有島武郎 或る女82

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(「さあいらっしゃいまし、こんやはにぎやかですのよ。ここへどうぞ(そう)

「さあいらっしゃいまし、今夜はにぎやかですのよ。ここへどうぞ(そう

(いってことうのとなりのざをめでしめした)。くらちさん、このかたがいつもおうわさを)

云って古藤の隣の座を目で示した)。倉地さん、この方がいつもおうわさを

(するきむらのしんゆうのことうぎいちさんです。きょうめずらしくいらしってください)

する木村の親友の古藤義一さんです。きょう珍しくいらしってください

(ましたの。これがじむちょうをしていらしったくらちさんきちさんです」しょうかいされた)

ましたの。これが事務長をしていらしった倉地三吉さんです」紹介された

(くらちはこころおきないたいどでことうのそばにすわりながら、「わたしはたしか)

倉地は心置きない態度で古藤のそばにすわりながら、「わたしはたしか

(そうかくかんでちょっとおめにかかったようにおもうがごあいさつもせずしっけいしました。)

双鶴館でちょっとお目にかかったように思うが御挨拶もせず失敬しました。

(こちらにはしじゅうおせわになっとります。いごよろしく」といった。ことうは)

こちらには始終お世話になっとります。以後よろしく」といった。古藤は

(しょうめんからくらちをじっとみやりながらちょっとあたまをさげたきりものもいわなかった。)

正面から倉地をじっと見やりながらちょっと頭を下げたきり物もいわなかった。

(くらちはかるがるしくだしたじぶんのいまのことばをふかいにおもったらしく、にがりきって)

倉地は軽々しく出した自分の今の言葉を不快に思ったらしく、苦りきって

(かおをしょうめんになおしたが、しいてどりょくするようにえがおをつくってもういちどことうを)

顔を正面に直したが、しいて努力するように笑顔を作ってもう一度古藤を

(かえりみた。「あのときからするとみちがえるようにかわられましたな。わたしも)

顧みた。「あの時からすると見違えるように変わられましたな。わたしも

(にっしんせんそうのときははんぶんぐんじんのようなせいかつをしたが、なかなかおもしろかった)

日清戦争の時は半分軍人のような生活をしたが、なかなかおもしろかった

(ですよ。しかしくるしいこともたまにはおありだろうな」ことうはしょくたくを)

ですよ。しかし苦しい事もたまにはおありだろうな」古藤は食卓を

(みやったまま、「ええ」とだけこたえた。くらちのがまんはそれまでだった。)

見やったまま、「ええ」とだけ答えた。倉地の我慢はそれまでだった。

(いちざはそのきぶんをかんじてなんとなくしらけわたった。ようこのてなれたtactでも)

一座はその気分を感じてなんとなく白け渡った。葉子の手慣れたtactでも

(それはなかなかいっそうされなかった。おかはそのきまずさをきょうれつなでんきのように)

それはなかなか一掃されなかった。岡はその気まずさを強烈な電気のように

(かんじているらしかった。ひとりさだよだけはしゃぎかえった。「このさらだは)

感じているらしかった。ひとり貞世だけはしゃぎ返った。「このサラダは

(あいねえさんがおすとおりーぶゆをまちがってあぶらをたくさんかけたからきっと)

愛ねえさんがお酢とオリーブ油を間違って油をたくさんかけたからきっと

(あぶらっこくってよ」あいこはおだやかにさだよをにらむようにして、)

油っこくってよ」愛子はおだやかに貞世をにらむようにして、

(「さあちゃんひどい」といった。さだよはへいきだった。「そのかわり)

「貞(さあ)ちゃんひどい」といった。貞世は平気だった。「その代わり

など

(わたしがまたおすをあとからいれたからすっぱすぎるところがあるかも)

わたしがまたお酢をあとから入れたからすっぱすぎる所があるかも

(しれなくってよ。もすこしついでにおはもいれればよかってねえ、あいねえさん」)

しれなくってよ。も少しついでにお葉も入れればよかってねえ、愛ねえさん」

(みんなはおもわずわらった。ことうもわらうにはわらった。しかしそのわらいごえはすぐ)

みんなは思わず笑った。古藤も笑うには笑った。しかしその笑い声はすぐ

(しずまってしまった。やがてことうがとつぜんはしをおいた。「ぼくがわるいために)

しずまってしまった。やがて古藤が突然箸をおいた。「僕が悪いために

(せっかくのしょくたくをたいへんふゆかいにしたようです。すみませんでした。)

せっかくの食卓をたいへん不愉快にしたようです。すみませんでした。

(ぼくはこれでしつれいします」ようこはあわてて、「まあそんなことはちっとも)

僕はこれで失礼します」葉子はあわてて、「まあそんな事はちっとも

(ありませんことよ。ことうさんそんなことをおっしゃらずにしまいまで)

ありません事よ。古藤さんそんな事をおっしゃらずにしまいまで

(いらしってちょうだいどうぞ。みんなでとちゅうまでおおくりしますから」)

いらしってちょうだいどうぞ。みんなで途中までお送りしますから」

(ととめたがことうはどうしてもきかなかった。ひとびとはしょくじなかばで)

ととめたが古藤はどうしてもきかなかった。人々は食事なかばで

(たちあがらねばならなかった。ことうはくつをはいてから、おびかわをとりあげて)

立ち上がらねばならなかった。古藤は靴をはいてから、帯皮を取り上げて

(けんをつると、ようふくのしわをのばしながら、ちらっとあいこにするどくめをやった。)

剣をつると、洋服のしわを延ばしながら、ちらっと愛子に鋭く目をやった。

(はじめからほとんどものをいわなかったあいこは、このときもだまったまま、)

始めからほとんど物をいわなかった愛子は、この時も黙ったまま、

(たこんなにゅうわなめをおおきくみひらいて、ちゅうざをしていくことうをうつくしくたしなめる)

多恨な柔和な目を大きく見開いて、中座をしていく古藤を美しくたしなめる

(ようにじっとみかえしていた、それをようこのするどいしかくはみのがさなかった。)

ようにじっと見返していた、それを葉子の鋭い視覚は見のがさなかった。

(「ことうさん、あなたこれからきっとたびたびいらしってくださいましよ。)

「古藤さん、あなたこれからきっとたびたびいらしってくださいましよ。

(まだまだもうしあげることがたくさんのこっていますし、いもうとたちもおまちもうして)

まだまだ申し上げる事がたくさん残っていますし、妹たちもお待ち申して

(いますから、きっとですことよ」そういってようこもしたしみをこめたひとみを)

いますから、きっとですことよ」そういって葉子も親しみを込めたひとみを

(おくった。ことうはしゃちこばったぐんたいしきのりつれいをして、さくさくとじゃりのうえに)

送った。古藤はしゃちこ張った軍隊式の立礼をして、さくさくと砂利の上に

(くつのおとをたてながら、ゆうやみのもよおしたすぎもりのしたみちのほうへときえていった。)

靴の音を立てながら、夕闇の催した杉森の下道のほうへと消えて行った。

(みおくりにたたなかったくらちがざしきのほうでひとりごとのようにだれにむかって)

見送りに立たなかった倉地が座敷のほうでひとり言のようにだれに向かって

(ともなく「ばか!」というのがきこえた。)

ともなく「ばか!」というのが聞こえた。

(さんじゅうごようことくらちとはたけしばかんいらいたびたびいえをあけてちいさなこいのぼうけんを)

【三五】 葉子と倉地とは竹柴館以来たびたび家を明けて小さな恋の冒険を

(たのしみあうようになった。そういうときにくらちのいえにでいりするがいこくじんや)

楽しみ合うようになった。そういう時に倉地の家に出入りする外国人や

(まさいなどがどうはんすることもあった。がいこくじんはおもにべいこくのひとだったが、ようこは)

正井などが同伴する事もあった。外国人はおもに米国の人だったが、葉子は

(くらちがそういうひとたちをどうざさせるいみをしって、そのなめらかなえいごと、)

倉地がそういう人たちを同座させる意味を知って、そのなめらかな英語と、

(だれでもーーことにかおやてのひょうじょうにほんのうてきなきょうみをもつがいこくじんをーーこわくしない)

だれでもーーことに顔や手の表情に本能的な興味を持つ外国人をーー蠱惑しない

(ではおかないはなやかなおうせつぶりとで、かれらをとりこにすることにせいこうした。)

では置かないはなやかな応接ぶりとで、彼らをとりこにする事に成功した。

(それはくらちのしごとをすくなからずたすけたにちがいなかった。くらちのかねまわりは)

それは倉地の仕事を少なからず助けたに違いなかった。倉地の金まわりは

(ますますじゅんたくになっていくらしかった。ようこいっかはくらちときむらとから)

ますます潤沢になって行くらしかった。葉子一家は倉地と木村とから

(みつがれるかねでちゅうりゅうかいきゅうにはありえないほどよゆうのあるせいかつができたのみならず、)

貢がれる金で中流階級にはあり得ないほど余裕のある生活ができたのみならず、

(ようこはじゅうぶんのしおくりをさだこにして、なおあまるかねをおんならしくまいつきぎんこうに)

葉子は充分の仕送りを定子にして、なお余る金を女らしく毎月銀行に

(あずけいれるまでになった。)

預け入れるまでになった。

(しかしそれとともにくらちはますますすさんでいった。めのひかりにさえ)

しかしそれとともに倉地はますますすさんで行った。目の光にさえ

(もとのようにたいかいにのみみるかんかつなむとんじゃくなそしておそろしく)

もとのように大海にのみ見る寛濶な無頓着(むとんじゃく)なそして恐ろしく

(ちからづよいひょうじょうはなくなって、いらいらとあてもなくもえさかるせきたんのひのような)

力強い表情はなくなって、いらいらとあてもなく燃えさかる石炭の火のような

(ねつとふあんとがみられるようになった。ややともするとくらちはとつぜん)

熱と不安とが見られるようになった。ややともすると倉地は突然

(わけもないことにきびしくはらをたてた。まさいなどはこっぱみじんに)

わけもない事にきびしく腹を立てた。正井などは木っ葉みじんに

(しかりとばされたりした。そういうときのくらちはあらしのようなきょうぼうな)

しかり飛ばされたりした。そういう時の倉地はあらしのような狂暴な

(いりょくをしめした。)

威力を示した。

(ようこもじぶんのけんこうがだんだんわるいほうにむいていくのをいしきしないでは)

葉子も自分の健康がだんだん悪いほうに向いて行くのを意識しないでは

(いられなくなった。くらちのこころがすさめばすさむほどようこにたいしてようきゅうするものは)

いられなくなった。倉地の心がすさめばすさむほど葉子に対して要求するものは

(もえただれるじょうねつのにくたいだったが、ようこもまたしらずしらずじぶんをそれに)

燃えただれる情熱の肉体だったが、葉子もまた知らず知らず自分をそれに

(てきおうさせ、かつはじぶんがくらちからどうようなきょうぼうなあいぶをうけたいよくねんから、)

適応させ、かつは自分が倉地から同様な狂暴な愛撫を受けたい欲念から、

(さきのこともあとのこともかんがえずに、げんざいのかのうのすべてをつくしてくらちのようきゅうに)

先の事もあとの事も考えずに、現在の可能のすべてを尽くして倉地の要求に

(おうじていった。のうもしんぞうもふりまわして、ゆすぶって、たたきつけて、)

応じて行った。脳も心臓も振り回して、ゆすぶって、たたきつけて、

(いっきにもうかであぶりたてるようなげきじょう、たましいばかりになったような、)

一気に猛火であぶり立てるような激情、魂ばかりになったような、

(にくばかりになったようなきょくたんなしんけいのこんらん、そしてそのあとにつづく)

肉ばかりになったような極端な神経の混乱、そしてそのあとに続く

(しめつとどうぜんのけんたいひろう。にんげんがゆうするせいめいりょくをどんぞこからためしこころみる)

死滅と同然の倦怠疲労。人間が有する生命力をどん底からためし試みる

(そういうぎゃくたいがひににどもさんどもくりかえされた。そうしてそのあとでは)

そういう虐待が日に二度も三度も繰り返された。そうしてそのあとでは

(くらちのこころはきっとやじゅうのようにさらにすさんでいた。ようこはふかいきわまる)

倉地の心はきっと野獣のようにさらにすさんでいた。葉子は不快きわまる

(びょうりてきのゆううつにおそわれた。しずかににぶくせいめいをおびやかすようぶのいたみ、)

病理的の憂鬱に襲われた。静かに鈍く生命を脅かす腰部の痛み、

(にひきのしょうまがにくとほねとのあいだにはいりこんで、にくをかたにあててほねを)

二匹の小魔が肉と骨との間にはいり込んで、肉を肩にあてて骨を

(ふんばって、うんとちからまかせにそりあがるかとおもわれるほどのかたのこり、)

踏んばって、うんと力任せに反り上がるかと思われるほどの肩の凝り、

(だんだんこどうをひくめていって、こきゅうをくるしくして、いまはたらきをとめるかと)

だんだん鼓動を低めて行って、呼吸を苦しくして、今働きを止めるかと

(あやぶむと、いっときにみみにまでおとがきこえるくらいはげしくうごきだすふきそくな)

あやぶむと、一時に耳にまで音が聞こえるくらい激しく動き出す不規則な

(しんぞうのどうさ、もやもやとひのきりでつつまれたり、とうめいなこおりのみずでみたされる)

心臓の動作、もやもやと火の霧で包まれたり、透明な氷の水で満たされる

(ようなずのうのくるい、・・・こういうげんしょうはひいちにちとせいめいにたいする、そして)

ような頭脳の狂い、・・・こういう現象は日一日と生命に対する、そして

(じんせいにたいするようこのさいぎをはげしくした。)

人生に対する葉子の猜疑を激しくした。

(うちょうてんのできらくのあとにおそってくるさびしいとも、かなしいとも、はかないとも)

有頂天の溺楽のあとに襲って来るさびしいとも、悲しいとも、はかないとも

(けいようのできないそのくうきょさはなによりもようこにつらかった。たといそのばで)

形容のできないその空虚さは何よりも葉子につらかった。たといその場で

(いのちをたってもそのくうきょさはえいえんにようこをおそうもののようにもおもわれた。)

命を絶ってもその空虚さは永遠に葉子を襲うもののようにも思われた。

(ただこれからのがれるただひとつのみちはすてばちになって、いちじてきのものだとは)

ただこれからのがれるただ一つの道は捨てばちになって、一時的のものだとは

(しりぬきながら、そしてそのあとにはさらにくるしいくうきょさがまちぶせして)

知り抜きながら、そしてそのあとにはさらに苦しい空虚さが待ち伏せして

(いるとはかくごしながら、つぎのできらくをおうほかはなかった。きぶんのすさんだ)

いるとは覚悟しながら、次の溺楽を逐うほかはなかった。気分のすさんだ

(くらちもおなじようことおなじこころでおなじことをもとめていた。こうしてふたりはていしするところの)

倉地も同じ 葉子と同じ心で同じ事を求めていた。こうして二人は底止する所の

(ないいずこかへてをつないでまよいこんでいった。)

ないいずこかへ手をつないで迷い込んで行った。

(あるあさようこはあさゆをつかってから、れいのろくじょうできょうだいにむかったがいちにちいちにちに)

ある朝葉子は朝湯を使ってから、例の六畳で鏡台に向かったが一日一日に

(かわっていくようなじぶんのかおにはただおどろくばかりだった。すこしたてにながくみえる)

変わって行くような自分の顔にはただ驚くばかりだった。少し縦に長く見える

(かがみではあるけれども、そこにうつるすがたはあまりにほそっていた。そのかわりめは)

鏡ではあるけれども、そこに映る姿はあまりに細っていた。その代わり目は

(まえにもましておおきくすずをはって、けしょうやけともおもわれぬうすいむらさきいろのしきそが)

前にも増して大きく鈴を張って、化粧焼けとも思われぬ薄い紫色の色素が

(そのまわりにあらわれてきていた。それがようこのめにたとえばしんりんにかこまれた)

そのまわりに現われて来ていた。それが葉子の目にたとえば森林に囲まれた

(すんだみずうみのようなふかみとしんぴとをそえるようにもみえた。はなすじはやせほそって)

澄んだ湖のような深みと神秘とを添えるようにも見えた。鼻筋はやせ細って

(せいしんてきなびんかんさをきわだたしていた。ほおのいたいたしくこけたために、ようこのかおに)

精神的な敏感さをきわ立たしていた。頬の傷々しくこけたために、葉子の顔に

(いうべからざるあたたかみをあたえるえくぼをうしなおうとしてはいたが、そのかわりに)

いうべからざる暖かみを与える笑窪を失おうとしてはいたが、その代わりに

(そこにはなやましくものおもわしいはりをくわえていた。ただようこがどうしても)

そこには悩ましく物思わしい張りを加えていた。ただ葉子がどうしても

(べんごのできないのはますますめだってきたかたいしたあごのりんかくだった。しかし)

弁護のできないのはますます目立って来た固い下顎の輪郭だった。しかし

(とにもかくにもにくじょうのこうふんのけっかがかおにようせいなせいしんびをつけくわえているのは)

とにもかくにも肉情の興奮の結果が顔に妖凄な精神美を付け加えているのは

(ふしぎだった。ようこはこれまでのけしょうほうをぜんぜんあらためるひつようをそのあさになって)

不思議だった。葉子はこれまでの化粧法を全然改める必要をその朝になって

(しみじみとかんじた。そしていままできていたいるいまでがのこらずきにくわなく)

しみじみと感じた。そして今まで着ていた衣類までが残らず気に食わなく

(なった。そうなるとようこはやもたてもたまらなかった。)

なった。そうなると葉子は矢もたてもたまらなかった。

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