晩年 ⑪
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問題文
(きゅうかがおわりになるとわたしはかなしくなった。こきょうをあとにし、そのしょうとかいへきて)
休暇が終わりになると私は悲しくなった。故郷をあとにし、その小都会へ来て
(ごふくしょうのにかいでひとりしてこうりをあけたときには、わたしはもうすこしで)
呉服商の二階で独りして行李をあけた時には、私はもう少しで
(なくところであった。わたしは、そんなさびしいばあいには、ほんやへいくことにしていた)
泣くところであった。私は、そんな淋しい場合には、本屋へ行くことにしていた
(そのときもわたしはちかくのほんやへはしった。そこにならべられたかずかずのかんこうぶつのせを)
そのときも私は近くの本屋へ走った。そこに並べられたかずかずの刊行物の背を
(みただけでも、わたしのゆうしゅうはふしぎにきえたのだ。そのほんやのすみのしょだなには、)
見ただけでも、私の憂愁は不思議に消えたのだ。その本屋の隅の書棚には、
(わたしのほしくてもかえないほんがごろくさつあって、わたしはときどき、そのまえへ)
私の欲しくても買えない本が五六冊あって、私はときどき、その前へ
(なにげなさそうにたちどまってはひざをふるわせながらそのほんのぺーじをぬすみみたもの)
何気なさそうに立ち止まっては膝をふるわせながらその本の頁を盗み見たもの
(だけれど、しかしわたしがほんやへいくのは、なにもそんないがくじみたきじをよむ)
だけれど、しかし私が本屋へ行くのは、なにもそんな医学じみた記事を読む
(ためばかりではなかったのである。そのとうじわたしにとって、どんなほんでもきゅうようと)
ためばかりではなかったのである。その当時私にとって、どんな本でも休養と
(いあんであったからである。がっこうのべんきょうはいよいよおもしろくなかった。)
慰安であったからである。学校の勉強はいよいよ面白くなかった。
(はくちずにさんみゃくやこうわんやかせんをみずえのぐできにゅうするしゅくだいなどは、なによりも)
白地図に山脈や港湾や河川を水絵具で記入する宿題などは、なによりも
(のろわしかった。わたしはものごとにこるほうであったから、このちずのさいしょくには)
呪わしかった。私は物事に凝るほうであったから、この地図の彩色には
(さんよじかんもついやした。れきしなんかも、きょうしはわざわざのおとをつくらせてそれへ)
三四時間も費やした。歴史なんかも、教師はわざわざノオトをつくらせてそれへ
(こうぎのようてんをかきこめといいつけたが、きょうしのこうぎはきょうかしょをよむようなもので)
講義の要点を書き込めと言いつけたが、教師の講義は教科書を読むようなもので
(あったから、しぜんとそののおとへもきょうかしょのぶんしょうをそのままかきうつすよりほか)
あったから、自然とそのノオトへも教科書の文章をそのまま書き写すよりほか
(なかったのである。わたしはそれでもせいせきにみれんがあったので、そんなしゅくだいをまいにち)
なかったのである。私はそれでも成績にみれんがあったので、そんな宿題を毎日
(せいだしてやったのである。あきになると、そのまちのちゅうとうがっこうどうしのいろいろな)
せい出してやったのである。秋になると、そのまちの中等学校どうしの色色な
(すぽおつのしあいがはじまった。いなかからでてきたわたしは、やきゅうのしあいなど)
スポオツの試合が始まった。田舎から出てきた私は、野球の試合など
(みたことさえなかった。しょうせつぼんで、ふるべえすとか、あたっくしょおととか、せんたあとか)
見たことさえなかった。小説本で、満塁とか、アタックショオトとか、中堅とか
(そんなようごをおぼえていただけであって、やがてそのしあいのみかたをおぼえたけれど)
そんな用語を覚えていただけであって、やがて其の試合の観方をおぼえたけれど
(あまりねっきょうできなかった。やきゅうばかりでなく、ていきゅうでも、じゅうどうでも、なにかたこうと)
余り熱狂できなかった。野球ばかりでなく、庭球でも、柔道でも、なにか他校と
(しあいのあるたびにわたしもおうえんだんのひとりとして、せんしゅたちにせいえんをあたえなければ)
試合のある度に私も応援団の一人として、選手たちに声援を与えなければ
(ならなかったのであるが、そのことがなおさらちゅうがくせいせいかつをいやなものに)
ならなかったのであるが、そのことが尚さら中学生生活をいやなものに
(してしまった。おうえんだんちょうというのがあって、わざときたないかっこうでひのまるのせんすなどを)
して了った。応援団長というのがあって、わざと汚い格好で日の丸の扇子などを
(もち、こうていのすみのこだかいおかにのぼってえんぜつをすれば、ひとげえむのあいま)
持ち、校庭の隅の小高い岡にのぼって演説をすれば、ひとゲエムのあいま
(あいまにだんちょうがせんすをひらひらさせて、おおるすたんどあっぷとさけんだ。)
あいまに団長が扇子をひらひらさせて、オオル・スタンド・アップと叫んだ。
(わたしたちはたちあがって、むらさきのちいさいさんかくきをいっせいにゆらゆらふりながら、よいてき)
私たちは立ち上がって、紫の小さい三角端を一斉にゆらゆら振りながら、よい敵
(よいてきけなげなれども、というおうえんかをうたうのである。そのことはわたしにとって)
よい敵けなげなれども、という応援歌をうたうのである。そのことは私にとって
(はずかしかった。わたしは、すきをみては、そのおうえんからにげていえへかえった。)
恥ずかしかった。私は、すきを見ては、その応援から逃げて家へ帰った。
(しかし、わたしにもすぽおつのけいけんがないわけではなかったのである。)
しかし、私にもスポオツの経験がない訳ではなかったのである。
(わたしのかおがあおぐろくて、わたしはそれをれいのあんまのゆえであるとしんじていたので、ひとから)
私の顔が蒼黒くて、私はそれを例のあんまの故であると信じていたので、人から
(わたしのかおいろをいわれると、わたしのそのひみつをしてきされたようにどぎまぎした。)
私の顔色を言われると、私のその秘密を指摘されたようにどぎまぎした。
(わたしは、どんなにかしてけっしょくをよくしたくおもい、すぽおつをはじめたのである。)
私は、どんなにかして血色をよくしたく思い、スポオツをはじめたのである。
(わたしはよほどまえからこのけっしょくをくにしていたものであった。しょうがっこうしごねんのころ、)
私はよほど前からこの血色を苦にしていたものであった。小学校四五年のころ、
(すえのあにからでもくらしいというしそうをきき、ははまでもでもくらしいのためぜいきんが)
末の兄からデモクラシイという思想を聞き、母までもデモクラシイのため税金が
(めっきりたかくなってさくまいのほとんどみんなをぜいきんにとられる、ときゃくたちに)
めっきり高くなって作米の殆どみんなを税金に取られる、と客たちに
(こぼしているのをみみにして、わたしはそのしそうにこころよわくうろたえた。そして、なつは)
こぼしているのを耳にして、私はその思想に心弱くうろたえた。そして、夏は
(げなんたちにでもくらしいのしそうをおしえた。そうして、げなんたちはわたしのてだすけを)
下男たちにデモクラシイの思想を教えた。そうして、下男たちは私の手助けを
(あまりよろこばなかったのをやがてしった。わたしのかったくさなどはあとからまたかれらが)
余りよろこばなかったのをやがて知った。私の刈った草などは後からまた彼等が
(かりなおさなければいけなかったらしいのである。わたしはげなんたちをたすけるなの)
刈りなおさなければいけなかったらしいのである。私は下男たちを助ける名の
(かげで、わたしのかおいろをよくすることをはかっていたのであったが、それほどろうどうしてさえ)
陰で、私の顔色をよくする事を計っていたのであったが、それほど労働してさえ
(わたしのかおいろはよくならなかったのである。)
私の顔色はよくならなかったのである。
(ちゅうがっこうにはいるようになってから、わたしはすぽおつによっていいかおいろをえようと)
中学校にはいるようになってから、私はスポオツに依っていい顔色を得ようと
(おもいたって、あついじぶんには、がっこうのかえりしなにかならずうみへはいっておよいだ。)
思いたって、暑いじぶんには、学校の帰りしなに必ず海へはいって泳いだ。
(わたしはきょうえいといってあまがえるのようにりょうあしをひらいておよぐほうほうをこのんだ。あたまをみずから)
私は胸泳といって雨蛙のように両脚をひらいて泳ぐ方法を好んだ。頭を水から
(まっすぐにだしておよぐのだから、なみのきふくのこまかいしまめも、きしのあおばも、ながれる)
真直に出して泳ぐのだから、波の起伏のこまかい縞目も、岸野青葉も、流れる
(くもも、みんなおよぎながらながめられるのだ。わたしはかめのようにあたまをすっとできるだけ)
雲も、みんな泳ぎながら眺められるのだ。私は亀のように頭をすっとできるだけ
(たかくのばしておよいだ。すこしでもかおをたいようにちかよせて、はやくひやけがしたいからで)
高くのばして泳いだ。すこしでも顔を太陽に近寄せて、早く日焼がしたいからで
(あった。また、わたしのいたうちのうらがひろいぼちだったので、わたしはそこへひゃくめーとるの)
あった。また、私のいたうちの裏がひろい墓地だったので、私はそこへ百米の
(ちょくせんこおすをつくり、ひとりでまじめにはしった。そのぼちはたかいぽぷらのしげみで)
直線コオスを作り、ひとりでまじめに走った。その墓地はたかいポプラの繁みで
(かこまれていて、はしりつかれるとわたしはそこのそとうばのもじなどをよみよみしながら)
囲まれていて、はしり疲れると私はそこの卒塔婆の文字などを読み読みしながら
(ぶらついた。げっせんたんていとか、さんかくゆいいつしんとかのくをいまでもわすれずにいる。)
ぶらついた。月穿潭底とか、三角唯一心とかの句をいまでも忘れずにいる。
(あるひわたしは、ぜにごけのいっぱいはえているくろくしめったはかいしに、じゃくしょうせいりょうこじと)
ある日私は、銭苔のいっぱい生えている黒くしめった墓石に、寂性清寥居士と
(いうなまえをみつけてかなりこころをさわがせ、そのはかのまえにあたらしくかざられてあった)
いう名前を見つけてかなり心を騒がせ、その墓のまえに新しく飾られてあった
(かみのれんげのしろいはに、おれはいまつちのしたでうじむしとあそんでいる、とある)
紙の蓮華の白い葉に、おれはいま土のしたで蛆虫とあそんでいる、と或る
(ふらんすのしじんからあんじされたことばを、どろをふくませたわたしのひとさしゆびでもって、)
仏蘭西の詩人から暗示された言葉を、泥を含ませた私の人指ゆびでもって、
(さもゆうれいがしるしたかのようにほそぼそとなすりかいておいた。そのあくるひの)
さも幽霊が記したかのようにほそぼそとなすり書いて置いた。そのあくる日の
(ゆうがた、わたしはうんどうにとりかかるまえに、まずきのうのぼひょうへおまいりしたら、あさの)
夕方、私は運動にとりかかる前に、先ずきのうの墓標へお参りしたら、朝の
(しゅううでぼうこんのもじはそのきんしんのだれをもなかせぬうちにあとかたもなく)
驟雨で亡魂の文字はその近親の誰をも泣かせぬうちに跡かたもなく
(あらいさらわれて、れんげのしろいはもところどころやぶれていた。わたしはそんなことをして)
洗いさらわれて、蓮華の白い葉もところどころ破れていた。私はそんな事をして
(あそんでいたのであったが、はしることもたいへんうまくなったのである。りょうあしのきんにくも)
遊んでいたのであったが、走る事も大変巧くなったのである。両脚の筋肉も
(くりくりとまるくふくれてきた。けれどもかおいろは、やっぱりよくならなかったのだ)
くりくりと丸くふくれて来た。けれども顔色は、やっぱりよくならなかったのだ
(くろいひょうひのそこには、にごったあおいいろがきもちわるくよどんでいた。)
黒い表皮の底には、濁った蒼い色が気持ち悪くよどんでいた。