吸血鬼66
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問題文
(こんどのじけんは、さいしょから、しずこさんをさつがいすることがゆいいつのもくてきだった)
「今度の事件は、最初から、倭文子さんを殺害することが唯一の目的だった
(のです。そとのいろいろなはんざいは、すべてすべて、そのゆいいつのもくてきをたっするためのしゅだんに)
のです。外の色々な犯罪は、すべてすべて、その唯一の目的を達する為の手段に
(すぎませんでした ちっとまってください つねかわしはなかなかしょうふくしない。)
過ぎませんでした」「ちっと待って下さい」恒川氏は仲々承服しない。
(それはおかしいですね。かよわいしずこさんをころすのに、なんのてまひまが)
「それはおかしいですね。か弱い倭文子さんを殺すのに、何の手間暇が
(いりましょう。いちばんさいしょ、しげるしょうねんをおとりにして、あのひとをあおやまのあきやへ)
要りましょう。一番最初、茂少年をおとりにして、あの人を青山の空家へ
(とじこめたとき、なんのめんどうもなくさつがいすることができたはずです。なにもわざわざ、)
とじこめた時、何の面倒もなく殺害することが出来た筈です。何も態々、
(さいとうろうじんごろしのけんぎをかけて、つみにおとすような、まわりくどいことを)
斎藤老人殺しの嫌疑をかけて、罪に落す様な、廻りくどいことを
(しなくても。......つねかわさん。ぼくがこのじけんをじゅうだいにかんがえるのは、)
しなくても。......」「恒川さん。僕がこの事件を重大に考えるのは、
(そのてんですよ あけちはとつぜんげんしゅくなおももちになって、うわめづかいに、じっとけいぶの)
その点ですよ」明智は突然厳粛な面持になって、上眼使いに、じっと警部の
(かおをみつめた。このじけんのしんはんにんは、にんげんではありません。いや、にんげんのかわを)
顔を見つめた。「この事件の真犯人は、人間ではありません。イヤ、人間の皮を
(かぶった、もうじゅうです。どくへびです。ああ、なんというしゅうねんでしょう。われわれじょうじんの)
かぶった、猛獣です。毒蛇です。アア、何という執念でしょう。我々常人の
(そうぞうりょくでははんだんもできないような、けだもののせかいのしゅうねんです。・・・・・・)
想像力では判断も出来ない様な、けだものの世界の執念です。・・・・・・
(はんにんは、ねこがねずみをもてあそぶように、しずこさんをもてあそんでいたのですよ。)
犯人は、猫が鼠をもて遊ぶ様に、倭文子さんをもてあそんでいたのですよ。
(あるいはあいじをゆうかいし、あるいはとうのしずこさんをちかしつにゆうへいし、あるいは)
あるいは愛児を誘拐し、あるいは当の倭文子さんを地下室に幽閉し、あるいは
(おそろしいさつじんざいのげしにんとおもいこませるなど、そのほかあらゆるしゅだんをもちいて、)
恐ろしい殺人罪の下手人と思い込ませるなど、その外あらゆる手段を用いて、
(いっすんだめし、ごぶだめしに、こわがらせ、かなしませ、くるしめぬいて、さいごに、)
一寸だめし、五分だめしに、こわがらせ、悲しませ、苦しめ抜いて、最後に、
(ころしてしまおうとたくらんだのです。はんにんにしては、ぎせいしゃをただひとうちに)
殺してしまおうとたくらんだのです。犯人にしては、犠牲者をただ一打ちに
(ころしてしまうのが、おしかったのです。しゃぶったり、なめたり、ちょっとばかり)
殺してしまうのが、惜かったのです。しゃぶったり、なめたり、ちょっとばかり
(きずつけてみたり、さんざんおもちゃにして、それから、あんぐりとくいころそうと)
傷つけて見たり、さんざんおもちゃにして、それから、アングリと食い殺そうと
(いうわけなのです あけちは、あおざめた、そうけだったかおで、こころのそこからおそろしそうに)
いう訳なのです」明智は、青ざめた、総毛立った顔で、心の底から恐ろしそうに
(かたった。きいているうちに、つねかわしも、なにかしらぞっとしないでは)
語った。聞いている内に、恒川氏も、何かしらゾッとしないでは
(いられなかった。もしそれがじじつだとすれば、われわれはいっこくもはやくしずこさんを)
いられなかった。「若しそれが事実だとすれば、我々は一刻も早く倭文子さんを
(すくいださなければなりません。あのひとはどこにいるのです。だいいち、どうしてあの)
救い出さなければなりません。あの人はどこにいるのです。第一、どうしてあの
(げんじゅうなみはりのなかを、ここからぬけだすことができたのでしょう けいぶはあけちの)
厳重な見張りの中を、ここから抜け出すことが出来たのでしょう」警部は明智の
(おちついているのを、もどかしがって、いらいらしながらいった。ここから)
落ついているのを、もどかしがって、イライラしながらいった。「ここから
(ぬけだすのはわけはなかったのです。かんおけですよ。さいとうろうじんのしがいをおさめたかんおけが)
抜け出すのは訳はなかったのです。棺桶ですよ。斎藤老人の死骸を納めた棺桶が
(てじなのたねにつかわれたのですよ え、え、かんおけですって?つねかわしは、ふいを)
手品の種に使われたのですよ」「エ、エ、棺桶ですって?」恒川氏は、不意を
(うたれて、おどろきのひょうじょうをかくすいとまがなかった。そのほかにかんがえようがないでは)
打たれて、驚きの表情を隠す暇がなかった。「その外に考え様がないでは
(ありませんか。やしきはすきまもなくけいかんやかじんによってみはられていたのです。)
ありませんか。邸は隙間もなく警官や家人によって見張られていたのです。
(あのひやしきをでいりしたじんぶつははっきりわかっています。そのほかやしきをでたものと)
あの日邸を出入りした人物はハッキリ分っています。その外邸を出たものと
(いっては、かんおけがあったばかりです。とすれば、しずこさんとしげるしょうねんは、)
いっては、棺桶があったばかりです。とすれば、倭文子さんと茂少年は、
(あのひつぎにかくれて、ここをぬけだしたとかんがえるほかないではありませんか。かんたんな)
あの棺に隠れて、ここを抜け出したと考える外ないではありませんか。簡単な
(さんじゅつのもんだいですよ しかし、あのかんおけに、さんにんもひとがはいれますか けいぶの)
算術の問題ですよ」「しかし、あの棺桶に、三人も人が入れますか」警部の
(やつぎばやのはんもんだ。さんにんははいれなくても、おんなとこどもがはいるほどのひろさは)
矢つぎ早の反問だ。「三人は入れなくても、女と子供が入る程の広さは
(あります すると、さいとうろうじんのしたいは?おめにかけましょう あけちは)
あります」「すると、斎藤老人の死体は?」「お目にかけましょう」明智は
(てきぱきこたえておいて、うばのおなみをふりかえった。ばあやさん。さいとうろうじんの)
テキパキ答えておいて、乳母のお波を振返った。「ばあやさん。斎藤老人の
(いるところは、きみがしっているはずだね おなみは、めんくらって、めをぱちぱちやった。)
いる所は、君が知っている筈だね」お波は、面食って、目をパチパチやった。
(あたしが?いいえ、そんなものぞんじますものですか しらないって?)
「あたしが?イイエ、そんなもの存じますものですか」「知らないって?
(そんなはずはないよ。ほら、おくざしきにならんでいるかんおけさ ああ、あれで)
そんな筈はないよ。ホラ、奥座敷に並んでいる棺桶さ」「アア、あれで
(ございますか。あれならみっつとも、からっぽですよ。さっきそうぎしゃからとどけて)
ございますか。あれなら三つとも、からっぽですよ。さっき葬儀社から届けて
(きたばかりですもの。あけちさんのおさしずだっていってましたが、みんなで、いったい)
来たばかりですもの。明智さんのお指図だっていってましたが、みんなで、一体
(なにになさるのだろう。きみがわるいといって、ふしんがっていたのでございますよ)
何になさるのだろう。気味が悪いといって、不審がっていたのでございますよ」
(おなみはたべんである。からっぽだか、どうだか、ではいってみることにしよう)
お波は多弁である。「からっぽだか、どうだか、では行って見ることにしよう」
(あけちは、つねかわしをうながして、おなみとさんにんで、おくのまへはいっていった。)
明智は、恒川氏をうながして、お波と三人で、奥の間へ入って行った。
(なるほど、とこのまのまえに、しらきのひつぎがみっつ、きちんとぎょうぎよくならんでいる。)
なる程、床の間の前に、白木の棺が三つ、きちんと行儀よく並んでいる。
(ひごろあまりしようせぬざしきなので、どことなくがらんとして、いんきなかんじだ。)
日頃あまり使用せぬ座敷なので、どことなくガランとして、陰気な感じだ。
(ふたつは、どうにもからっぽです。しかしみぎのはしのひとつだけは、なかみがある)
「二つは、如何にも空っぽです。しかし右の端の一つだけは、中味がある」
(あけちは なかみ などとみょうないいかたをして、みぎはしのひつぎにちかづき、そのふたをすこし)
明智は「中味」などと妙ないい方をして、右端の棺に近づき、そのふたを少し
(あけてみせた。つねかわしとばあやがのぞいてみるとたしかににんげんが、うずくまっている。)
あけて見せた。恒川氏と婆やがのぞいて見ると確に人間が、うずくまっている。
(ふたのすきまからさしこむでんとうのひかりが、そのじんぶつのなめしがわのようにひからびた、)
ふたの隙間からさし込む電燈の光りが、その人物のなめし革の様にひからびた、
(つちいろのはんめんを、ぼんやりとてらしている。おや、ほんとうにさいとうさんだ。)
土色の半面を、ボンヤリと照らしている。「オヤ、本当に斎藤さんだ。
(まあ、まあ おなみはわけのわからぬことをつぶやいて、なじみのふかいほとけさまに)
マア、マア」お波は訳の分らぬことをつぶやいて、なじみの深い仏様に
(がっしょうした。ああ、わかりました。このしがいも、やっぱりれいのいどのなかにかくして)
合掌した。「アア、分りました。この死骸も、やっぱり例の井戸の中に隠して
(あったのですね けいぶが、なじるようにいった。そうです。あのにまいのふとんの)
あったのですね」警部が、なじる様にいった。「そうです。あの二枚のふとんの
(うえにあったのです。あすこに、さいとうろうじんのしがいまであったのでは、おしばいが)
上にあったのです。あすこに、斎藤老人の死骸まであったのでは、お芝居が
(あんまりふくざつになりますから、じゅんじょよくたねあかしをするために、ふみよさんと)
あんまり複雑になりますから、順序よく種明かしをする為に、文代さんと
(こばやしくんが、まえもって、このしがいだけをはこびだしておいたのですよ。どうせひつぎに)
小林君が、前以て、この死骸だけを運び出しておいたのですよ。どうせ棺に
(おさめなければならないのですからね あけちはそんなふうにべんかいしたが、もっと)
おさめなければならないのですからね」明智はそんな風に弁解したが、もっと
(ほかのりゆうがあったのかもしれない。で、あとのふたつのひつぎは、はたやなぎしょうぞうと)
外の理由があったのかも知れない。「で、あとの二つの棺は、畑柳庄蔵と
(おがわしょういちのために、よういされたわけですね けいぶは、あけちのいきとどいたてくばりに)
小川正一の為に、用意された訳ですね」警部は、明智の行届いた手配りに
(かんじいっていった。これで、こんばんのおしばいはまくをとじるのです。つまり、)
感じ入っていった。「これで、今晩のお芝居は幕を閉じるのです。つまり、
(さいとうろうじんのしがいが、ふきつなどんちょうをおろすやくをつとめたわけですよ あけちは、わざと)
斎藤老人の死骸が、不吉などん帳をおろす役を勤めた訳ですよ」明智は、わざと
(かいかつにじょうだんをいってみせた。そして、これからほんとうのとりものにうつるのです)
快活に冗談をいって見せた。「そして、これから本当の捕物に移るのです」
(つねかわしは、えものをまえにしたりょうけんのようにげんきづいてさけんだ。おにけいぶのほんりょうを)
恒川氏は、獲物を前にした猟犬の様に元気づいて叫んだ。鬼警部の本領を
(はっきするときがきたのだ。しずこさんおやこのあんぴもきづかわれる。それに、)
発揮する時が来たのだ。「倭文子さん親子の安否も気づかわれる。それに、
(だいいちはんにんのとうぼうがきがかりです。ぐずぐずしているばあいではありません)
第一犯人の逃亡が気掛りです。愚図愚図している場合ではありません」