黒死館事件23

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(だいたいなぜとびらのうきぼりをみても、きみたちは、せむしのめがくぼんでいるのに)

「だいたい何故扉の浮彫を見ても、君達は、傴僂の眼が窪んでいるのに

(きがつかなかったのだね なるほど、だえんけいにくぼんでいる くましろは)

気がつかなかったのだね」「なるほど、楕円形に凹んでいる」熊城は

(すぐたっていってとびらをしらべたが、はたしてのりみずのいうとおりだった。のりみずは)

すぐ立って行って扉を調べたが、はたして法水の云うとおりだった。法水は

(それをきくと、かいしんのえみをしんさいにむけて、ねえたごうさん、そのくぼんでいる)

それを聴くと、会心の笑を真斎に向けて、「ねえ田郷さん、その窪んでいる

(いちが、ちょうどはかせのしんぞうのへんにあたりはしませんか。それが、だえんけいを)

位置が、ちょうど博士の心臓の辺に当りはしませんか。それが、楕円形を

(しているのですから、たりずまんのつかがしらであることはいちもくりょうぜんたるものです。)

しているのですから、護符刀の束頭であることは一目瞭然たるものです。

(そうなると、とうぜんてんじゅをたのしむよりほかにじさつのどうきなどひとつもなく、おまけに)

そうなると、当然天寿を楽しむより他に自殺の動機など一つもなく、おまけに

(そのひは、あいじんのにんぎょうをだいてわかかったひのおもいでにふけろうとしたほどのはかせが)

その日は、愛人の人形を抱いて若かった日の憶い出に耽ろうとしたほどの博士が

(なぜとぎわにおしつけられて、しんぞうをつらぬいていたのでしょう しんさいはこえを)

何故扉際に押し付けられて、心臓を貫いていたのでしょう」真斎は声を

(はっすることはおろか、いぜんたるしょうじょうをつづけて、きりょくがまさにつきなんと)

発することはおろか、依然たる症状を続けて、気力がまさに尽きなんと

(していた。ろうはくしょくにかわったがんめんからはあぶらのようなあせがしたたりおち、とうていせいしに)

していた。蝋白色に変った顔面からは膏のような汗が滴り落ち、とうてい正視に

(たえぬみじめさだった。ところが、それにもかかわらずのりみずは、このざんにんなついきゅうを)

耐えぬ惨めさだった。ところが、それにもかかわらず法水は、この残忍な追求を

(いっかなとめようとはしなかった。ところで、ここにきみょうなぱらどっくすが)

いっかな止めようとはしなかった。「ところで、ここに奇妙な逆説が

(あるのです。そのさつじんが、かえってごたいのかんぜんなにんげんにはふかのうなんですよ。)

あるのです。その殺人が、かえって五体の完全な人間には不可能なんですよ。

(なぜなら、ほとんどおとのたたないしゅどうよんりんしゃのきかいりょくがひつようだったからで、)

何故なら、ほとんど音の立たない手働四輪車の機械力が必要だったからで、

(それがまず、かーぺっとになみをつくってちぢめかさねてゆき、しまいには、はかせをとびらに)

それがまず、敷物に波を作って縮め重ねてゆき、終いには、博士を扉に

(げきとつさせたからでした。なにぶんにも、とうじへやはやみにちかいうすあかりで、みぎがわのとばりの)

激突させたからでした。何分にも、当時室は闇に近い薄明りで、右側の帷幕の

(かげにあなたがかくれていたのもしらずに、はかせはとばりのひだりがわをはいして、ばとらーが)

蔭に貴方が隠れていたのも知らずに、博士は帷幕の左側を排して、召使が

(はこびいれておいたにんぎょうをしんだいのうえでみ、それから、かぎをおろしにとびらのほうへ)

運び入れて置いた人形を寝台の上で見、それから、鍵を下しに扉の方へ

(むかったのでしょう。ところが、それをおうて、あなたのはんこうがはじまったの)

向ったのでしょう。ところが、それを追うて、貴方の犯行が始まったの

など

(でしたね。まずそれいぜんに、かーぺっとのむこうはしをびょうでとめ、にんぎょうのちゃくいからたりずまんを)

でしたね。まずそれ以前に、敷物の向う端を鋲で止め、人形の着衣から護符刀を

(ぬいておく そしていよいよはかせがはいごをみせると、かーぺっとのはしをもたげて、)

抜いておく――そしていよいよ博士が背後を見せると、敷物の端をもたげて、

(たてにしたぶぶんをあしだいでおしてそくりょくをくわえたので、かーぺっとにはしわがつくれ、)

縦にした部分を足台で押して速力を加えたので、敷物には皺が作れ、

(もちろんそのなみはしだいにたかさをくわえたのです。そして、はいごからあしだいを、)

勿論その波はしだいに高さを加えたのです。そして、背後から足台を、

(はかせのひかがみにしょうとつさせる。と、なみがよこからつぶされて、ほとんどわきしたに)

博士の膝膕窩に衝突させる。と、波が横から潰されて、ほとんど腋下に

(およぶほどのたかさになってしまう。とどうじに、いわゆるいえんどらしっくはんしゃが)

及ぶほどの高さになってしまう。と同時に、いわゆるイエンドラシック反射が

(おこって、そのぶぶんにくわえられたしょうげきが、じょうはくきんにでんどうしてはんしゃうんどうを)

起って、その部分に加えられた衝撃が、上膊筋に伝導して反射運動を

(おこすのですから、とうぜんはかせは、むいしきりにりょううでをすいへいにあげる。そのりょうわきから)

起すのですから、当然博士は、無意識裡に両腕を水平に上げる。その両脇から

(はかせをうしろざまにかかえて、みぎてにもったたりずまんをしんぞうのうえにかるくつきたて、すぐに)

博士を後様に抱えて、右手に持った護符刀を心臓の上に軽く突き立て、すぐに

(そのてをはなしてしまう。と、はかせはおもわずはんしゃてきにたんけんをにぎろうとするので、)

その手を離してしまう。と、博士は思わず反射的に短剣を握ろうとするので、

(かんぱつのあいだにふたつのてがはいれかわって、こんどははかせがつかをにぎってしまう。)

間髪の間に二つの手が入れ代って、今度は博士が束を握ってしまう。

(そして、そのしゅんごとびらにしょうとつして、じぶんがつかをにぎったはがしんぞうをつらぬく。つまり、)

そして、その瞬後扉に衝突して、自分が束を握った刃が心臓を貫く。つまり、

(こうれいでほこうののろいはかせに、かーぺっとになみをつくりながらおんきょうをたてずしておいつける)

高齢で歩行の遅い博士に、敷物に波を作りながら音響を立てずして追い付ける

(そくりょくと、そのきかいてきなあっしんりょく 。それから、つかをにぎらせるために、りょううでを)

速力と、その機械的な圧進力――。それから、束を握らせるために、両腕を

(じゆうにしておかねばならないので、なによりまずひかがみをしげきして、)

自由にしておかねばならないので、何よりまず膝膕窩を刺戟して、

(いえんどらしっくはんしゃをおこさねばならない 。そういうすべてのようそを)

イエンドラシック反射を起さねばならない――。そういうすべての要素を

(ぐびしているのが、このしゅどうよんりんしゃでして、そのはんこうはすんびょうのあいだに、)

具備しているのが、この手働四輪車でして、その犯行は寸秒の間に、

(こえをたてるまがなかったほどおそろしいそくどでおこなわれたのでした。ですから、)

声を立てる間がなかったほど恐ろしい速度で行われたのでした。ですから、

(あなたのふぐなぶぶんをもってせずには、だれひとりはかせに、じさつのしょうせきをのこして、)

貴方の不具な部分をもってせずには、誰一人博士に、自殺の証跡を残して、

(いきのねをとめることはふかのうだったのですよ  すると、かーぺっとのなみは)

息の根を止めることは不可能だったのですよ」「すると、敷物の波は

(なんのためだい くましろがよこあいからたずねた。それが、ないわくせいきどうはんけいの)

何のためだい」熊城が横合から訊ねた。「それが、内惑星軌道半径の

(しゅくしんじゃないか。いったんぴりおどにまでちぢんだものを、こんどはなみのちょうてんにはかせのくびを)

縮伸じゃないか。いったん点にまで縮んだものを、今度は波の頂点に博士の頸を

(あわせて、かーぺっとをもとどおりにのばしていったのだ。だから、つかを)

合わせて、敷物を旧どおりに伸ばしていったのだ。だから、束を

(にぎりしめたままで、はかせのしたいはへやのちゅうおうにきてしまったのだよ。もちろん、)

握り締めたままで、博士の死体は室の中央に来てしまったのだよ。勿論、

(あきべやも、とざされていたのではないから、ほとんどあとはのこらぬし、しごはけっして)

空室も、鎖されていたのではないから、ほとんど跡は残らぬし、死後はけっして

(かたくにぎれるものじゃない。けれども、だいたいけんしかんなんてものが、ひみつの)

固く握れるものじゃない。けれども、だいたい検屍官なんてものが、秘密の

(ふしぎなみりょくに、かんじゅせいをかいているからなんだよ そのとき、このさっきにみちた)

不思議な魅力に、感受性を欠いているからなんだよ」その時、この殺気に充ちた

(いんきなへやのくうきをゆすぶって、こふうなもてっとをかなでる、わびしいかりりよんのおとが)

陰気な室の空気を揺ぶって、古風な経文歌を奏でる、侘しい鐘鳴器の音が

(ひびいてきた。のりみずはさっきせんとうのなかにぴーる くらっぱーのあるふりがね はみたけれども)

響いてきた。法水は先刻尖塔の中に錘舌鐘(錘舌のある振り鐘)は見たけれども

(かりりよん けんばんをおしておんちょうのことなるかねをたたきぴあのようのさようをするもの の)

鐘鳴器(鍵盤を押して音調の異なる鐘を叩きピアノ様の作用をするもの)の

(しょざいにはきがつかなかった。しかし、そのいようなたいしょうにきをうばわれている)

所在には気がつかなかった。しかし、その異様な対照に気を奪われている

(やさきだった。それまでひじかけにうつぶしていたしんさいがひっしのどりょくで、ほとんど)

矢先だった。それまで肱掛に俯伏していた真斎が必死の努力で、ほとんど

(とぎれがちながらも、かすかなこえをしぼりだした。うそだ・・・・・・さんてつさまはやはりへやの)

杜絶れがちながらも、微かな声を絞り出した。「嘘だ……算哲様はやはり室の

(ちゅうおうでしんでいたのだ・・・・・・。しかし、このこうえいあるいちぞくのために・・・・・・わしはせけんの)

中央で死んでいたのだ……。しかし、この光栄ある一族のために……儂は世間の

(じもくをおそれて、そのげんばからとりのぞいたものがあった・・・・・・なにをです?)

耳目を怖れて、その現場から取り除いたものがあった……」「何をです?」

(それがこくしかんのあくりょう、てれーずのにんぎょうでした・・・・・・はいごからおぶさったようなかたちで)

「それが黒死館の悪霊、テレーズの人形でした……背後から負さったような形で

(したいのしたになり、たんけんをにぎったさんてつさまのみぎてのうえにりょうてをかさねていたので・・・・・・)

死体の下になり、短剣を握った算哲様の右手の上に両掌を重ねていたので……

(それで、いふくをとおしたしゅっけつがすくなかったことから・・・・・・わしはえきすけにめいじて)

それで、衣服を通した出血が少なかったことから……儂は易介に命じて」

(けんじもくましろも、もうすくみあがるようなきょうがくのいろはあらわさなかったけれども、)

検事も熊城も、もう竦み上るような驚愕の色は現わさなかったけれども、

(すでにせいぞんのせかいにはないはずのふしぎなちからのしょざいが、いちじしょうごとに)

すでに生存の世界にはないはずの不思議な力の所在が、一事象ごとに

(こくなってゆくのをおぼえた。しかし、のりみずはれいぜんといいはなった。これいじょうは)

濃くなってゆくのを覚えた。しかし、法水は冷然と云い放った。「これ以上は

(やむをえません。ぼくもこのうえすすむことはふかのうなんですから。はかせのしたいはとうに)

やむを得ません。僕もこの上進むことは不可能なんですから。博士の死体は既に

(どろのようなむきぶつですし、もうきそをけっていするりゆうといえば、あなたのじはくいがいに)

泥のような無機物ですし、もう起訴を決定する理由と云えば、貴方の自白以外に

(ないのですからね そうのりみずがいいおわったときだった。そのときもてっとのねが)

ないのですからね」そう法水が云い終った時だった。その時経文歌の音が

(やんだかとおもうと、とつぜんおもいもよらぬうつくしいいとのねがじまくをゆりはじめた。)

止んだかと思うと、突然思いもよらぬ美しい絃の音が耳膜を揺りはじめた。

(とおくいくつかのかべをへだてたかなたで、よっつのげんがっきは、あるいはそうごんな)

遠く幾つかの壁を隔てた彼方で、四つの絃楽器は、あるいは荘厳な

(こーだとなり、ときとしてはささやくおがわのように、ふぁーすと・ヴぁいおりんがさまりあのへいわを)

全絃合奏となり、時としては囁く小川のように、第一提琴がサマリアの平和を

(うたってゆくのだった。それをきくと、くましろははらだたしそうにいいはなった。)

唱ってゆくのだった。それを聴くと、熊城は腹立たしそうに云い放った。

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