晩年 ㉘

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太宰 治

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問題文

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(どうけのはな)

道化の華

(「ここをすぎてかなしみのまち。」)

「ここを過ぎて悲しみの市。」

(ともはみな、ぼくからはなれ、かなしきめもてぼくをながめる。)

友はみな、僕からはなれ、かなしき眼もて僕を眺める。

(ともよ、ぼくとかたれ、ぼくをわらえ。ああ、ともはむなしくかおをそむける。)

友よ、僕と語れ、僕を笑え。ああ、友はむなしく顔をそむける。

(ともよ、ぼくにとえ。ぼくはなんでもしらせよう。ぼくはこのてもて、そのをみずにしずめた)

友よ、僕に問え。僕はなんでも知らせよう。僕はこの手もて、園を水にしずめた

(ぼくはあくまのごうまんさもて、われよみがえるともそのはしね、とねがったのだ。)

僕は悪魔の傲慢さもて、われよみがえるとも園は死ね、と願ったのだ。

(もっといおうか。ああ、けれどもともは、ただかなしきめもてぼくをながめる。)

もっと言おうか。ああ、けれども友は、ただかなしき眼もて僕を眺める。

(おおばようぞうはべっどのうえにすわって、おきをみていた。おきはあめでけむっていた。)

大庭葉蔵はベッドのうえに坐って、沖を見ていた。沖は雨でけむっていた。

(ゆめよりさめ、ぼくはこののりゆきをよみかえし、そのみにくさといやらしさに、)

夢より覚め、僕はこの教行を読みかえし、その醜さといやらしさに、

(きえもたいりたいおもいをする。やれやれ、おおぎょうきわまったり。)

消えもたいりたい思いをする。やれやれ、大仰きわまったり。

(だいいち、おおばようぞうとはなにごとであろう。)

だいいち、大庭葉蔵とはなにごとであろう。

(さけでない、ほかのもっときょうれつなものによいしれつつ、ぼくはこのおおばようぞうに)

酒でない、ほかのもっと強烈なものに酔いしれつつ、僕はこの大庭葉蔵に

(てをうった。このせいめいは、ぼくのしゅじんこうにぴったりあった。おおばは、しゅじんこうの)

手を拍った。この姓名は、僕の主人公にぴったり合った。大庭は、主人公の

(ただならぬきはくをしょうちょうしてあますところがない。)

ただならぬ気魄を象徴してあますところがない。

(ようぞうはまた、なんとなくしんせんである。ふるめかしさのそこからわきでるほんとうの)

葉蔵はまた、何となく新鮮である。古めかしさの底から湧き出るほんとうの

(あたらしさがかんぜられる。しかも、おおばようぞうとこうよじならべたこのこころよいちょうわ。)

新しさが感ぜられる。しかも、大庭葉蔵とこう四字ならべたこの快い調和。

(このせいめいからして、すでにかっきてきではないか。そのおおばようぞうが、べっどにすわり)

この姓名からして、すでに劃期的ではないか。その大庭葉蔵が、ベッドに坐り

(あめにけむるおきをながめているのだ。いよいよかっきてきではないか。)

雨にけむる沖を眺めているのだ。いよいよ劃期的ではないか。

(よそう。おのれをあざけるのはさもしいことである。それは、ひしがれた)

よそう。おのれをあざけるのはさもしいことである。それは、ひしがれた

(じそんしんからくるようだ。げんにぼくにしても、ひとからいわれたくないゆえ、)

自尊心から来るようだ。現に僕にしても、ひとから言われたくないゆえ、

など

(まずまっさきにおのれのからだへくぎをうつ。これこそひきょうだ。)

まずまっさきにおのれのからだへ釘をうつ。これこそ卑怯だ。

(もっとすなおにならなければいけない。ああ、けんじょうに。)

もっと素直にならなければいけない。ああ、謙譲に。

(おおばようぞう。わらわれてもしかたがない。うのまねをするからす。みぬくひとには)

大庭葉蔵。笑われてもしかたがない。鵜のまねをする烏。見ぬくひとには

(みぬかれるのだ。よりよいせいめいもあるのだろうけれど、ぼくはちょっと)

見ぬかれるのだ。よりよい姓名もあるのだろうけれど、僕はちょっと

(めんどうらしい。いっそ「わたし」としてもよいのだが、ぼくはこのはる、「わたし」という)

めんどうらしい。いっそ「私」としてもよいのだが、僕はこの春、「私」という

(しゅじんこうのしょうせつをかいたばかりだからにどつづけるのがおもはゆいのである。)

主人公の小説を書いたばかりだから二度つづけるのがおもはゆいのである。

(ぼくがもし、あすにでもひょっくりしんだとき、あいつは「わたし」をしゅじんこうに)

僕がもし、あすにでもひょっくり死んだとき、あいつは「私」を主人公に

(しなければ、しょうせつをかけなかった、としたりがおしてじゅっかいするきみょうなおとこが)

しなければ、小説を書けなかった、としたり顔して述懐する奇妙な男が

(でてこないともかぎらぬ。ほんとうは、それだけのりゆうで、ぼくはこのおおばようぞうを)

出て来ないとも限らぬ。ほんとうは、それだけの理由で、僕はこの大庭葉蔵を

(やはりおしとおす。おかしいか。なに、きみだって。)

やはり押し通す。おかしいか。なに、君だって。

(せんきゅうひゃくにじゅうきゅうねん、じゅうにがつおわり、このせいしょうえんという)

一九二九年、十二月おわり、この青松園という

(かいひんのりょうよういんは、ようぞうのにゅういんで、すこしさわいだ。せいしょうえんにはさんじゅうろくにんの)

海浜の療養院は、葉蔵の入院で、すこし騒いだ。青松園には三十六人の

(はいけっかくかんじゃがいた。ふたりのじゅうしょうかんじゃと、じゅういちにんのけいしょうかんじゃとがいて、)

肺結核患者がいた。二人の重症患者と、十一人の軽症患者とがいて、

(あとのにじゅうさんにんはかいふくきのかんじゃであった。ようぞうのしゅうようされたひがしだいいちびょうとうは、)

あとのニ十三人は恢復期の患者であった。葉蔵の収容された東第一病棟は、

(いわばとくとうのにゅういんしつであって、ろくしつにくぎられていた。ようぞうのむろのりょうどなりはくうしつで)

謂わば特等の入院室であって、六室に区切られていた。葉蔵の室の両隣は空室で

(いちばんにしがわのへごうしつには、せとはなのたかいだいがくせいがいた。)

いちばん西側のヘ号室には、脊と鼻のたかい大学生がいた。

(ひがしがわのいごうしつとろごうしつには、わかいおんなのひとがそれぞれねていた。)

東側のい号室とろ号室には、わかい女のひとがそれぞれ寝ていた。

(さんにんともかいふくきのかんじゃである。そのぜんや、たもとがうらでしんじゅうがあった。)

三人とも恢復期の患者である。その前夜、袂ヶ浦で心中があった。

(いっしょにみをなげたのに、おとこは、きはんのぎょせんにひきあげられ、いのちをとりとめた。)

一緒に身を投げたのに、男は、帰帆の漁船に引きあげられ、命をとりとめた。

(けれどもおんなのからだは、みつからぬのであった。そのおんなのひとをさがしにはんしょうを)

けれども女のからだは、見つからぬのであった。その女のひとを捜しに半鐘を

(ながいことはげしくならしてむらのしょうぼうしゅどものいくそうもいくそうもつぎつぎとぎょせんを)

ながいこと烈しく鳴らして村の消防手どものいく艘もいく艘もつぎつぎと漁船を

(おきへのりだしていくかけごえを、さんにんは、むねとどろかせてきいていた。ぎょせんのともす)

沖へ乗り出していく掛声を、三人は、胸とどろかせて聞いていた。漁船のともす

(あかいほかげが、しゅうや、えのしまのきしをさまようた。だいがくせいも、ふたりのわかいおんなも、)

赤い火影が、終夜、江の島の岸を彷徨うた。大学生も、ふたりのわかい女も、

(そのよるはねむれなかった。あけがたになって、おんなのしたいがたもとがうらのなみうちぎわで)

その夜は眠れなかった。あけがたになって、女の死体が袂ヶ浦の浪打際で

(はっけんされた。みじかくかりあげたかみがつやつやひかって、かおはしろくむくんでいた。)

発見された。短く刈りあげた髪がつやつや光って、顔は白くむくんでいた。

(ようぞうはそののしんだのをしっていた。ぎょせんでゆらゆらはこばれていたとき、)

葉蔵は園の死んだのを知っていた。漁船でゆらゆら運ばれていたとき、

(すでにしったのである。ほしぞらのしたでわれにかえり、おんなはしにましたか、と)

すでに知ったのである。星空のしたでわれにかえり、女は死にましたか、と

(まずたずねた。ぎょふのひとりは、しなねえ、しなねえ、しんぱいしねえがええずら、と)

まず尋ねた。漁夫のひとりは、死なねえ、死なねえ、心配しねえがええずら、と

(こたえた。なにやらじひぶかいくちょうであった。しんだのだな、とうつつにかんがえて、)

答えた。なにやら慈悲ぶかい口調であった。死んだのだな、とうつつに考えて、

(またいしきをうしなった。ふたたびめがさめたときには、りょうよういんのなかにいた。)

また意識を失った。ふたたび眼がさめたときには、療養院のなかにいた。

(せまくるしいしろいいたかべのへやに、ひとがいっぱいつまっていた。そのなかのだれかが)

狭くるしい白い板壁の部屋に、ひとがいっぱいつまっていた。そのなかの誰かが

(ようぞうのみもとをあれこれとたずねた。ようぞうは、いちいちはっきりこたえた。)

葉蔵の身元をあれこれと尋ねた。葉蔵は、いちいちはっきり答えた。

(よるがあけてから、ようぞうはべつのもっとひろいびょうしつにうつされた。)

夜が明けてから、葉蔵は別のもっとひろい病室に移された。

(へんをしらされたようぞうのくにもとで、かれのしょちにつき、とりあえずせいしょうえんへ)

変を知らされた葉蔵の国元で、彼の処置につき、取りあえず青松園へ

(ちょうきょりでんわをよこしたからである。ようぞうのふるさとは、ここからにひゃくりも)

長距離電話を寄こしたからである。葉蔵のふるさとは、ここから二百里も

(はなれていた。ひがしだいいちびょうとうのさんにんのかんじゃは、このしんかんじゃがじぶんたちのすぐちかくに)

はなれていた。東第一病棟の三人の患者は、この新患者が自分たちのすぐ近くに

(ねているということにふしぎなまんぞくをおぼえ、きょうからのびょういんせいかつを)

寝ているということに不思議な満足を覚え、きょうからの病院生活を

(たのしみにしつつ、そらもうみもまったくあかるくなったころようやくねむった。)

楽しみにしつつ、空も海もまったく明るくなった頃ようやく眠った。

(ようぞうはねむらなかった。ときどきあたまをゆるくうごかしていた。かおのところどころに)

葉蔵は眠らなかった。ときどき頭をゆるくうごかしていた。顔のところどころに

(しろいがあぜがはりつけられていた。なみにもまれ、あちこちのいわでからだを)

白いガアゼが貼りつけられていた。浪にもまれ、あちこちの岩でからだを

(きずつけたのである。まのというにじゅうくらいのかんごふがひとりつきそっていた。)

傷つけたのである。真野という二十くらいの看護婦がひとり付き添っていた。

(ひだりのまぶたのうえに、ややふかいきずあとがあるので、かたほうのめにくらべ、ひだりのめが)

左の目蓋のうえに、やや深い傷痕があるので、片方の眼にくらべ、左の眼が

(すこしおおきかった。しかし、みにくくなかった。あかいうわくちびるがこころもちうえへ)

すこし大きかった。しかし、醜くなかった。赤い上唇がこころもち上へ

(めくれあがり、あさぐろいほおをしていた。べっどのそばのいすにすわり、どんてんのしたの)

めくれあがり、浅黒い頬をしていた。ベッドの傍の椅子に座り、曇天のしたの

(うみをながめているのである。ようぞうのかおをみぬようにつとめた。きのどくでみれなかった)

海を眺めているのである。葉蔵の顔を見ぬように努めた。気の毒で見れなかった

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