海野十三 蠅男㊵

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※➀に同じくです。


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問題文

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(いとこのりっぷく)

◇糸子の立腹◇

(ほむらたんていは、どんなにしてつぎのあさをむかえたのかしらない。)

帆村探偵は、どんなにして次の朝を迎えたのか知らない。

(とにかくかれが、へやをでてきたところをみると、ふだんからそうはくなかおはいっそうあおざめ、)

とにかく彼が、室を出てきたところを見ると、普段から蒼白な顔は一層青ざめ、

(りょうがんといえば、うさぎのめのようにまっかにじゅうけつしていた。よほどのくろうを、)

両眼といえば、兎の目のように真っ赤に充血していた。よほどの苦労を、

(いちやのうちになめつくしたらしいことが、そのふうていからしておしはかられた。)

一夜のうちに嘗めつくしたらしいことが、その風体からして推し量られた。

(ほむらは、すぐさまむらまつけんじのりゅうちされているけいさつしょへゆくかとおもいのほか、)

帆村は、すぐさま村松検事の留置されている警察署へゆくかと思いの外、

(かれはそのまえをしらぬかおして、じどうしゃをとばしていった。)

彼はその前を知らぬ顔して、自動車をとばしていった。

(そしてとうちゃくしたところは、はんきゅうのおおさかえきじょうしゃぐちであった。)

そして到着したところは、阪急の大阪駅乗車口であった。

(かれはそこでおおぜいのひとをかきわけ、おおきなこえでたからづかゆきのきっぷをかった。)

彼はそこで大勢の人をかきわけ、大きな声で宝塚ゆきの切符を買った。

(きゅうこうでんしゃにのりこんだかれは、らんぼうにもふじんゆうせんせきにどっかとこしをおろすや、)

急行電車に乗り込んだ彼は、乱暴にも婦人優先席にどっかと腰を下ろすや、

(うでぐみをしてめをとじた。そしてまもなくおおきないびきをかきだすとみるまに、)

腕組みをして眼を閉じた。そして間もなく大きな鼾をかきだすと見る間に、

(となりにきかざったわかおくさまらしいひとのかたにもたれて、いいきもちそうにねむってしまった。)

隣に着飾った若奥様らしい人の肩に凭れて、いい気持ちそうに眠ってしまった。

(しゃしょうがおこしてくれなければ、かれはもっとねむっていたかもしれない。)

車掌が起こしてくれなければ、彼はもっと眠っていたかも知れない。

(かれはあわてて、たからづかのしゅうてんにおりて、でんちゅうのかたわらでいぬのようなせのびをした。)

彼は慌てて、宝塚の終点に下りて、電柱の側らで犬のような背伸びをした。

(それからかれは、ふといとうのすてっきをふりふり、しんおんせんのほうへあるいていった。)

それから彼は、太い籐のステッキをふりふり、新温泉の方へ歩いていった。

(でもかれは、しんおんせんへにゅうじょうするのではなかった。かれはそのまえをずんずん)

でも彼は、新温泉へ入場するのではなかった。彼はその前をズンズン

(とおりすぎた。そして、やがてかれがあしばやにはいっていったのは、いけたにいしの)

通り過ぎた。そして、やがて彼が足早に入っていったのは、池谷医師の

(ひかえていだった。それはせんに、いとこがおとずれたいえであり、それよりもすこしまえ、)

控邸だった。それは先(せん)に、糸子が訪れた家であり、それよりも少し前、

(いけたにいしがおりゅうとおぼしきおんなと、かたをならべてはいっていったいえであった。)

池谷医師がお竜と思しき女と、肩を並べて入っていった家であった。

(いりぐちのとびらには、かぎがかかっていなかった。ほむらはぶえんりょにも、くつをはいたまま)

入口の扉には、鍵がかかっていなかった。帆村は無遠慮にも、靴を履いたまま

など

(うえにあがっていった。なにをかんじたものか、かれはかくしつをていちょうにまわっては、)

上にあがっていった。何を感じたものか、彼は各室を鄭重に廻っては、

(おしいれやとだなをかならずひらいてみた。そしてかべやてんじょうを、れいのふといすてっきで)

押し入れや戸棚を必ず開いてみた。そして壁や天井を、例の太いステッキで

(こんこんとたたいてみるのだった。)

コンコンと叩いてみるのだった。

(かいかがおわると、こんどはかいじょうへのぼって、おなじことをくりかえした。)

階下が終わると、今度は階上へのぼって、同じことを繰り返した。

(でも、かくべつかれがおおきいちゅういをはらったものもなく、べつにぽけっとへ)

でも、格別彼が大きい注意を払ったものもなく、別にポケットへ

(ねじこんだものもなかった。じゅうごふんばかりするとかれはまたげんかんにすがたをあらわした。)

ねじ込んだものもなかった。十五分ばかりすると彼はまた玄関に姿を現わした。

(そしてうしろをもみず、そのやしきのもんからすたすたとそとへでていった。)

そして後ろをも見ず、その邸の門からスタスタと外へ出ていった。

(それからかれは、ふたたびしんおんせんのまえをとおりすぎ、はしをかわむこうへわたった。)

それから彼は、再び新温泉の前を通り過ぎ、橋を川向こうへ渡った。

(そこにはたからづかほてるがげんぜんとそびえていた。かれのすがたはそのほてるのなかに)

そこには宝塚ホテルが厳然と聳えていた。彼の姿はそのホテルの中に

(すいこまれてしまった。)

吸い込まれてしまった。

(おおかわしほうしゅにんは、いとこのへやのまえのろうかで、ちょうかんをいっしょうけんめいによみふけって)

大川司法主任は、糸子の室の前の廊下で、朝刊を一生懸命に読みふけって

(いるところだった。なにしろそのちょうかんのしゃかいめんときたら、むらまつけんじのさつじんじけんの)

いるところだった。なにしろその朝刊の社会面と来たら、村松検事の殺人事件の

(きじでいっぱいであった。むらまつけんじのおおきなしょうぞうしゃしんがでていて)

記事でいっぱいであった。村松検事の大きな肖像写真が出ていて

(けんじか?はえおとこか?と、ずいぶんぶえんりょなぎもんふごうがつけてあった。)

「検事か? 蠅男か?」と、ずいぶん無遠慮な疑問符号がつけてあった。

(おんしごろしにひめられたるせんこのなぞ!などというこみだしで、さんだんぬきで)

「恩師殺しに秘められたる千古の謎!」などという小見出しで、三段抜きで

(くんであった。)

組んであった。

(ああほむらはん。これ、なんちゅうことや。わしはもう、)

「ああ帆村はん。これ、なんちゅうことや。儂はもう、

(あんまりおどろいたもんやで、ずのうがとうがんのように、ぼけてしもたがな)

あんまり愕いたもんやで、頭脳が冬瓜のように、ぼけてしもたがな」

(そういって、おおかわしほうしゅにんは、しんぶんしのうえをおおきなてのひらでもってぴちゃぴちゃと)

そういって、大川司法主任は、新聞紙の上を大きな掌でもってピチャピチャと

(たたいた。ほむらは、それにはあいてになろうともせず、へやのなかをゆびさして、)

叩いた。帆村は、それには相手になろうともせず、室の中を指さして、

(どうです。いとこさんはぶじですかねときいた。)

「どうです。糸子さんは無事ですかネ」と訊いた。

(もちろんだいじょうぶだすわ。しかしさくやも、えろうあんたはんのことを)

「もちろん大丈夫だすわ。しかし昨夜も、えろうあんたはんのことを

(しんぱいしてだしたぜ。むらまつはんのことがなかったらふたりしてあんたはんに)

心配してだしたぜ。村松はんのことがなかったら二人してあんたはんに

(おごってもらわんならんとこや。はっはっはっおおかわしゅにんはいいきげんでこうしょうした。)

奢って貰わんならんとこや。ハッハッハッ」大川主任はいい機嫌で哄笑した。

(へやのなかにはいってみると、いとこはもうすっかりげんきをかいふくしていた。)

室の中に入ってみると、糸子はもうすっかり元気を回復していた。

(ただ、まだますいやくがかんぜんにぬけきらないとみえて、いくぶんねむそうなかおつきは)

ただ、まだ麻酔薬が完全に抜けきらないと見えて、幾分眠そうな顔つきは

(のこっていたが・・・。)

残っていたが・・・。

(まあほむらはん。さっきのゆめのつづきやのうて、ほんとのほむらはんが)

「まあ帆村はん。さっきの夢の続きやのうて、ほんとの帆村はんが

(きてくれはったんやなあ)

来てくれはったんやなア」

(いとこは、けさがたほむらのゆめをみていたらしく、ほむらのかおをみてちいさいといきを)

糸子は、今朝がた帆村の夢を見ていたらしく、帆村の顔を見て小さい吐息を

(ついた。いとこがあつくれいをいうのを、ほむらはきがるにききながして、)

ついた。糸子が篤く礼をいうのを、帆村は気軽に聞き流して、

(さあ、ここでちょっといとこさんにおりいってはなしをしたいことがあるんです。)

「さあ、ここでちょっと糸子さんに折り入って話をしたいことがあるんです。

(みなさん、ちょっとえんりょしてくださいませんか)

皆さん、ちょっと遠慮して下さいませんか」

(そういうほむらのもうしでに、つきそいのおまつをはじめ、かんごふやけいかんたちも)

そういう帆村の申し出に、付添いのお松をはじめ、看護婦や警官たちも

(ぞろぞろとそとへでた。とびらがぴたりとしまってへやにはほむらといとこの)

ゾロゾロと外へ出た。扉がピタリと閉まって部屋には帆村と糸子の

(ふたりきりとなってしまった。)

二人きりとなってしまった。

(ほむらはなにをはなそうというのだろう。じこくはごふん、じゅっぷんとすぎてゆき、)

帆村は何を話そうというのだろう。時刻は五分、十分と過ぎてゆき、

(ろうかにたたずんでまっているひとたちのきをいらだたせた。)

廊下に佇んで待っている人たちの気をいらだたせた。

(するととつぜん、いとこのかなきりごえがきこえた。とびらがぱっとあいて、いとこが)

すると突然、糸子の金切り声が聞こえた。扉がパッと明いて、糸子が

(ねまきのままとびだしてきたのだ。)

寝巻のまま飛び出してきたのだ。

(ーーほむらはんの、あつかましいのに、うちあきれてしもうた。あんなひとや)

「ーー帆村はんの、あつかましいのに、うち呆れてしもうた。あんな人や

(あらへんとおもうてたのにほんまにいやらしいひとや。さあ、おまつ。もう)

あらへんと思うてたのにほんまにいやらしい人や。さあ、お松。もう

(こんなところにごやっかいになっとることあらへんしい。はよ、うちへ)

こんなところに御厄介になっとることあらへんしい。はよ、うちへ

(いのうやないか)

いのうやないか」

(おまつはおどろいて、まあ、どないしはったんや。えろうごおんになっとる)

お松は愕いて、「まあ、どないしはったんや。えろう御恩になっとる

(ほむらはんに、そんなくちをきいては、すみまへんでーー)

帆村はんに、そんな口を利いては、すみまへんでーー」

(ごおんやいうたかて、あんないやらしいひとからおんをうけとうもない。)

「御恩やいうたかて、あんないやらしい人から恩をうけとうもない。

(いっこくもこんなところにおるのはいやや。さあ、すぐかえるしい。)

一刻もこんなところにおるのはいやや。さあ、すぐ帰るしい。

(おまつはよしたくをしとくれや)

お松はよ支度をしとくれや」

(なにがいとこをいきどおらせたのであろうか。あれほどほむらにたいししんらいし、ほむらにたいして)

何が糸子を憤らせたのであろうか。あれほど帆村に対し信頼し、帆村に対して

(かなりのあいちゃくをもっていたとおもわれるいとこが、なんのはなしかはしらぬが、とつぜん)

かなりの愛着を持っていたと思われる糸子が、何の話かは知らぬが、突然

(いきどおってほむらをけむしのようにいいだしたんだから、いちざもどうこれをしずめていいか)

憤って帆村を毛虫のように云いだしたんだから、一座もどうこれを鎮めていいか

(わからなかった。)

分からなかった。

(いとこたちがずんずんしたくをととのえているのをみると、さっきからへやのかたすみに)

糸子たちがズンズン支度を整えているのを見ると、さっきから室の片隅に

(じっとうずくまっていたほむらは、もくもくとしてたちあがり、こそこそとろうかづたいに)

ジッと蹲っていた帆村は、黙々として立ち上がり、コソコソと廊下づたいに

(でていった。おおかわしほうしゅにんもけげんなおももちで、ほむらのうしろすがたをむごんのまま)

出ていった。大川司法主任も怪訝な面持ちで、帆村の後ろ姿を無言のまま

(みおくっていた。)

見送っていた。

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