(そうーーちょっとまちなはれ。うむ、いまはじゅういちじさんじゅうごふんやからーー)

「そうーーちょっと待ちなはれ。ウム、今は十一時三十五分やからーー

(ええごしゅじん、もうあとにじゅうごふんのしんぼうだす)

ええ御主人、もうあと二十五分の辛抱だす」

(あとにじゅうごふんでも、あぶないさかい、すぐにはけいかいをといてもろうたら)

「あと二十五分でも、危ないさかい、すぐには警戒を解いて貰うたら

(あきまへんぜ。わたしもこのへやから、あさまででてゆかんつもりや、)

あきまへんぜ。私もこの室から、朝まで出てゆかんつもりや、

(よろしまっしゃろな)

よろしまっしゃろな」

(しょうちしました。--するとあさまで、ごしゅじんはどうしてはります)

「承知しました。--すると朝まで、御主人はどうしてはります」

(じゅうにじすぎたら、ここによういしてあるべっどにもぐりこんで)

「十二時すぎたら、ここに用意してあるベッドにもぐりこんで

(あさがたまでねむりますわ)

朝方まで眠りますわ」

(さよか。そんならおだいじに、なにかあったら、)

「さよか。そんならお大事に、なにかあったら、

(すぐあのしんごうのひもをひっぱるのだっせ)

すぐあの信号の紐を引張るのだっせ」

(わかってます。ーーそんならもうとびらをたたかんようにおたのみもうしまっせ。)

「わかってます。ーーそんならもう扉を叩かんようにお頼み申しまっせ。

(はえおとこがきたのかおもうて、びっくりしますがなといってそういちろうはことばをきったが、)

蠅男が来たのか思うて、吃驚しますがな」といって総一郎は言葉を切ったが、

(またあわててこえをついで、ーーそれからあのう、)

また慌てて声をついで、「ーーそれからあのウ、

(いけたによのすけはかえってきましたやろか。そこにいまへんか)

池谷与之助は帰って来ましたやろか。そこにいまへんか」

(ああいけたにはんだっか。さあーーとしょちょうはうしろをふりかえって、)

「ああ池谷はんだっか。さあーー」と署長は後ろをふりかえって、

(けいかんのへんじをもとめたあとで、どこやらいってしもうたそうや。)

警官の返事を求めたあとで、「どこやら行ってしもうたそうや。

(うちにおらしまへんぜ)

うちに居らしまへんぜ」

(ああそうでっか。おおきに。ーーそんならこれで)

「ああそうでっか。おおきに。ーーそんならこれで

(しゃべるのんはおしまいにしまっせ)

喋るのんはお仕舞いにしまっせ」

(ほむらは、さっきからしきりとりょうにんのとびらごしのかいわに)

帆村は、さっきからしきりと両人の扉ごしの会話に

(みみをかたむけていたが、このときくびをさゆうにふって、)

耳を傾けていたが、このとき首を左右に振って、

(ーーしゃべるのはおしまいにしまっせ、か。)

「ーー喋るのはお仕舞いにしまっせ、か。

(これがえいえんのしゃべりじまいとなるといういみかしら。ほいこれはよくないけだて)

これが永遠の喋り仕舞いとなるという意味かしら。ホイこれは良くない卦だて」

(といって、おおきなくちびるをぐっとへのじにまげた。)

といって、大きな唇をグッとへの字に曲げた。

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