有島武郎 火事とポチ⑤/⑥

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(「ぽちがいなくなってかわいそうねえ。ころされたんだわ。きっと」)

「ポチがいなくなってかわいそうねえ。殺されたんだわ。きっと」

(といもうとは、さびしいやまみちにたちすくんでなきだしそうなこえをだした。)

と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。

(ほんとうにぽちがころされるかぬすまれでもしなければ)

ほんとうにポチが殺されるかぬすまれでもしなければ

(いなくなってしまうわけがないんだ。でも)

いなくなってしまうわけがないんだ。でも

(そんなことがあってたまるものか。あんなにつよいぽちが)

そんなことがあってたまるものか。あんなに強いポチが

(ころされるきづかいはめったにないし、ぬすもうとするひとがきたら)

殺される気づかいはめったにないし、ぬすもうとする人が来たら

(かみつくにきまっている。どうしたんだろうなあ。)

かみつくに決まっている。どうしたんだろうなあ。

(いやになっちまうなあ。)

いやになっちまうなあ。

(・・・ぼくははらがたってきた。そしていもうとにいってやった。)

・・・ぼくは腹がたってきた。そして妹にいってやった。

(「もとはっていえばおまえがわるいんだよ。おまえがいつか、)

「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、

(ぽちなんかいやないぬ、あっちいけっていったじゃないか」)

ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」

(「あら、それはじょうだんにいったんだわ」「じょうだんだっていけないよ」)

「あら、それは冗談にいったんだわ」「冗談だっていけないよ」

(「それでぽちがいなくなったんじゃないことよ」「そうだい・・・)

「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」「そうだい・・・

(そうだい。それじゃなぜいなくなったんだかしってるかい・・・)

そうだい。それじゃなぜいなくなったんだか知ってるかい・・・

(そうれみろ」「あっちにいけっていったって、ぽちはどこにも)

そうれ見ろ」「あっちに行けっていったって、ポチはどこにも

(いきはしなかったわ」「そうさ。それはそうさ・・・ぽちだって)

行きはしなかったわ」「そうさ。それはそうさ・・・ポチだって

(どうしようかってかんがえていたんだい」「でもにいさんだって)

どうしようかって考えていたんだい」「でもにいさんだって

(ぽちをぶったことがあってよ」「ぶちなんてしませんよだ」)

ポチをぶったことがあってよ」「ぶちなんてしませんよだ」

(「いいえ、ぶってよほんとうに」「ぶったっていいやい・・・)

「いいえ、ぶってよほんとうに」「ぶったっていいやい・・・

(ぶったって」ぽちがぼくのおもちゃをめちゃくちゃにこわしたから、)

ぶったって」ポチがぼくのおもちゃをめちゃくちゃにこわしたから、

など

(ぽちがきゃんきゃんというほどぶったことがあった。・・・それを)

ポチがきゃんきゃんというほどぶったことがあった。・・・それを

(いもうとにいわれたら、なんだかそれがもとでぽちがいなくなったようにも)

妹にいわれたら、なんだかそれがもとでポチがいなくなったようにも

(なってきた。でもぼくはそうおもうのはいやだった。どうしてもいもうとが)

なってきた。でもぼくはそう思うのはいやだった。どうしても妹が

(わるいんだとおもった。いもうとがにくらしくなった。)

悪いんだと思った。妹がにくらしくなった。

(「ぶったってぼくはあとでかわいがってやったよ」)

「ぶったってぼくはあとでかわいがってやったよ」

(「わたしだってかわいがってよ」いもうとがやまのなかでしくしくなきだした。)

「私だってかわいがってよ」 妹が山の中でしくしく泣きだした。

(そうしたらおとうとまでなきだした。ぼくもいっしょになきたくなったけれども、)

そうしたら弟まで泣きだした。ぼくもいっしょに泣きたくなったけれども、

(くやしいからがまんしていた。)

くやしいからがまんしていた。

(なんだかやまのなかにさんにんきりでいるのがきゅうにこわいようにおもえてきた。)

なんだか山の中に三人きりでいるのが急にこわいように思えてきた。

(そこへじょちゅうがぼくたちをさがしにきて、いえではぼくたちが)

そこへ女中がぼくたちをさがしに来て、家ではぼくたちが

(みえなくなったのでしんぱいしているからはやくかえれといった。)

見えなくなったので心配しているから早く帰れといった。

(じょちゅうをみたらいもうともおとうともきゅうにこえをはりあげてなきだした。ぼくも)

女中を見たら妹も弟も急に声をはりあげて泣きだした。ぼくも

(とうとうむやみにかなしくなってなきだした。)

とうとうむやみに悲しくなって泣きだした。

(じょちゅうにつれられていえにかえってきた。「まああなたがたは)

女中に連れられて家に帰って来た。「まああなたがたは

(どこをうろついていたんです、ごはんもたべないで・・・そしてさんにんとも)

どこをうろついていたんです、御飯も食べないで・・・そして三人とも

(そんなにないて・・・」とおかあさんはほんとうに)

そんなに泣いて・・・」とおかあさんはほんとうに

(おこったようなこえでいった。そしてにぎりめしをだしてくれた。)

おこったような声でいった。そしてにぎり飯を出してくれた。

(それをみたらきゅうにはらがすいてきた。いままでないていて、すぐそれを)

それを見たら急に腹がすいてきた。今まで泣いていて、すぐそれを

(たべるのはすこしはずかしかったけれども、すぐたべはじめた。そこに、)

食べるのはすこしはずかしかったけれども、すぐ食べはじめた。そこに、

(やけあとではたらいているじんそくがきて、ぽちがみつかったとしらせてくれた。)

焼けあとで働いている人足が来て、ポチが見つかったと知らせてくれた。

(ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、)

ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、

(おおさわぎをして「どこにいました」とたずねた。)

大さわぎをして「どこにいました」とたずねた。

(「ひどいけがをしてものおきのかげにいました」)

「ひどいけがをして物置きのかげにいました」

(とじんそくのひとはいって、すぐぼくたちをつれていってくれた。ぼくは)

と人足の人はいって、すぐぼくたちを連れていってくれた。ぼくは

(にぎりめしをほうりだして、てについてるごはんつぶをきもので)

にぎり飯をほうり出して、手についてる御飯つぶを着物で

(はらいおとしながら、おおいそぎでそのひとのあとからかけだした。)

はらい落としながら、大急ぎでその人のあとから駆け出した。

(いもうとやおとうともまけずおとらずついてきた。)

妹や弟も負けず劣らずついて来た。

(はんやけになったものおきがひらべったくたおれている、そのうしろに)

半焼けになった物置きが平べったくたおれている、その後ろに

(さん、よにんのじんそくがかがんでいた。ぼくたちをむかえにきてくれたじんそくは)

三、四人の人足がかがんでいた。ぼくたちをむかえに来てくれた人足は

(そのなかまのところにいって、「おい、ちょっとそこをどきな」)

その仲間の所にいって、「おい、ちょっとそこをどきな」

(といったらみんなたちあがった。)

といったらみんな立ち上がった。

(そこにぽちがまるまってねていた。)

そこにポチがまるまって寝ていた。

(ぼくたちはむちゅうになって「ぽち」とよびながら、ぽちのところにいった。)

ぼくたちは夢中になって「ポチ」とよびながら、ポチのところに行った。

(ぽちはみうごきもしなかった。)

ポチは身動きもしなかった。

(ぼくたちはぽちをひとめみておどろいてしまった。)

ぼくたちはポチを一目見ておどろいてしまった。

(からだじゅうをやけどしたとみえて、ふさふさしているけが)

からだじゅうをやけどしたと見えて、ふさふさしている毛が

(ところどころきつねいろにこげて、どろがいっぱいこびりついていた。)

ところどころ狐色にこげて、どろがいっぱいこびりついていた。

(そしてあたまやあしにはちがまっくろになってこびりついていた。)

そして頭や足には血が真黒になってこびりついていた。

(ぽちだかどこのいぬだかわからないほどきたなくなっていた。)

ポチだかどこの犬だかわからないほどきたなくなっていた。

(かけこんでいったぼくはおもわずあとずさりした。)

駆けこんで行ったぼくは思わずあとずさりした。

(ぽちはぼくたちのきたのをしると、すこしあたまをあげて)

ポチはぼくたちの来たのを知ると、すこし頭を上げて

(ちばしっためでかなしそうにぼくたちのほうをみた。)

血走った目で悲しそうにぼくたちの方を見た。

(そしてまえあしをうごかしてたとうとしたが、どうしてもたてないで、)

そして前足を動かして立とうとしたが、どうしても立てないで、

(そのままねころんでしまった。)

そのまま寝ころんでしまった。

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