海野十三 蠅男㊶

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※➀に同じくです。


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問題文

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(ひみつをしるれいじん)

◇秘密を知る麗人◇

(そのよる、どうとんぼりをぶらついていたひとがあったら、そのひとはかならず、いまどき)

その夜、道頓堀をブラついていた人があったら、その人は必ず、今どき

(めずらしいせびろすがたのすいかんをみかけたろう。)

珍しい背広姿の酔漢を見かけたろう。

(そのすいかんは、まるでべんけいがにのようにまっかなかおをし、ぼうしもねくたいも)

その酔漢は、まるで弁慶蟹のように真っ赤な顔をし、帽子もネクタイも

(どこかへとんでしまって、そでのほころびたうわぎを、なんのいみでかうらがえしにきて、)

どこかへ飛んでしまって、袖の綻びた上衣を、何の意味でか裏返しに着て、

(しきりとかんだかいとうきょうべんでわけもわからないことをどなりちらしていたはずである。)

しきりと疳高い東京弁で訳もわからないことを怒鳴りちらしていた筈である。

(もしもいとこが、そのすいかんのおもてをひとめみたら、かのじょはあまりのじょうのなさに)

もしも糸子が、その酔漢の面を一目見たら、彼女はあまりの情のなさに

(なきだしてしまうかもしれないところだった。)

泣きだしてしまうかも知れないところだった。

(それはほかならぬほむらそうろくそのひとであったから。)

それは外ならぬ帆村荘六その人であったから。

(なぜほむらは、こうもせいしつががらりとちがってしまったんであろうか。きのうのせいじんは)

なぜ帆村は、こうも性質ががらりと違ってしまったんであろうか。昨日の聖人は

(きょうのちかんであった。むらまつけんじをすくうてがないのでやけになったのか。)

今日の痴カンであった。村松検事を救う手がないので自棄になったのか。

(はえおとこをとらえるみこみがつかないで、ひかんしてしまったのか。それともいとこに)

蠅男を捕える見込みがつかないで、悲観してしまったのか。それとも糸子に

(いいよってむげにしりぞけられたそのせいであろうか。)

云い寄って無下に斥けられたそのせいであろうか。

(どうとんぼりにまっくろなへそができた。そのへそは、すこしずつじりじりとみぎへうごき、)

道頓堀に真っ黒な臍ができた。その臍は、少しずつジリジリと右へ動き、

(ひだりへうごきしている。それはばしょちがいのすいかんほむらそうろくをものめずらしそうにとりまく)

左へ動きしている。それは場所違いの酔漢帆村荘六を物珍しそうに取り巻く

(みちぶら・まんのぐんしゅうだった。)

道ブラ・マンの群衆だった。

(ほむらはぽけっとから、ういすきーのびんをだして、ちゃいろのえきたいをなおも)

帆村はポケットから、ウイスキーの壜を出して、茶色の液体をなおも

(がぶがぶとらっぱのみをし、うまそうにしたなめずりをするのだった。)

ガブガブとラッパ呑みをし、うまそうに舌なめずりをするのだった。

(そのうちに、どうしたひょうしか、けんかをおっぱじめてしまった。あらしのような)

そのうちに、どうした拍子か、喧嘩をおっぱじめてしまった。嵐のような

(にんげんのうずまきがおこった。ほむらはいぬのようにはしりだす。そのゆくえにあたって)

人間の渦巻きが起こった。帆村は犬のように走りだす。その行方にあたって

など

(がらがらがらとおおきなおとがして、おんなのかなきりごえがきこえる。)

ガラガラガラと大きな音がして、女の金切り声が聞こえる。

(ーーほむらはいっけんのくだものやのみせにとびこむがはやいか、ふといすてっきで、)

ーー帆村は一軒の果物屋の店にとびこむが早いか、太いステッキで、

(だいしょうのかんづめのつみあげられたたなをたたきこわし、それからあとをおってくるやじうまに)

大小の缶詰の積み上げられた棚を叩き壊し、それから後を追ってくる野次馬に

(むかって、りんごだのみかんだのをてあたりしだいになげつけだしたのである。)

向かって、林檎だの蜜柑だのを手当たり次第に投げつけだしたのである。

(あいにくそのひとつが、おりからさわぎをきいてかけつけたけいかんのかおのまんなかに)

生憎その一つが、折から騒ぎを聞いて駈けつけた警官の顔の真ん中に

(ぴしゃんとあたったから、さあたいへんなことになった。)

ピシャンと当たったから、さあ大変なことになった。

(しんみょうにせんか。こいつめがーー)

「神妙にせんか。こいつめがーー」

(すばやくとびこんだけいかんに、さかてをとられ、あわれよっぱらいのほむらは、)

素早く飛びこんだ警官に、逆手を取られ、あわれ酔っ払いの帆村は、

(たかてこてにしばりあげられてしまった。そのみじめなすがたがこのかんらくがいから)

高手小手に縛りあげられてしまった。その惨めな姿がこの歓楽街から

(こぐらいよこちょうのほうへきえていくと、あとをみおくったやじうまたちは)

小暗い横丁の方へ消えていくと、あとを見送った野次馬たちは

(わっとてをたたいてはやしたてた。)

ワッと手を叩いて囃し立てた。

(それとちょうどおなじじこくのことであったが、ほんていにかえったいとこは、)

それと丁度同じ時刻のことであったが、本邸に帰った糸子は、

(なにをおもったものか、とつぜんおまつにめいじて、たからづかほてるをでんわでよびださせた。)

何を思ったものか、突然お松に命じて、宝塚ホテルを電話で呼び出させた。

(おじょうはん。なんのごようだっか)

「お嬢はん。何の御用だっか」

(なんのようでも、かまへんやないか。かけていうたら、はよでんわを)

「何の用でも、かまへんやないか。掛けて云うたら、はよ電話を

(かけてくれたらええのや)

掛けてくれたらええのや」

(いとこはなにかいらいらしているようすだった。)

糸子は何か苛々している様子だった。

(たからづかほてるがでた。)

宝塚ホテルが出た。

(おまつがそれをしらせると、いとこはとびつくようにして、でんわぐちにすがりついた。)

お松がそれを知らせると、糸子はとびつくようにして、電話口にすがり付いた。

(たからづかほてる?そう、こっちはたまやいとこだすがなあ。ほむらそうろくはんに)

「宝塚ホテル? そう、こっちは玉屋糸子だすがなア。帆村荘六はんに

(だいしきゅうつないどくなはれ)

大至急繋いどくなはれ」

(ええ、ほむらはんだっか。いまちょっとおでかけだんね。じゅうにじまでには)

「ええ、帆村はんだっか。いまちょっとお出かけだんね。十二時までには

(かえると、いうてだしたが・・・と、ちょうばからのへんじだった。)

帰ると、云うてだしたが・・・」と、帳場からの返事だった。

(まあ、しようがないひとやなあ。どこへいったんでっしゃろ)

「まあ、仕様がない人やなア。どこへ行ったんでっしゃろ」

(さあ、なんともわかりまへんなあ)

「さあ、何とも分かりまへんなア」

(いとこはらくたんのいろをあらわしてためいきをついた。)

糸子は落胆の色をあらわして溜息をついた。

(なんぞごようでしたら、おつたえしときまひょうか)

「なんぞ御用でしたら、お伝えしときまひょうか」

(とちょうばがたずねると、いとこはきゅうにげんきづき、)

と帳場が尋ねると、糸子は急に元気づき、

(そんならひとつたのみまっさ。こんやのうちに、こっちへきてくれはるんやったら、)

「そんなら一つ頼みまっさ。今夜のうちに、こっちへ来てくれはるんやったら、

(れいのぎもんのじんぶつについて、わたしだけがしっとることをはなしたげます。)

例の疑問の人物について、私だけが知っとることを話したげます。

(あしたからさきやったら、ほかへしらせますから、あとからうらまんようにーーと、)

明日から先やったら、他へ知らせますから、後から恨まんようにーーと、

(そういうておくれやすそこではなしをおわり、いとこはでんわをきった。)

そう云うておくれやす」そこで話を終わり、糸子は電話を切った。

(おまつはそばできいていて、おかしそうにわらった。)

お松は傍で聞いていて、可笑しそうに笑った。

(なんやおもうたら、もうほむらはんときゅうせんじょうやくだっか。ほほほほ)

「なんや思うたら、もう帆村はんと休戦条約だっか。ほほほほ」

(しかしいとこは、おもいきったことを、ほむらにもうしいれたものだ。)

しかし糸子は、思い切ったことを、帆村に申し入れたものだ。

(かねていとこははえおとこについてだれもほかのものがしらぬひみつをにぎっていると)

兼ねて糸子は蠅男について誰も外の者が知らぬ秘密を握っていると

(おもわれたが、いよいよそれをほむらにいうきになったらしい。しかもそれを)

思われたが、いよいよそれを帆村に云う気になったらしい。しかもそれを

(ほむらだけにあたえるというのではなく、こんやこなければ、けいさつのほうに)

帆村だけに与えるというのではなく、今夜来なければ、警察の方に

(しらせてしまうぞというはなはだからいこういのしめしかたをした。まだまだかのじょの)

知らせてしまうぞという甚だ辛い好意の示し方をした。まだまだ彼女の

(ほむらにたいするはんかんがのこっているらしいことがうかがわれた。)

帆村に対する反感が残っているらしいことが窺われた。

(でもこんやのうちといえば、ほむらははたしていとこのもとへかけつけられる)

でも今夜のうちといえば、帆村は果たして糸子のもとへ駈けつけられる

(だろうか。それはできないそうだんだった。ほむらはいま、ぼうこうざたのため、)

だろうか。それは出来ない相談だった。帆村はいま、暴行沙汰のため、

(けいさつのぶたばこのなかにたたきこまれているはずだった。たからづかほてるのちょうばしは、)

警察の豚箱の中に叩き込まれているはずだった。宝塚ホテルの帳場子は、

(ほむらがそんなめにあっているとはつゆしるまい。あたらほむらも、ここへきて)

帆村がそんな目に合っているとは露知るまい。あたら帆村も、ここへきて

(つつしみをわすれたがために、せっかくいとこがていきょうしようというはえおとこのひみつをきくきかいを)

慎みを忘れたがために、折角糸子が提供しようという蠅男の秘密を聞く機会を

(うしなってしまって、ついにこれまでのくろうをみずのあわとかしてしまうのだろうか。)

失ってしまって、遂にこれまでの苦労を水の泡と化してしまうのだろうか。

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