江戸川乱歩 屋根裏の散歩者⑤

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問題文

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(ところが、このきこうをにさんにちつづけるあいだに、かれはまたしても、)

ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、

(みょうなことにきがついたのです。あきっぽいかれは、みっかめあたりになると、)

妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、

(もうおしいれのべっどにはきょうみがなくなって、しょざいなさに、そこのかべや、)

もう押入れのベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、

(ねながらてのとどくてんじょういたに、らくがきなどしていましたが、)

寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、

(ふときがつくと、ちょうどあたまのうえのいちまいのてんじょういたが、くぎをうちわすれたのか、)

ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、

(なんだかふかふかとうごくようなのです。どうしたのだろうとおもって、)

なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、

(てでつっぱってもちあげてみますと、なんなくうえのほうへ)

手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ

(はずれることははずれるのですが、みょうなことには、そのてをはなすと、)

外れることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、

(くぎづけにしたかしょはひとつもないのに、まるでばねじかけのように、)

釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、

(もともとどおりになってしまいます。)

元々通りになってしまいます。

(どうやら、なにものかがうえからおさえつけているようなてごたえなのです。)

どうやら、何者かが上から圧えつけている様な手ごたえなのです。

(はてな、ひょっとしたら、ちょうどこのてんじょういたのうえに、なにかいきものが、)

はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、

(たとえばおおきなあおだいしょうかなにかがいるのではあるまいかと、さぶろうはにわかに)

例えば大きな青大将か何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄かに

(きみがわるくなってきましたが、そのままにげだすのもざんねんなものですから、)

気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、

(なおもてでおしこころみてみますと、ずっしりと、おもいてごたえを)

なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを

(かんじるばかりでなく、てんじょういたをうごかすたびに、そのうえでなんだか)

感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だか

(ごろごろとにぶいおとがするではありませんか。いよいよへんです。)

ゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。いよいよ変です。

(そこでかれはおもいきって、ちからまかせにそのてんじょういたをはねのけてみますと、)

そこで彼は思い切って、力まかせにその天井板をはね除けて見ますと、

(すると、そのとたん、がらがらというおとがして、うえからなにかがおちてきました。)

すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。

(かれはとっさのばあいはっとかたわきへとびのいたからよかったものの、)

彼は咄嗟の場合ハッと片脇へ飛びのいたからよかったものの、

など

(もしそうでなかったら、そのぶったいにうたれておおけがをしているところでした。)

もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我をしている所でした。

(「なあんだ、つまらない」)

「ナアンダ、つまらない」

(ところが、そのおちてきたしなものをみますと、なにかかわったものであればよいがと、)

ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものであればよいがと、

(すくなからずきたいしていたかれは、あまりのことにあきれてしまいました。それは、)

少なからず期待していた彼は、余りのことに呆れてしまいました。それは、

(つけものいしをちいさくしたような、ただのいしころにすぎないのでした。)

漬物石を小さくした様な、ただの石塊(いしころ)に過ぎないのでした。

(よくかんがえてみれば、べつにふしぎでもなんでもありません。)

よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。

(でんとうこうふうがてんじょううらへもぐるつうろにと、てんじょういたをいちまいだけわざとはずして、)

電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚だけわざと外して、

(そこからねずみなどがおしいれにはいらぬようにいしころでおもしがしてあったのです。)

そこから鼠などが押入れに這入らぬ様に石塊で重しがしてあったのです。

(それはいかにもとんだきげきでした。でも、そのきげきがきえんとなって、)

それは如何にも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、

(ごうださぶろうは、あるすばらしいたのしみをはっけんすることになったのです。)

郷田三郎は、あるすばらしい楽しみを発見することになったのです。

(かれはしばらくのあいだ、じぶんのあたまのうえにひらいている、どうくつのいりぐちとでもいった)

彼は暫くの間、自分の頭の上に開いている、洞穴の入口とでも云った

(かんじのする、そのてんじょうのあなをながめていましたが、ふと、もちまえのこうきしんから、)

感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前の好奇心から、

(いったいてんじょううらというものはどんなふうになっているのだろうと、おそるおそる、)

一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、

(そのあなにくびをいれて、あたりをみまわしました。それはちょうどあさのことで、)

その穴に首を入れて、四方(あたり)を見廻しました。それは丁度朝の事で、

(やねのうえにはもうひがてりつけているとみえ、ほうぼうのすきまから)

屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から

(たくさんのほそいこうせんが、まるでだいしょうむすうのたんしょうとうをてらしてでもいるように、)

沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照らしてでもいる様に、

(やねうらのくうどうへさしこんでいて、そこはぞんがいあかるいのです。)

屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。

(まずめにつくのは、たてに、ながながとよこたえられた、ふとい、まがりくねった、)

先ず目につくのは、縦に、長々と横たえられた、太い、曲りくねった、

(だいじゃのようなむなぎです。あかるいといってもやねうらのことで、そうとおくまでは)

大蛇の様な棟木です。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは

(みとおしがきかないのと、それに、ほそながいげしゅくやのたてものですから、)

見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、

(じっさいながいむなぎでもあったのですが、それがむこうのほうはかすんでみえるほど、)

実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、

(とおくとおくつらなっているようにおもわれます。そして、そのむなぎとちょっかくに、)

遠く遠く連なっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、

(これはだいじゃのあばらにあたるたくさんのはりがりょうがわへ、やねのけいしゃにそって)

これは大蛇の肋骨(あばら)に当る沢山の梁が両側へ、屋根の傾斜に沿って

(にょきにょきとつきでています。それだけでもずいぶんゆうだいなけしきですが、)

ニョキニョキと突き出ています。それだけでも随分雄大な景色ですが、

(そのうえ、てんじょうをささえるために、はりからむすうのほそいぼうがさがっていて、)

その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下がっていて、

(それが、まるでしょうにゅうどうのないぶをみるようなかんじをおこさせます。)

それが、まるで鍾乳洞の内部を見る様な感じを起こさせます。

(「これはすてきだ」)

「これは素敵だ」

(いちおうやねうらをみまわしてから、さぶろうはおもわずそうつぶやくのでした。びょうてきなかれは、)

一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟くのでした。病的な彼は、

(せけんふつうのきょうみにはひきつけられないで、じょうじんにはくだらなくみえるような、)

世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、

(こうしたじぶつに、かえって、いいしれぬみりょくをおぼえるのです。)

こうした事物に、却って、云い知れぬ魅力を覚えるのです。

(そのひから、かれの「やねうらのさんぽ」がはじまりました。よるとなくひるとなく、)

その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、

(ひまさえあれば、かれはどろぼうねこのようにあしおとをぬすんで、むなぎやはりのうえを)

暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音を盗んで、棟木や梁の上を

(つたいあるくのです。さいわいなことには、たてたばかりのいえですから、)

伝い歩くのです。幸いなことには、建てたばかりの家ですから、

(やねうらにつきもののくものすもなければ、すすやほこりもまだすこしもたまっていず、)

屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤や埃もまだ少しも溜っていず、

(ねずみのよごしたあとさえありません。それゆえきものやてあしのきたなくなるしんぱいは)

鼠の汚したあとさえありません。それ故着物や手足の汚くなる心配は

(ないのです。かれはしゃついちまいになって、おもうがままにやねうらをちょうりょうしました。)

ないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁しました。

(じこうもちょうどはるのことで、やねうらだからといって、さしてあつくもさむくもないのです。)

時候も丁度春の事で、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。

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