夢野久作 いなか、の、じけん 5
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問題文
(すっとんとん)
スットントン
(りょうしのひとりむすめでうまれつきのめくらがいた。)
漁師の一人娘で生れつきの盲目《めくら》が居た。
(いろじろのまるぽちゃで、さみせんならなんでもひくのがじまんだったので、)
色白の丸ポチャで、三味線なら何でも弾《ひ》くのが自慢だったので、
(ほうぼうのよりあいことに、げいしゃがわりにやとわれてちょうほうがられていた。)
方々の寄り合い事に、芸者代りに雇われて重宝がられていた。
(あるとき、ちかくのむらのせいねんのよりあいにやとわれたが、)
ある時、近くの村の青年の寄り合いに雇われたが、
(あんないにきたせいねんはうまかたで、)
案内に来た青年は馬方《うまかた》で、
(ばりきのにもつのうしろのほうにあきをつくって、)
馬力《ばりき》の荷物のうしろの方に空所《あき》を作って、
(そこにざぶとんをしいて、さみせんと、げたをかかえたおんなをのせると、)
そこに座布団を敷いて、三味線と、下駄を抱えた女を乗せると、
(さいしんりゅうこうのすっとんとんぶしをうたいながら、はくちゅうのこくどうをひいていった。)
最新流行のスットントン節を唄いながら、白昼の国道を引いて行った。
(ところがそのばりきが、ひるすぎにむらへかえりつくと、)
ところがその馬力が、正午《ひる》過ぎに村へ帰りつくと、
(にもつのうしろにはざぶとんだけしかのこっていないことがはっけんされたので、)
荷物のうしろには座布団だけしか残っていないことが発見されたので、
(たちまちおおさわぎになった。)
忽ち大騒ぎになった。
(「とちゅうのまつばらでちくしょうがしょうべんしたときまでは、たしかにおんながすわっておった」)
「途中の松原で畜生が小便した時までは、たしかに女が坐っておった」
(といううまかたのことばをたよりに、むらじゅうそうででそこいらのえんどうをさがしまわったが、)
という馬方の言葉をたよりに、村中総出でそこいらの沿道を探しまわったが、
(それらしいかげもない。そんちょうや、くちょうや、)
それらしい影も無い。村長や、区長や、
(こうちょうせんせいやじゅんさがせいねんかいじょうにあつまって、)
校長先生や巡査が青年会場に集まって、
(いろいろにくびをひねったけれども、だいいち、)
いろいろに首をひねったけれども、第一、
(いなくなったげんいんからしてわからなかった。)
居なくなった原因からしてわからなかった。
(けっきょく、むすめのおやたちへしらせなければなるまいというので、)
結局、娘の親たちへ知らせなければなるまい……というので、
(とりあえずせいねんかいいんがふたり、むすめのうちへじてんしゃをのりつけると、)
とりあえず青年会員が二人、娘のうちへ自転車を乗りつけると、
(はれぎをほこりだらけにしたそのむすめが、おやじにひきすえられて、)
晴れ着をホコリダラケにしたその娘が、おやじに引き据えられて、
(なきながらぶたれている。)
泣きながら打《ぶ》たれている。
(ふたりのせいねんはかおをみあわせたが、ともかくもとびこんでおしとどめて、)
二人の青年は顔を見合わせたが、ともかくも飛び込んで押し止めて、
(「これはどうしたわけですか」)
「これはどうした訳ですか」
(とたずねると、おやじはめんぼくなさそうにあたまをかいた。)
と尋ねると、おやじは面目なさそうに頭を掻いた。
(「なあに。こいつがこのごろはやるすっとんとんといううたを)
「ナアニ。こいつがこの頃流行《はや》るスットントンという歌を
(しらんちうてにげてかえってきたもんですけにどうももうしわけありませんで」)
知らんちうて逃げて帰って来たもんですけに……どうも申訳ありませんで……」
(ふたりのせいねんはいよいよわけがわからなくなった。)
二人の青年はいよいよ訳がわからなくなった。
(そこで、なおよくじじょうをきいてみると、)
そこで、なおよく事情をきいてみると、
(さいぜんおんなをばりきにのせてひいていったせいねんが、)
最前女を馬力に乗せて引いて行った青年が、
(とちゅうですっとんとんぶしをくりかえしくりかえしうたった。)
途中でスットントン節をくり返しくり返し唄った。
(それはむすめにはつみみであったので、さきでひかせられてはたいへんとおもって、)
それは娘に初耳であったので、先方《さき》で弾かせられては大変と思って、
(いっしょうけんめいにみみをすましたが、あいにくそのせいねんがちょうしはずれ(おんち)だったので、)
一生懸命に耳を澄ましたが、あいにくその青年が調子外れ(音痴)だったので、
(うたのふしがいちいちへんてこにだっせんして、ほんとうのことがよくわからない。)
歌の節が一々変テコに脱線して、本当の事がよくわからない。
(これではとてもおぼえられぬとおもうと、)
これではとても記憶《おぼ》えられぬと思うと、
(おんなごころのせつなさに、げたとさみせんをりょうてにもって、)
女心のせつなさに、下駄と三味線を両手に持って、
(しぬるおもいでばりきからとびおりてにげかえったものとしれた。)
死ぬる思いで馬力から飛び降りて逃げ帰ったものと知れた。
(せいねんのひとりはこのはなしをきくとひじょうにかんしんしたらしく、いきおいこんでいった。)
青年の一人はこの話をきくと非常に感心したらしく、勢い込んで云った。
(「じつにりっぱなこころがけです。しかししんぱいすることはない。)
「実に立派な心がけです。しかし心配することはない。
(わたしたちといっしょにきなさい。これからよどおしがかりでせいねんかいをやりなおします。)
私たちと一緒に来なさい。これから夜通しがかりで青年会をやり直します。
(うたはとちゅうでわたしがうたってきかせます」)
歌は途中で私が唄ってきかせます」