夢野久作 人の顔 4/5
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問題文
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(そのうちに、あくるとしのにがつのすえになって、ちえこのちちおやが、)
そのうちに、あくる年の二月の末になって、チエ子の父親が、
(ながいこうかいからかえってきたが、げんかんにかけだしてきたちえこをみると、)
長い航海から帰って来たが、玄関に駈け出して来たチエ子を見ると、
(びっくりしてめをみはった。「どうしてこんなになったのか」と、)
ビックリして眼を瞭(みは)った。「どうしてこんなになったのか」と、
(たんきらしくおおきなうでをくんで、あとからでてきたははおやにきいた。)
短気らしく大きな腕を組んで、あとから出て来た母親にきいた。
(しかしははおやがまじめなかおをして、)
しかし母親がまじめな顔をして、
(なにかふたことみこといいわけをすると、まもなくなっとくしたらしく、)
何か二言三言云いわけをすると、間もなく納得したらしく、
(くんでいたうでをほどいてげんきよくうなずきながら、くつをすぽんすぽんとぬいだ。)
組んでいた腕をほどいて元気よくうなずきながら、靴をスポンスポンと脱いだ。
(それからどてらにきかえて、ちえことならんでゆうはんのおぜんについて、)
それから褞袍(どてら)に着かえて、チエ子と並んで夕飯のお膳について、
(なんぼんもおちょうしをかたむけたちちおやは、あかおにのようになりながらおおきなこえで、)
何本もお銚子を傾けた父親は、赤鬼のようになりながら大きな声で、
(こんどはじめていったろしあのはなしをした。)
今度初めて行った露西亜(ロシア)の話をした。
(そのあいまあいまにちえこがこのころはとくべつにおとなしくなったはなしをきかされたり、)
そのあいまあいまにチエ子がこの頃は特別に温柔しくなった話をきかされたり、
(ひさしぶりにゆったというははおやのまるまげをほめて、)
久し振りに結ったという母親の丸髷(まるまげ)を賞めて、
(たかわらいをしたりしていたが、そのあげく、)
高笑いをしたりしていたが、そのあげく、
(おもいだしたようにはしらどけいをふりかえってみると、めしぢゃわんをつきだしてどなった。)
思い出したように柱時計をふり返ってみると、飯茶碗をつき出して怒鳴った。
(「おいめしだめしだ。きさまもはやくしまってしたくをしろ。)
「オイ飯だ飯だ。貴様も早く仕舞って支度をしろ。
(これからさんにんでかつどうをみにいくんだ」)
これから三人で活動を見に行くんだ」
(「え」)
「エ…」
(「かつどうをみにゆくんだよつやに」)
「活動を見にゆくんだ…四谷に…」
(おきゅうじぼんをさしだしかけていたははおやのかおがみるみるくらくなった。)
お給仕盆をさし出しかけていた母親の顔がみるみる暗くなった。
(おびえたようなめつきで、ちえこと、ちちおやのかおをみくらべた。)
魘(おび)えたような眼つきで、チエ子と、父親の顔を見比べた。
など
(「なんだかつどうぎらいにでもなったのか」)
「何だ…活動嫌いにでもなったのか」
(とちちおやははしをにぎったままみょうなかおをした。)
と父親は箸を握ったまま妙な顔をした。
(ははおやは、なきわらいみたようなひょうじょうにかわりながら、うつむいてごはんをよそった。)
母親は、泣き笑いみたような表情にかわりながら、うつむいて御飯をよそった。
(「そうじゃありませんけどあたしこんやなんだかあたまがいたいようですの」)
「そうじゃありませんけど…あたし今夜何だか…頭が痛いようですの…」
(ちちおやはひらてでかおをなでまわした。)
父親は平手で顔を撫でまわした。
(「ふーん。そらあいかんぞ。はんとしぶりにていしゅがかえってきたのに、)
「フーン。そらあいかんぞ。半年ぶりに亭主が帰って来たのに、
(ずつうがするちうほうがあるかあははははまあええわ、)
頭痛がするちう法があるか…アハハハハまあええわ、
(それじゃきょねんおくった、あのがいとうをだしとけ。)
それじゃ去年送った、あの外套(がいとう)を出しとけ。
(ちえこのあかいはねのやつを。あれはおれがろんどんでかったのじゃが、)
チエ子の赤い羽根のやつを…。あれは俺が倫敦(ロンドン)で買ったのじゃが、
(にほんにもってくるとごじゅうりょういじょうするしろものだ。)
日本に持って来ると五十両以上するシロモノだ。
(ここいらのうちのこであんなのをきとるのはなかろううんないじゃろう。)
ここいらの家の児であんなのを着とるのはなかろう…ウンないじゃろう。
(ないはずだ。うん。あれをきせてふたりでいってくるからな)
ない筈だ。ウン…。あれを着せて二人で行って来るからナ…
(きさまはずつうがするんならさきにねとれざしきにがすすとーぶをいれてな)
貴様は頭痛がするんなら先に寝とれ…座敷に瓦斯(ガス)ストーブを入れてナ…
(ははひさしぶりにかわのじか。ははんしかしようじんせんといかん」)
ハハ久し振りに川の字か。ハハン…しかし要心せんといかん…」
(「それほどでもないんですけれど、)
「それほどでもないんですけれど、
(ながいことまるまげにゆわなかったせいかもしれません」)
永いこと丸髷に結わなかったせいかもしれません」
(とははおやは、おちゃをさしながらあまえるような、しょげたこえでいった。)
と母親は、お茶をさしながら甘えるような、悄気(しょげ)た声で云った。
(「いやいかんいかん。そんなことをいってむりをしちゃいかん。)
「イヤ…いかんいかん。そんな事を云って無理をしちゃいかん。
(ことしはしゃんはいのちぶすがひどいからな。なにおれか。おれはだいじょうぶだ。)
今年は上海のチブスがひどいからな。…ナニ俺か。俺は大丈夫だ。
(このうえからまんとをきてゆく。ぼうしはとりうちがええ。うん。)
この上からマントを着てゆく。帽子は鳥打(とりうち)がええ。ウン。
(それからとらんくのすみにぽけっとういすきーがあるから、)
それからトランクの隅にポケットウイスキーがあるから、
(まんとのぽけっとにいれとけにほんはさむいからなははははは」)
マントのポケットに入れとけ…日本は寒いからナ…ハハハハハ」
