有島武郎 火事とポチ⑥/⑥(終)

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問題文

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(「かわいそうに、おちてきたざいもくでこしっぽねでもやられたんだろう」)

「かわいそうに、落ちて来た材木で腰っ骨でもやられたんだろう」

(「なにしろひとばんじゅうきゃんきゃんいって)

「なにしろ一晩じゅうきゃんきゃんいって

(ひのまわりをとびあるいていたから、つかれもしたろうよ」)

火のまわりを飛び歩いていたから、つかれもしたろうよ」

(「みろ、あすこからあんなにちがながれてらあ」)

「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」

(じんそくたちがくちぐちにそんなことをいった。ほんとうにちがでていた。)

人足たちが口々にそんなことをいった。ほんとうに血が出ていた。

(ひだりのあとあしのつけねのところからちがながれて、それがじめんにこぼれていた。)

左のあと足のつけ根の所から血が流れて、それが地面にこぼれていた。

(「いたわってやんねえ」「おれゃいやだ」)

「いたわってやんねえ」「おれゃいやだ」

(そんなことをいって、じんそくたちもかんびょうしてやるひとはいなかった。)

そんなことをいって、人足たちも看病してやる人はいなかった。

(ぼくはなんだかきみがわるかった。けれどもあんまりかわいそうなので、)

ぼくはなんだか気味が悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、

(こわごわとおくからあたまをなでてやったら、はなのさきをふるわしながら、)

こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、

(めをつぶってあたまをもちあげた。それをみたらぼくはきたないのも)

目をつぶって頭をもち上げた。それを見たらぼくはきたないのも

(きみのわるいのもわすれてしまって、いきなりそのそばにいって)

気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばにいって

(あたまをかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい)

頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい

(ともだちをいちどでもぶったろうとおもって、もうぽちがどんなことをしても)

友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしても

(ぶつなんて、そんなことはしまいとおもった。ぽちはおとなしく)

ぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく

(めをつぶったままでぼくのほうにあたまをよせかけてきた。からだじゅうが)

目をつぶったままでぼくの方に頭を寄せかけて来た。からだじゅうが

(ぶるぶるふるえているのがわかった。)

ぶるぶるふるえているのが分かった。

(いもうとやおとうともぽちのまわりにあつまってきた。そのうちにおとうさんも)

妹や弟もポチのまわりに集まって来た。そのうちにおとうさんも

(おかあさんもきた。ぼくはおとうさんにてつだって、ばけつでみずをはこんで)

おかあさんも来た。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んで

(きて、きれいなしろいきれでしずかにどろやちをあらいおとしてやった。)

来て、きれいな白いきれで静かにどろや血をあらい落としてやった。

など

(いたいところをあらってやるときには、ぽちはそこにはなさきをもってきて、)

いたい所をあらってやる時には、ポチはそこに鼻先を持って来て、

(あらうてをおしのけようとした。)

あらう手をおしのけようとした。

(「よしよししずかにしていろ。いまきれいにしてきずをなおしてやるからな」)

「よしよし静かにしていろ。今きれいにしてきずをなおしてやるからな」

(おとうさんがにんげんにものをいうようにやさしいこえでこういったりした。)

おとうさんが人間に物をいうようにやさしい声でこういったりした。

(おかあさんはひとにしれないようにないていた。)

おかあさんは人に知れないように泣いていた。

(よくふざけるぽちだったのにもうふざけるなんて、そんなことは)

よくふざけるポチだったのにもうふざけるなんて、そんなことは

(ちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。)

ちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。

(からだをすっかりふいてやったおとうさんが、けががひどいから)

からだをすっかりふいてやったおとうさんが、けががひどいから

(いぬのいしゃをよんでくるといってでかけていったるすに、ぼくはいもうとたちに)

犬の医者をよんでくるといって出かけて行ったるすに、ぼくは妹たちに

(てつだってもらって、わらでねどこをつくってやった。そしてたおるでぽちの)

手伝ってもらって、藁で寝床を作ってやった。そしてタオルでポチの

(からだをすっかりふいてやった。ぽちをねどこのうえにねかし)

からだをすっかりふいてやった。ポチを寝床の上に臥(ね)かし

(かえようとしたら、いたいとみえて、はじめてひどいこえをだして)

かえようとしたら、いたいと見えて、はじめてひどい声を出して

(なきながらかみつきそうにした。じんぷたちもしんせつにせわしてくれた。)

鳴きながらかみつきそうにした。人夫たちも親切に世話してくれた。

(そしていたきれでぽちのまわりにかこいをしてくれた。ふゆだから、さむいから、)

そして板きれでポチのまわりに囲いをしてくれた。冬だから、寒いから、

(けがぬれているとずいぶんさむいだろうとおもった。)

毛がぬれているとずいぶん寒いだろうと思った。

(いしゃがきてくすりをぬったりのませたりしてからは、じんそくたちもおかあさんも)

医者が来て薬をぬったり飲ませたりしてからは、人足たちもおかあさんも

(いってしまった。おとうともさむいからというのでおかあさんにつれていかれて)

行ってしまった。弟も寒いからというのでおかあさんに連れて行かれて

(しまった。けれどもおとうさんとぼくといもうとはぽちのそばをはなれないで、)

しまった。けれどもおとうさんとぼくと妹はポチのそばをはなれないで、

(じっとそのようすをみていた。おかあさんがじょちゅうにぎゅうにゅうでにたおかゆを)

じっとその様子を見ていた。おかあさんが女中に牛乳で煮たおかゆを

(もってこさせた。ぽちはよろこんでそれをたべてしまった。かじのばんから)

持って来させた。ポチは喜んでそれを食べてしまった。火事の晩から

(みっかのあいだぽちはなんにもたべずにしんぼうしていたんだもの、)

三日の間ポチはなんにも食べずにしんぼうしていたんだもの、

(さぞおかゆがうまかったろう。)

さぞおかゆがうまかったろう。

(ぽちはじっとまるまってふるえながらめをつぶっていた。めがしらのところが)

ポチはじっとまるまってふるえながら目をつぶっていた。目がしらの所が

(なみだでしじゅうぬれていた。そしてときどきほそくめをあいて)

涙でしじゅうぬれていた。そして時々細く目をあいて

(ぼくたちをじっとみるとまたねむった。)

ぼくたちをじっと見るとまたねむった。

(いつのまにかさむいさむいゆうがたがきた。おとうさんがもうだいじょうぶだから)

いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう大丈夫だから

(いえにはいろうといったけれども、ぼくははいるのがいやだった。)

家にはいろうといったけれども、ぼくははいるのがいやだった。

(よどおしでもぽちといっしょにいてやりたかった。おとうさんは)

夜どおしでもポチといっしょにいてやりたかった。おとうさんは

(しかたなくさむいさむいといいながらひとりでいってしまった。)

しかたなく寒い寒いといいながら一人で行ってしまった。

(ぼくといもうとだけがあとにのこった。あんまりよくねるので)

ぼくと妹だけがあとに残った。あんまり よく睡(ね)るので

(しんではいないかとおもって、ちいさなこえで「ぽちや」というと)

死んではいないかと思って、小さな声で「ポチや」というと

(ぽちはめんどうくさそうにめをひらいた。)

ポチはめんどうくさそうに目を開いた。

(そしてすこしだけしっぽをふってみせた。)

そしてすこしだけしっぽをふって見せた。

(とうとうよるになってしまった。ゆうごはんでもあるし、かぜをひくと)

とうとう夜になってしまった。夕御飯でもあるし、かぜをひくと

(たいへんだからといっておかあさんがむりにぼくたちをつれにきたので、)

大変だからといっておかあさんが無理にぼくたちを連れに来たので、

(ぼくといもうととはぽちのあたまをよくなでてやっていえにかえった。)

ぼくと妹とはポチの頭をよくなでてやって家に帰った。

(つぎのあさ、めをさますと、ぼくはきものもきかえないでぽちのところに)

次の朝、目をさますと、ぼくは着物も着かえないでポチの所に

(いってみた。おとうさんがぽちのわきにしゃがんでいた。そして、)

行って見た。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、

(「ぽちはしんだよ」といった。)

「ポチは死んだよ」といった。

(ぽちはしんでしまった。)

ポチは死んでしまった。

(ぽちのおはかはいまでも、あのこじきのひとのすんでいた、)

ポチのお墓は今でも、あの乞食の人の住んでいた、

(もりのなかのてらのにわにあるかしらん。)

森の中の寺の庭にあるかしらん。

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