晩年 ⑦

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太宰 治

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問題文

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(わたしのちちはひじょうにいそがしいひとで、うちにいることがあまりなかった。うちにいても)

私の父は非常に忙しい人で、うちにいることがあまりなかった。うちにいても

(こどもらといっしょにはいられなかった。わたしはこのちちをおそれていた。ちちのまんねんひつを)

子供らと一緒には居られなかった。私は此の父を恐れていた。父の万年筆を

(ほしがっていながらそれをいいだせないで、ひとりいろいろとおもいなやんだすえ、)

ほしがっていながらそれを言い出せないで、ひとり色々と思い悩んだ末、

(あるばんにとこのなかでめをつぶったままねごとのふりして、まんねんひつ、)

或る晩に床の中で眼をつぶったまま寝言のふりして、まんねんひつ、

(まんねんひつ、ととなりべやできゃくとたいだんちゅうのちちへひくくよびかけたことがあったけれど)

まんねんひつ、と隣部屋で客と対談中の父へ低く呼びかけたことがあったけれど

(もちろんそれはちちのみみにもこころにもはいらなかったらいしい。わたしとおとうとがこめだわらの)

もちろんそれは父の耳にも心にもはいらなかったらいしい。私と弟が米俵の

(ぎっしりつまれたひろいこめぐらにはいっておもしろくあそんでいると、ちちがいりぐちにたちはだ)

ぎっしり積まれたひろい米蔵に入って面白く遊んでいると、父が入口に立ちはだ

(かって、ぼうず、でろ、でろ、としかった。ひかりをせからうけているので、ちちのおおきい)

かって、坊主、出ろ、出ろ、と叱った。光を脊から受けているので、父の大きい

(すがたがまっくろにみえた。わたしは、あのときのきょうふをおもうといまでもいやなきがする。)

姿がまっくろに見えた。私は、あの時の恐怖を惟うと今でもいやな気がする。

(ははにたいしてもわたしはしたしめなかった。うばのちちでそだっておばのふところでおおきくなった)

母に対しても私は親しめなかった。乳母の乳で育って叔母の懐で大きくなった

(わたしは、しょうがっこうのにさんねんのときまでははをしらなかったのである。げなんがふたり)

私は、小学校のニ三年のときまで母を知らなかったのである。下男がふたり

(かかってわたしにそれをおしえたのだが、あるよる、そばにねていたははがわたしのふとんの)

かかって私にそれを教えたのだが、ある夜、傍に寝ていた母が私の蒲団の

(うごくのをふしんがって、なにをしているのか、とわたしにたずねた。わたしはひどくとうわくして)

動くのを不審がって、なにをしているのか、と私に尋ねた。私はひどく当惑して

(こしがいたいからあんまやっているのだ、とへんじした。ははは、そんならもんだらいい)

腰が痛いからあんまやっているのだ、と返事した。母は、そんなら揉んだらいい

(たたいてばかりいたって、とねむそうにいった。わたしはだまってしばらくこしを)

たたいて許りいたって、と眠そうに言った。私は黙ってしばらく腰を

(なでさすった。ははへのついおくはわびしいものがおおい。わたしがくらからあにのようふくをだし、)

撫でさすった。母への追憶はわびしいものが多い。私が蔵から兄の洋服を出し、

(それをきてうらにわのかだんのあいだをぶらぶらあるきながら、わたしのそっきょうてきにさっきょくするあいちょうの)

それを着て裏庭の花壇の間をぶらぶら歩きながら、私の即興的に作曲する哀調の

(こもったうたをくちずさんではなみだぐんでいた。わたしはそのみなりでちょうばのしょせいと)

こもった歌を口ずさんでは涙ぐんでいた。わたしはその身装で帳場の書生と

(あそびたくおもい、じょちゅうをよびにやったが、しょせいはなかなかこなかった。わたしはうらにわの)

遊びたく思い、女中を呼びにやったが、書生は仲々来なかった。私は裏庭の

(たけがきをくつさきでからからとなでたりしながらかれをまっていたのであるが、)

竹垣を靴先でからからと撫でたりしながら彼を待っていたのであるが、

など

(とうとうしびれをきらして、ずぼんのぽけっとにりょうてをつっこんだまま)

とうとうしびれを切らして、ズボンのポケットに両手をつっ込んだまま

(なきだした。わたしのないているのをみつけたははは、どうしたわけか、そのようふくをはぎ)

泣き出した。私の泣いているのを見つけた母は、どうした訳か、その洋服をはぎ

(とってしまってわたしのしりをぴしゃぴしゃとぶったのである。わたしはみをきられるような)

取って了って私の尻をぴしゃぴしゃとぶったのである。私は身を切られるような

(ちじょくをかんじた。わたしははやくからふくそうにかんしんをもっていたのである。)

恥辱を感じた。私は早くから服装に関心を持っていたのである。

(しゃつのそでぐちにはぼたんがついていないとしょうちできなかった。しろいふらんねるの)

シャツの袖口にはボタンが附いていないと承知できなかった。白いフランネルの

(しゃつをこのんだ。じゅばんのえりもしろくなければいけなかった。えりもとから)

シャツを好んだ。襦袢の襟も白くなければいけなかった。えりもとから

(そのしろえりをいちぶかにぶのぞかせるようにちゅういした。じゅうごやのときには、むらの)

その白襟を一分か二分のぞかせるように注意した。十五夜のときには、村の

(せいとたちはみんなはれぎをきてがっこうへでてくるが、わたしもまいとしきまってちゃいろのふとい)

生徒たちはみんな晴衣を着て学校へ出て来るが、私も毎年きまって茶色の太い

(しまのあるほんねるのきものをきていって、がっこうのせまいろうかをおんなのようによなよなと)

縞のある本ネルの着物を着て行って、学校の狭い廊下を女のようによなよなと

(こばしりにはしってみせたりするのであった。わたしはそのようなおしゃれを、ひとに)

小走りにはしって見せたりするのであった。私はそのようなおしゃれを、人に

(かんづかれぬようひそかにやった。うちのひとたちはわたしのようぼうをきょうだいじゅうでいちばん)

感附かれぬようひそかにやった。うちの人たちは私の容貌を兄弟中で一番

(わるいわるい、といっていたし、そのようなわるいおとこが、こんなおしゃれを)

わるいわるい、と言っていたし、そのような悪いおとこが、こんなおしゃれを

(するとしれたらみなにわらわれるだろうとかんがえたからである。わたしは、かえってふくそうに)

すると知れたら皆に笑われるだろうと考えたからである。私は、かえって服装に

(むかんしんであるようにふるまい、しかもそれはあるていどまでせいこうしたようにおもう。)

無関心であるように振舞い、しかもそれは或る程度まで成功したように思う。

(だれのめにもわたしはどんじゅうでやぼくさくみえたにちがいないのだ。わたしがきょうだいたちとおぜんの)

誰の眼にも私は鈍重で野暮臭く見えたにちがいないのだ。私が兄弟たちとお膳の

(まえにすわっているときなど、そぼやははがよくわるいことをまじめにいったものだが)

まえに坐っているときなど、祖母や母がよくわるい事を真面目に言ったものだが

(わたしにはやはりくやしかった。わたしはじぶんをいいおとこだとしんじていたんで、)

私にはやはりくやしかった。私は自分をいいおとこだと信じていたんで、

(じょちゅうべやなんかへいってきょうだいじゅうでだれがいちばんいいおとこだろう、とそれとなく)

女中部屋なんかへ行って兄弟中で誰が一番いいおとこだろう、とそれとなく

(きくことがあった。じょちゅうたちは、ちょうけいがいちばんで、そのつぎがなおちゃだ、とたいてい)

聞くことがあった。女中たちは、長兄が一番で、その次が治ちゃだ、と大抵

(そういった。わたしはかおをあかくして、それでもすこしふまんだった。ちょうけいよりもいい)

そう言った。私は顔を赤くして、それでも少し不満だった。長兄よりもいい

(おとこだといってほしかったのである。わたしはようぼうのことだけでなく、ぶきようだと)

おとこだと言って欲しかったのである。私は容貌のことだけでなく、不器用だと

(いうてんでそぼたちのきにいらなかった。はしのもちかたがへたでしょくじのたびごとに)

いう点で祖母たちの気にいらなかった。箸の持ちかたが下手で食事の度毎に

(そぼからちゅういされたし、わたしのおじきはしりがあってみぐるしいともいわれた。)

祖母から注意されたし、私のおじきは尻があって見苦しいとも言われた。

(わたしはそぼのまえにきちんとすわらされ、なんかいもなんかいもおじぎをさせられたけれど、)

私は祖母の前にきちんと坐らされ、何回も何回もおじぎをさせられたけれど、

(いくらやってみてもそぼはじょうずだといってくれないのである。)

いくらやって見ても祖母は上手だと言って呉れないのである。

(そぼもわたしにとってにがてであったのだ。むらのしばいごやのぶたいびらきにとうきょうのじゃくさぶろう)

祖母も私にとって苦手であったのだ。村の芝居小屋の舞台開きに東京の雀三郎

(いちざというのがかかったとき、わたしはそのこうぎょうちゅういちにちもかかさずけんぶつにいった)

一座というのがかかったとき、私はその興業中いちにちも欠かさず見物に行った

(そのこやはわたしのちちがたてたのだから、わたしはいつでもただでいいせきにすわれたので)

その小屋は私の父が建てたのだから、私はいつでもただでいい席に座れたので

(ある。がっこうからかえるとすぐ、わたしはやわらかいきものときがえ、はしにちいさいえんぴつを)

ある。学校から帰るとすぐ、私は柔かい着物と着換え、端に小さい鉛筆を

(むすびつけたほそいぎんくさりをおびにつりさげてしばいごやへはしった。うまれてはじめて)

むすびつけた細い銀鎖を帯に吊りさげて芝居小屋へ走った。生まれて始めて

(かぶきというものをしったのであるし、わたしはこうふんして、きょうげんをみているあいだも)

歌舞伎というものを知ったのであるし、私は興奮して、狂言を見ている間も

(いくどとなくなみだをながした。そのこうぎょうがすんでから、わたしはおとうとやしんるいのこらをあつめて)

幾度となく涙を流した。その興業が済んでから、私は弟や親類の子らを集めて

(いちざをつくりじぶんでしばいをやってみた。わたしはまえからこんなもよおしものがすきで、げなんや)

一座を作り自分で芝居をやって見た。私は前からこんな催物が好きで、下男や

(じょちゅうたちをあつめては、むかしばなしをきかせたり、げんとうやかつどうしゃしんをうつしてみせたり)

女中たちを集めては、昔話を聞かせたり、幻燈や活動写真を写して見せたり

(したものである。そのときには、「やまなかしかのすけ」と「はとのいえ」と「かっぽれ」と)

したものである。そのときには、「山中鹿之助」と「鳩の家」と「かっぽれ」と

(みっつのきょうげんをならべた。やまなかしかのすけがたにかわのきしのあるちゃみせで、はやかわあゆのすけという)

三つの狂言を並べた。山中鹿之助が谷河の岸の或る茶店で、早川鮎之助という

(けらいをえるくだりりをあるしょうねんざっしからぬきとって、それをわたしがきゃくしょくした。)

家来を得る条りを或る少年雑誌から抜き取って、それを私が脚色した。

(せっしゃはやまなかしかのすけともうすものであるが、というながいことばをかぶきのしちごちょうになおす)

拙者は山中鹿之助と申すものであるが、という長い言葉を歌舞伎の七五調に直す

(のにくしんをした。「はとのいえ」はわたしがなんべんくりかえしてよんでもかならずなみだのでた)

のに苦心をした。「鳩の家」は私がなんべん繰り返して読んでも必ず涙の出た

(ちょうへんしょうせつで、そのなかでもことにあわれなところをにまくにしあげたものであった。)

長編小説で、その中でも殊に哀れな所を二幕に仕上げたものであった。

(「かっぽれ」はじゃくさぶろういちざがおしまいのまくのとき、いつもがくやそうででそれをおどった)

「かっぽれ」は雀三郎一座がおしまいの幕の時、いつも楽屋総出でそれを踊った

(ものだから、わたしもそれをおどることにしたのである。ごろくにちけいこしていよいよそのひ)

ものだから、私もそれを踊ることにしたのである。五六にち稽古して愈々その日

(ぶんこぐらのまえのひろいろうかをぶたいにして、ちいさいひきまくなどをこしらえた。)

文庫蔵のまえの広い廊下を舞台にして、小さい引幕などをこしらえた。

(ひるのうちからそんなじゅんびをしていたのだが、そのひきまくのはりがねにそぼがあごを)

昼のうちからそんな準備をしていたのだが、その引幕の針金に祖母が顎を

(ひっかけてしまった。そぼは、このはりがねでわたしをころすつもりか、かわらこじきの)

ひっかけて了った。祖母は、此の針金でわたしを殺すつもりか、河原乞食の

(まねくそはやめろ、といってわたしたちをののしった。それでもそのばんはやはりげなんや)

真似糞はやめろ、と言って私たちをののしった。それでもその晩はやはり下男や

(じょちゅうたちをじゅうにんほどあつめてそのしばいをやってみせたが、そぼのことばをかんがえると)

女中たちを十人ほど集めてその芝居をやってみせたが、祖母の言葉を考えると

(わたしのむねはおもくふさがった。わたしはやまなかしかのすけや「はとのいえ」のおとこのこのやくをつとめ、)

私の胸は重くふさがった。私は山中鹿之助や「鳩の家」の男の子の役をつとめ、

(かっぽれもおどったけれどもすこしもきのりがせずたまらなくさびしかった。)

かっぽれも踊ったけれども少しも気乗りがせずたまらなく淋しかった。

(そののちもわたしはときどき「うしぬすびと」や「さらやしき」や「しゅんとくまる」などのしばいを)

そののちも私はときどき「牛盗人」や「皿屋敷」や「俊徳丸」などの芝居を

(やったが、そぼはそのつどにがにがしげにしていた。)

やったが、祖母はその都度にがにがしげにしていた。

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