幽霊船の秘密7 海野十三
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問題文
(ひょうりゅうするぼーと たったいっぱいのみずが、どのくらいそうなんのせんいんたちを)
【漂流するボート】 たった一杯の水が、どのくらい遭難の船員たちを
(げんきづけたかしれなかった。 つぎにかいすいにびしょびしょにぬれたにぎりめしが)
元気づけたかしれなかった。 次に海水にびしょびしょに濡れた握り飯が
(いっこずつぶんぱいされた。おはちをもちこんであったので、にぎりめしにも)
一箇ずつ分配された。おはちを持ちこんであったので、握り飯にも
(ありつけたのである。 「おい、そこにあるのはかんづめじゃないか」)
ありつけたのである。 「おい、そこにあるのは缶詰じゃないか」
(「おおそうだ。おれはてぢかにあったかんづめをてーぶるがけにくるんで)
「おおそうだ。俺は手近にあった缶詰を卓子掛(てーぶるがけ)にくるんで
(もちこんだのだった。こんなだいじなものを、すっかりわすれていた」)
持ちこんだのだった。こんな大事なものを、すっかり忘れていた」
(わずか10こにたりないかんづめだったけれど、そうなんぼーとにとっては、)
わずか十個に足りない缶詰だったけれど、遭難ボートにとっては、
(いがいなごちそうであった。 「おい、みっつばかり、すぐあけようじゃないか」)
意外な御馳走であった。 「おい、三つばかり、すぐあけようじゃないか」
(「まて、せんちょうにうかがってみよう」 せんちょうは、さっきからだまって、そのほうを)
「待て、船長に伺ってみよう」 船長は、さっきから黙って、その方を
(みていたので、ぶかにいわれるまえにくちをひらいた。 「あけるのは1こだけで)
見ていたので、部下にいわれるまえに口をひらいた。 「あけるのは一個だけで
(たくさんだ。このうえいくにちかかってきゅうじょされるかわからないのだから、)
たくさんだ。このうえ幾日かかって救助されるかわからないのだから、
(できるだけしょくりょうをたくわえておくのがかちだ。1こだけあけて、みなにまわすがいい」)
できるだけ食料を貯えておくのが勝ちだ。一個だけあけて、皆に廻すがいい」
(「たった1こですか。それじゃ、みなのくちにひとくちずつもはいらない」 せんいんは)
「たった一個ですか。それじゃ、皆の口に一口ずつも入らない」 船員は
(ふへいらしくいって、つばをのみこんだ。 せんちょうは、どうしても1こしか、)
不平らしくいって、唾をのみこんだ。 船長は、どうしても一個しか、
(かんづめをあけることをゆるさなかった。たいへいようのそうなんせんで、はんとしいじょうも)
缶詰をあけることをゆるさなかった。太平洋の遭難船で、半年以上も
(ひょうりゅうしていたれいさえあるんだ。うまくいっても、1かげつや2かげつはひょうりゅうする)
漂流していた例さえあるんだ。うまくいっても、一ヶ月や二ヶ月は漂流する
(かくごでやらないと、けいさんがちがってくる。なにしろぼーとのうえには、)
覚悟でやらないと、計算がちがってくる。なにしろボートのうえには、
(24めいのものが、ぎっしりのりこんでいるのだった。 「みずだ、めしよりもみずが)
二十四名の者が、ぎっしりのりこんでいるのだった。 「水だ、飯よりも水が
(のみたい。せんちょうもういっぱいみずをのませてください」 「うん、いずれのませてやる)
呑みたい。船長もう一杯水を呑ませてください」 「うん、いずれ呑ませてやる
(もうすこししんぼうせい」 せんちょうは、こどもにいいきかせるようにいった。)
もうすこし辛抱せい」 船長は、子供にいいきかせるようにいった。
(だが、じつのところ、たいようのちょくしゃねつはいよいよはげしくなって、だれののども)
だが、実のところ、太陽の直射熱はいよいよはげしくなって、誰の咽喉も
(からからにかわいてくるのだった。これでは、いくらみずをのんでも)
からからにかわいてくるのだった。これでは、いくら水を呑んでも
(たりるはずがない。 「おーい、みんな。ぼーとのうえにひおおいをつくるんだ。)
足りるはずがない。 「おーい、みんな。ボートのうえに日蔽いをつくるんだ。
(しゃつでもずぼんでもいいから、ぬいでもいいものをあつめろ。そして)
シャツでもズボンでもいいから、ぬいでもいいものを集めろ。そして
(つぎあわせるんだ。そうすれば、のどのかわくのがとまる」 せんちょうはめいれいを)
つぎあわせるんだ。そうすれば、咽喉の乾くのがとまる」 船長は命令を
(くだした。 ぶかは、それをきくと、げんきになったようにみえた。)
くだした。 部下は、それをきくと、元気になったように見えた。
(てもちぶさたのうえに、がっかりしていたところへ、ともかくもせんちょうからやるべき)
手持ぶさたのうえに、がっかりしていたところへ、ともかくも船長からやるべき
(しごとをあたえられたからであった。 よせきれざいくのひおおいは、)
仕事をあたえられたからであった。 よせ布(きれ)細工の日蔽いは、
(だんだんとつづられ、そして、おおきくなっていった。 やがてぼーとのうえに、)
だんだんと綴られ、そして、大きくなっていった。 やがてボートのうえに、
(このひおおいははられて、きゅうくつながらかろうじてぜんいんのからだをやけつくようなたいよう)
この日蔽いは張られて、窮屈ながら辛うじて全員の身体を灼けつくような太陽
(からさえぎることができるようになった。 「もうすこしぬのがあればほが)
から遮ることができるようになった。 「もうすこし布があれば帆が
(つくれるんだがなあ」 「だめだよ、どっちへいっていいかわからないのに、)
作れるんだがなあ」 「だめだよ、どっちへいっていいかわからないのに、
(ほをつくったってしようがないじゃないか」 そんなことをいいあうのも、)
帆を作ったって仕様がないじゃないか」 そんなことをいいあうのも、
(ひおおいのおかげで、せんいんたちがげんきになったしょうこであった。 それはしょうごに)
日蔽いのおかげで、船員たちが元気になった証拠であった。 それは正午に
(ちかいころだった。 かいたにというせんないでいちばんげんきなおとこが、とつぜん)
近いころだった。 貝谷という船内で一番元気な男が、とつぜん
(おおごえでわめいた。 「おい、ぼーとだ!あそこにぼーとがういている」)
大声でわめいた。 「おい、ボートだ! あそこにボートが浮いている」
(「えっ、ぼーとか」 「わじままるのぼーとだろうか。どこだ、どこにみえる」)
「えっ、ボートか」 「和島丸のボートだろうか。どこだ、どこに見える」
(かいたには、こてをかざして、ひがしのほうをゆびさした。 いままでなぜきが)
貝谷は、小手をかざして、東の方を指さした。 今までなぜ気が
(つかなかったとおもうくらい、てぢかなところに1せきのぼーとが、うかんでいた。)
つかなかったと思うくらい、手近かなところに一隻のボートが、うかんでいた。
(「おーい、わじままるのぼーと」 「おーい、1ごうていはここにいるぞ」)
「おーい、和島丸のボート」 「おーい、一号艇はここにいるぞ」
(1ごうていののりくみいんたちは、こえをかぎりにわめき、そしてせっかくはったひおおいを)
一号艇の乗組員たちは、こえをかぎりに喚き、そしてせっかく張った日蔽いを
(はねのけながらてをふった。 「へんだな、おうとうをしないじゃないか。)
はねのけながら手をふった。 「へんだな、応答をしないじゃないか。
(こっちのよんでいるのにきがつかないのかしらん」 そのとき、さえきせんちょうが)
こっちの呼んでいるのに気がつかないのかしらん」 そのとき、佐伯船長が
(いった。かれはぼうえんきょうをめにあてていた。 「なるほど、これはおかしい。)
いった。彼は望遠鏡を眼にあてていた。 「なるほど、これはおかしい。
(ぼーとのうえにはかいがみえない。かいばかりではない、ひとらしいものもみえないぞ)
ボートのうえには櫂が見えない。櫂ばかりではない、人らしいものも見えないぞ
(だが、あれはたしかに2ごうていだ」 「えっ、2ごうていですか。ほんとうにひとかげが)
だが、あれはたしかに二号艇だ」 「えっ、二号艇ですか。本当に人影が
(ないのですか。どうしたんでしょう」 「おかしいね」とせんちょうはいって)
ないのですか。どうしたんでしょう」 「おかしいね」と船長はいって
(くびをふった。 そしてぼうえんきょうをめからはずすと、いちどうをぐるっとみわたした。)
首をふった。 そして望遠鏡を眼から外すと、一同をぐるっと見わたした。
(「おいかいをとれ。あの2ごうていのところへこいでいってみよう」)
「おい櫂をとれ。あの二号艇のところへ漕いでいってみよう」
(はたして2ごうていにはだれもいなかったであろうか。 そこにはさえきせんちょういかが)
果して二号艇には誰もいなかったであろうか。 そこには佐伯船長以下が
(よきしなかったようなかいじがまちうけているともしらず、1ごうていはひさしぶりに)
予期しなかったような怪事が待ちうけているともしらず、一号艇はひさしぶりに
(かいをそろえてようじょうをいさましくこぎだしたのであった。)
擢をそろえて洋上を勇しく漕ぎだしたのであった。
(いたましきいしょ 2ごうていは、なみまにゆらゆらただよっている。)
【いたましき遺書】 二号艇は、波間にゆらゆら漂っている。
(そのうえに、ひとかげはさらにない。かいさえみえないのだ。 せっかくみぢかに)
そのうえに、人影はさらにない。櫂さえ見えないのだ。 せっかく身ぢかに
(はっけんしたりょうていが、このようなありさまなので、1ごうていじょうにしきをとるさえきせんちょういか)
発見した僚艇が、このような有様なので、一号艇上に指揮をとる佐伯船長以下
(23めいのせんいんたちは、いいあわせたようにふあんなきもちにかおをくもらせている。)
二十三名の船員たちは、いいあわせたように不安な気持に顔をくもらせている。
(「さあこげ、もうすこしだ。お1、2」 せんちょうはせんいんたちにちからをつける。)
「さあ漕げ、もうすこしだ。お一、二」 船長は船員たちに力をつける。
(ぼーとは、かいめんをやのようにすべってゆく。 せんちょうは、ぼーとのうえに)
ボートは、海面を矢のように滑ってゆく。 船長は、ボートのうえに
(ぼうえんきょうをはなさない。そのそばにいるむでんきょくちょうのふるやがきがついたときは、)
望遠鏡をはなさない。その傍にいる無電局長の古谷が気がついたときは、
(ぼうえんきょうをにぎるさえきせんちょうのうでが、なぜかぶるぶるとふるえていたのであった。)
望遠鏡を握る佐伯船長の腕が、なぜかぶるぶると慄えていたのであった。