海野十三 蠅男㉒
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問題文
(あやしきめ)
◇怪しき眼◇
(れいじんいとこは、わるびれたようすもなく、いけたにひかえやともんぴょうのうってある)
麗人糸子は、悪びれた様子もなく、「池谷控家」と門標のうってある
(ぶんかじゅうたくのなかへずんずんとはいっていった。しかしわずかここすうじつのうちに、)
文化住宅のなかへズンズンと入っていった。しかし僅かここ数日のうちに、
(いたいたしいほどやつれのみえるいとこだった。)
痛々しいほど窶れの見える糸子だった。
(いとこのちちは、はえおとこからおくられたきょうはくじょうのとおりにせいかくにさつがいされた。)
糸子の父は、蠅男から送られた脅迫状のとおりに正確に殺害された。
(それはあまりにもひどいさんげきであった。おまつりさわぎのようにたすうのけいかんたいに)
それはあまりにも酷い惨劇であった。お祭り騒ぎのように多数の警官隊に
(とりまかれながら、きかいにもていないのみっしつのなかにひごうのさいごをとげたいとこのちち、)
とりまかれながら、奇怪にも邸内の密室のなかに非業の最期をとげた糸子の父、
(たまやそういちろう。かのじょにはもうちちもなく、ははとはずっとむかしにしにわかれ、いまはまったく)
玉屋総一郎。彼女にはもう父もなく、母とはずっと昔に死に別れ、今は全く
(てんがいのこじとはなってしまった。れいじんのうしろすがたにみえるふかやつれに、だれか)
天涯の孤児とはなってしまった。麗人の後ろ姿に見える深窶れに、だれか
(なみだをもよおさないものがあろうか。)
涙を催さない者があろうか。
(それにしても、にくんでもあきたりないのはかのはえおとこ!はえおとここそ)
それにしても、憎んでも飽き足りないのは 彼(か)の蠅男! 蠅男こそ
(きだいのさつじんまである。しかししょうたいのしれないはえおとこであった。ほむらたんていの)
稀代の殺人魔である。しかし正体の知れない蠅男であった。帆村探偵の
(だしたこたえによると、はえおとこはみっしつのなかにけむりのようにでいりするつうりきを)
出した答えによると、蠅男は密室のなかに煙のように出入りする通力を
(もち、そしてせたけはおよそはっしゃくもあるひじょうにちからのつよいじんぶつである。だが)
持ち、そして背丈はおよそ八尺もある非常に力の強い人物である。だが
(そんなばけものみたいなにんげんがじっさいよのなかにすんでいるとはだれがしんじようか。)
そんな化物みたいな人間が実際世の中に住んでいるとは誰が信じようか。
(しかもほむらはでたらめをいっているのではない。かれははんせきからくわしくただしく)
しかも帆村は出鱈目をいっているのではない。彼は犯跡から精しく正しく
(しらべあげてまちがいのないこたえをだしたのだ。ああきだいのきかい!はえおとことは、)
調べあげて間違いのない答えを出したのだ。ああ稀代の奇怪! 蠅男とは、
(むかしのえぞうしにでてくるおおにゅうどうか?)
昔の絵草紙に出てくる大入道か?
(はえおとこのしょうたいをどうしてもつきとめねば、ふたたびとうきょうへかえらないとこころにちかった)
蠅男の正体をどうしても突き止めねば、再び東京へ帰らないと心に誓った
(せいねんたんていほむらそうろくは、みはいまかんらくきょうたからづかしんおんせんちにあることさえまったく)
青年探偵帆村荘六は、身はいま歓楽境宝塚新温泉地にあることさえ全く
(わすれ、ぜんしんのしんけいをりょうがんにあつめてそりんのこだちのあいだから、いけたにひかえやに)
忘れ、全身の神経を両眼にあつめて疎林の木立ちの間から、池谷控家に
(ちかづきゆくいとこのうしろすがたをじっとみまもっているのだった。さきほどのはなしあいで、)
近づきゆく糸子の後ろ姿をじっと見守っているのだった。さきほどの話合いで、
(いとことほむらとのあいだにはなにか、あるしゅのりょうかいができているらしいことは、)
糸子と帆村との間にはなにか、ある種の了解ができているらしいことは、
(いとこのけなげなあしどりによってもそれとしられる。)
糸子の健気な足どりによってもそれと知られる。
(いけたにいしから(きょうのごぜんちゅうに、だれにもしらさずたずねてこい、さもないと)
池谷医師から(今日の午前中に、誰にも知らさず訪ねてこい、さもないと
(とりかえしのつかないことがおこる)とでんわされたいとこだったが、そのようじとは)
取返しのつかないことが起こる)と電話された糸子だったが、その用事とは
(いったいなにごとであろうか。)
一体何事であろうか。
(またいけたにとつれだって、このひかえやのなかにはいったわかいまるがおのじょせいについては、)
また池谷と連れだって、この控家のなかに入った若い丸顔の女性については、
(いとこはこころあたりがないといったが、はたしてかのじょはなにものであろうか。)
糸子は心当たりがないといったが、果して彼女は何者であろうか。
(そのあやしきおんなといけたにとが、たからづかのおんせんのなかからいっせんかつどうの)
その怪しき女と池谷とが、宝塚の温泉のなかから一銭活動の
(じんぞうけんというふぃるむをかってもちだしているんだが、それは)
「人造犬」というフィルムを買って持ちだしているんだが、それは
(なんのもくてきあってのことだろう?)
何の目的あってのことだろう?
(こんなふうにかんがえてくると、ほむらはこれからいとこをちゅうしんにして、むこうにみえる)
こんな風に考えてくると、帆村はこれから糸子を中心にして、向こうに見える
(いけたにひかえやのなかにおころうとするじけんが、これまでのかずかずのぎもんにきっと)
池谷控家のなかに起ころうとする事件が、これまでの数々の疑問にきっと
(はっきりしたこたえをあたえてくれるにちがいないことをおもうと、りょかんのどてらのしたに)
ハッキリした答えを与えてくれるに違いないことを思うと、旅館のどてらの下に
(ぜんしんがむしゃぶるいをもよおしてくるのだった。ーー)
全身が武者ぶるいを催してくるのだった。ーー
(さていとこはほむらにちゅういされたとおり、いちどとてうしろをふりむいたりなどせず、)
さて糸子は帆村に注意されたとおり、一度とて後ろを振り向いたりなどせず、
(ひたすらかのじょたんしんでたずねたふりをよそおった。)
ひたすら彼女単身で訪ねたふりを装った。
(かのじょはいけたにひかえやのげんかんにたった。)
彼女は池谷控家の玄関に立った。
(げんかんのとびらがはんびらきになっていた。そこでよびりんのぼたんをかるくおしたうえ、)
玄関の扉が半開きになっていた。そこで呼び鈴の釦を軽く押した上、
(なかにはいっていった。それはかってしったるしゅじいのいえであったから。)
なかに入っていった。それは勝手知ったる主治医の家であったから。
(いとこのすがたがとびらのうちにきえてしまうと、ほむらはさらにぜんしんにきんちょうがくわわるのを)
糸子の姿が扉の内に消えてしまうと、帆村はさらに全身に緊張が加わるのを
(おぼえた。かれはまばたきもせずに、こだちのあいだからひかえやのようすをねっしんにうかがった。)
覚えた。彼はまばたきもせずに、木立ちの間から控家の様子を熱心に窺った。
(いっぷん、にふん・・・。なんのかわりもない。)
一分、二分・・・。何の変りもない。
(まだだいじょうぶらしい。あいさつかなんかやっているところだろう)
「まだ大丈夫らしい。挨拶かなんかやっているところだろう」
(しばらくすると、にかいのまどにかかっているみずいろのかーてんがすこしゆらいだのを、)
暫くすると、二階の窓にかかっている水色のカーテンが少し揺らいだのを、
(びんしょうなほむらはとっさにみのがさなかった。)
敏捷な帆村は咄嗟に見のがさなかった。
(・・・にかいへあがったんだ)
「・・・二階へ上がったんだ」
(そのときかーてんのはしが、ほんのすこしまくれた。そしてそのかげから)
そのときカーテンの端が、ほんの少し捲れた。そしてその蔭から
(なにものともしれぬふたつのめがあらわれて、じっとこっちをながめているのだった。)
何者とも知れぬ二つの眼が現われて、ジッとこっちを眺めているのだった。
(だれ?いとこさんだろうか。はてすこしへんだぞ)
「誰? 糸子さんだろうか。ハテ少し変だぞ」
(とおもったそのしゅんかんだった。ふたつのあやしいめは、とつぜんかーてんのかげにひっこんだ。)
と思ったその瞬間だった。二つの怪しい眼は、突然カーテンの蔭に引っ込んだ。
(まあよかったーーとおもうおりしも、いきなりがちゃーんとすさまじいおんきょうがして、)
まあよかったーーと思う折しも、いきなりガチャーンとすさまじい音響がして、
(そのまどのがらすがこわれてがちゃがちゃがちゃんとがらすのはへんがのきをすべりおちるのを)
その窓の硝子が壊れてガチャガチャガチャンと硝子の破片が軒を滑り落ちるのを
(きいた。ほむらがはっといきをのむと、それとどうじにかーてんのちゅうおうあたりが)
聞いた。帆村がハッと息をのむと、それと同時にカーテンの中央あたりが
(ぱっとはねかえって、そこからまっさおなおんなのかおがでた。)
パッと跳ねかえって、そこから真っ青な女の顔が出た。
(あっ、いとこさんだっ。ーー)
「あッ、糸子さんだッ。ーー」
(おもわずほむらのさけんだこえ。いよいよいとこのきなんである。それはさらにめいりょうとなった。)
思わず帆村の叫んだ声。いよいよ糸子の危難である。それは更に明瞭となった。
(なぜならかーてんのあいだから、くろいにほんのうでがにゅーっとでていっぽうのては)
なぜならカーテンの間から、黒い二本の腕がニューッと出て一方の手は
(いとこのくちをおさえ、たほうのてはいとこのはいごからだきしめると、きょうせいてきに)
糸子の口をおさえ、他方の手は糸子の背後から抱きしめると、強制的に
(かのじょのからだをかーてんのうちにひっぱりこんだから。)
彼女の身体をカーテンのうちに引っ張りこんだから。
(な、なにもの!)
「な、何者!」
(かーてんはおおきくゆれながら、いとことくろいうでのじんぶつをうちがわにのんでしまった。)
カーテンは大きく揺れながら、糸子と黒い腕の人物を内側にのんでしまった。
(ほむらはこころをきめた。すぐさまていないにふみこもうとしたが、ほむらはかれのふくそうが)
帆村は心を決めた。すぐさま邸内に踏み込もうとしたが、帆村は彼の服装が
(そういうしゅうげきにてきしないのをかんがえてちぇっとしたうちした。したいをやくあくしゅうの)
そういう襲撃に適しないのを考えてチェッと舌打ちした。屍体を焼く悪臭の
(きじんかんにふみこんだときも、かれはやどのどてらすがただった。いままたいとこのきなんを)
奇人館に踏み込んだ時も、彼は宿のどてら姿だった。いままた糸子の危難を
(すくうために、なぞのいえにとっしんしようとしてきがついてみれば、これもまた)
救うために、謎の家に突進しようとして気がついて見れば、これもまた
(ほてるでかりたどてらすがたなんである。これではみをまもるものも、どあのかぎをはずす)
ホテルで借りたどてら姿なんである。これでは身を守るものも、ドアの鍵を外す
(あいかぎもなんにもない。たのむはにほんのうでと、そしてあたまのちからが)
合鍵もなんにもない。頼むは二本の腕と、そして頭脳(あたま)の力が
(あるばかりだった。おもえばなんとたたるどてらなんだろう。もうこれからは、)
あるばかりだった。思えば何と祟るどてらなんだろう。もうこれからは、
(ねるあいだだってきちんとせびろをきていなきゃだめだ。)
寝る間だってキチンと背広を着ていなきゃ駄目だ。
(ほむらはとっさになにかえものはないかとあたりをみまわした。)
帆村は咄嗟になにか得物はないかとあたりを見廻した。
(そのときかれのめにうつったのは、くさむらのうえにおちていたいっぽんのてつのぼうーーというより)
そのとき彼の眼に映ったのは、叢の上に落ちていた一本の鉄の棒ーーというより
(なにかおおきなきかいのかなぐがはずれておちていたといったふうな、はしのほうに)
何か大きな機械の金具が外れて落ちていたといった風な、端の方に
(ごてごてさいくのしてあるてつのぼうだった。それをむいしきにひろいあげると)
ゴテゴテ細工のしてある鉄の棒だった。それを無意識に拾いあげると
(みぎてにぐっとにぎりしめ、はやしのなかからとびだした。そしてしょうめんにみえる)
右手にぐっと握りしめ、林の中から飛び出した。そして正面に見える
(いけたにひかえやへむかってまっしぐらにかけだした。)
池谷控家へ向かって驀地にかけ出した。