海野十三 蠅男㉚
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問題文
(あやしきとまりきゃく)
◇怪しき泊まり客◇
(ふしぎなきょうはくじょうのはいたつほうほうであった。)
不思議な脅迫状の配達方法であった。
(ねえきみとほむらはじゅわきをまだはなさないでいった。)
「ねえ君」と帆村は受話器をまだ放さないで云った。
(そのでんわのあいては、どこからかけたのだかわかったかね)
「その電話の相手は、どこから掛けたのだか分かったかネ」
(いや、わかりまへん)
「いや、分かりまへん」
(もしやこのほてるのうちからかけたのではなかったかね)
「もしやこのホテルの内から掛けたのではなかったかネ」
(いえ、そらちがいます。ほてるのなかやったらもっともっとおおきなこえだすわ。)
「いえ、そら違います。ホテルの中やったらもっともっと大きな声だすわ。
(そしてもっとくせのあるおとをたてますがな。ほてるのそとからかかってきたでんわに)
そしてもっと癖のある音を立てますがな。ホテルの外から掛かって来た電話に
(ちがいあらしまへん)
違いあらしまへん」
(ほてるのなかからかけたでんわではないというんだね。ふーむほむらはくびを)
「ホテルの中から掛けた電話ではないというんだネ。フーム」帆村は首を
(さゆうにふった。それはひどくがてんがいかぬというしるしだった。)
左右に振った。それはひどく合点が行かぬというしるしだった。
(あてななしのてがみをほてるのにわにほうりこんでおいて、そしてかんぱつをいれず、)
宛名なしの手紙をホテルの庭に抛りこんで置いて、そして間髪を入れず、
(そとからそのてがみをひろえとでんわをかけてくることがそうやすやすとできること)
外からその手紙を拾えと電話を掛けてくることがそう安々と出来ること
(だろうか、いっぷんちがってもそのてがみはだれかにひろわれるかもしれないんだ。)
だろうか、一分違ってもその手紙は誰かに拾われるかもしれないんだ。
(そうするとかならずまちがいがおこるにきまっている。しかもつねによういしゅうとうな)
そうすると必ず間違いが起こるに極まっている。しかも常に用意周到な
(はえおとこである。かれがそんなぼうけんをするはずがない。ほむらのちょっかんでは、はえおとこは)
蠅男である。彼がそんな冒険をする筈がない。帆村の直感では、蠅男は
(このほてるのなかにいて、まどからそのてがみをにわへなげおとし、そしてほてるないの)
このホテルの中にいて、窓からその手紙を庭へ抛げ落とし、そしてホテル内の
(いっしつからすぐにちょうばへでんわをかけたものだろうとおもっていたのだ。しかし)
一室からすぐに帳場へ電話を掛けたものだろうと思っていたのだ。しかし
(ちょうばではあんにそういして、そのでんわはほてるがいからかかってきたんだという。)
帳場では案に相違して、その電話はホテル外から掛かって来たんだという。
(せっかくのほむらのかんがえも、そこでまったくくずれてしまうよりほかなかった。)
折角の帆村の考えも、そこで全く崩れてしまうよりほかなかった。
(ほむらはそこでいったんでんわをきった。)
帆村はそこで一旦電話を切った。
(いとこは、まだなにもしらずすやすやとねむっている。ほむらはそっとちかづいて、)
糸子は、まだ何も知らずスヤスヤと睡っている。帆村はソッと近づいて、
(かのじょのやわらかなてくびをにぎってみた。)
彼女の軟らかな手首を握ってみた。
(うむ、しずかなみゃくだ。しんぞうにはいじょうがない。だがどうみても、なにか)
「ウム、静かな脈だ。心臓には異常がない。だがどう見ても、何か
(すいみんざいのようなものをのまされているらしい)
睡眠剤のようなものを嚥まされているらしい」
(なにゆえのすいみんざいだろう。)
なにゆえの睡眠剤だろう。
(もちろんそれは、いとこをここへはこびこむためにそうするのがべんりだったと)
もちろんそれは、糸子をここへ搬びこむためにそうするのが便利だったと
(いうわけだろう。するといとこたちが、このほてるにはいってくるのをだれかみたものが)
いうわけだろう。すると糸子たちが、このホテルに入ってくるのを誰か見た者が
(ありそうなものだ。それをちょうばへいってききただしたいとおもった。)
ありそうなものだ。それを帳場へ行って聞き質したいと思った。
(かれはすぐにもちょうばのほうへおりてゆきたかったけれど、それははなはだきがかりで)
彼はすぐにも帳場の方へ下りてゆきたかったけれど、それは甚だ気懸りで
(あった。このへやには、いとこがひとりでねむっているのである。もしかれが)
あった。この部屋には、糸子がひとりで睡っているのである。もし彼が
(しつがいにでてかぎをかけていったとしても、さっきけむりのようにこのへやに)
室外に出て鍵をかけて行ったとしても、さっき煙のようにこの部屋に
(ちんにゅうしたはえおとこのいちみは、えたりかしこしとほむらのるすちゅうにふたたびこのへやに)
闖入した蠅男の一味は、えたりかしこしと帆村の留守中に再びこの部屋に
(おしいり、いとこにきがいをくわえるかもしれないのだ。これはうかつにへやを)
押し入り、糸子に危害を加えるかもしれないのだ。これは迂闊に部屋を
(でられないぞとおもった。)
出られないぞと思った。
(そうしたこころづかいがほむらのちみつなちゅういりょくをしょうこだてるものであった。けれど)
そうした心遣いが帆村の緻密な注意力を証拠立てるものであった。けれど
(そのいちめんにかれがいつものばあいとはちがい、なぜかしらきのよわいところがみえるのも)
その一面に彼がいつもの場合とは違い、なぜかしら気の弱いところが見えるのも
(ふしぎなことであった。ほむらはでんわきをとりあげて、がいせんにつないでもらった。)
不思議なことであった。帆村は電話器を取り上げて、外線につないで貰った。
(そしてかれはたからづかけいさつぶんしょをよびだした。かれはそこでじじょうをはなし、すぐにめいの)
そして彼は宝塚警察分署を呼び出した。彼はそこで事情を話し、すぐ二名の
(けいかんをとくはしてくれるようにたのんで、でんわをきった。けいかんはまもなく)
警官を特派してくれるように頼んで、電話を切った。警官は間もなく
(ほてるにとびこんできた。)
ホテルにとびこんで来た。
(やあほむらはん、なにごとがおこりました)
「やあ帆村はん、なにごとが起こりました」
(と、むこうからこえをかけられたのをみると、それはかねてみおぼえのある)
と、向こうから声をかけられたのを見ると、それはかねて見覚えのある
(すみよししょのおおおとこ、おおかわじゅんさぶちょうと、ほかいちめいであった。ほむらもきぐうにおどろいて)
住吉署の大男、大川巡査部長と、外一名であった。帆村も奇遇に愕いて
(たずねると、おおかわじゅんさぶちょうはきのうじれいがでて、このたからづかぶんしょのしほうしゅにんに)
尋ねると、大川巡査部長は昨日辞令が出て、この宝塚分署の司法主任に
(えいてんしたということがわかった。ときもとき、おりもところ、はえおとこのちょうりょうのまっただなかに)
栄転したということが分かった。時も時、折も所、蠅男の跳梁の真っ只中に
(だれをみてもうたがいたくなるとき、もっともしんようしてよいきゅうちのけいかんをむかえたことは、)
誰を見ても疑いたくなるとき、最も信用してよい旧知の警官を迎えたことは、
(ほむらにとってどんなにちからづよいことであったかわからなかった。)
帆村にとってどんなに力強いことであったか分からなかった。
(けいかんふたりをへやのなかにはいってもらって、いとこのほごをたのんだうえで、ほむらは)
警官二人を部屋の中に入って貰って、糸子の保護を頼んだ上で、帆村は
(ちょうばへとことことおりていった。)
帳場へトコトコと下りていった。
(ちょうばではおおかわしゅにんのほうもんをうけてから、すっかりきょうしゅくしきっていた。)
帳場では大川主任の訪問を受けてから、すっかり恐縮しきっていた。
(そしてほむらにありとあらゆるこういをしめそうとするのだった。)
そして帆村にありとあらゆる好意を示そうとするのだった。
(ほむらはさっきからかんがえていたところにしたがって、ちょうばにしつもんをはっした。)
帆村はさっきから考えていたところに従って、帳場に質問を発した。
(まずだれかほてるのものでこうこうしたわかいふじんをみかけたものはないかと)
まず誰かホテルの者でこうこうした若い婦人を見かけた者はないかと
(きいてみた。ちょうばでは、わたくしどもはけっしてみかけなかったとへんじをした。)
訊いてみた。帳場では、私どもは決して見かけなかったと返事をした。
(それからすぐやといにんたちをあつめて、おなじことをといあわせてくれた。しかし)
それからすぐ雇人たちを集めて、同じことを問い合わせてくれた。しかし
(だれひとりとして、いとこにがいとうするふじんをみたものはないということだった。)
誰一人として、糸子に該当する婦人を見た者はないということだった。
(ふーむ、どうもおかしいことだほむらはつよくくびをふった。)
「フーム、どうも可笑しいことだ」帆村は強く首を振った。
(だれにもみられないでこのほてるにしのびこむということができるだろうか。)
誰にも見られないでこのホテルに忍びこむということができるだろうか。
(うらぐちやひじょうばしごのことをきいてみたが、そこからもだれにもみとがめられないで)
裏口や非常梯子のことを訊いてみたが、そこからも誰にも見とがめられないで
(はいることはできないことがわかった。するといとこは、けむりのようにはいってきた)
入ることは出来ないことが分かった。すると糸子は、煙のように入って来た
(ことになる。そんなばかばかしいことがあってたまるものではない。)
ことになる。そんな莫迦莫迦しいことがあってたまるものではない。
(そこでほむらはきゅうよのさくとして、やどちょうをみせてもらった。もっかの)
そこで帆村は窮余の策として、宿帳を見せて貰った。目下(もっか)の
(とうりゅうきゃくは、ぜんぶでじゅっくみであった。おとこがじゅうさんにんに、おんながろくにんだった。)
逗留客は、全部で十組であった。男が十三人に、女が六人だった。
(つぎにかれはとうりゅうきゃくがほてるにはいったじかんをしらべていった。)
次に彼は逗留客がホテルに入った時間を調べていった。
(そのなかにかれはひとりのおとこのきゃくにちゅういりょくをうつしたのだった。)
その中に彼は一人の男の客に注意力を移したのだった。
(いのうえかずお。さんじゅうさんさい)
「井上一夫。三十三歳」
(と、たどたどしいひっせきでかいてあるひとりのおとこがあった。じゅうしょはなんようぱらおとう)
と、たどたどしい筆跡で書いてある一人の男があった。住所は南洋パラオ島
(じょうばんがいじゅういちばんちとべつなひっせきでかいてある。ほむらがあやしんだのは、)
常磐街十一番地と別な筆跡で書いてある。帆村が怪しんだのは、
(かのいのうえしがなんようからきたということではなかった。それはこのいのうえしが)
彼(か)の井上氏が南洋から来たということではなかった。それはこの井上氏が
(ほんじつのごごさんじはんにとうちゃくしたというそのじこくにあったのである。)
本日の午後三時半に到着したというその時刻にあったのである。
(ごごにほてるにはいったのはこのいのうえしだけであった。)
午後にホテルに入ったのはこの井上氏だけであった。
(ごごさんじはんといえば、かれがはえおとこにさんりんしゃをうばわれてのちとぼとぼとありまのまちの)
午後三時半といえば、彼が蠅男に三輪車を奪われてのちトボトボと有馬の町の
(ちゅうざいしょへころげこんだそのじこくなのであった。もしはえおとこがあのばあい、だいたんにも)
駐在所へ転げこんだその時刻なのであった。もし蠅男があの場合、大胆にも
(すぐにたからづかへひきかえしたとしたら、ごごさんじはんにはゆっくりこのほてるに)
すぐに宝塚へ引き返したとしたら、午後三時半にはゆっくりこのホテルに
(はいれるはずである。なにしろごごにほてるについたゆいいつのじんぶつであるから、)
入れる筈である。なにしろ午後にホテルに着いた唯一の人物であるから、
(よくしらべなければしょうちできない。)
よく調べなければ承知できない。
(これはどんなふうていのきゃくじんですかと、ほむらはちょうばにたずねた。)
「これはどんな風体の客人ですか」と、帆村は帳場に尋ねた。
(そうですなあ、とにかくかおのあおいおおきないろめがねをかけたひとだす。)
「そうですなア、とにかく顔の青い大きな色眼鏡をかけた人だす。
(かぜひいとるいうてだしたが、ひきずるようなぶかぶかのながいおーばーをきて、)
風邪ひいとる云うてだしたが、引きずるようなブカブカの長いオーバーを着て、
(えりをたててぶるぶるふるえていました。そしてくろかわのてぶくろをはめたまま、)
襟を立ててブルブル慄えていました。そして黒革の手袋をはめたまま、
(いのうえかずお、さんじゅうさんさいとひだりてでかっきょりました)
井上一夫、三十三歳と左手で書っきょりました」
(ほむらはうなった。いろめがねにながいがいとう、そしてえりをたててぶるぶるふるえている)
帆村は呻った。色眼鏡に長い外套、そして襟を立ててブルブル慄えている
(かおいろのあおいおとこだというのである。それはたしかにあやしいじんぶつだ。)
顔色の青い男だというのである。それはたしかに怪しい人物だ。
(なにかにもつをもっていなかった?)
「なにか荷物を持っていなかった?」
(さよう、もっていましたな。おおきなとらんくだす。ようこうするひとがもってあるく)
「さよう、持っていましたな。大きなトランクだす。洋行する人が持って歩く
(あのおもいやつでしたな。じどうしゃからおろすときも、ぼーいたちをしかりつけて、)
あの重いやつでしたな。自動車から下ろすときも、ボーイたちを叱りつけて、
(そっとさんがいへもってあがりましたがな)
ソッと三階へ持って上がりましたがな」
(ほう、おおきなとらんく?ほむらははっといきをのんだ。)
「ほう、大きなトランク?」帆村はハッと息をのんだ。
(そいつだ。そいつにちがいない。そのいのうえしのへやにあんないしてくれたまえ)
「そいつだ。そいつに違いない。その井上氏の部屋に案内して呉れたまえ」