晩年 ⑭

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太宰 治

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問題文

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(よねんせいになってから、わたしのへやへはまいにちのようにふたりのせいとがあそびにきた。)

四年生になってから、私の部屋へは毎日のようにふたりの生徒が遊びに来た。

(わたしはぶどうしゅとするめをふるまった。そうしてかれらにおおくのでたらめをおしえたのである。)

私は葡萄酒と鯣をふるまった。そうして彼等に多くの出鱈目を教えたのである。

(すみのおこしかたについていっさつのしょもつがでているとか、「けだもののきかい」という)

炭のおこしかたに就いて一冊の書物が出ているとか、「けだものの機械」という

(あるしんしんさっかのちょしょにわたしがべたべたときかいあぶらをぬっておいて、こうしてはつばい)

或る新進作家の著書に私がべたべたと機械油を塗って置いて、こうして発売

(されているのだが、めずらしいそうていでないかとか、「びぼうのとも」というほんやくぼんの)

されているのだが、珍しい装幀でないかとか、「美貌の友」という翻訳本の

(ところどころかっとされて、そのぶらんくになっているかしょへ、わたしのこしらえた)

ところどころカットされて、そのブランクになっている箇所へ、私のこしらえた

(ひどいぶんしょうを、しっているいんさつやへひみつにたのんですりいれてもらって、)

ひどい文章を、知っている印刷屋へ秘密に頼んで刷り入れてもらって、

(これはきしょだとか、そんなことをいってゆうじんたちをおどろかせたものであった。)

これは奇書だとか、そんなことを言って友人たちを驚かせたものであった。

(みよのおもいでもしだいにうすれていたし、そのうえにわたしは、ひとつうちにいる)

みよの思い出も次第にうすれていたし、そのうえに私は、ひとつうちに居る

(ものどうしがおもったりおもわれたりすることをへんにうしろめたくかんじていたし、)

者どうしが思ったり思われたりすることを変にうしろめたく感じていたし、

(ふだんからおんなのわるぐちばかりいってきているてまえもあったし、みよについてたとえ)

ふだんから女の悪口ばかり言ってきている手前もあったし、みよに就いて譬え

(ほのかにでもこころをみだしたのがはらだたしくおもわれるときさえあったほどで、)

ほのかにでも心を乱したのが腹立たしく思われるときさえあったほどで、

(おとうとにはもちろん、これらのゆうじんたちにもみよのことだけはいわずにおいたのである)

弟にはもちろん、これらの友人たちにもみよの事だけは言わずに置いたのである

(ところが、そのあたりわたしは、あるろしあのさっかのなだかいちょうへんしょうせつをよんで、)

ところが、そのあたり私は、ある露西亜の作家の名だかい長編小説を読んで、

(またかんがえなおしてしまった。それは、ひとりのじょしゅうじんのけいけんからかきだされていたが)

また考え直して了った。それは、ひとりの女囚人の経験から書き出されていたが

(そのおんなのいけなくなるだいいっぽは、かのじょのしゅじんのおいにあたるきぞくのだいがくせいに)

その女のいけなくなる第一歩は、彼女の主人の甥にあたる貴族の大学生に

(ゆうわくされたことからはじまっていた。わたしはそのしょうせつのもっとおおきなあじわいを)

誘惑されたことからはじまっていた。私はその小説のもっと大きなあじわいを

(わすれて、そのふたりがさきみだれたらいらっくのはなのしたでさいしょのせっぷんをかわした)

忘れて、そのふたりが咲き乱れたライラックの花の下で最初の接吻を交わした

(ぺえじにわたしのかれはのしおりをはさんでおいたのだ。わたしもまた、すぐれたしょうせつを)

ペエジに私の枯葉の枝折をはさんでおいたのだ。私もまた、すぐれた小説を

(よそごとのようにしてよむことができなかったのである。わたしがいますこしすべてに)

よそごとのようにして読むことができなかったのである。私がいま少しすべてに

など

(あつかましかったら、いよいよこのきぞくとそっくりになれるのだ、とおもった。)

あつかましかったら、いよいよ此の貴族とそっくりになれるのだ、と思った。

(そうおもうとわたしのおくびょうさがはかなくかんじられもするのである。)

そう思うと私の臆病さがはかなくかんじられもするのである。

(こんなきのせせこましさがわたしのかこをあまりにへいたんにしてしまったのだとかんがえた)

こんな気のせせこましさが私の過去をあまりに平坦にしてしまったのだと考えた

(わたしじしんでじんせいのかがやかしいじゅなんしゃになりたくおもわれたのである。)

私自身で人生のかがやかしい受難者になりたく思われたのである。

(わたしはこのことをまずおとうとへうちあけた。ばんにねてからうちあけた。わたしはげんしゅくな)

私は此のことをまず弟へ打ち明けた。晩に寝てから打ち明けた。私は厳粛な

(たいどではなすつもりであったが、そういしきしてこしらえたしせいがぎゃくに)

態度で話すつもりであったが、そう意識してこしらえた姿勢が逆に

(じゃまをしてきて、けっきょくうわついた。わたしは、くびすじをさすったりりょうてをもみあわせ)

邪魔をして来て、結局うわついた。私は、頸筋をさすったり両手をもみ合わせ

(たりして、きひんのないはなしかたをした。そうしなければかなわぬわたしのしゅうせいを)

たりして、気品のない話しかたをした。そうしなければかなわぬ私の習性を

(わたしはかなしくおもった。おとうとは、うすいしたくちびるをちろちろなめながら、ねがえりもせず)

私は悲しく思った。弟は、うすい下唇をちろちろ舐めながら、寝がえりもせず

(きいていたが、けっこんするのか、といいにくそうにしてたずねた。わたしはなぜだか)

聞いていたが、けっこんするのか、と言いにくそうにして尋ねた。私はなぜだか

(ぎょっとした。できるかどうか、とわざとしおれてこたえた。おとうとは、おそらく)

ぎょっとした。できるかどうか、とわざとしおれて答えた。弟は、恐らく

(できないのではないかといういみのことをあんがいなおとなびたくちょうでまわりくどく)

できないのではないかという意味のことを案外なおとなびた口調でまわりくどく

(いった。それをきいて、わたしはじぶんのほんとうのたいどをはっきりみつけた。)

言った。それを聞いて、私は自分のほんとうの態度をはっきり見つけた。

(わたしはむっとして、たけりたけったのである。ふとんからはんしんをだして、)

私はむっとして、たけりたけったのである。蒲団から半身を出して、

(だからたたかうのだ、たたかうのだ、とこえをひそめてつよくいいはった。)

だからたたかうのだ、たたかうのだ、と声をひそめて強く言い張った。

(おとうとはさらさぞめのふとんのしたでからだをくねくねさせてなにかいおうと)

弟は更紗染めの蒲団の下でからだをくねくねさせて何か言おうと

(しているらしかったが、わたしのほうをぬすむようにしてみて、そっとほほえんだ。)

しているらしかったが、私の方を盗むようにして見て、そっと微笑んだ。

(わたしもわらいだした。そして、かどでだから、といいつつおとうとのほうへてをさしだした。)

私も笑い出した。そして、門出だから、と言いつつ弟の方へ手を差し出した。

(おとうともはずかしそうにふとんからみぎてをだした。わたしはひくくこえをたててわらいながら、にさんど)

弟も恥しそうに蒲団から右手を出した。私は低く声をたてて笑いながら、ニ三度

(おとうとのちからのないゆびをゆすぶった。しかし、ゆうじんたちにわたしのけついをしょうにんさせる)

弟の力のない指をゆすぶった。しかし、友人たちに私の決意を承認させる

(ときには、こんなくしんをしなくてよかった。ゆうじんたちはわたしのはなしをききながら、)

ときには、こんな苦心をしなくてよかった。友人たちは私の話を聞きながら、

(あれこれとしあんをめぐらしているようなかっこうをしてみせたが、それは、わたしのはなしが)

あれこれと思案をめぐらしているような恰好をして見せたが、それは、私の話が

(すんでからそれへのどういにこうかをそえようためのものでしかないのを、)

すんでからそれへの同意に効果を添えようためのものでしかないのを、

(わたしはしっていた。じじつそのとおりだったのである。)

私は知っていた。じじつその通りだったのである。

(よねんせいのときのなつやすみには、わたしはこのゆうじんたちふたりをつれてこきょうへかえった。)

四年生のときの夏やすみには、私はこの友人たちふたりをつれて故郷へ帰った。

(うわべは、さんにんでこうとうがっこうへのじゅけんべんきょうをはじめるためであったが、)

うわべは、三人で高等学校への受験勉強を始めるためであったが、

(みよをみせたいこころもわたしにあって、むりやりにともをつれてきたのである。)

みよを見せたい心も私にあって、むりやりに友をつれて来たのである。

(わたしは、わたしのともがうちのひとたちにふひょうばんでないようにいのった。わたしのあにたちのゆうじんは)

私は、私の友がうちの人たちに不評判でないように祈った。私の兄たちの友人は

(みんなちほうでもなのあるかていのせいねんばかりだったから、わたしのとものようにきんぼたんの)

みんな地方でも名のある家庭の青年ばかりだったから、私の友のように金釦の

(ふたつしかないうわぎなどをきてはいなかったのである。)

ふたつしかない上着などを着てはいなかったのである。

(うらのやしきには、そのじぶんおおきなけいしゃがたてられていて、わたしたちはそのそばの)

裏の屋敷には、そのじぶん大きな鶏舎が建てられていて、私たちはその傍の

(ばんごやでごぜんちゅうだけべんきょうした。ばんごやのそとがわはしろとみどりのぺんきでいろどられて、)

番小屋で午前中だけ勉強した。番小屋の外側は白と緑のペンキでいろどられて、

(なかはふたつぼほどのいたのまで、まだあたらしいわにすまみれのたくしやいすがきちんと)

なかは二坪ほどの板の間で、まだ新しいワニス塗の卓子や椅子がきちんと

(ならべられていた。ひろいとびらがひがしがわときたがわにふたつもついていたし、みなみがわにも)

ならべられていた。ひろい扉が東側と北側に二つもついていたし、南側にも

(ようふうのかいそうがあって、それをみないっぱいにあけはなすと、かぜがどんどん)

洋ふうの開窓があって、それを皆いっぱいに開け放すと、風がどんどん

(はいってきてしょもつのぺえじがいつもぱらぱらとそよいでいるのだ。)

はいって来て書物のペエジがいつもぱらぱらとそよいでいるのだ。

(まわりにはざっそうがむかしのままにはえしげっていて、きいろいひながなんじゅうわとなく)

まわりには雑草がむかしのままに生えしげっていて、黄いろい雛が何十羽となく

(そのくさのあいだにみえかくれしつつあそんでいた。わたしたちさんにんはひるめしどきを)

その草の間にみえかくれしつつ遊んでいた。私たち三人はひるめしどきを

(たのしみにしていた。そのばんごやへ、どのじょちゅうが、めしをしらせにくるかが)

楽しみにしていた。その番小屋へ、どの女中が、めしを知らせに来るかが

(もんだいであったのである。みよでないじょちゅうがくれば、わたしたちはたくをぱたぱた)

問題であったのである。みよでない女中が来れば、私たちは卓をぱたぱた

(たたいたりしたうちしたりしておおさわぎをした。みよがくると、みんなしんとなった。)

叩いたり舌打ちしたりして大騒ぎをした。みよが来ると、みんなしんとなった。

(そして、みよがたちさるといっせいにふきだしたものであった。)

そして、みよが立ち去るといっせいに吹き出したものであった。

(あるはれたひ、おとうともわたしたちといっしょにそこでべんきょうをしていたが、ひるになって、)

或る晴れた日、弟も私たちと一緒にそこで勉強をしていたが、ひるになって、

(きょうはだれがくるのだろう、といつものようにみなでかたりあった。おとうとだけははなしから)

きょうは誰が来るのだろう、といつものように皆で語り合った。弟だけは話から

(はずれて、まどぎわをぶらぶらあるきながらえいごのたんごをあんきしていた。)

はずれて、窓ぎわをぶらぶら歩きながら英語の単語を暗記していた。

(わたしたちはいろんなじょうだんをいって、しょもつをなげつけあったりあしぶみしてゆかをならして)

私たちは色んな冗談を言って、書物を投げつけ合ったり足踏みして床を鳴らして

(いたが、そのうちにわたしはすこしふざけすぎてしまった。わたしはおとうとをもなかまにいれたく)

いたが、そのうちに私はすこしふざけ過ぎて了った。私は弟をも仲間にいれたく

(おもって、おまえはさっきからだまっているが、さては、とくちびるをかるくかんでおとうとを)

思って、お前はさっきから黙っているが、さては、と唇を軽くかんで弟を

(にらんでやったのである。するとおとうとは、いや、とみじかくさけんでみぎてをおおきく)

にらんでやったのである。するとおとうとは、いや、と短く叫んで右手を大きく

(ふった。もっていたたんごのかあどがにさんまいぱっととびちった。わたしはびっくりして)

振った。持っていた単語のカアドがニ三枚ぱっと飛び散った。私はびっくりして

(しせんをかえた。そのとっさのあいだにわたしはきまずいだんていをくだした。みよのことは)

視線をかえた。そのとっさの間に私は気まずい断定をくだした。みよの事は

(きょうかぎりよそうとおもった。それからすぐ、なにごともなかったように)

きょう限りよそうと思った。それからすぐ、なにごともなかったように

(わらいくずれた。)

笑い崩れた。

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