江戸川乱歩 屋根裏の散歩者⑥

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(さん)

(とうえいかんのたてものは、げしゅくやなどにはよくある、まんなかににわをかこんで、)

東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央(まんなか)に庭を囲んで、

(そのまわりに、ますがたに、へやがならんでいるようなつくりかたでしたから、したがって)

そのまわりに、桝型に、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、したがって

(やねうらも、ずっとそのかたちにつづいていて、ゆきどまりというものがありません。)

屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行き止まりというものがありません。

(かれのへやのてんじょううらからしゅっぱつして、ぐるっとひとまわりしますと、またもとのかれの)

彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の

(へやのうえまでかえってくるようになっています。)

部屋の上まで帰って来る様になっています。

(したのへやべやには、さもげんじゅうにかべでしきりができていて、そのでいりぐちには)

下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には

(しまりをするためのかなぐまでとりつけているのに、いちどてんじょううらにあがってみますと、)

締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上がって見ますと、

(これはまたなんというかいほうてきなありさまでしょう。だれのへやのうえをあるきまわろうと、)

これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、

(じゆうじざいなのです。もし、そのきがあれば、さぶろうのへやのとおなじような、)

自由自在なのです。もし、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、

(いしころのおもしのしてあるかしょがところどころにあるのですから、そこから)

石塊(いしころ)の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから

(たにんのへやへしのびこんで、せっとうをはたらくこともできます。)

他人の部屋へ忍び込んで、窃盗を働くことも出来ます。

(ろうかをとおって、それをするのは、いまもいうように、ますがたのたてもののかくほうめんに)

廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に

(ひとめがあるばかりでなく、いつなんどきほかのししゅくにんやじょちゅうなどが)

人目があるばかりでなく、いつ何時他の止宿人や女中などが

(とおりあわさないともかぎりませんから、ひじょうにきけんですけれど、)

通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、

(てんじょううらのつうろからでは、ぜったいにそのきけんがありません。)

天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。

(それからまた、ここでは、たにんのひみつをすきみすることも、かってしだいなのです。)

それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。

(しんちくといっても、げしゅくやのやすぶしんのことですから、てんじょうにはいたるところに)

新築と云っても、下宿屋の安普請のことですから、天井には到る所に

(すきまがあります。--へやのなかにいてはきがつきませんけれど、)

隙間があります。--部屋の中にいては気が附きませんけれど、

(くらいやねうらからみますと、そのすきまがいがいにおおきいのにいっきょうをきっします--)

暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚を喫します--

など

(まれには、ふしあなさえもあるのです。)

稀には、節穴さえもあるのです。

(この、やねうらというくっしのぶたいをはっけんしますと、ごうださぶろうのあたまには、)

この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、

(いつのまにかわすれてしまっていた、あのはんざいしこうへきがまたむらむらと)

いつのまにか忘れてしまっていた、あの犯罪嗜好癖がまたムラムラと

(わきあがってくるのでした。このぶたいでならば、あのとうじこころみたそれよりも、)

湧き上がって来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、

(もっともっとしげきのつよい、「はんざいのまねごと」ができるにそういない。)

もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。

(そうおもうと、かれはもううれしくてたまらないのです。どうしてまあ、)

そう思うと、彼はもう嬉しくてたまらないのです。どうしてまあ、

(こんなてぢかなところに、こんなおもしろいきょうみがあるのを、きょうまできづかないで)

こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないで

(いたのでしょう。まもののようにくらやみのせかいをあるきまわって、にじゅうにんにちかい)

いたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い

(とうえいかんのにかいじゅうのししゅくにんのひみつを、つぎからつぎへとすきみしていく、)

東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見していく、

(そのことだけでも、さぶろうはもうじゅうぶんゆかいなのです。そして、ひさかたぶりで、)

そのことだけでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、

(いきがいをかんじさえするのです。)

生き甲斐を感じさえするのです。

(かれはまた、この「やねうらのさんぽ」を、いやがうえにもきょうふかくするために、)

彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、

(まず、みじたくからして、さもほんもののはんざいにんらしくよそおうことをわすれませんでした。)

先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。

(ぴったりみについた、こいちゃいろのけおりのしゃつ、おなじずぼんした)

ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下

(--なろうことなら、むかしかつどうしゃしんでみた、にょぞくぷろてあのように、)

--なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、

(まっくろなしゃつをきたかったのですけれど、あいにくそんなものはもちあわせて)

真っ黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎そんなものは持合せて

(いないので、まあがまんすることにして--たびをはき、てぶくろをはめ)

いないので、まあ我慢することにして--足袋を穿き、手袋をはめ

(--てんじょううらは、みなあらけずりのもくざいばかりで、しもんののこるしんぱいなどは)

--天井裏は、皆荒削りの木材ばかりで、指紋の残る心配などは

(ほとんどないのですが--そしててにはぴすとるが・・・ほしくても、)

殆どないのですが--そして手にはピストルが・・・欲しくても、

(それもないので、かいちゅうでんとうをもつことにしました。)

それもないので、懐中電燈を持つことにしました。

(よふけなど、ひるとはちがって、もれてくるこうせんのりょうがごくわずかなので、)

夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極僅かなので、

(ちょっとさきもみわけられぬやみのなかを、すこしもものおとをたてないようにちゅういしながら、)

ちょっと先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、

(そのすがたで、そろりそろりと、むなぎのうえをつたっていますと、なにかこう、)

その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、

(じぶんがへびにでもなって、ふといきのみきをはいまわっているようなきもちがして、)

自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、

(われながらみょうにすごくなってきます。でも、そのすごさが、なんのいんがか、)

我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、

(かれにはぞくぞくするほどうれしいのです。)

彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。

(こうして、すうじつ、かれはうちょうてんになって、「やねうらのさんぽ」をつづけました。)

こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。

(そのかんには、よきにたがわず、いろいろとかれをよろこばせるようなできごとがあって、)

その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、

(それをしるすだけでも、じゅうぶんいっぺんのしょうせつができあがるほどですが、)

それを記すだけでも、十分一篇の小説が出来上がる程ですが、

(このものがたりのほんだいにはちょくせつかんけいのないことがらですから、ざんねんながら、はしょって、)

この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折って、

(ごくかんたんににさんのれいをおはなしするにとどめましょう。)

ごく簡単に二三の例をお話するに止どめましょう。

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